人間界と恋心と光と真相 ν
ちゅんちゅんッちゅん
小鳥が鳴いている。窓から入ってくる陽射しがとても気持ち良い。
少女は朝のやわらかな陽射しに包み込まれ、自然と自室のベッドの上で目を覚ましていた。
「ふわあぁぁぁ」
「あぁ、よく寝た。こんなによく寝たのは、どれくらい振りかしら?」
ここは人間界にある少女の屋敷の少女の部屋だ。中には華美な装飾などなく、飾りっ気もない。
普段使う装備品を掛けておくラックと、ベッド脇に机と椅子……それくらいしかない。衣服類は全てクローゼットの中だからタンスもない。
部屋の奥には1枚の扉があるがそこから先は乙女の領域なので触れてはいけない。
とても年頃の女性の部屋とは思えない生活感が感じられない部屋だ。
女性らしさを唯一感じさせるモノがあるとするなら窓に掛かったカーテンくらいだが、それだけがカラフルな装いで部屋の雰囲気に必死に抵抗している様子だ。
少女の屋敷は神奈川国のアラヘシ市にあり首都のアニべ市まで車で20分程度の距離にある。
少女の部屋は2階の南端に位置している。この屋敷は地下2階・地上3階建てで地上部分の総部屋数は20部屋にも及ぶ。
その屋敷に少女は執事の爺と2人で暮らしていた。
少女は「よく寝た」と言いながらも多少眠い目を擦っている。そして着替えをちゃっちゃと済ませると、部屋を出て1階の広間に向かっていった。
例え着替えのシーンであっても、そこに年頃の女性のような恥じらいを期待してはいけない。
「お嬢様お目覚めですか?今朝のお食事はどうなさいますか?」
「おはよ、爺。今日は朝の陽射しが気持ちいいわね」
「でもちょっと眠いから先にブラックをお願い。食事は適当で…うん、爺に任せるわ」
「かしこまりました。直ぐにご用意致します」
少女に話し掛けてきたのは執事の爺だ。爺は少女の父親の代からこの屋敷に仕えてくれている信頼出来る執事だ。
名前を聞いた事があったような気もするが、幼い頃からずっと爺と呼んでいる。だから今となっても、それは継承され続けていた。
その結果、正確な名前を少女は把握していない。
「あれっ?今、誰かの顔が頭に浮かんだけど……」
「誰だったかしら?えっとぉ…。うーんとぉ」
「まだ寝ボケているのかしら?それとも、平和ボケかしらね」
キッチンで準備してくれている爺を待ってる間、少女の脳裏には2人の獣人種の顔が思い浮かんでいた。だが名前が出て来ない。
いくら考えても思い出せないので、思い出せないモノは仕方ないと割り切って頭を横に振っていた。
それから10分もしないうちに爺は少女の朝食を持ってキッチンから出て来た。だが思い出せなかった名前について、少女は爺に確かめる事なく朝食を口に入れていく。
頭の中にあるイメージなんて他者と共有出来ないのだから、以心伝心でもない限り名前を聞いてもスグには解答が得られない。拠って、どうしても気になるのであれば自分が思い出す事しか手段はない。
「ねぇ、爺?」
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「あのさ、今日のアタシの予定知ってる?」
「本日、お嬢様が受けられている依頼は御座いません。ですが午後からキリク様がお見えになる予定で御座います」
「そっかそっか♪そうだったわね♪それじゃあ午前中は用事がないなら少し出掛けてくるわね」
「はい、かしこまりました」
「装備品はいかほどご用意しておきましょうか?」
「別に狩りをしに行くワケじゃないから、何かあった時の為に最低限でいいわ」
「かしこまりました。ご用意しておきます」
少女は早々に支度を整えると外に出ていった。すると見計らったかの様に少女の愛車が迎えに来ていた。
少女の愛車の愛称は「セブンティーン」だ。
「オハヨウゴザイマス、マイ・マスター」
「おはよ、セブンティーン」
「本日ハ、ドチラマデ、行カレマスカ?」
「えっとねぇ……」
少女が乗り込むと搭載されている自立型人工知能による無機質な音声が少女の耳に入って来ていた。
セブンティーンに搭載されている人工知能は大変優秀だ。何故なら一方通行な会話ではなく少女が話せば的確な言葉を返してくれるし、調べ物やスケジュール管理なんかもしてくれるからだ。
所謂スグレモノというヤツで少女は心底気に入っている。
相互通行の会話が出来るというのはホントにいい事だと思う。
少女はセブンティーンに目的地を伝えていく。目的地を把握したセブンティーンは低いエグゾーストノートを響かせ、目的地に向かって動き出していた。
屋敷の玄関先には爺が立っており、いつもの様に少女を見送っていた。
少女は運転するのが好きだ。ステアリングの感触やエグゾーストノートの音色、視界に広がる風景や色とりどりの景色。
窓を開ければ肌に触れる風の優しさはエッセンスで、エグゾーストノートに負けないで聞こえてくる音はスパイスだ。
そういった普段気にしないようなモノを改めて感じさせてくれるから運転が好きだった。
しかし何か考え事をしている時や疲れている時、眠い時などは人工知能に運転を任せている。いくら運転が好きでもそれが仕事じゃないから仕方がない。
運転出来ない事情もあるのだ。
拠って今日は少し考え事をしていたから、運転は人工知能任せだった。
「キリクが来ーる♪キリクに会える♪るんるんらんらんらんたった♪」
「えへへへ、どうしよっかなー?何にしよっかなー?えへへへへへ」
低いエグゾーストを奏でる愛車の中で少女の気分はウキウキだった。久し振りにキリクに会える喜びを噛み締めている様子だった。
頭の中での妄想は激しく、顔は緩みっぱなしだが、セブンティーンは安全運転で走っていた。
キリクは少女の兄弟子にあたる。出生は分からないがハンターをしていた父親が拾ってきた子供だと聞いていた。
少女が物心ついた時にはもうキリクは屋敷で一緒に暮らしていた。だから幼い頃は血が繋がっているかいないかなんて気にする事なく「お兄ちゃん」と呼んでいた。
一方でキリクは幼い頃から少女の父親に剣術や魔術を習っていた。だけど、血の繋がりを気にしてたのか名前では呼んでもらった記憶がない。
記憶にあるのは「お前」だけで、それ以外だと「お前」すら言われず話し掛けられた事しかない。
だから余所余所しくつっけんどんな義理の兄の態度に、少女は距離を置いていく事になる。
キリクは少女の父親が亡くなった後も屋敷で暫く一緒に暮らしていたが、15歳になった時に家を出ていった。
「いつまでも屋敷にいていいのに」
「師匠が亡くなって、思い出だけが残るこの屋敷にいても辛いだけ」
屋敷を出ていった最後の会話は少女の胸のどこか奥深くに今でも根強く刺さっている。
このトゲは抜ける事がないかもしれないが、そんなトゲすらも代えがたいな思い出だった。
キリクは屋敷を出た後、少女の父親と同じハンターになったと風の噂に聞いていた。
少女もキリクと同様に幼い頃から父親に修行をつけてもらっていた。だからキリクがハンターになったのも相俟って、2人同様にハンターを目指したのは言うまでも無い当然の「成り行き」だった。
「そう言えば!キリクの怪我は治ったのかしら?リハビリは……」
「ッ?!うっ。な…に、コレ」
「オ加減ガ、悪イノデスカ?マイ・マスター」
「だ、大丈夫よ、ありがとう。セブンティーン」
「ふぅ。怪我?リハビリ?アタシは一体何を言っているのかしら?キリクが怪我なんてするワケないじゃない!!だって今日はお祝いなんだもの。無事に風龍イルヴェントゲートを倒して2つ星になったからワザワザ屋敷に来てくれるんじゃない!」
「まったく、アタシってば何を言ってるんだろ…。これからお祝いなのに縁起でもないわ」
ふと少女の脳裏に重傷を負いベッドで横たわるキリクの姿が浮かんでいた。だがその刹那、少女の頭に激痛が奔っていく。
その激痛が唐突に消えると誰に聞かせるワケでもない独り言を呟いていた。まるで「それ以外の真実など何もない」とでも言わんばかりに。
今日の少女はキリクのお祝いに自身の手料理を振る舞う予定だった。拠ってその買い出しの為に愛車を走らせていた。
その事は爺にも言っておらずキリクも知らない。それは少女だけで考えたお祝いのサプライズだった。
「オトコの心を掴むには先ず胃袋から」とどこかで聞いたコトがあった気がしたからだが、今まで料理なんてした事がない少女でも自信満々に完結出来ると思っていた。
少女は無事に買い物を済ませると寄り道もせず真っ直ぐに屋敷に戻って来た。そして屋敷に戻るなり少女はダッシュでキッチンに向かっていった。
爺にも見付からないようにしなくてはサプライズの意味がないからだ。
いつも爺は直ぐに料理を作って持って来てくれるから、自分もやれば出来ると思っていたに違いない。
少女が食材と必死に格闘している途中で爺はキッチンに寄った。ただ単純に、そろそろキリクが来ると思ったからだ。
そしたら普段いるハズのない少女がキッチンにいた。爺はその様子に非常に驚き、凄く何かを言いたそうな顔をしていたが、何も言わず少女に気付かれない様にそっとキッチンを後にした。
午後になりキリクが屋敷に姿を見せた際、少女はまだキッチンで格闘していた。
その為に少女はキリクの出迎えに来るコトはなかった。更にキリクは爺に拠って引き止められ広間にて待機となった。
キリクは姿を見せない少女を心配し探そうとしたが、爺はキリクを必死に止めた。それは少女のサプライズに対する爺なりのサプライズだったからだ。
こうして広間にて更に待つ事1時間。少女が出来た料理を持ってキッチンから出て来た時には、キリクと爺からちょっとした歓声が上がった。
初挑戦だったワリには完結するコトに成功していたからだった。
こうしてやっと「キリク2つ星昇進おめでとうパーティー」が始まるコトになった。
「こんな所にいたの、キリクぅ?」
「おいおい、お前どうしたんだ?」
「ねぇ、キリクもちゃんと飲んでるぅ?」
少女は少し酔っていた。ワザと服を少しはだけさせ、口をアヒルにして上目遣いに見詰めていた。
その顔は少しだけ上気しておりピンク色に染めていた。
しかし耳だけは真っ赤に色付いていた。
正気の状態ならそんなコトは恥ずかし過ぎて死んでも出来ないだろう。だから少女はあまり飲んだ事のないお酒を自ら進んで飲みキリクに迫った。
色があるかは分からないが色仕掛けというヤツだ。
拠って恥ずかしくて死んじゃいそうな少女は飲まなきゃやってられなかったのだった。
キリクは少女にとって最初は、ただの「お兄ちゃん」でありただの兄弟子だった。屋敷にいるだけの居候だった。
特別な感情の一切がそこにあるワケなどなくただの赤の他人だった。
それはキリクが余所余所しくつっけんどんだったコトからそうなっていった。だから、そうなるように仕向けられたと言っても過言じゃない。
「キリクの事を異性として意識するようになったのはいつの頃からだろう」
そうだ、少女の父親が依頼に行った時だ。
そうだ、父親の最期になった依頼で「魔獣の討伐に失敗して死んだ」と伝えられた時だ。
そうだ、キリクがただ黙って何も言わずに泣きじゃくる少女の頭を撫でていてくれた時だ。
キリクは突然唯一の家族を失った少女の頭を、何も言わずに優しく撫でていた。
キリクも本当は泣きたかったかもしれない。だが少女の事を不安にさせまいとして、最後の肉親を亡くした少女の事を気遣って、無言でただただ頭を撫でてくれていたのだ。
少女はその時の一件からキリクを異性として意識し始めていった。それが少女にとっての初恋だったのかもしれない。
でもそれは恋と気付けない淡い想いだった。
少女はもう何も失いたくなんて無かった。ハンターだったから父親が死に、そのハンターになる為に必死になっているキリクまで失いたくなかった。
「だから、引き止めたのに」
この屋敷にいてくれるなら、ハンターになってもちゃんと生きて帰って来てくれるかもしれない。
この屋敷にいてくれるなら、笑いながら「ただいま」って言ってくれるかもしれない。
だから精一杯引き止めた。だから一生懸命引き止めた。
だから屋敷を出ていって欲しくなかった。
それなのに…。それなのに、それなのに……。
「この屋敷にいても辛いだけ」
そう言い放ったキリクの一言は、少女の幻想を敢え無く砕け散らした。
少女のキリクに対する淡い想いと共に……。
キリクに会える機会なんて滅多に無い。今じゃ売れっ子のハンターでキリクの事を待っている人達は多い。
キリクが助けに行かないといけない依頼が山のようにある。
だけど、アタシはキリクを引き止めたい。アタシの元に引き止めたい。
アタシだけの元にいて欲しい。
そんな少女の可愛らしい願望が…、あどけない欲望が…、あの時確かに砕け散ったハズの淡い想いが…、少女に「酔う」事を唆したのだ。
だからキリクに迫る事でキリクの心を引き留めようとした。
「酔ってるなんてお前らしくないぞ。「ハンターたる者、常に冷静沈着であれ!」師匠からそう習っただろう?」
「えっ?う、うん」
「ほら、そんなカッコじゃ風邪をひくぞ?体調管理もハンターのれっきとした仕事だ」
「アタシ…そんなに……魅力ない…の?」
キリクに少女の想いは届かなった。
届く気配すら見えて来なかった。むしろそんな気配が裸足で逃げていく様子だった。
要は生真面目過ぎるのだ、この朴念仁は……。だから決して少女の色気が足りないとは考えてはいけない。
「キリクのバカッ!!ばかばか大バカぁッ!!」
「うわぁん」
たったったっ
「お嬢様を追い掛けなくて宜しいのですか?」
「追い掛けるも何も、俺はアイツの想いには応えてやれない」
「俺とアイツは住む世界が違い過ぎている。それに、アイツに何かあったら、それこそ師匠に2度と顔向け出来無くなる」
「だから、それでいいんだ。それしか出来ないんだッ。アイツの幸せを師匠は望んでいたから、俺がアイツを不幸にするコトは出来ない…よ」
ぎりっ
「キリク様……」
少女はその会話を2人に悟られない場所から聞いていた。キリクは遠い目をしながら空を見詰めていた。
少女もまた同じ空を眺めながら頬を濡らしていた。
パーティーは少しだけ昏い陰を落とした。だが少女は涙を拭うと気丈に振る舞い、その後は特にハプニングも起きずパーティーは無事お開きになった。
「今日はワザワザありがとうな。お前の料理も、その、なんだ、美味かった!」
「キリク…。うん、お口に合ったなら作った甲斐があったわ。これからも遠慮なく食べに来てくれても…いいのよ///」
「そっか、それじゃ明日もまた来るよ」
「えっ?明日も来てくれるの?それじゃ、どこかへ出掛けない?お弁当作っておくからッ!!」
「お弁当か。そうだな、そしたら師匠の墓参りに行こう!!」
「えっ?!」
「墓参…り?」
その一言で少女の心の中にとある疑問が湧き上がっていった。
何故ならば父親の「墓」は無いのだから。
父親が死んだと伝えられた時そこに遺体は無かった。遺品として届けられたのは父親の愛刀の剛龍の剣だけだった。
だから墓なんて作られていない。
「亡骸すら無かったのに…。それに遺品は地下1階の倉庫に眠っているのに…。「墓」なんて無いハズなのに……」
「なんで?」
「ナンデ?」
「何で…「ハカマイリ」なの?」
「うッ!!!?」
少女は昼間以上の激痛を伴う頭痛に見舞われた。そして、意識を失いその場に倒れ込んでいった。
「ここはどこかしら?」
「なんで、アタシはここに…?」
暗く昏く闇い辺り一面の闇。黒よりも黒い漆黒。一筋の光も射さない空間。
少女はただただ闇いだけ空間に漂っていた。自分の手も見えない。脚や身体のパーツのどれ1つをとっても、視る事が叶わない空間にただ1人浮かんでいた。
それはまるで「シュレディンガーの猫」を体現しているかのような世界だった。
そんな自分と世界を隔てている境界が分からない場所に漂っていたが、不思議と恐怖も不安も感じなかった。
「そう言えば前にもどこかでこんな事があったわね」
「それっていつのコトだったかしら?」
「ここに来てからだっけ?それとも……」
「ッ?!」
「ここ?今、ここってアタシ言ったわよね?じゃあ、ここってどこのコトを言ったのかしら?」
「!?ッ」
「アタシは何を忘れているの?何かを忘れさせられているの?」
「そういうコトなのね?」
少女の「声」も、少女の「意志」も、強くはっきりと自分を取り戻しつつあった。
そしてその先にある光を見た。
「光?」
「やっぱり、前にもどこかで…?」
それは一筋の光だった。
その光は闇い世界に形を取り戻してくれる光だった。
その光は昏い世界に希望を齎してくれる光だった。
その光は暗い世界に記憶を呼び覚ましてくれる光だった。
「貴女は自分の世界に帰りなさい」
それは優しい声だった。
いつの頃だろう?この声を聞いたのは。
何処かで聞いた事のある優しい声。
自分の事を護ってくれる様な優しい声。
少女はその声に包み込まれる様に光の差す方へと向かっていく。その優しい声に導かれるように。
「母様……」
漆黒の空間にいた少女の意識はそこで途絶えていった。
少女は目を覚ましていく。
「ここは?」
「あれ?アタシ、夢を見てたの?なんだか随分とリアルな夢ッ?!」
少女は多少寝ボケていたかもしれない。だが急速に思考回路は正常に戻り、急激に記憶は蘇っていった。
ここは人間界じゃない、神奈川国なんかじゃない。そう、ここはリヴィエの屋敷だ。
少女はリヴィエの瞳を見て、堕とされていた。
自分自身が心の奥底に持つ、安らかなる場所へと。
「へぇ、もう帰って来てしまったのか?早過ぎと言えるな貴君は!」
「よっぽど相性が悪かったのか、それとも何か横槍が入ったか、もしくは自我が強過ぎるかのどれかか…。ふむ、興味深いな」
「り、リヴィエさんは一体何者なの?何故、こんな事を?」
「あっ!」
「貴君よ、どうした?妾の顔に何かついているか?」
「えぇ、ついてたわ。リヴィエさん、その瞳は魔眼なのね?」
少女はリヴィエに聞こえるようにはっきりと口に出していく。それは相手の素性が分かっていないなら尚更のコト「危険」としか言いようがない行為だ。
だけど今は警戒心こそあるが今すぐに戦闘に移るといった事は想定の内には入っていなかったから取れた「行為」だった。
「へぇ、そこまで分かるとはな?貴君は優秀だな。その通りこれは魔眼だ。妾の魔眼は幻視の魔眼。瞳に捕えた者を、その者の安息の地に堕とす魔眼。まぁ、効果は他にもあるが、貴君も自分の安息の地に無事に行けたんじゃないか?」
「そう…ね。でもあんまり安息と呼べる程の場所じゃなかったわ」
「そうか、それは残念だった。妾はこの魔眼をそういったコトにあまり使わないからな。訓練不足だったか…。いや、真に残念だ」
「それでアタシは合格かしら?」
「お?あーっはっはっ。うむ、うむ、実にいい!その明敏な頭脳、慧眼な思考、聡明な思慮。本当に素晴らしい!ヒト種にしておくのは勿体無いくらいだ!」
「合格だ合格だ!大合格だッ!貴君なら間違いはない。それに、ベルンの報告通りならば強さは間違いないハズだからな」
「それじゃあ全容を話して貰えるかしら?リヴァイアタン・ネロ・サージュ卿」
「あぁ、モチロンだとも。御子様」
リヴァイアタンは嫉妬を冠するこの国の貴族である。家名に貴族位は無く、彼女自身の貴族位は子爵だ。だからサージュ家自体は貴族家ではない事になる。
そしてそんな彼女は王都の港湾及び王都の南側に所領を抱えていた。
また王都の警備部門長・ベルンの主でもある。
女性が貴族位を持てないハズのこの国でただ1人、その実力だけで貴族位を勝ち取った猛者だ。
然しながら彼女は貴族家の出身ではない故に彼女が持つ貴族位は一代限りとされている。
その後の働き次第では「家名に貴族位を与えられるのでは?」と巷では囁かれていた。
そんな実力派の貴族だ。
「先に話した正体不明の魔石の話しを覚えているか?」
「えぇモチロンよ。でもやっぱりその話しに繋がるのね?」
「あぁ、そうだ。ところで貴君は貴族達の所領については詳しいかな?」
「そうね、多少本で読んだくらいかしら?」
「そうか、なら妾がざっと説明しよう」
「先ずはここ、港湾地域を除く王都周辺は魔王陛下の直轄領だ。そして更にその周りを取り囲む形で陛下派閥の諸貴族の所領が配置されている」
「魔王陛下に与しない派閥の貴族達は更にその奥にちらほら所領がある」
「では、更にその奥はどうなっているか分かるか?」
「えっと、辺境を治める貴族がいるんだっけ?」
「そうだ。諸貴族の所領の更に奥は、辺境伯と呼ばれる貴族がいる。だから、そいつら一代貴族の所領になっている」
「名目上、今の辺境伯達は魔王陛下と敵対しておらず魔王陛下に恭順しているが、その真意は分からないのが現状だな」
「ふぅん、なるほどね」
「しかし先の反乱、陛下派閥の貴族でさえ魔王陛下に刃を向けたのだ。恭順の意を示しているだけの辺境伯共が何を企んでいるのかは皆目見当もつかないのは分かるだろう?」
「リヴィエさんは北の辺境伯が、王都ラシュエに侵攻してくる可能性を考えているのね?」
「ほう?なんでそう思った?是非聞かせて欲しいものだ」
「そうね、でも分かり易く言えばこれは直感だから説明は難しいわ」
「そうか…。ならば妾が続けよう」
「先の反乱のおり、王都の北の所領を預かるルネサージュ家。そのルネサージュ領の山が消し飛んだのを知っているか?」
「えっ?」
「恐らくは、北の辺境伯がマモン達と共闘する為に山を消し飛ばし進軍ルートを作成しようとしたとの考えが現状で有力な…」
「ちょ、ちょっと待って!そ、その話し、領主であるアスモデウスさんや、とお、いや、魔王陛下には確認したのかしら?」
「いや、確認などしておらん」
「だがなその前に、貴君が魔王陛下のご息女である事はとっくに知っている。だからさっきも敢えて「御子様」と呼ばせて頂いただろう?」
「確かに魔王陛下は魔王陛下だが、だから無理に貴君まで「魔王陛下」と言う必要はないと思うぞ?特にそういった輩の目が無いのであれば尚更…な」
「あはは。う、うん、お気遣いありがとう、リヴィエさん」
「それじゃあリヴィエさん、これから重要な事を話すから絶対に驚かないで聞いてもらえる?」
会話は弾んでいた。2人ともバカではないし、むしろその逆だ。
だから普通以上に知恵は回るし思考は速い。
だから会話が弾んでいた。しかし、ルネサージュ領の山が会話に挙がり出した途端、少女の歯切れは悪くなっていった。
だからこそ「このままではいけない」と意を決した。よって少女は神妙な表情を作り、重く重く言の葉を紡ごうとしていた。
リヴィエはそんな少女の表情に対して息を飲んでいた。
「リヴィエさんが話してた山を消し飛ばしたの、アタシ…なの」
神妙な面持ちの少女が紡いだ突拍子もない告白に、リヴィエはその瞳をただただ白黒とさせていた。
そして、リヴィエはふと我に返ると屋敷中にその哂い声を響かせていった。
「な、なんだと?貴君があの山を消し飛ばした、だとぉ?あっははははっははは、馬鹿も休み休みに言え。さては先程といい今回といい、貴君は妾を哂わせ殺すつもりだろう?ひーっひっひっひはっはふっ」
少女が意を決する必要があったのはこの事を予期したからだ。この長引くだろう爆笑の渦に再び巻き込まれる感じがしたからだ。
だから神妙な面持ちで重く紡いだのだが、効果はなかったようだ。
然しながらリヴィエは大哂いを始めたものの、少女の心配は杞憂に終わった。何故なら少女の顔付きが神妙な面持ちのまま変わらないので直ぐに真顔に戻ったからだった。
「そ、それは本当の事なのか?」
こくっ
「くっくく…くくく、ぐっ!抑えろ、抑えろ。哂ってはダメだ、哂っては…。ダ…メだあぁぁぁぁぁ!はーっはっはっはひっふはっふはははっひひっーひっひっ」
「はぁ。こんな事になりそうだったから絶対に驚かないでって言ったのに。ぷぅ」
こうしてリヴィエの大哂いは暫く続いた。
「でね、その時の事を知っているのは、その場にいた父様とアスモデウスさん、そして、ルミネとアタシ。後は敵の黒幕である銀髪の男だけよ」
「よし、分かった。それはちゃんと確認しておこう。ふふふ」
「そ、それにしても、くくくっ。あれ程の山を消し飛ばすとは、ぷぷぷ。き、貴君は一体何をしたのだ?ひひひへはっははっ」
話しはいつしかリヴィエが興味を持つ方へとすり替わっていた。
要するに国の一大事から、リヴィエの知りたい欲求へと変化していったのだった。
「い、いや、ちょっとした魔術で…」
「魔術とな?そのような大魔術、闘いの中では不向きであろう?それとも何か?その銀髪の男とやらは、その大魔術でなければ倒せない程の相手なのか?」
「はぁ。うん、分かったわ。あの時のコトを話すわよ。哂わずにきいてくれるならちゃんと話してあげるわよ」
「分かった。善処しよう」
「善処じゃダメよ。少しでも哂ったらアタシは話すのを止めるから、それくらいの覚悟で聞いてもらえる?」
「うっ、心得た」
少女は瞳を輝かせながら根掘り葉掘り聞いて来るリヴィエへの対応にいても立ってもいられず、あの時の詳細を話す事にした。
「なるほど、マモンとベルゼブブを丸ごと使った錬成魔術…か。そして、それを打ち砕いた極大魔術とはな」
「錬成魔術自体、特殊なジョブを修めていなければ使えないハズだ。その銀髪の男とは一体何者なのだ?」
「それはアタシにもサッパリ分からないの。むしろ、アタシの方が聞きたいくらいよ」
「そうか、ところで貴君よ?極大魔術は術式の理論上、普通の者が使える代物ではない。五大属性全ての属性を使える者でなくては極大魔術は成功し得ない。そうであろう?」
「え、えぇ、そうね」
「なんか、マズい予感しかしないんだけど…。ぼそっ」
だんッ
「そこでだ聞かせてくれッ!貴君は一体、幾つの属性を扱えるのだ?」
「えっ?えっとぉ…光と闇を含めた7つ全て…かな。あはははは」
「な、な、な、なんだとぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!ぶわーっはっはっはぅっはっはっひっひっひっふーっふっふはっはっ」
「も、もうッ!リヴィエさん、哂ったから、この話しはお終い!お終いだからねッ!!ふんすっ」
こうしてリヴィエは何度目かになる大爆笑の渦に身を投じていった。
少女は溜め息をつき、顔をむくれさせてその様子を眺める事しか出来なかった。
極大魔術とは先の反乱の際に少女が放った極大五色を始めとする「アルティメット・シリーズ」の事を指している。
大原則として属性には相性がある。そしてその属性は正五角形の頂点に木・火・土・金・水があると考えればいい。
相反する属性同士を用いて術式を編めば互いに力が反発し合う事から通常は力を制御する事は叶わない。
これは斥力と呼ばれる力であり、もし制御出来れば強力な力になる。
拠って相反しない属性同士だと最大で2種類が限界となる。(一属性につき二属性ずつ計5通り)
これは親和と呼ばれ、元の属性と融和し新たな属性や元にする属性を強化する。
その為、五大属性全てを扱えなければ、斥力を融和出来ず術式を編み上げる事は出来ない。まぁ、編み上げていく際に必ず斥力は発生するが最終的に斥力が互いの斥力で拮抗する事になる。
だから逆説的に考えれば五大属性全てを扱える事が出来ればそれらの力を制御する事が可能になるとも言える。
だがそれは飽くまでも理論上だけの話しで言えば…だ。
少女はそれ以外に更に光と闇の属性を付加し扱う事も出来ると言った。その場合は詠唱時間も威力も桁外れとなる。
拠って使い方を間違えれば国どころではなく、星や世界が丸々と消し飛ぶ程の威力になり兼ねないのだった。
極大魔術はただでさえ「魔法」の領域に足を踏み込んでいるとされているが、そこまでの威力となればそれはもう既に「魔法」と言えるだろう。
ただし通常のごく一般的な魔族であれヒト種であれその他の種族であれ、扱える属性はほぼ90%以上の確率で1つだけだ。
拠って2つ以上の属性を扱える者は稀にしか現れない。
5つ全てを扱える者は人間界には少女しかおらず、「魔界」にはルミネしかいない。
だが、そのルミネでも特殊属性の光と闇の両方は使えず、闇を纏う事が出来るだけだ。要は7つ全ての属性を扱える少女の異常性は、どの世界に於いても異質極まりないモノだと言うのが分かるだろう。
「流石は魔王陛下の御子と言える才覚をお持ちだ。あぁ何故、貴君は魔族として産まれなかったのか。本当にヒト種にしておくのがもったいない」
「あははは、そんなコト言われても……」
「まぁ、そうしたらアレだな。北の辺境伯の反乱の意思アリっていう話しはガセなのだな?」
「なんかリヴィエさん、残念そうね?」
「そりゃあ残念だとも!先の反乱軍討伐の折は声が掛からなかったし、妾は今よりももっと武勲を上げねばならない身の上だからなッ!」
「へ、へぇ。そうなんだ?」
「だから、アスモデウスが侯爵になったと聞いた時にはこの屋敷の部屋が幾つも壊れたモンだ。まぁ、直させたから今でこそ平気に使えるがな。はっはっはっはっ」
嫉妬を冠するリヴィエならではの不穏というか、純粋に子供がこねる駄々みたいな感じもした。だが少女はその話しを聞き「この人を怒らせるのはやめた方が良さそうだな」と、密かに心に誓っていた。
「ところでリヴィエさんはなんで山が消し飛んだ事を知っているの?リヴィエさんの所領は南側なんでしょ?」
「隣り合っているなら話しが入ってきてもおかしくないけど、真反対ならどこからその話しを聞いたのか教えてもらえないかしら?」
「あぁ、あれは確か数日前の事だったか?王都をぶらぶらと散策をしていた時の事だ。フードを目深に被った奇妙な男が話しをしているのをたまたま聞いてな」
「えっ?!」
「それに興味が湧いて使い魔に調べさせた。そうしたら、確かに山が削り取られた様に失くなっていたのだ」
「あと、その男はこうも言っていた。「図書館にいるヒト種の女性がハンターという便利屋をやっている」と」
「だからたまたま聞いたその話しを持ち帰り、内々にルシフェルと相談してみたのだ。「不穏な動きのある北の辺境伯の討伐隊に参加させてみてはどうか?」と」
「だがルシフェルは先ずは試すべきだろうという結論になった…」
「今なんて言ったの?」
「ん?今?ぬぬぬ、北の辺境伯の討伐隊に…か?」
「その前!」
「その前?図書館にいるヒト種の女性がハンターを…か?」
「そこよッ!」
「ん?どこだ?何か妾の後ろにいるのか?」
「いや、そこだけど、そこじゃなくて……」
「ねぇ、リヴィエさん考えてもみて?ハンターという仕事について父様から何か言われたワケではないのよね?」
「うむ。その通りだ」
「恐らく父様はアタシがやっているハンターについて広く公表していないハズ。だったら、その男はなんで「ハンター」の事を知っているの?しかも便利屋なんて言葉までつけて」
少女はリヴィエとの会話の中で気になるワードをいくつも感じ取っていた。拠って少女は何かが起きようとしていると直感で理解した。だが、確信はないし、既に後手に回っている気がしなくもない。
それが何なのか?それがいつなのか?それがどこでなのか?
そこまでは分からない。
暗躍してる者がいる。それは分かっていた。その暗躍している者として思い当たる者、心当たりのある者、それは1人しかいなかった。
それはモチロン少女がハンターである事を知っている者だ。
「アタシが「魔界」でハンターだと知っているのはごく限られた数人しかいない」
「では、人間界ではどうか?人間界で会った事のある者ならアタシがハンターだと知っているハズ。そして「魔界」と人間界の両方であった事のある者は1人だけ。そう!あの銀髪の男しかいないッ!」
少女の思考回路は急速にフル回転を始めていく。そして即座に推論を纏め上げていった。
何かが起き始めていると確信し、事態は急を要すると少女は考え迅速に行動に移していく。
対してリヴィエは少女が考えている事を逆算し行動する事に決めた。
少女は先ず魔王ディグラスに会いにいく事にした。リヴィエにそう伝えると屋敷を出ていった。
そして屋敷に残されたリヴィエは、独断で王都全域に警戒網を敷いていく。
更にリヴィエは連絡のつく周辺貴族や配下達に片っ端から、自分が見たフードの男を見付け次第捕縛する様に連絡を取っていった。
「何故だろう?凄っごく嫌な感じがする。何事も起こらなければいいけど」
屋敷を出た少女は盛大にフラグを立てていた。