散策と襲撃と修行と型 ν
叙勲式が終わり数日経った頃の事。
ルミネは任命された管理官としての職務の為にルネサージュ城にいない事が多くなった。拠って少女はつまらなかった。
余りにもつまらなかった。
友達と遊べず暇を持て余す子供なみにつまらなかった。
大事だったので3回言うくらいにつまらなかった。
少女は暇を持て余し拗らせた挙句、面白い事を求めてルネサージュ城の中を、リビングデッドの如く彷徨い歩く事に…、いや、単純に散策する事にしたのである。
ちなみに当主であるアスモデウスには許可は一切取っていない。だから、自分の好きな所に直感に従って入るという傍若無人な散策方法を採用した。
何も部屋の物を盗らないから、強盗にはならないのでそこんトコは悪しからず。
少女は咎められたら「謝ればいっかー!てへッ」などと安直な考えの上での行動であった。そして少女はかれこれ2日の間、城内の散策をしていた。然しながら誰からも未だに咎められてなどいない。
擦れ違う者はたまにいるが誰かは分からず名前も知らない。
何故ならば、皆一様に下を向き少女と目も合わせず一言も発しようとしないからである。
こちらから何かを話し掛けても当たり障りのない返事すら来る事なく、困った表情で終始無言を貫かれるばかりだった。それはそれで、フラストレーションが溜まる。
少女の扱われ方は、目の上の大きな「たん瘤」を自分から腫れ物に触るように恐る恐るといった感じだ。
うん、よく分からない。
要はそういったよく分からない対応をされていたという事だ。
何故こんな対応をされるのか、少女は分かっているのだが、分かってはいるのだが、分かりたくない少女なのだった。
少女はコミュ力には自身があった。だが「ここまで拒絶されると人間不信。いや、魔族不信になるかもしれないな」などと自虐的に自答していた。
なので「アタシはそういう扱いなんだ」と、完全に割り切るコトにした。だから自ら積極的に城の中の人達に関わる事をせずに散策に集中するように行動を変えていったのだ。
その結果、「人間界にこれ程の城はもう存在していないかもしれないなぁ」とも悠長に考える余裕が出て来ていた。
ルネサージュ城は確かに荘厳で立派な佇まいである。一言で言えば「優雅」と言った言葉がしっくりくる造型だ。
一方で王都ラシュエの魔王城は「優雅」というよりは、「無骨」と言った感じだった。
城は主の趣味嗜好に拠るのかもしれない。
少女はそんな散策の最中、次第に視線を感じるようになっていった。
最初は「ヒト種が物珍しいからだろう」くらいに考えていた。しかし、視線の中に含まれる微妙な殺気に気付いてからは、視線を感じる度に視線の持ち主が同一人物だと考える様になっていった。
そんな殺気に気付きながらも少女は「向こうから動かなければこちらから無闇に動く必要はない」と考え、気にしないようにしていた。の・だ・が、日を追うごとに視線に対して意識をする様になった。
決して、見られているのが気持ち良いなどとナルな感覚に囚われていたワケではない。拠って、興味と気持ち悪さを覚えた事で、自分から動く決意をしたのだった。
そして、動く時は「迅速に」である。
「ねぇ、アナタ、何をしてるの?アタシに何か用?」
「なッ?!」
「あら?アナタ、どこかで見た様な…?あぁ、そうだそうだ確かこの前。えっと名前は…ハラルド…?ハロラド…?ハロルド!そうだ、ハロルドだったわね」
「ッ!?」
「で?アタシに何か用なの?ファンってワケじゃないわよね?でも、ストーカーされる側の気持ちを考えたコトあるかしら?」
少女は自分に向けられているその視線の持ち主に気付かれない様に、見えないところで転移していた。更にはその背後に回り込み声を掛ける事にしたのだ。
少女はここに来たばかりの時は転移系の魔術を使えなかった。だがルミネから借りた書物の中に魔導書があり、暇を弄んだ結果、簡単な転移魔術を取得する事に成功していた。
とは言え魔族の筆記文字は最初から読めなかった。
口語の発音はヒト種の言葉と同じなのに筆記文字だけが違う事には腹が立っていた。だからルミネの助力に拠ってデバイスを調整してもらったのである。
拠って魔族の筆記文字も解析が可能となり、デバイスで読める様に諸元の書き換えをしてもらっていた。
そんなコトとは露知らず、声を掛けられた視線の主はあからさまに動揺していた。
視線の主からしてみれば、少女はさっきまで自分の視線の先にいた。だが今はその少女が自分の背後にいるのだ。
混乱もするし動揺しない理由もあるワケが無い。
しかし、視線の主が名前を言い当てられたコトで空気は変わる。
「小生と勝負してもらおう!」
「勝負?ここで?この狭い廊下で?しかもその剣で?」
「アナタ、剣を使って闘ったコトがあるの?」
「槍ならいざ知らず、狭い場所で剣は不利よ?よっぽどの使い手でも無い限りねッ」
「な、ならば、あそこでだッ!」
「中庭?ふぅん、まぁ、いいわよ?アタシとしては何がしたいか分からないけど、どうせ暇だしね。付き合ってあげるわッ」
「じゃ、行きましょッ!決まったなら善は急げよッ!とっとと行ってちゃっちゃと闘りましょッ!」
ハロルドは少女に対して一方的に勝負を挑んだ。バツが悪かったからかも知れないし、何か意図があったのかも知れない。
だが、少女にはどうでも良かった。
それよりも何よりも、唐突に勝負を挑まれたコトに対して少女は驚きの表情をしていた。要は、場所を弁えず勝負を吹っ掛けてきた無謀さに驚いたのだ。
ちなみにここは城の廊下だ。
幅の狭い廊下は剣での戦いに不向きなのは当然と言える為、少女の驚きは至極真っ当なものだった。
2人は紆余曲折を経て中庭に向かって歩を進めていく。
少女は念の為、後ろを付いて来ているハロルドを警戒していたが、不穏な動きは何1つとしてなかった。
「勝負」と言った手前、それを気にしているのだろうか。
ハロルドは意外と真面目なのかもしれない。
到着した中庭は広くオブジェなどは1つも無い。剣で戦うには最適な場所だが、魔術を使うとなると戦略の幅が減る。
そんな場所だ。
だが、少女の勘が言うにはそんな戦略すらもどうでも良かった。
こうして2人は中庭で対峙したのである。
「アナタの得物は長剣かしら?ならば、アタシも剣でお相手しましょうか。と言ってもアタシのは大剣だけど」
そう言うと少女は背中に格納してある自身の愛剣を手に取った。だが、その表情は余裕綽々で手にとった愛剣を構えもせずに担いでいた。
対するハロルドは両刃の片手剣を右手に持ち、腰を低くし半身の構えで自分の身体より剣を後ろに引いて、切っ先のみを少女に向けている。
それは要するに初手で突くと言ってるのと同じだった。
突きの後で連撃を狙っているか、突き自体が不可避の一撃でも無い限り、まっとうな剣士なら取らない構えだ。だがもしも、そんな初手で殺りに来るコトを狙っているなら「勝負しろ」などとは言わない。
中庭に向かっている途中で後ろからバッサリやれば済む話しなのだ。
拠って、少女はどうでもよくなっていた。構え1つで相手の力量は分かるモノだ。
相手が強者ならそれ相応の心構えがあるが、相手がひよっこ以下のド素人では、少女をその気にさせるコトは無理だと言える。
「いつでもどうぞ。アナタのタイミングで始めていいわよ!」
「か、構えもしないのか?いいのか?本気で殺しにいくぞ?」
「えぇ、どうぞ?」
「本気の本気だからな?斬られれば痛いぞ?死ぬぞ?いいんだなッ!」
「あぁ、もうしつこい!闘るならとっとと闘る!殺るなら、とっとと殺りに来なさいッ!」
だッ
ハロルドは少女に急かされ無言で突撃し、多少鋭い突きを繰り出していく。だが所詮は多少鋭い突きなだけだった。
拠って少女はその突きを足のステップだけで躱した。この程度、愛剣を使うまでもなかった。
むしろ、手に持っている愛剣はハロルドに合わせてあげただけなのだ。
ハロルドは渾身の突きを躱されて二の足を踏んだ。だがその後で横薙ぎ、切り上げと連撃を放っていった。
当然の事ながら少女はその全ての攻撃を躱していく。
結果ハロルドの剣撃は空を斬るばかりだ。
少女と対峙しているハロルドは貴族の出ではない。そればかりか騎士の家の出身でもない。
ハロルドは身売り同然に幼い頃よりルネサージュ家に奉公に出されており、軍属になってからまだ月日は浅い。
軍属になれば奉公人の仕事からは外されるので武術の腕を磨き日々研鑽を積んでいた。
軍属の者は専業軍人になる。拠って有事の際は兵として戦場に赴くが、それ以外の時は城内外の見廻りや要人の警護などがメインの仕事となる。
要は時間を持て余す事が多い仕事なのだ。その為にハロルドは暇な時間を全て武術の訓練に充てていた。
しかし今回の反乱軍討伐の際にハロルドは討伐軍には組み込んでもらえず待機組だった。それが凄く不満だった。
日頃から研鑽を積んでいるのに何故、戦地に行かせてもらえないのか…と。
だから「自分の実力を示してみせる!」そんな憤りともつかない感情に左右されていた。
更にはもう1つの事情もあって少女に八つ当たり的に勝負を挑んでいたのだった。
どさぁッ
「はぁ、はぁ、はぁ…。あれだけ訓練して、武術を磨いたのに当たらない。いや、当てられない。何故だ?」
「まだ続ける気かしら?」
「まだだ、まだ一太刀も入れられていない。それに剣を使わせてもいない」
「あっそう。じゃ、アタシから行った方がよさそうねッ」
ハロルドの中で疑問が渦巻いていた。渦巻いた疑問は解決する為の解答を見出す事無く更に大きくなっていく。
そんな疑問にハロルドが囚われていると少女が動いた。
回避に充てられていた少女の全ての動きは、回避から攻撃に転じハロルドに向かっていく。
ハロルドは向かって来る少女に対して剣撃を放つが、どうやっても当たらない。
必死になって少女を近付けまいと剣撃を繰り出していくが先程までと同様に虚しく空を斬るだけだ。その時の少女の動きはまるで流れる水の如しだった。
「覚悟はいいかしら?」
「ッ?!」
きぃんッ
ざくッ
勝負は一瞬だった。
焦りから切羽詰まったハロルドが、上段から長剣を振り下ろしたが、一瞬、少女の姿が揺れるとハロルドの視界から消えた。
少女の姿を見失ったハロルドは、本当は消えずにそのまま残っていた少女からの剣撃を見舞われたのであった。
少女は敢えてハロルドの長剣を狙って斬り付けた。その逆袈裟斬りは重くハロルドの長剣は弾かれ甲高い音を立てながら宙を舞っていた。
その手を離れ宙を舞った長剣は弧を描き中庭の地面に突き刺さった。
「ご要望通り剣を使ってあげたわよ。これで満足かしら?」
「そして、これでアタシの勝ちね。まだやるとは流石に言わないわよね?」
「くっ……」
「ハロルド貴様!一体何をやっておるかあぁぁぁ!!」
「えっ?!誰?」
少女は笑顔でハロルドに言の葉を投げていった。その大剣の切っ先はハロルドの喉元に置かれたまま。
一方で笑顔の少女に対してハロルドの表情は昏い。然しながらその空気は闖入者により一気に壊される結果となる。
それは怒声だった。その人物は怒声を上げながら中庭に入って来た。
ハロルドは声に反応しその人物を見るなり膝を地面に突き頭を垂れた。
「ハロルド貴様、この御方に一体何をした?お館様の厳命に背き何をしたと聞いておる!!」
「そ、それは……」
「あぁ、それはね、余りにも暇だからアタシが稽古を付けてあげていたのよ、何か問題でもあるのかしら?それよりも、貴方は何者なの?」
少女は余りの煩さにこの闖入者が煩わしくなっていたので取り敢えず追い払おうと考えた。
然しながら少女の発した言葉にハロルドは驚きの表情を浮かばせていた。
「某の名前はジェルヴァと申します。この者の上官であります。貴女様は、お館様の賓客として迎えられております。その様な御方がただの兵卒如きに稽古など滅相もございません」
「それにお館様より、貴女様へ関わる事を皆一様に禁じられております。では、御免。ハロルド付いて参れ!!懲罰房に入れてやる」
「皆がアタシに関わる事を禁じているのであれば、ジェルヴァだっけ?貴方はどうなのよ?今ここでハロルドを連れていくのであれば、アタシと言葉を交わし関わった貴方も同罪でしょ?」
「何もハロルドを罰したいのなら、アタシと分かれた後にすれば良かったんじゃない?それが出来なかった時点で貴方も同罪よ」
「くっ」
「それにね、確かに今までの間、この城の者はアタシに対して皆、下を向き目を逸らし無言を貫いていたわ。それにはそちらの事情があったんだから百歩譲って仕方ないとするわ」
「でも、ハロルドだけは違った。だから稽古をつけてあげていたの。問題があるなら、この城の対応も全てアタシから直に父様にお話をさせて頂くけどいいかしら?」
「くっ、今は見逃してやる。だが、お館様には報告しておく。ハロルド貴様は必ず懲罰房に叩き込んでやるからなッ!」
少女は正論っポイ事を言ってジェルヴァを退けるコトに成功した。然しながら少女が口に出した「父様」が誰かを知る者はいないだろう。
だから結局のところ「父様」が脅しになったワケではなく、正論を突き付けられ返せなくなった事から折れるしかなかったのだった。
拠って去り際に負け犬の遠吠えのようなコトを言っていた。もしも少女の父親が誰なのかを知っていたなら、そんなコトすら言えずに黙ってどこかに行ったハズだ。
「何故だ?何故助けてくれたのだ?あの場で真実を言えば…。小生に関わる事もこれ以上はなかったハズだ」
「何故小生は助けられたのだ?助けられるような事をした記憶はない」
「むしろ、勝負を挑んだのは小生からだ!傷付けようとしたのも小生からだ!!助けられる謂れがなさ過ぎる」
「アタシが暇だったからよ。何か悪い?」
「暇だったから?暇だったからと言ったのか?小生はただの暇潰しなのか?」
少女の言ってるコトはハロルドからしたら支離滅裂だった。それならまだ惨めな思いをさせられる方が納得出来る。
そんなのは貴族の気まぐれみたいなモノだ。
遊びで徒らに生命を奪う様な貴族の遊びそのものだ。
だから納得出来なかった。
「納得出来ないって顔してるわね。じゃあ、いいわ。ちゃんと答えてあげる」
「アナタを助けたのは、アタシが暇でアナタに付き合い過ぎたからよ」
「付き合い過ぎたから?」
「そう。アナタの剣筋、技術、クセを見させてもらったの。だから時間を掛け過ぎたのが原因」
「時間を掛け過ぎた?一体、何を言ってるんだ?」
「アナタがケンカを吹っ掛けてきて、アタシがケンカを買うのも悪かったんだけど、今の実力的にアナタは一撃で気を失う程弱いのよ」
ざくッ
「だから、アタシがその気でブッ倒してれば、アナタはあのジェルなんとかに咎められずに済んだワケでしょう?」
ざくざくッ
「ハッキリ言うとね、アナタの今の剣術はまるっきしダメ。我流でやり過ぎたのね」
ざくざくざくッ
「でもでも、逆にアタシが時間を掛けて付き合ったから、分かったコトもあるわ」
「わ、分かったコト?」
「アナタには才能がある。だから時間を掛けて付き合ってあげたし、助けたのよ」
「才能?小生にそんなモノが?本当なのか?」
「ええ、本当よ。アナタには剣の才能がある。だから我流でその才能を埋もれさすには勿体無いじゃない!それもあるから助けたのよ」
「が、我流はダメなのか?」
「そうね、普通はダメね。だって、アナタは基本からしておかしいもの」
ざくざくざくざくざくッ
どうしても納得の出来る理由が欲しい様子のハロルドに、少女はちゃんと伝えた。
ハロルドは精神的に満身創痍になりながらも少女が紡ぐコトをちゃんと聞いていた。
ハロルドは自分に才能があるなんて思ってもいなかった。だからこそ疑心暗鬼ではあったものの心の中では悪くない気がしていた。
「納得は…あんまりしてないみたいね?でもまぁいいわ、場所を変えましょう!ここではあまりにも目立つから、さっきみたいな事がまたあっても困るしね。どこかに修行に適した人目につかない場所とか知らない?」
「えっ!それは一体?」
「暇だから、基本から教えてあげるわ。特別にねッ!」
少女から言われた場所に関してハロルドには心当たりが1箇所だけあった。
ハロルドの案内で向かった先は道場のような場所だった。城の敷地内ではあるが建物は古く手入れがされている感じは全くない。
更には至るところで壁が朽ちていた。
一見すると確かに人が寄り付かなさそうなので人目には付かないと感じられた。
しかし少女はここに着くなり疑問の目をハロルドに向けた。少女は自分の顔に「こんな所をアナタは何で知っているの?」と書いておいた。
ハロルドがその顔の「字」を読んだかは定かではないが、少なくとも空気は読んだ様子で少女が疑問を投げ掛ける前に応えていった。
「ここで、いつも小生は修行をしているんです。ここは古くて誰も使っていない道場だから、仕事以外の暇な時間は常にここに来ているんです。少しでも強くなりたくて」
「そぉ。じゃあ、ここでアナタの修行をつけてあげる。強くなりたいんでしょう?先ずはアナタの…」
「こんな所にいたか、ハロルド!」
「この声はどっかで聞いた気がするなぁ」
「お、お館様!」
「あぁ、アスモデウスさんか」
「ジェルヴァから報告を受けた。貴様、一体何をしている?」
「悪いんだけど、アタシがハロルドに修行をつける事にしたの。ルミネはほとんど帰ってこないし、このままじゃ身体が鈍ってしまうから。何か問題でもあるかしら?」
「問題…だと?大有りです!大有りに決まっているでしょう!貴女様は我の賓客としてこの城に迎えている。拠って何かあってからでは遅いのです」
「貴方はアタシをバカにしているの?貴方より武勲が高かったアタシを?あの場にいてアタシの力がまだ理解出来なかったとでも言うの?アタシがこの者に修行をつける事で少しでもアタシの身に何か危険が起こるとでも?」
乗り込んで来たアスモデウスはハロルドを目掛けてきたのだが、少女はそのヘイトを自分に向けさせた。
そこから後は2人の舌戦の開幕だ。
アスモデウスは少女に対して正論でぶつかってきた。アスモデウスが放った正論に対して少女は、感情的ではあったがワザとアスモデウスの自尊心を傷付ける邪道を選んだ。
何故ならばそうする事でアスモデウスから冷静さを奪い、ワザと感情的になるように仕向けたかったからだ。
要はゲームは熱くなった方が負ける理論である。
だがアスモデウスは1枚上手だった。少女が放った邪道に対して怯む事なく更には感情的になる事もなかったのだ。
怯んでしまったジェルヴァと違う点を挙げるならばやはり、経験の差であろう。
「貴女様の力には感服致しました。ですが、貴女様は我が預かった身。万が一であれ億が一であれ、何かあればそれだけで家の大事になります」
「なるほど、それじゃ言わせてもらうけど、いいわよね?」
「アタシの事を賓客と言っておきながら、アタシがこの城で誰に話し掛けても皆して顔も上げず、目も合わせる事なく逸らして、返事をしようともしない。それが賓客に対する礼儀なの?」
「うっ」
「それだから、アタシはこの城を散策するくらいしか暇を潰す事が出来なかった。アタシがこの城を散策していた事は知ってたわよね?でも、誰からも咎められなかったわ!」
「そ、それは…」
「まぁ、そうよね。アタシはカタチだけの賓客で、ただの透明人間だものね?でもそれなら、これからも好きな所を散策していいのよね?貴方が隠している事も含めて、全ていいのよ…ね?」
「あーあ、でもそれなら良かったぁ。ハロルドに修行を付ける事がオーケーなら、散策する時間も暇もなくなるところだったわ」
邪道が通用しなかった故の悪手である。趣向を変えた少女の手口は意地の悪い脅しである。
脅迫である。そして、方便である。
しかしまぁ、叩いて埃が出ない貴族なんてのはいないのだから仕方ないと言えば仕方のない事だ。
然しながらその言葉にアスモデウスは少なからず動揺した。動揺は額に汗を浮かばせて表情にくっきりはっきりと現れていた。
どうやらアスモデウスも「叩けば埃が出る貴族」だったらしい。
この時点で少女は勝利を確信した。だが、このまま言いくるめてもカドが立つのは明白だった。
拠って、少しは利益になるようなコトを言っておいた方がお互いの為だと考えたのだった。
「アタシがこの者に修行をつける事で、貴方には大きな利点が2つある。1つ目はアタシが散策する事を止めるという事。2つ目にこの者を短期間で強くするから、そうなれば有事の際に役に立つという事」
「有事の際に役立つのなら、それは武勲を得られる者を増やせるという事よね?」
「くっ」
「そうなればそれは家の為になるわッ!アタシの身の危険を案じてくれているのは有り難いけど、それじゃあ武勲は稼げないわよ?でもまぁ、それじゃ納得出来ないだろうから、その件についてはアタシから父様に話しを通すってのはどうかしら?」
「それだったらアタシの身に何か起きても家名に泥を塗る事にはならないハズよね?」
「ぐぬぬぬ。い、良いでしょう、分かりました。分かりましたとも。ですが、貴女様はおっしゃいましたね?短期間でハロルドを強くしてみせると」
「えぇ、そうね。20日もあれば充分だと思うわ」
「20日!?これはなんとも頼もしい!それで、20日でどれ程強く出来るのです?まさか、それだけ大口を叩いてそこら辺の兵士より強い程度と言うコトはないだ…しょうなぁ?」
「そおね、さっきのジェなんとかさん?あの人以上には強くなると思うわよ?」
「な、なん…だと?ジェルヴァよりも強く…だと?」
「えぇ、なんなら、20日後にハロルドとジェなんとかさんを闘わせてみるのも面白いわね。どうかしら?」
アスモデウスは轟沈した為に開き直った。完全に悪役になっていたと言っても過言ではない。そして、その方が少女としては手玉に取りやすい。
だが一方で、ハロルドはトントン拍子に自分の運命が決められて行く事に生きた心地がしなかった。
何故ならばジェルヴァはルネサージュ家随一の騎士であり、白銀騎士の称号を持っている。拠ってこの城の中で彼の右に出る者はいない。
そしてそれはアスモデウスの琴線にも触れていた。
「ほう?貴女様が鍛えれば、あのジェルヴァに勝てるようになる…と?それは素晴らしい!でしたら貴女様の手腕を是非見せて頂きましょう!」
「ハロルドには…そうだッ!修行後にジェルヴァと闘う際には生命を賭けてもらうとしましょう」
「えっ?小生の…?」
「えぇ、いいんじゃないかしら?死線を潜り抜ければ抜けるほど強くなると思うしね」
「えっ?えっ!?えっ?!」
「ほう?でもまぁそれでしたら我の溜飲も下がります。もし、ハロルドが死ぬ様な事にでもなったら貴女様には責任を取って頂きましょう」
「責任?アタシにも死ねとでも言うのかしら?」
「何を仰っしゃいますか、その様なコトは思っても口に出せるワケがないでしょう?だから帰るまでの間、せいぜい部屋で大人しくしていて頂ければ結構ですよ。それで、宜しいですかな?」
「へぇ、いっちょ前に言ってくれるじゃない!」
「それじゃあ20日後を楽しみにしていますよ!!」
アスモデウスは勝算を得た気でいた。それはそのハズで称号を持つ絶大な信用を置いている騎士と、ザコ兵卒とでは比べるまでもなくザコ兵卒が勝てる見込みはないからだ。
拠ってアスモデウスは慇懃に言の葉を投げると寂れた道場を後にしていった。
ハロルドはアスモデウスが去った後、どう頑張っても足腰に力が入らなかった。それはまるで産まれたばかりの子鹿の様に、立ち上がる為の力が全く入らなかったのだった。
何故ならば「20日後が自分の命日になる」と、そう思ったからだ。まぁ、無理も無いといえばその通りで同情の余地しかないとも言える。
ハロルドとしては自分がきっかけを作ったにも拘わらず、当事者そっちのけで修行後の命懸けの戦闘まで確約してしまった少女にただならぬ恨みを覚えた。その為「最初から関わらなければよかった」と今更になって後悔もした。
「そんな所で呆けてどうしたの?ほらッ、時間もないからちゃっちゃと始めるわよッ!」
「小生は強くなりたいです。強くなれますか?」
「えぇ、もっちロン。アタシにまっかせなさい!!」
ハロルドの思惑など一切合切無視して少女は明るく朗らかにハロルドに対して声を掛けていた。ハロルドはその声に恨みも後悔もどこかへと行ってしまい、自分の本心だけが口から漏れていった。
こうして、ハロルドの修行が始まったのである。
少女が先にハロルドに指摘したのは以下の点だ。
・攻撃の繋がりが雑である事
・攻撃が素直過ぎる為に一連の流れの最中に目が次の方向性を相手に教えている事
・相手が自分の想像を超えた場合その動きが止まる事
少女は今までの経験則からハロルドに修行のメニューを言い渡していった。ハロルドはその点について嫌な顔1つせず取り組んでいく。
先ずは筋力値向上に向けたトレーニングや素振り等の基礎的なトレーニング。続いて、少女との木剣を使った打ち合いである。
打ち合いと言っても一方的にハロルドが打ちのめされる形ではあったが、基礎的なトレーニングの後はその打ち合いを延々と繰り返していった。
半ばルーティンと化していたトレーニングメニューに於いて変化が見られたのは開始から4日後の事だ。
その日、初めてハロルドが少女の剣撃を躱す事に成功した。
それまでは全て当たっていた少女の剣撃を「躱す事が出来た」のだった。そしてそれはハロルドにとって自信となり、その日を境にハロルドの成長速度が目に見えて上がっていった。
修行開始から10日後
ハロルドは少女の攻撃の全てを躱せるようになっていた。
「意外と早かったわね。アタシの攻撃を全て躱せるようになるまで。じゃあ、次は今までとはパターンを変えていくわよ」
ハロルドは反撃こそ出来なかったが、それでも少女の攻撃は当たらずに空のみを斬っていた。
その結果、ハロルドは今までに見た事のない剣撃の「型」を見せられたのである。
それは同時に3方からの斬撃だった。ハロルド自身は斬撃そのものは視えていた。
だが、身体が反応出来なかった。
今までの少女の攻撃はちゃんと視る事が出来ており身体もちゃんと反応出来ていた。
だからこそ躱せていた。
だが、その斬撃だけは視えていても躱せなかったのだ。
「流石に今のは躱せなかったかぁ」
「でもまぁ、仕方ないわね」
「さて、ハロルドは今、アタシがやった「型」を最終的には覚えてもらうわよって、あちゃあ。気を失ってるわ」
「きゅうぅぅぅ」
ハロルドは視えていたにも拘わらず3方向からの斬撃全てをその身体に叩き込まれ、その威力に因って吹き飛ばされていた。更にはボロボロの道場の壁を更にボロボロにして意識を失っていた。
少女は暫くして意識を取り戻したハロルドに対して言の葉を紡いでいった。
「さっきのは、「破竜の型」よ。今までは「流水の型」と、「豪炎の型」を混ぜて打ち合いしてたけど、それは全て躱せるようになっていたわ」
「だから、さっきは「破竜の型」も織り交ぜてみたんだけど、ちゃんと視えてたかしら?」
「はい。視えていたのは視えていたんですが、身体が付いていきませんでした」
「まぁ、そうでしょうね。うんうん」
・流水の型。
1対1の戦いに有効な型であり、虚実を織り交ぜ流れる水の様に捉えどころの無い攻撃を可能とする型である。
・豪炎の型。
1対多数の戦いに有効な型であり、虚を省き実のみにて最速の攻撃を多量且つ広範囲に行う型である。
・破竜の型。
1対1でも1対多数でも有効足り得る攻撃の型。虚の中に実を置き、実の中に虚を生み出す事で複数の不可避の攻撃を発生させる型である。
それら三つの「型」は、ハンターであった少女の父親が獲物を効率良く狩る為に考案し実用化させた攻撃に特化した「型」だ。
そしてそれら3つの「型」の特徴は、ハンターの得物を問わず使用が可能という点にある。
ハンターは依頼を受注し完結するまでの間、自身の住処には一切戻る事をしない。拠って武器であれ弾薬であれその場で調達する必要がある。
それは狩る対象がその場に居続けてくれるとは限らないからと言える。
拠って補給も無く、普段使っている武器を失い戦闘が出来なくなっては依頼が完結出来ない事になる。そうなっては「ハンターの沽券に関わり、ハンターに依頼してきた者達の安全が守られない事になる」と憂いた結果、これらの「型」が創り上げられた経緯がある。
だが時は流れ技術が発展した事でデバイスは改良され進化した。デバイスがマナを武器として使う機能を有した事で自身の持ち前の得物を失う心配が薄れていった。
その結果、様々な得物で使う事の出来る優位性を持ちながらも「型」は廃れていく事になる。デバイスやそれに追従する形で生み出された様々な魔道具がその利便性によって確固たる地位を築いていったのだ。
武技である「型」は一時は画期的で趨勢を誇っていた。然しながら修行をせずとも簡単に扱える武器頼りの戦闘方法に取って代わられ、今では「型」を知っている者や使える者が非常に少なくなってきているのが事実だ。
そんな事もあって少女がハロルドの修行に際し重要視したのは「視せる」事だった。
ハロルドは我流による修行を積み重ねた結果、基本となるものが全て出来ていなかった。師に就かずに修行していた事が起因して、全てが中途半端であると少女は見抜いたのだ。
だからこそ、基礎的なトレーニング以外は全て実戦形式にして、少女は自分の動きをハロルドに視せる事でハロルド自身の動きとして吸収させていく様に仕向けた。
その結果、ハロルドは少女の目論見通りになった。
それは即ち技を目で見て盗ませる作戦と言える。一方で実戦形式による経験値はハロルドにとって想像以上に大きかった様子だった。
それらの事からハロルドは早い段階で少女の動きを躱す事が出来る様になったのだった。
「前半の10日間、アナタは視る事でアタシの動きを理解する事が出来るようになったわね?そしたら、残りの10日でアタシの使った「型」を覚えていくわよ」
「はいッ!」
「ところで師匠、さっき言ってたその「型」というのは?」
ハロルドは少女との修行を重ねていく内にいつの頃からか少女の事を「師匠」と呼ぶようになっていた。
少女としては当初は気恥ずかしく思っていたが、そう呼ばれる事に対して悪い気がしなかったので「師匠」と呼ばれる事を了承している。
「あの「型」は武技の1種で、アタシの父様が作った武術の型よ。父様はハンターをしていたから、様々な武器で使う事の出来る「型」を作ったの」
「それはなんとも、素晴らしいお父上様ですね!」
「えっへん。あっ、で、そうそう攻撃の型は流水、豪炎、破竜の三つ。でも、攻撃の型であっても、相手の攻撃に合わせれば防御にも使えなくはないわ。アナタには武術の師が今までいなかったんだから、覚えておいて損はないハズよ」
「はいッ!宜しくお願いします師匠ッ!!」
「よろしい。じゃ、サクサクっといくわよ!」
修行開始から15日目
ハロルドは破竜以外の二つの型を覚える事が出来た。それに拠って、少女との実戦形式の打ち合いに於いても、一方的にハロルドが打たれ負けする事は無くなった。
とは言っても少女に対して有効打の一発も入れられないのは変わっていない。
そして、更に日は過ぎていく。
修行開始から18日目
「おやおや、貴女様が我の元に出向いて下さるとは、如何なる御用ですかな?よもやハロルドの件、修行が上手くいってないから日にちを延ばして欲しいとかではないでしょうな?」
「ちッ」
「おや?」
「いいえ、その件でしたらご心配なく。あと残り2日で充分で御座いますわ。そこで今回の件をお父様にお話しさせて頂いたら、この手紙を貴方へ渡して欲しいと言われたので預って参りましたの。おほほほほ」
アスモデウスは突然の少女の来訪にドヤっていた。それは少女から敗北宣言が出されると思っていたからだが実際は違う。
一方で少女はアスモデウスのドヤってる表情から得られたイライラを隠すべく変なお嬢様語を使って紛らわすと、魔王から預かったという手紙をアスモデウスに渡した。
「陛下からの手紙…だと?」
「是非とも拝見しよう」
「こ、これを誠に陛下が?本当なのか?」
「アタシが父様を騙る謂れがどこに?」
「おぉ、これが真ならば、ついについに!!」
手紙はアスモデウスのドヤってる表情を打ち消す程の効果があった。少女はその手紙の内容を知っていた。
然しながら少女は手紙の中身を読んだワケではない。
少女は魔王である父親と話しをした上で、その内容を魔王の直筆で書いてもらったのだ。
拠って、内容は全て把握していたと言える。
大雑把に言うと手紙の内容はこんな感じだ。
・ハロルドとジェルヴァの対決は魔王の御前試合とする事
・ハロルドが勝利した場合、王都にて職務を与える事
・ジェルヴァが勝利した場合、ジェルヴァに准貴族位を与える事
最後に時間と場所が書いてある。
その内容にアスモデウスは声だけでは飽き足らない様子で身体も震わせていた。
部下を咎めるだけで終わるハズの一件が、魔王ディグラスをも巻き込んでの御前試合になろうとは考えてすらいなかった。
更にはその勝利者への褒美も突出していた。
「我の配下から准貴族が?」
アスモデウスはジェルヴァの勝利を確信していた。拠って配下に「准」とは言え貴族位が与えられる名誉を涙ながらに噛み締めていたのだった。
そんなわなわなとしているアスモデウスに対し少女は、対峙している相手の妄想が終わりそうもないので、それ以上は何も言わずにその場から立ち去っていた。
御前試合前日
ハロルドは未だに破竜の型の修得が出来ず戸惑っていた。時間は流れ戸惑いは焦りを生み、焦りは更なる焦りを生んだ。
だが一方でハロルドの焦りを少女は見抜いていた。
「ハロルド、実戦よ」
「ですが、師匠。えっ、これはッ」
「ハロルド、もう一度言うわ。実戦よッ!」
少女がハロルドに渡したのは真剣だった。練習用に使っていた木剣とは違う真剣。
真剣を差し出されハロルドは躊躇っていた。だがどこか吹っ切れた様子でその剣を取ると構え、少女と対峙したのだった。
ハロルドの顔付きは修行開始前より精悍になっていた。そしてその構えも初期の独学構えから変わって落ち着き払っている。
拠って微塵の隙も感じさせないものになっていた。
「いい顔付きになったわね!じゃあ、いくわ…よッ!!」
「はいッ!お願いしますッ!」
少女は紡いだ言の葉を言い終えた瞬間に先制した。だがその速さは今までの比ではない。
対するハロルドは必死に視る。視る。視る。
そして躱す。躱す。躱す。
速さが増していても要は身体がついていけるかどうかだけの違いだった。
ハロルドは修行の甲斐あってその速さに付いていく。そして少女から教わった「型」を放っていく。
ハロルドが放つ「型」を確認すると少女もハロルドと同じ「型」を放つ。
後手に回っている少女が放った「型」は先手のハロルドが放った「型」と打ち負ける事はなく、二つの同じ「型」が交錯し剣は火花を散らし甲高い音を響かせていく。
それを幾重にも繰り返し、幾つもの「型」が繰り返し繰り返し激しくぶつかり合っていく。然しながらハロルドの表情は焦りに囚われている。
だから少女は余裕が出て来るを待っていた。
そうこうしていく内に遂に少女は、ハロルドの表情から余裕が溢れたのを見届けられた。それを見届けた少女の口角は上がり、僅かばかり微笑んでいた。
そして今度は自分から「型」を放ったのである。
少女から放たれた「破竜の型」は3方向からちゃんとハロルドを捉えていた。そしてハロルドもその不可避の刃をしっかりと捉えていた。
ハロルドも負けじと今まで成功しなかった「破竜の型」を放った。2人の「型」が交錯し触れた刹那、2人の「型」は相殺される事なく少女の型だけ消え去っていく。
その光景にハロルドは驚きを隠せなかった。そして当たり前の様に不可避の斬撃は少女に届いていく。
「あッ!!」
「デバイスオン、シールドメイデン!」
パキィィィィィン
真剣故に不可避の斬撃が少女に届けばそれは少なからずダメージを与える。下手をすれば生命にも関わるダメージにもなる。
だがその寸前に少女の声が響いていた。
その声に従って、少女の前に光の円環が幾重にも展開されていった。ハロルドの放った全ての斬撃は、甲高い音を立てながら光の円環と共に掻き消されていったのだった。