ベルンと蛇と冠と鎚 ν
ベルンの放った不可避の一撃である「破竜の型」は正確にスコルとハティを捉えていた。だが2匹の狼は避ける事をせずに放たれた不可避の刃をそれこそ「ばくんッ」と飲み込んだのである。
「その技は先に見た」
スコルが話す。
「その技で殺された」
ハティも続けて話す。
「我は太陽を飲み込む者」
スコルは更に言の葉を紡ぐ。
「吾は月を飲み干す者」
ハティも更に言の葉を紡ぐ。
「へぇ、見た事のある技なら飲み込めるってか!それはアンタらの能力かい?でもま確かに避けてねぇなら「不可避」にゃならねぇから、そうじゃねぇのかもしんねぇな」
「まぁどうでもいいや。だからちゃっちゃと殺り合おうぜ!自分を殺された恨みで、俺を殺すんだろ?」
ベルンは言の葉を投げると2匹の狼を挑発しがてら斬り掛かっていった。
ベルンはこの国に於いて「剣でその右に出る者無し」と呼ばれる程の猛者であり、今まで数多の猛者達と斬り結び生き残ってきた実績もある。そしてその実績から、親衛騎士の称号を与えられている。
更に付け加えるとベルンは魔術も普通に使う事が出来る。それは普通の魔術士ではなく、魔導士クラスだ。
よって、魔導騎士と言える。
ベルンは前もって自身に対してありとあらゆる「特殊強化」の魔術を施している。特殊強化は、能力値向上の為のバフを常時発動させる魔術だ。
拠ってそれは、魔道具や飾りの魔術版と言えるだろう。だからベルンはそれを、装備品に留まらず、身に着けている全ての物に行っている。
つまりバフ盛り盛りのベルンだからこそ、狼達を一刀の元に斬り伏せられたのだ。
それはハロルドには出来ない芸当と言えるだろう。
然しながら魔術に拠って強化されまくっている状態で斬り掛かっていったベルンの剣技は、狼達を斬るどころか掠りもしなかった。
2匹対1人という状況は狼達にとってはアドバンテージだ。更に付け加えるとスコルとハティはよく連携を取っている。
その結果、アドバンテージの優位性を最大限活かす闘い方をしていた。
ベルンの剣技に合わせる形で1匹が爪を繰り出し、もう1方はワンテンポ遅らせて爪を奔らせる。
知能が低い魔獣なら絶対に出来ないであろう連携をとっていた。
そんな狼達が採用していた時差式の戦術によってベルンは、1匹に集中する事が出来ず、剣技の精度も速度も普段とは異なり精彩を欠いていった。
結論として狼に対する対応速度は目に見えて遅れる事になったのだ。
そんな状況にベルンは焦りを抱き冷静さを保てなくなってきていた。その為に狼達と一時的に距離を取り冷静になろうと考えた。
「クッソ!これじゃラチが明かねぇ。このままじゃジリ貧だぜ。攻撃は当たらねぇし、それどころかさっきから攻撃すら出来てねぇ!!」
「こいつら、魔獣じゃねぇのかよッ!まぁ、魔獣じゃあねぇよな…話せるし。はぁ、やってらんねぇぜ。まったくよぅ」
焦燥感に駆られたベルンの考えは正しかった。
狼達はベルンの剣筋を完全に見切っていた。更には剣撃のタイミングを計り、ベルンが攻撃を放つその一歩手前で爪撃を仕掛けている。
「こりゃあ、ちいっとばっかしヤベぇかもな」
「でもま、ヤベぇって言っても逃してはくんねぇだろうし、逃げれても逃げた後の方が怖ぇ」
ベルンから漏れる口調は流石に重かった。だからこそベルンは投げやり的な発想で、イチかバチかの戦法に縋る事にした。
「こればっかりゃ、あんまりやりたかぁねぇんだが」
「しゃーねぇな。背に腹は替えられねぇし、本当に後の方が怖ぇからな。まったく、仕える…いや、それはどこで見てるか分かんねぇから言ったらもっとヤベぇな」
「我、脚に宿すは炎。その炎、我の脚と成りて共に駆けろ!炎駒焔脚」
ベルンは独り言を口ずさむと一段と低い構えをとりながら詠唱を始めていた。
ベルンから発せられた力ある言葉に従って紫炎がベルンの脚へと宿っていく。
更にその紫炎はベルンの腰辺りから後ろに向かって伸びると2本の後ろ脚を形成する。最終的に紫炎はベルンの脚を計4本形造り、その脚でベルンは床を蹴り駆けていったのだ。
その速さは先程までの比では無かった。
「喰らえ、流水乱舞!」
しゅうわわわんッ
グルッ
しゅぱぱぱぱぱぱんッ
グガッ
ベルンは音速を超えた速さで駆け抜け、虚の型をその速さに対応させて放つ。
その型は狼に対して特攻していった。
結果、狼達はその速さに対応し切れなかった。
ベルンが先ず狙ったのはスコルだ。ただし、スコルを狙いたくて狙ったワケではなく、「近くにいたから」って言うだけだ。
スコルは自身に向かって迫り来る獣の領分を超えた異常な速さに対して戸惑いを見せた。しかし躊躇する事なく自身の最速の爪撃を連続で放っていく。
だが、その爪撃はベルンには当たらない。虚しくも宙を引き裂くだけであった。
そしてスコルはベルンの放つ型に、傷は浅いものの確実に刻まれていったと言える。
先程までの言葉は失せており、ただの狼の様に唸るだけだったコトをベルンは気にも止めなかった。
ベルンが放った型に因ってスコルは斬り刻まれはしたが、致命傷は負っていない。ベルンがしたいのは討伐であり生命力を削るコトではない。
拠って2匹の連携を封じ込める為にも先ず1匹を確実に仕留める必要があった。
そんなベルンの額には汗が大量に湧き出ており、表情には苦痛が浮かんでいる。
「こうなっちまったら、あんまり時間は掛けられねぇんだ。悪ぃがとっとといくぜ、神速破竜!」
ずりゅん
しゅしゅざんざんざんざんざんッ
ガッ?!
スコルの左側面から9本にも及ぶ音速を超えた神速の剣閃が奔っていく。そしてベルンの顔は、更に苦痛に歪んでいた。
一方でハティは敵の異常なまでのその速さに、まったく動けずにいた。
先程までの見切っていた動きとは全く違う動きに対して、タイミングを合わせて爪撃を放つ事が出来ずにいた。
結果としてスコルが少しづつ刻まれていくのを見ている事しか出来なかった。
だがそんな中でハティは咄嗟に動く。ベルンの動きが切り替わり攻撃が変化したその一瞬が目に映ったからだった。
「スコルの危機だ!」とハティは野生の勘とも呼べるモノで感じ取り行動していった。
ハティはスコルを助ける為に動いたのだ。
スコルの左側面に剣閃が幾重にも迸る。スコルはその様子に自身の「死」を確信した。
然しながらスコルは何かに弾き飛ばされたのだった。
何故自分が弾き飛ばされる事になったのか、スコルは正直なところ全く理解が及ばなかった。
スコルが振り返るとそこにハティの姿は無かった。そこに残るのは「ハティだったモノ」だった。
スコルは自分の身を助けた「ハティだったモノ」に近付いていった。
「スコル、吾をスコルの中に」
ハティはそれだけを言い残すと光の粒子となって消えていく。
後には1つの魔石だけが残されていた。
スコルはその魔石を口で拾うと、その魔石を口に含み飲み込んだ。そして空を仰ぎ、一回だけ長く吼えていた。
その咆哮はどこか悲しさ切なさを含んでおり、残響しながら静かに消えた。
ベルンはその様子を窺いながらも、どこか切ない気持ちに囚われていた。
「敵とはいえ知能がある以上、魔獣とは流石に違うな。こーゆーのはなかなか割り切れねぇ」
「2匹の内のどちらかが残ればこうなるのは分かるが…。だがな我は、我自身が生き残る為に闘わなくちゃなんねぇ。それがどんな相手だってなッ!!」
ぎりっ
ベルンは心の中で呟いていたが、一方でその脚は既にいう事を聞かなくなっていた。
ベルンはその脚を見るんじゃなかったと思いながら、「ははっ、やっぱ生き残れるか分かんねぇわ」と、重ねた呟きは先程までの意気込みとは正反対の様子だった。
何故ならばベルンの腰から下は使い物にならない程に焼け焦げていたからだ。それは紫炎の影響と神速破竜を使った反動だった。
既に立っているのも辛く剣を杖にしなければ立っていられない。更に脚に力を入れようにも感覚は一切ない。
本来であれば感じるであろう激痛も、完全に痛覚が喪失させられた様子でそれすらも感じない。
感じるのは残った部分から湧き上がってくる不快感だけだ。
既に紫炎の脚は消え失せている。
だから言う事を聞いてくれない脚では歩く事すらままならないだろう。
「その脚はもう動かぬようだな。何か言い残す事はあるか?無いならその武勇を讃え一息で苦しまない様に殺してくれよう」
「へっ、さっきまでとは丸で別人…いや、別狼だな」
スコルは先程までのカタコトな口調から一転して流暢な口調になっていた。しかしその中には感情が一切籠もっておらず、非常に無機質だった。
「だが残念ながら、狼に対して言い残す事はねぇ…な」
「狼に伝言しても意味ねぇだろ?相棒殺された恨みを晴らしてぇなら悠長にお喋りしてねぇで、とっとと殺れってんだ!」
ベルンは既に感覚が失くなった脚を、もう1度だけ見ると覚悟を決めた。だがスコルの事をこのままを放っておけない事は重々に承知している。
その為にスコルが近付き自分にトドメを刺そうとするその瞬間を唯一の勝機と考えていた。
「そうか、ならば逝け」
ざっざっ
スコルがベルンに近付いていく。1歩ずつゆっくりと威風堂々と歩を進め、スコルはベルンに近付いていく。
「あと1歩、あと1歩近付けばコイツを吹き飛ばせる!」
ベルンはゆっくりと自分の方に近付いて来る狼に対して、「早く来い」と声を大にして言いたかったが、スコルはその1歩手前で止まった。
「なっ?!」
「俺を殺すのをやめたのか?」
ベルンは正直なところ驚いた。そして「命懸けの策に気付かれたか?」とも考えた。
然しながらベルンの目に映るスコルの様子が少し可怪しかった。どうやら上を気にしている様子だ。
「ふんッ。何かワナでも仕掛けていたのか?」
「だが命拾いしたようだな。お前とはまた後でだ」
「なん…だと?!」
ガオンっ
スコルはベルンに対してそう紡ぐと上に向かって吼えていた。
スコルの咆哮はその力を増していた。
それは既に先程までの咆哮ではなくなっていた。
それは既に概念能力の領域だった。
偏にハティの魔石をその身の内に取り込んだが故である。
スコルが吼えるとその頭上から1匹の大きな蛇が落ちてきて、蛇は床に落ちると霧散して消えていった。
「あの蛇は!」ベルンは心の中で叫んでいた。更には「おかげで助かるかも知れない!」という淡い期待も宿った。
「出て来い。このようなちっぽけな魔獣で、我は倒せん」
にゅるにゅる / ぞろぞろ / しゅるしゅる / にょろにょろ
「なッ?」
ウルルルルルゥ
スコルの視線はベルンのその遙か後方を見据えており、言葉を投げ付けながらもその表情はどこか鬼気迫っていた。
然しながらスコルが投げた言葉に反応したのはスコルが感じ取った気配の主ではなく、それに呼応したのは擦れる様な音を立てた数万にも及ぶ大小様々な蛇の群れだった。
その光景に対してスコルは驚いた表情をした上で低く唸り声を捻り出していた。
「うわぁ、いつ見ても気持ちが悪ぃなコレ!」
ベルンは心の中で悪態を付き、そんなベルンの事はスコルの眼中から既に失われていた。そして、その大群はスグそこにまで迫っていた。
スコルは向かって来る蛇に対して、その数の暴力に抗った。
迫り来る蛇に鋭利な爪を走らせ、襲い来る蛇を牙で噛み砕き、齧り付く蛇を咆哮で弾き飛ばした。
それでも一向に減らない蛇達の群れは、スコルに対して執拗に詰め寄ると飛び掛かりその牙を突き立てていく。
結果、噛み付かれたスコルは徐々に喰らわていったのだった。
それは、物理的だったのかそれとも精神的にだったのかは、味合わなければ分からない境地かもしれない。
次々と蛇がスコルに噛み付き、その牙から毒を流し込んでいく。そして、毒で爛れ紫色に染まり柔らかくなった肉を喰む。
数万もの蛇がスコルに噛み付き離れようともしない。
その様相はまるでゴルゴーン3姉妹に出て来るメデューサの様だった。
そこに広がるのは、大の男が見ても恐怖のあまり失神するか失禁する程の一生もののトラウマになり兼ねない光景。
剣を杖にして立ち尽くしているだけで全く動けないベルンは、その凄惨な光景に途中から見るのを止めて固く瞳を閉じていた。
既にベルンは眼中になく、目の前の蛇の群れに手一杯だったスコルはそれでも必死に抗った。
その脚や喉に幾百もの蛇を生やしながら…。
その腹や背に幾千もの蛇を生やしながら…。
その頭や尻尾を数千もの蛇に噛み付かれながら…。
必死に抵抗していたのだ。
更にはその牙からスコルの身体に流れ込む毒に対しても抗い続けていた。
もう既に勝敗は付いていた。だがスコルは自身の生命の輝きが燃え尽きるまで、1匹でも多く自身に噛み付いている蛇を引き剥がし続けた。
必死に床を転げ回り朽ちかけている壁に身体を打ち付けて必死に藻掻いていた。
これは既に闘いなどではない。先程までのベルンとのやり取りを闘いと呼ぶならば、これはもう既にそれのワクから外れている。
だから一方的な虐殺でしかない。
だから一方的な殺戮でしかない。
だから一方的な蹂躙でしかない。
スコルは自分の出来る限りの技量で壮絶に数の暴力に抗うと、その生命が尽きる直前に短く吼えた。
そして力無くその場に鈍い音を立てて倒れていった。
「ベルン!貴様ッ!!いつまで立ったままで寝ているつもりだ?」
「そんな余裕があるなら、とっとと仕事をしろッ!」
リヴィエの声が聞こえてきた。その言葉の中には慈悲の様相はない。
一方でベルンは主の声を受けて目を開ける前に恐る恐るながら言の葉を紡いでいく。
「もう終わりましたか、お館様?」
「なんの話しだ?」
「蛇ですよ、蛇ッ!!」
ベルンが紡いだ言葉に対して、リヴィエは「あぁ」と返した。
その返答を信じたベルンはゆっくりと目を開けていく。
目を開けたベルンの周囲には何も無かった。さっきまでこの朽ちかけた建物の中を埋め尽くしていたハズの蛇の群れは1匹もいなくなっていた。
更にはその身のどこにも傷が無い状態で横たわるスコルがそこにいる。
その生命は確認する事をしなくてもとうに事切れていた。
「相変わらず凄いものを見させて頂きました。暫く蛇はこりごりです。はぁ」
「あとお館様!「やるならやるで教えておいて頂きたいものです」と前に言った気がしますが、やはり覚えておられなかったようですね?」
「ほほう?それは妾に喧嘩を売っているという解釈で良いのかな?」
「それとも何か?動けない状態のお前は甚振られたいくらいマゾっ気が強いのか?」
「い、いやいやいや、滅相もない。ただ、部下のコトを少しは気遣って頂けると、より一層、お館様に仕える気が強まると言いたいだけです」
「ほほほう?妾が優しくない…と?今のままではこれ以上、仕えたくない…と?ベルン、遺言はそれだけか?」
リヴィエは口角を上げて眉尻を「ぴくぴく」と上げつつ、額に青筋を幾つも浮かべながら微笑んでいた。
それを見たベルンは慌てながら「めめ、滅相も御座いません」と返す以外に方法は無かった…と思える。いや、それ以外に無かったとしか言いようがない。
立っているだけでも辛いベルンにとって、リヴィエの微笑みは凶器でしかなかった。
さてさて話しを戻すが、リヴィエは実際に眷属を召喚したワケではない。
リヴィエは王都に狼が現れたその時から、それぞれの狼達が闘っている様子の、それら全てを観察し監視していた。
拠って遠吠えの後にベルンの報告を受ける前から狼達の全ての行動を把握していたのだ。
リヴィエとしては、より強大になった2匹をベルンでは討伐出来るとは考えておらず、その結果として自分が2匹纏めて倒す方法を思案していた。
しかしベルンが1匹は倒してしまったが、それは想定内だった為に面白くもなんともなかったのは余談である。
リヴィエが考え出した狼を倒す攻略法は2点だけだ。
・魔術は咆哮で掻き消す事が出来る →魔術以外で倒さなければならない。
・眷属召喚は魔術行使の為に咆哮で掻き消される可能性が高い →眷属召喚で倒せるのであれば儲けモノと言えるので試してみる価値はある。
リヴィエは魔王ディグラスから全幅の信頼を置かれているベルンが、万が一にも殺されるようなコトは爵位が無いサージュ家なので避けたかった。
だからサージュ家の信用問題になり兼ねないので助けに入る事を前提に様々な準備をしていた。
そしてベルンはリヴィエの推察通りに2匹を倒す事は叶わない。
だからこそリヴィエが考えていた攻略法に則り、リヴィエの幻視の魔眼に因ってスコルはその生命を奪われた事になる。
幻視の魔眼に囚われていない者がその場にいて光景を見ていたとしよう。
その場合、スコルは突然暴れ出し、のた打ち回った挙句、唐突に絶命した様に映った事だろう。
一方で魔眼の影響下に囚われていたのであれば、スコルが何で絶命したかは一目瞭然だ。
ただその場合は、そのグロさと、えげつなさに因って一生もののトラウマを植え付けられるのは否めない。
いかにリヴィエの力を理解しているベルンであってもそればっかりは慣れないし、慣れたくもない為に固く瞳を閉じたのだ。
「その脚じゃ暫くの間は勤めを果たせそうにないな。全く随分と無茶をしたものだ」
「勝てない相手と分かっていたなら逃げ出せば良かっただろうに」
「へへへ、お館様の期待に背くワケには参りませんので……」
「そんな大怪我をする方が期待に背くと思えないお前は、立派な大バカ者だ」
リヴィエは皮肉を込めて言の葉を投げると眷属を召喚していく。先程の蛇とは違い今回現れた眷属は犬だ。
召喚に拠って数頭の犬がリヴィエの元に現れると、リヴィエはベルンを乱雑に(まるで物のように)置いていった。
「眷属共よ、落とすなよ。そんなんでも大事な家臣だからな」
わぉんッ
ベルンは犬の背に揺られながら、何やら何かを言いたそうなどこか遣る瀬無い表情をしたまま戦場だった場所から強制退場させられていった。
「ありがとうハロルド。もう大丈夫ですわ」
「ル…ミネ……ま」
ハロルドに抱きかかえられたまま近くの建物の中で安静にしていたルミネは、立ち上がるとハロルドに優しく言の葉を紡いだ。
ルミネが紡いだ言葉を受け取ったハロルドは、そのまま意識を失い頭を垂れたまま深く眠りに落ちていった。
ルミネはハロルドの寝顔を横目で一度だけ見ると、気丈な威勢を保ちつつ王城に向かって行く。
「わたくしは行って参りますわ。もう一度、御子様の元へ」
ルミネが玉座の間に着くと、そこには魔王ディグラスを始め、アスモデウスを除く全ての主要な魔王派閥の貴族達が集結していた。
「それでは、皆様ご案内致します」
「頼んだぞ、ルミネ」
ルミネは陣形を描き扉を開いていく。そして、玉座の間にいた全ての者が北の辺境伯の領地に向かった。
だがルミネは知らなかった。ルミネが到着するちょっと前まで魔王ディグラスに拠って、集まった貴族達はお説教されていた事を。
然しながらこれは余談である。
少女は「ロキ」が崩壊した場所から現れた光の結晶を追い掛けていた。
ブーツの持つ最高速度で空を駆けて追い掛けたものの、光の結晶の速さがそれ以上だった為に全く追い付けそうに無かった。
少女は早過ぎる光の結晶に対して諦め掛け、見失ってもいいようにバイザーで追跡を試みてはいた。だが光の結晶はバイザーには認識されなかった事から視界に入れたまま追い掛け続けるしかなかった。
「アイツ、一体どこに向かっているの?こっちの方角だとありそうなのは北の辺境伯の城くらいかしら?」
「誰もいない城に何かあるって言うの?」
少女はずっと追い掛け続け、気付いた時には北の辺境伯の領地近くまで到達していた。そして光の結晶は少女の予感通りに辺境伯の城の中に入っていった。
少女はそれの行き先を見届けると、急ぎその後を追い掛けていく。
辺境伯の城の中には上空から探索した時同様に誰の気配も無い。再度バイザーで確認しても生きている者は誰一人として発見出来ない。
尚且つバイザーが反応を示さない光の結晶は建物の中に入られてしまうと、どこに行ったのかさっぱり分からなかった。
少女は光の結晶を追い掛けて城内に入ったものの、明らかに迷子になっていた。それは初めて降り立った城の構造など知っているハズもないからだ。
だが突如としてバイザーに光点が現れていく。
現れた光点は1つだけだったが、その光点は強く輝いていた。
少女は嫌な予感に苛まれながらも、床を蹴るとその光点に向けて駆けていく。
「あ゛ぁ゛?何だぁテメェは?」
「えっ!?あっ」
少女が光点の元に辿り着いた時そこには見知らぬ1人の男がいた。髪の色は碧く肩に掛かる程だがボサボサだった。
褐色の肉体は筋骨隆々としており、その肉体を見せびらかすように装備は腰布1枚だけというほぼ裸族がそこにいた。
その男は急に部屋の中に入って来た少女を訝しみつつも、一言だけ発すると虚空から大きな鎚を取り出していく。
その光景を見た途端に少女は直ぐにでも帰りたくなった。
連戦に次ぐ連戦で流石にもう疲労困憊だったからだ。
「アナタは「ロキ」…じゃないの?」
「まぁ、見た目は全く別人に見えるけど……」
少女は流石に目の前にいる男が「ロキ」ではないのが分かっていたのだが、光の結晶を追い掛けた先にいたこの男に対して、少女はそれを聞く以外の選択肢を持てないでいた。
「あ゛ぁ゛?「ロキ」だぁ?そんなヤツは知らねぇなッ!我様の名はフヴェズルングってんだ!」
「フヴェ…ズルン…グ…はぁぁぁぁ」
「あ゛あ゛?人の名前聞いといて溜め息なんざついてんじゃねぇ!」
その名を聞いた少女は本気で立ち去りたくなっていた。
何故ならば「フヴェズルング」のその名は少女が知り得る限り、「ロキ」の別名なのだから。
結果、少女は今までの疲れを振り払う様に愛剣を構えると相手の出方を窺っていく。
「あ゛ぁ゛?テメェ闘る気か?」
「出来れば闘り合いたくは無いんだけど、そう言ったら見逃して貰えるのかしら?」
「あ゛ぁ゛?それじゃあ、しゃーねぇな。闘る気のないヤツと闘っても楽しかねーからなッ!」
「へぇ?それって本心?」
2人の会話。それは腹の探り合いにも見えるが少女の現状を鑑みれば時間稼ぎと取れなくもない。
フヴェズルングはぶっきらぼうに言葉を投げながらも、その瞳は獲物を狩る直前の獅子の様に少女を睨み付けている。フヴェズルングはその大きな口の端を不敵に上げ、更に言葉を続けていった。
「あ゛ぁ゛ッ!なーんて、そんな事を言うわきゃねーだろ!この我様を2回も殺しやがって!今度こそテメェの番だ!脳ミソとハラワタをぶち撒けてやんぜぇッ!!」
「はあぁぁぁぁぁ」
フヴェズルングが投げ放ったその言の葉に対して少女は「回りくどい!闘るなら闘るで最初からそう言えよッ!」と心の中でツッコミを激しく入れていたが、それは余談と言えば余談過ぎるだろう。
キンガキン ギギギ ギキンッ
「くっ。なんていう速さなの」 / 「あ゛あ゛ぁッ!死ねッ死ねッ死ねやぁッ!」
フヴェズルング対少女の鎚対大剣による撃ち合いが続いていた。
超重量級の得物である鎚に対して、本来であれば重量級と言える少女の大剣が激しくぶつかり合い火花を散らしていく。
少女が現状でフヴェズルングに対して有効打を与えられる武器は、魔弾を使い切っていることも相俟って愛剣だけだ。
数個しか残っていない精霊石では火力が伴わないし、マナを編む時間がもらえるならば他にも手はあろうが、それは皆無だろう。
無詠唱で出来る魔術程度では削りになるかも怪しいところだ。
対するフヴェズルングは超重量級の武器を軽々と扱っている。鎚を振る速さもその返しの速さも少女の剣速と変わらずか、それ以上と言える。
拠って完全な近接戦闘に少女は苦戦を強いられていた。
少女は先の戦闘に於いて使ったベルゼブブの魔石を戦闘終了後にデバイスに戻していた。
それと同時に魔族化は解けたが、オドは失われずにその身に残っている。
然しながら力関係が拮抗しているこの状況下では、魔術を詠唱している時間はやはりもらえそうに無いと改めて理解させられていた。
故に純粋に武技だけでフヴェズルングを圧倒出来なければジリ貧になると戦況が告げていた。
「あ゛ぁ゛ッ!テメェなかなかやるじゃねぇかッ。この我様とここまで撃ち合えるヤツは滅多にいねぇぜッ!」
「でもま、起きたてのウォーミングアップには丁度良かったな」
フヴェズルングは先程までと口調を変えると口角を上げ、力を溜めている様子で腰を少しだけ下げた。そして、先程までの撃ち合いとは遥かに速い速度で少女に向かって鎚を振り下ろしていった。
少女は辛うじてフヴェズルングの打撃を躱す事が出来た。だが、少女が躱した事でその打撃は部屋の床へと刺さっていた。
その一撃の破壊力は2人が闘っていた部屋の床を崩落させ、2人は階下へと強制的に落下させられていく。
北の辺境伯の領内西端にある小高い山の上にルミネの扉は開かれていった。そして扉を潜った全員がその地に足を踏み入れていた。
然しながらルミネはここに全員を連れてきたものの、戦況が一体どうなっているのかさっぱり分からなかった。
ルミネに対して少女が出した「提案」では「ここで決着」だったが周囲には何も無い。前に来た時と同じ様な岩場があるだけで全く代わり映えしない光景が広がっていた。
「既に…わたくし達がここに来る前に、全てが終わったとでも言うんですの?」
「でも、それならばこの場所に御子様がいるハズですわッ!」
ルミネは胸中に不穏な考えがよぎったが、それを払拭する為に頭を横に振っていた。
一方で魔王ディグラスは現況が全く分からない為に、状況確認も兼ねてルミネに問いを投げていったがルミネは何も応える事が出来ないでいた。
何も応えないルミネの姿に、魔王ディグラスは溜め息を漏らすだけだった。
ルミネは自身の魔眼で前に視た「未来」を否定したかった。だからこそ何も言えなかったのだ。
その「未来」を伝えてしまえば、その「未来」を確定させてしまえば、少女はこの世からいなくなってしまうのだから。
そんなルミネの姿を見た魔王ディグラスは、連れてきたルシフェルに対して眷属を召喚させ城を含む付近一帯の偵察を命じた。それに拠ってルシフェルは大量の梟と蝙蝠を召喚すると、北の辺境伯の領地一帯に眷属を飛ばしていく。
「さてこれで、何か解れば良いが」
「だが、これからどうしたものかな」
魔王ディグラスはルシフェルの眷属達が飛び立っていく姿を見ながらただただ呟いていた。
「魔王陛下、某の眷属達が城内で戦闘中の者達を見たそうに御座います」
「分かった。よし、イーラ!全員が乗れる飛竜を召喚せよ」
「かしこまりました、陛下」
魔王ディグラスからの命を受けたイーラは、この場にいる全員が乗れるだけの飛竜を召喚していった。
眷属とは主要貴族に与えられた「冠」に起因する使い魔達の総称である。「冠」を与えられた貴族はその「冠」に属する眷属を自身のオドを代償にして魔術的に召喚する事が可能になる。
また「冠」に属する眷属は複数種いる為に、必要性に応じて使い分ける事が出来る。
尚、現時点で新参のアバルティアとインヴィディアにはまだ「冠」が与えられていない為に、眷属を召喚する事は出来ない。その為に「暴食」と「強欲」の冠は空席となっているがこれは余談である。
床が崩落し階下に落ちた少女は身体を強く床に打ち付け気を失っていた。一方でフヴェズルングは気を失った少女を見付けると肩に担ぎ上げてどこかへと連れ去っていった。
フヴェズルングが立ち去った後で、魔王ディグラス一行が乗った飛竜達が城内に降り立ち捜索が始まる。
しかし既に城の中に残っている者は誰一人としていない。
拠って、その中で戦場となり床が崩落した部屋を見た全員は口から出て来る言葉もなくただただ呆然としていた。
フヴェズルングは少女を担いだままで城から西の小高い山へと転移していた。更にはそこの地面に少女を寝かすと特殊な陣形を描き始めていった。
「そこまでですわ。その人から離れなさい!」
「そこから静かに立ち去れば見逃して差し上げますわ!」
然しながらそこにはルミネがいた。ルミネは特殊な陣形を描き始めたフヴェズルングに言の葉を投げていた。
ルミネはイーラの召喚した飛竜には乗らなかった。それに乗ってしまえば「視たままの未来」を追い掛ける事になるからだ。
だからこそ飛竜に乗らずに城にも行かず、この場に留まる事を選択していた。
城には誰もいない事を理解していたからとった行動だった。
「あのままわたくしまで城に行けば、御子様は助からない」
これこそがルミネが視た「未来」である。
だが一方でその事を魔王ディグラスを含む誰かに言ってしまえば、「魔眼の秘密を自分から明かしてはならない」という、父・アスモデウスの封印契約に反する事になる。
だからこそ「視たままの未来」を変える為に1人でこの場所に残ったのだった。それ故にルミネにはこの先の「未来」は分からない。
その先にあるハズの「未来」はまだルミネの魔眼に映し出されてはいなかった。
「あ゛ぁ゛?なんだぁ、テメェはぁ?」
「その方の友人…とでも名乗っておきますわ。ですから、わたくしの友人を返して頂く為に参りましたの」
ルミネは目の前に立ちはだかる強大な敵の気配に対して内心はビクビクしていたが、表情には臆面も出さずに言の葉を返していく。
「あ゛ぁ゛?友人だぁ?コイツは我様達を2度も、更には我様達の子供をも殺した大罪人だ。大悪党だッ!」
「だから返すワケにはいかねぇッ!どーしてもってんなら、我様をブッ倒して奪るんだなッ!」
ぎりっ
「随分と勝手なコトを言ってくれますわね」
フヴェズルングは憤怒の如き様相で凶悪なまでに顔を歪め、虚空より先程と同じ鎚を取り出すとルミネに向かって速攻を仕掛けていった。
一方で城の中は不気味と言える程にひっそりと静まり返っていた。
魔王ディグラスは配下の貴族達に改めて領内の探索をさせたが、今度は何も発見出来なかった。
その結果、ここで初めて魔王ディグラスは「これは罠ではないか?」と考え始めていた。
魔王ディグラスは自問自答する形で付随する疑問を頭の中で展開し解答を導いていくコトにしたのだった。
第1の疑問
「これが「罠」であれば、誰が仕掛けた「罠」なのか?」
第1の疑問の解答
「考えつく限りの結果が示す先は「銀髪の男」」
第2の疑問
「ルミネは何故、山に1人で残ったのか?」
第2の疑問の解答
「王都でのルミネの戦闘風景を使い魔を通して見ていた限り、「今の状態では戦力になれず足手まといになる」と考えた結果、自分から身を引いたのでは無いか」
魔王ディグラスはルミネの魔眼の中身をこれまでずっと知らなかった。拠ってルミネが今まで「未来視の魔眼」を使って得た結果に基づき、選択していたその行動のそれら全てを、「勘の良さ」や「洞察力の鋭さ」などと考えていた。
然しながら第2の疑問の解答から魔王ディグラスの元に新たに第3の疑問が湧き上がってきたのであった。
新たに浮かんだ第3の疑問
「ルミネはあんなにも余の娘の事を気に掛け、「少しでも早く助けに行きたい」と言っていたにも拘わらず、何故に「この場に来なかったのか?」」それは矛盾では無いだろうか?」
第3の疑問の解答。
「考察の余地はまだまだあるが、結論だけを考えれば「ルミネはこの城に娘がいない事を知っていた」事になり、逆説的に考えれば「今、ルミネがいる所に娘がいる」となる」
「そうであれば、余が取れる最善を尽くすのみだッ」
魔王ディグラスは自問自答から得た解答を「是」として随伴した貴族達に対して命令していく。
「イーラ、ルシフェル、リヴァイアタン、以上3名は余と共に来い!イーラはすまぬが再び眷属を呼んで貰えるか?」
「かしこまりました、陛下」
「ベルフェゴール、アヴァルティア、インヴィディア、以上3名はこのまま城内及び領内を手分けして探索し、これより1時間の後まで何もなければ先程の山まで戻れ。これより先、探索中に何かが起きた場合には、速やかに各自の判断で対処・殲滅しそれらを制圧せよ!」
かくして魔王ディグラスと貴族3名は、再び山を目指して召喚された飛竜の背に乗った。
また、探索を命じられた3人は飛び去る飛竜を見送っていた。
ルミネはたった1人でフヴェズルングと闘っていた。ルミネはフヴェズルングの事を少女から少しでも遠ざけようと空中戦を選択し、自分の得意な距離で間合いを取り、その上で闘っていた。
当のフヴェズルングもルミネの思惑を知ってか知らずか、ルミネを追い掛ける様に空へと駆け上がり空中で2人の激しい攻防が交錯していた。
フヴェズルングは距離を詰め鎚を振るう。ルミネはその鎚を躱すと距離を開けて魔術を放つ。
自身に向けて襲来する魔術を鎚で薙ぎ払いうと、再びルミネに対し距離を詰めて鎚を振るう。そんな決め手のない戦闘ではあったが、2人はそれを幾度となくそれを繰り返していく。
然しながらそうこうしている内にルミネは魔眼に未来を「視た」のだった。
「いけませんわッ!それは駄目なのですわッ!」
「あ゛ぁ゛ん?余所見してる余裕がどこにあんだよッ!!」
ルミネは自身の魔眼へと映し出され視てしまった「未来」を否定すべく強く願っていた。だがフヴェズルングはそのルミネの隙を見逃してはいなかった。
ルミネは当然の事ながら対処が遅れた。その結果ルミネは鎚の一撃をまともに受けると、そのまま上空から地面に向けて勢いよく叩きつけられていった。
どおぉぉぉぉぉぉん
「がふッ。うっ、くっ」
苦しそうな表情のルミネの口から一言だけ言の葉が漏れていく。そしてルミネのその身体は黒い霧となって霧散していった。
「あ゛ぁ゛?それで終わりかぁ?あまりにもあっけねぇ!あ゛ぁ゛!全然大したこたぁ無かったなッ」
「あ゛ぁ゛!興醒めだ興醒め。だが、まいっか、とっとと我様は仕事に取り掛かるとすっか」
ルミネを倒し意気揚々とフヴェズルングが少女の元に戻ると、その顔には驚愕の2文字が浮かんでいた。
そこにはついさっき鎚の一撃を喰らい、黒い霧となって消えたハズのルミネの姿があったからだ。
一方でルミネは驚いているフヴェズルングに一切構う事なく、横たわっている少女を静かに抱きかかえると一目散に逃げていった。ルミネは驚きのあまりフリーズしているフヴェズルングに対して、一瞥もする事なく空へと舞い上がっていったのだ。
「あ゛あ゛ぁ゛?!おいッ待ちやがれッ!ソイツを置いてけッ!」
「あ゛ぁ゛ん!逃げんじゃねぇ!待てコラッ!!」
「あ゛ぁ゛!!我様をぶっ倒してから奪ってけって言っただろうがぁぁッ!」
フヴェズルングは理解が追い付かずフリーズしていたが、強制的に理解する事を自己解除すると、怒気を撒き散らし逃げるルミネの後を追い掛けていった。
ルミネは必死に空を翔び逃げていく。
少しでも遠くへ、そして、少女を生かす為に。
ルミネは「未来」を視てしまった。
ルミネは「未来」の否定を願った。
その結果、ルミネのもう1つの魔眼に掛けられた封印は、徐々に解かれつつあった。
ルミネが視た本来あるべきハズの「未来」はこうだった。
あの鎚の一撃で「ルミネは死に」その結果、「少女が生贄となり」、辺境伯の城を中心として「災いの蛇が召喚される」というモノだ。
強く否定を願った事でそうなるハズだったものは改変されていった。
然しながらそうならない為にも充てがうモノは必要だったのだ。
拠って「ルミネの死」には、急造した「魔力製素体」を充てがった。
その結果「生贄の少女」がいなくなった事で、「災いの蛇」の召喚は免れた。
あのまま災いの蛇が召喚されていれば、城の中にいる皆は壊滅的なダメージを負っていた。それこそが「ロキ」が考えていたワナだったのだ。
とは言うものの、少女を抱きかかえ空を翔ぶルミネを執拗に追い掛けるフヴェズルングに、再び捕らえられてしまった場合には元の木阿弥になってしまうだろう。
一方でフヴェズルングは荒れていた。荒れ狂っていた。
それはもう、怒気を吐き散らしながら荒れまくっていた。
何故ならば言わなくても分かるハズだが、せっかく捕まえた獲物が連れ攫われた事に……だ。
更には自身が殺したと思っていたハズの女が死んでおらず、その獲物が獲物を連れ去った事でより一層自身の感情に収まりがつかなくなっていた。
そして荒れに荒れまくった結果として、本能の赴くままに、鎚の権能を使うコトを決めた。
付け加えるならばその状況下に於いて鎚の権能を使う事を、半ば強制的に且つ、感情的に決めていた。
フヴェズルングの持つ「鎚」は「ロキ」が使っていた「グングニル」と同様に紛い物だった。
しかも今の使用者は「ロキ」ではなく、「フヴェズルング」である。
拠って「ロキ」が使用する以上に「鎚」が持ち得る権能を十全に使う事は出来ない。
更には少なからず何かしらのペナルティを負わなくてはならなかった。
それ故にフヴェズルングは鎚の持つ権能を使わずにただの武器としてだけ使っていたのだ。
少女はただ漠然と目が覚めた。更にはいま自分の置かれている状況に混乱していた。
ルミネが自分の事を抱きかかえて翔んでいる理由が、一体全体よく分からない。そもそもさっきまでルミネはいなかったハズだ。
なのに、今の自分はルミネに抱きかかえられている。
しかもルミネにお姫様抱っこで抱えられてるなんて、普通に恥ずかしかった。
「アタシがフヴェズルングと闘っている時に床が抜けて、そして…あれ?記憶がないッ?!えっと、恐らくだけどアタシ気を失ってたってコト?」
「んでもって、なんやかんやが起きてルミネに抱きかかえられている?なんやかんやが凄っごく気になるけど、そればっかりはどうしようもないわね。はぁ。でも、本当になんでお姫様抱っこなんだろ?そして、ルミネがとても凛々しく見える」
少女は頭の中で考えを纏めると、現状の確認の為にルミネに声を掛ける事にした。
「おはよルミネ。ところでアイツはどうなったの?」
「御子様、気付かれたんですのね!」
「うん、ルミネがアタシを助けてくれたのね、ありがとう」
「ところでアイツは?」
「わたくし達の後ろを執拗に追っかけて来ていますわ。全く無粋ですわよね」
「後ろ?ちょっとごめんねルミネ。後ろ見るから動くわよ?」
「えッ?!ちょッ、アレってもしかしてやっぱりそうだったんだ!?」
「どうかなさったんですの?」
少女は急いでルミネの後方を確認すると、自分達の後ろで鎚を構えて今にも投げようとしているフヴェズルングを見付けたのだった。
そしてそれは2人の危機と言えた。
「ロキが使っていた槍がグングニルなら、あの鎚は間違いないッ!ミョルニルだ!!あれを投げられたら、アタシ達は撃墜される!」
少女は「ロキ」との関連からフヴェズルングが持っている武器も北欧神話由来の武器だと考えた。
そもそもの話し、今回の連戦で「ロキ」を始めとする神族達は、神話級の武器を惜しげもなく使っていた。
恐らく全てがオリジナルではないだろうが、紛い物であってもその火力は群を抜き過ぎていたのだ。
だから尚更、フヴェズルングにその武器を使わせるワケにはいかなかった。
「ルミネいい?よく聞いて!アイツが持っている鎚が投げられたら、アタシ達は確実に撃墜されるわ。アレはそういう因果律を持っている武器よ。だから、アイツがアレを投げるまでに仕留めないといけないの!!」
「どうすればいいんですの?」
「アタシは今、オドをかなり消耗しているからルミネのオドを貸して欲しい」
「そんな事でいいのでしたらお好きなだけどうぞ」
「ありがとう、ルミネ」
「パスを繋ぐから変な感じかもしれないけど、我慢してね」
「えっ?ちょ、御子様、どこを触ってらっしゃるのッ!」
「あ、あんっ///」
「だめ、声が漏れちゃいますわ///」
少女はルミネの、たわわに膨らんだ双丘の中央に右手を置いた。とは言っても服の上からなので直接ではないが、ルミネの双丘はたわわに膨らんでいるので両方の丘に手が触れる事になる。
拠って、多少ながら少女はイライラしていたというのは言うまでもない。
そして別段疾しい気持ちがあるワケでもない。
ルミネの赤らんでいく顔と艶めかしい声は、少女のイラだちを解消する嗜虐心を少しだけくすぐったが、緊急事態なのでそれどころではない。
拠って悦に浸る事なく、ルミネと自分の間にパスをスグ繋いでいった。
だから、ルミネの口から艶めかしい声が漏れていたが、それは余談であるので深く触れてはいけない。
「我らが力、1つに交わらん。我が手に集え、紅き炎よ。我が手に集え、蒼き水よ。我が手に集え、翠緑の大樹よ。我が手に集え、鮮黄の大地よ。我が手に集え、金色なる果実よ。我が内なる全ての力よ、1つに混じりて我らが敵を討たん」
「うぅっあんッ///」
少女が詠唱を開始した。周囲のマナはそれに拠って急速に少女の手元に集まっていく。
一方で少女とのパスが繋がれたルミネは、自身のオドが急激な勢いで吸われていっているのが分かったが、どうしても艶めかしい声は止められなかった。
対するフヴェズルングは追い掛けている敵に、膨大な魔力が集まっていくのを感じ取り、自分のケツに火がついたコトを悟った。だからこそ、感情的に投げようと決めながらもペナルティを恐れるあまり投げられずにいたミョルニルを、ケツに火が付いた事に因って今度は理性的に投げる決意に変えた。
別に本能的にだろうと感情的にだろうと、理性的にだろうと投げる動作は変わりはないが、ペナルティは生命にも関わるので躊躇っていたに過ぎない。
だがこのまま敵の膨大な魔力に拠る魔術を喰らえば死ぬ可能性は非常に高い。拠って投げてペナルティを負ったとしても先に当てさえすれば生き残れる確率は高いと踏んだ。
要するにペナルティと生命を天秤に掛けた時に、生命の方がウェイトが重かったのだ。
「我が手に集いし大いなる力よ、空虚なる微睡みに揺蕩う力よ。全て切り裂く顎となれ!」
「んあぁぁぁん///」
詠唱を紡ぎ、マナと2人のオドを編み上げた少女は大きく掌を開き、視界の中のフヴェズルングを自身の掌と重ねていった。
「極大五色・鳳鶚龍顎!!!!」 / 「喰らえッ!偽神征鎚ッ!!」
少女の掌は力ある言葉と共に一気に閉じられた。フヴェズルングの持っているミョルニルはその内に秘める概念能力を解放し、フヴェズルングの手を離れていった。
少女の掌から放たれた虹色の力は、見ように拠っては巨大な龍とも鷹とも表現出来るそれらの「顎」のようなモノへと変化した。
そしてミョルニルと、ミョルニルから手を離したばかりのフヴェズルングを飲み込んだ。
ばくんッ
巨大な「顎」がそんな音を立てたかは定かではないが、「顎」に因って飲まれる瞬間に、フヴェズルングは断末魔の叫びを上げた。
一方でミョルニルは、概念能力を完全に解放する事なく消滅していった。