恋を知らない夏と音だけの花火
待ち合わせ場所の図書館前には、既に千歳が待っていた。
「着付けが終わって暇だったから」
白地にカラフルな紫陽花柄の着物を着た千歳は、クラスで見るときより少しだけ大人っぽい。
「賢人と美夏、遅いね」
いつものポニーテールを解いた黒くてつやのある髪の毛をかきあげながら、千歳が言った。
少し汗のにじむうなじに目が行って、慌ててそらす。そらした先に時計があった。
約束の時間までは、まだ五分ある。
「どこかで座って待っていようか?」
「ううん、入れ違いになったら嫌だから待ってる」
今日の夏祭りに四人で行こうと言い出したのは賢人だ。
俺たちが集まるとき、その中心にはいつも賢人がいる。
そして、言い出しっぺの賢人はいつも一番最後にやってくる。
「遅くなってごめん!」
待ち合わせ時間ぴったりに慌ただしく駆け寄ってきたのは、美夏だった。
「大丈夫、遅れてないぞ」
「美夏、女の子が浴衣着て走るんじゃありません。転んだら危ないでしょ」
千歳がお姉ちゃんのような口調で、美夏をたしなめる。しかし、当の美夏はそんなのお構いなしといった様子で、額に浮いた汗を浴衣の袖で拭った。
金魚の柄の浴衣は、ここに来る途中で少し着崩れている。が、美夏はそのことを気にする様子もなく笑った。
「いやあ、浴衣って走りにくいんだね。」
健康的に焼けた肌と対照的な真っ白な歯を見せて笑う美夏を見て、千歳はそれ以上かける言葉を失ったようだった。
「浴衣を着てても、美夏は美夏だな」
「それはどういう意味かな春彦」
息が整った美夏が、じろっと俺のことを見上げる。
「そのまんまの意味だよ。折角かわいい浴衣着てるんだからもう少し行動を……こら巾着を振り回すな」
小柄ながらソフト部で一番ショートを務める美夏が振り回す巾着袋は、中身次第では凶器にもなりうる。
幸い、浴衣の美夏はいつもより機動力が落ちているようで、何とか巾着の攻撃をかわしていると、
「お、やってるやってる」
悪びれもせずに、甚兵衛姿のガタイのいい男が一人やってきた。
「遅いぞ賢人。全員におごりな」
賢人の背中に回り込み、美夏の猛追を振り切りながら俺は言った。
この四人が揃った時の空気を、俺はとても気に入っていた。
***
部活もクラスも違う俺たち四人が仲良くなったのは、たぶん奇跡だった。
ソフト部の美夏が突き指、サッカー部の賢人が捻挫、吹奏楽部の千歳が貧血、そして映画同好会の活動で撮影に来ていた俺。
この四人が、先生が不在の保健室でたまたま顔を合わせたのが、中学一年のゴールデンウィーク明けのことだったか。
つまり、一年以上の付き合いになる。
中学に上がり急に、男女が仲いい=付き合う、という風潮になった周りについていけなかった俺たちは、周囲の目を気にしないで済むクラス外の友達という非常に楽な関係を築いた。
違う部活に所属しているため、基本的に四人の休みが合うことはない。だからみんなで遊ぶということは少なかったのだが、グループラインはいつでも他愛のない会話で溢れていた。
「今度の夏祭り、みんなで浴衣と甚兵衛着て行かね?」
賢人のこの発言も、グループラインでのことだった。
毎年恒例の夏祭りは、地方にある俺たちの町で一番のイベントである。
この日は、すべての部活が午前練だけか全休になる。
部活漬けになる中二の夏休みにおいて、僕ら四人の休みが合う唯一の日だ。
「いいね」
一番に反応したと思ったその返事は、千歳についで二番目だった。
***
「すげぇ、春彦、何でそんなにとれるんだ?」
すでに紙の部分がほとんどなくなってしまったポイを片手に、賢人が悔しそうに声を上げる。
反対側の手に握られたお椀には何も入っていない。
対する俺の方は、赤いのが二匹と出目が一匹泳いでる。
賢人から吹っ掛けてきたこの勝負は、どうやらワンサイドゲームになってしまったようだ。
「春彦君上手だね。私はお手上げ」
賢人に続いて、千歳もギブアップ宣言。
「春彦の癖に……」
一番悔しさをにじませている美夏は、何とか小柄な金魚を一匹捕まえている。だが、あのポイではこれ以上の獲得は望めないだろう。
「くそ、射的も春彦の一人勝ちだったし、これじゃ納得いかねぇ」
早々に諦めた賢人が次なる対決種目を探し始めた。
俺のポイはまだ使えそうだったが、そんなに何匹も欲しいわけではないので、やめることを告げ金魚を袋に入れてもらう。
「いいな、美夏。金魚かわいいね」
透明な袋に入れられた美夏の金魚を見て、千歳がつぶやく。
その目は、お世辞ではなくほんとに羨ましがっている目だった。
「よかったら俺の上げようか?」
「え、それはわるいよ」
「家には去年取ったやつがいるし、こいつら連れて帰ってもいじめられちゃうだろうから。だから、あげるよ」
「いいの?ありがとう春彦君。大事にするね」
俺の提案に、千歳は申し訳なさそうにしていたが、最後には金魚を受け取ってにこりと笑った。
「何でいつも春彦は千歳ばかりに優しくするのよ!」
「何言ってんだ、お前は自分のがあるだろう。欲張るな」
いつものようにつっかかかってきた美夏をあしらっていると、賢人が駆け足で戻ってきた。
「向こうに輪投げがあった、あれやろうぜ」
千歳の手に金魚がいることには気づいているようだったが、それには触れずに戻ってきた方向を指さして笑った。
***
恋愛感情というものが、俺にはてんで理解できなかった。
彼らの言う、好きという感情は、友達や家族に向ける感情と何が違うのか、わからなかった。
だから、クラスの話題が、ゲームやアニメの話から色恋沙汰に移行した時、俺は話題についていくことが出来なかった。
賢人、千歳、美夏の三人も俺と同じだった。
恋バナで沸くクラスメートについていけず、どこか取り残されているような気分になっていた四人。
そんな四人だったから、俺たちは仲良くなった。
そんな四人だったから、お互いの心の奥の感情を暴露できた。
そんな四人だったから、クラスや部活を超えて絆を結べた。
それなのに、俺は、千歳のことを好きになってしまった。
これは、誰にも言えない俺の秘密。
***
一通り遊びつくした後、花火がよく見える公園裏の池に行こうという話になった。
そこは出店も出ていないので人が少なく、花火を見るなら絶好のスポットだ。
「あれ、財布がないよ……」
美夏の悲痛な声が上がったのは、ちょうどその時だった。
「なに?さっきわた飴買ったときはもってたじゃないか」
「そういえば、その後春彦に巾着を振り回してたよな。
もしかして、その時に財布が飛び出したとか?」
賢人の推理を聞いて、みんなが顔を見合わせる。
提灯の明かりがあるとはいえ、すでに日の暮れた祭り会場は薄暗くその可能性は大いにあり得た。
そして、その場合、財布を見つけ出すのはほぼ不可能だ。
「そんな……、春彦が悪いんだからね!」
「なんで、俺なんだ?巾着袋は振り回すものじゃないって何度も教えてやっただろ?
それを聞かないからこういうことになるんだよ」
「うう……」
「はいはい、二人とも今は言い争っている場合じゃないよ。
それよりも、早くさっきの場所に戻って財布を探すわよ」
千歳が仲裁に入ってくれたが、四人の間に流れる空気は一気に悪くなった。
花火の打ち上げ開始まであと十分。今移動を開始しないと間に合わない。
それは、四人とも把握していた。
「いいよ、もう花火始まっちゃうし
私がなくしたんだから、私が一人で探すよ」
その言葉を残して、走りだした美夏を俺たちは慌てて止めようとしたが、人ごみにまぎれた美夏は一瞬で見えなくなった。
「ど、どうしよう」
千歳が青ざめる。
「どうするって、追いかけて一緒に探すしかないだろ?」
そういう賢人は今にも走り出しそうな勢いだ。
「馬鹿、今から探して見つかるわけないだろ?
それよりも、祭りの本部に行って落し物が届いてないかを調べる方がいい」
「なるほど、確かに春彦の言うとおりだな」
「でも、美夏はどうするの?」
「半分は俺の責任らしいいし、俺が行くよ。
二人は、本部に行った後池に行っておいて。必ず美夏を連れて合流するから」
ほんとは千歳と一緒に居たかったが、この状況で美夏を一人にすることはできない。
「分かった、そうしよ」
賢人がうなずいたのを確認して俺は走り出した。
***
金魚柄の着物が、出店の隅で丸まっていた。
「何しょげてるんだよ!」
そう言って軽くたたいた背中が小刻みに揺れていて、少しビビる。
「何で追いかけてくるのよ。花火始まっちゃうよ
財布は私一人で探すから」
「そんな涙浮かべたみっともない目で、何を探すっていうんですか?」
「私って、どうしていつもこうなのかな
ドジでがさつで、おっちょこちょいで、おまけに千歳みたいにかわいくないし
春彦の言うとおりだよ」
「なんだよ、たまに優しくしてるんだから素直に受け入れろよな」
あえて乱暴に美夏の頭をなでる。
いつもなら、「なにするのよ!」と拳が飛んできてもおかしくないのだが、今日は大人しくなでられている。
「花火を見に行こう。
折角祭りに来て、そんなしょげた顔で帰るなんてもったいないぞ」
手を伸ばしてそういうと、美夏は少し驚いた顔をして、ゆっくりと俺の手をつかんだ。
「リンゴ飴おごってやるよ。だからもうそんな顔すんな」
「優しい春彦って、なんか調子狂うな」
後ろをついてくる美夏がどんな顔をしているのか、俺には想像もつかなかった。
リンゴ飴を買っている最中、賢人からラインがありどうやら美夏のものと思われる財布が見つかったようだった。
ただ、受け取りは本人でないといけないらしく、花火の後にみんなで取りに行こうという話になった。
なにはともあれ、財布が見つかったことで美夏の表情は一気に明るくなり、俺が買ったリンゴ飴をおいしそうに食べていた。
あとは、賢人と千歳に合流して、花火を見る。
それで、俺の中二の夏祭りはおわるはずだった。
***
池のそばのベンチに腰掛ける二人の後ろ姿を見つけ、声をかけようとしたときのことだった。
「私、賢人のことが好きなの」
一発目の花火と同時に放たれたそれが千歳の声だと理解するのに、数秒かかった。
「ごめん、俺は千歳のことそう言いう風には見れない。
千歳だけじゃない、他の女の子も同じなんだ。俺には。みんなの言う恋愛感情ってのがよくわからないから」
賢人の声は、どこにも力が入っていない。
二人は俺たちには気づいていないようだった。
「やっぱり、そうよね。
でもね、そうだと分かっていても私は今日告白するしかなかったの」
千歳の声も同じように聞こえたが、こちらは意識して抑揚を抑えているように感じた。
「私たちは、恋を知らない者同士だから仲良くなれた。
恋みたいな煩わしいものから逃れるために集まったの。
だから、恋に落ちた私にはこの場で笑っている資格がないのよ」
千歳の言葉は、俺の胸にいくつもの楔を打ち込んだ。
まず、千歳が賢人を好きなこと。これは、薄々そうではないかと考えていたので驚きは実はそんなに大きくない。
むしろ、驚いたのは、千歳がその思いを打ち明けたことだ。
それは、俺にはできなかったことだ。
俺は確かに千歳のことが好きだと“想った”。しかし、同時に今の四人の関係を崩すほどのことでもないと思っていしまった。
つまり、俺の想いというのはその程度の物に過ぎなかった。
一方、千歳は、勝算がほとんどなく告白せれば元の関係に戻れないと分かっていながら思いを告げたのだ。
本当の恋はどちらかと問われれば、その答えは考えるまでもない。
二人に声をかけることも出来ずに立ち尽くしていた俺の手を、美夏が引っ張った。
それは、ここを離れようという意思表示で、俺はそれに従った。
その手にかかる力が、さっきよりも少し強くなっていることに、腑抜けた俺は気付かなかった。
***
美夏が立ち止まったのは、公園と池の間にある林だった。
花火の音は聞こえるが、背の高い樹が邪魔でその姿を見ることはできない。
もし見えたところで、今花火を眺める余裕は俺にはないのだが。
「春彦って、千歳のことが好きだったの?」
唐突な質問だったが、俺はほとんど考えることなく答えた。
「分からない。さっきまではそうなのかと思っていたけど、千歳の想いの大きさに比べれば、俺のは友情の延長線上なんじゃないかと思えてきた」
「恋愛の好きと友達の好きの違いって、キスしたいとかエッチなことしたいっていう感情があるかどうかなのかな?」
「それは……、きっと違うと思う。
千歳は、賢人とエッチなことしたいから告白したんじゃないと思う」
「じゃあ、何が違うのかな」
「分からない。
俺たちは、もともとそれがわからない奴らの集まりだったじゃないか。
その中から、千歳だけがわかる人になった。ただそれだけの話だよ。俺たちはまだわからないままで」
「春彦は千歳とキスしたいとか考えたの?」
「それは……ゼロではないけど」
「変態。
って言いたいところだけど、実は私も好きな人いるんだよね。
で、私も同じようなこと考えてるの。
だから私も変態」
大きな歓声が祭り会場から聞こえてきた。
きっと目玉の20号玉が花開いたのだろう。
二人の間に、しばらく沈黙が流れる。
「千歳はすごいな」
美夏がポツリとつぶやいた。
「ねえ、私の好きな人教えてあげようか?」
その声からは、美夏がどんな感情を抱いているのか推し量ることが出来なかった。暗い雑木林では表情を読むことも出来ない。
「そういうのって、そんな簡単に教えていいものなのかよ」
「でも、私だけ春彦の好きな人知ってるのは不平等だと思うの。
だから耳を貸して」
そう言われたら、聞かないことが悪いことのように思えてくる。
人気のない雑木林だから、あえて内緒話をする必要もないと思ったが言われた通り耳を近づける。
すると、いきなり美夏が俺の頭をつかみ90度回転させた。
そこには、少しうるんだ美夏の瞳があった。
周りが少し明るくなり、一拍遅れて音が鳴る。
俺と美夏の唇が重なった。
俺はまだ、唇にのこる不安定な感触の意味を推し量ることが出来ず、ただスッキリした顔で笑う美夏の顔を見ていた。
花火はいよいよ佳境に入ったようで、絶え間ない破裂音が響き、そのたびに暗い雑木林にカラフルな光が差す。
だけど、肝心の花火はやっぱどこにも見えないで、それはまるで俺にとっての恋のようだった。
こんにちは、双葉了です。
今回もSOSDの三人が同じお題で短編を書きました。
今回のお題は【夏休み】です。
中学生の頃にこんな恋愛がしたかったな、と思いながら書きました。
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