5話 朝チュンとメイドさん
「魔法、ですか?」
魔法。それは前世の頃から知ってるワードで、俺のようなオタクなら一度は使うことを夢見た存在でもある。ただし、俺はこの世界……前世とは言語も文化も異なる、文字通り異世界の「フェアリスタ」に生まれてからも、一度も魔法を見たことがなかった。
だから、この世界にも残念ながら魔法は存在しないのかな、なんて思っていたのだが。
「そう。その様子だとエマは聞いたことないみたいだね。とは言っても、アタシも実際に見たことはないんだけど」
アニスさんはそう言うと、一冊の薄い本を手渡してくる。表紙には何も書いていない、見たところ普通の本だ。
「この本はね、昔からこの世界に伝わる魔法について簡単に書いてあるんだ。今となってはおとぎ話のようなもんだって認識されてるんだけど」
「はぁ……」
そういえば今までローグさんが読ませてくれた本の中にも魔法に関するものは無かったな……と思いながら、とりあえずその本を読んでみることにした。
本には、"かつてこの世界に魔法使いが1人いたこと"、"魔法使いはその力を使い、この世界に平和をもたらしたこと"……。などが、挿絵とともに簡潔に描かれていた。
そして……。
「魔法使いは、力を使う際にその全身が光り輝くことから、その姿はまるで太陽のようであったと言われている……」
この本の一節と、今自分に起きた状況と重ね合わせる。身体が光るのは、魔法を使う時……。
すっかり考え込んでしまった俺を見かねてか、アニスさんが声をかける。
「ひょっとしたら見間違いかもしれないから、そんなに真剣に考えなくても大丈夫……だと思うよ? アタシから話振っといて言っといて、なに無責任なことをって思うかもだけど……」
「アニスさん……」
アニスさんはいつだって優しかった。そんな彼女に心配をかけまいと、出来るだけ笑顔で返事する。
「そう、ですよね。たまたま、私の身体が光ったように見えただけ、ですよね」
「そうだよ。さっきも言ったけどさ、魔法使いなんておとぎ話みたいなもんだから。アタシも実は信じてないんだ」
なんてね、アハハ。とフォローをしてくれる。
「私も今日初めて魔法なんて知りましたけど、自分が魔法使いなんて想像もできません。でも、出来ることなら使ってみたいですね。空とか飛んでみたいです」
「あーいいねそれ! 移動がラクチンだ!」
これ以上心配をかけたくなかった俺は、話を明るい方向へと持っていこうとする。
それに彼女も乗っかってくれたので、この場はその後も明るいままで終わることができた。
◇
「それじゃエマ、明かり消すよ」
「はい、あの、本当にいいんですか?」
「アタシが一緒に寝たいの。それともエマは嫌?」
「とんでもないです。私も今日は一人で寝られる気がしないので……」
「じゃあ良し! さあ寝よう!」
そう言ってアニスさんは既にベッドに横になっている俺に密着してくる。
あの会話の後、アニスさんは気を遣ってくれたのか今日は一緒に寝ようと言ってくれた。俺としても、魔法の事で一人モヤモヤしながらはとても寝られそうになかったので、その好意に甘える形となった。
ちなみにお風呂も一緒に入ろうと誘ってくれたが、こちらは流石にまだ心の準備が出来ていなかったので丁寧にお断りした。
「アニスさん、改めて今日はありがとうございました。また助けてもらっちゃいましたね」
「いいのいいの。それに、エマのためならたとえ地の果てまででも助けに行くよ」
「あはは……。頼もしいです」
ギュッと握ったその手から、アニスさんのぬくもりを感じる。それは、身体だけじゃなく心にも伝わる温かさだった。
そのぬくもりと、たまった疲れのせいだろうか。俺はさっきまで意識を失って寝ていたにも関わらず、瞼が落ちかけてくる。
「ごめんなさ……。私、眠くなっちゃって……」
「ん、いいよエマ。ゆっくり休んで」
「はい、おやすみなさ――」
いつしか俺は安心感のあるぬくもりとともに眠りについたのだった。
◇
チュンチュンと、鳥の鳴き声が聞こえる。
「んん……」
カーテンからは朝日が差し込む。その眩しさによって目が覚めた俺は、ふと自分の横の柔らかい存在に気付いた。思わず手が触れる。
むにむに。
ほほう、これはこれは……。俺のとどっちが大きいんだろうなこれ。
「っていかんいかん!」
無防備な女性を触るなど、失礼すぎる。そうだった。昨日はアニスさんと一緒に寝たんだった。
「一緒に寝たってなんか意味深だな……あーダメだ思考がおかしい」
などと俺が1人で人生初の朝チュンに興奮していた時、部屋の扉がノックされた。
「朝早くに申し訳ありません。エマ様はもうお目覚めでしょうか」
はて? 聞いたことのない声だ。女性なのは声で分かるが、アニスさん以外の知り合いに自分を起こしにくる女性はいただろうか。
色々疑問はあったが、無視するのも失礼だと思い、とりあえず返事をすることにした。
「はーい、起きてます」
「失礼ながら、お部屋に入ってもよろしいでしょうか」
「えっと……。私以外にもう1人一緒に居ますが、それでもいいなら」
「私としては問題ありません。では失礼します」
返事とともに扉が開けられる。よく考えたらアニスさんには許可をとってないけど大丈夫だったかな。
声の主は、前世で見たことあるようなメイド服(この世界にもあるんだ……)を着た、綺麗な女性だった。
藍色をした髪に、赤いメガネをかけている。キリッとした黒い目元が、これまたザ・メイドって感じを醸し出していた。
「おはようございますエマ様。……まだ起床したばかりでしたか。これは大変失礼を」
「いえいえ、本当はもう少し早くに起きていたんですが……」
まさかアニスさんとの朝チュンを堪能していたなんてことは言えない。
「んー? エマぁ……?」
ここで朝チュンのお相手のアニスさんが目を覚ます。うーん、寝起きの顔も大変可愛らしい。
「ふふ、おはようございます、アニスさん」
「おぁよー……」
「ああ、やはりもう1人というのはアニス様の事でしたか。もし男の方だったらどうしようかと内心ビクビクしてました」
「いや、その割には普通に入ってきましたよね……」
変わったことを言うメイドさんだ。
「あぇ? エマ以外に誰かいるの?」
「おはようございますアニス様。朝早くからお邪魔して申し訳ありません」
「あー、いいですよぉー……」
いかにも眠そうな感じでふわふわとした返事をするアニスさん。
どうやらまだ半覚醒状態のようだ。お客様? の手前、このままではまずいだろう。
「ほらアニスさん、お客様みたいですよ。シャキッと起きてください」
「エマがチューしてくれたら起きるぅー」
「ええ⁉」
いやいやいや……人前でなんてことを仰るのか。
「あらあら。やはり私本当にお邪魔だったようで……」
メイドさんが立ち上がって帰る支度を始める。何を帰ろうとしてるんだ何を。用事があったのんじゃないのか。
「ま、待ってください! もう、アニスさんも早く起きてくださーーい‼」
朝の街中に、俺の叫び声がこだました。
◇
「改めて、おはようございます。エマ様、アニス様」
「お、おはようございます……」
「おはようございまーす」
一旦仕切りなおして、朝の挨拶が行われる。
俺はというと、そそくさと帰ろうとするメイドさんと、一向に起きないアニスさんの2人を相手に孤軍奮闘した結果、朝から疲弊していた。
「えー、コホン。それであの、メイドさん? はどういったご用件で」
「そうですそうです。私は大事な用件があってここに参ったのです」
「……もしかして忘れかけてませんでしたか?」
「いえいえそんな事は全く」
しっかりしているように見えて、実はポンコツなんだろうかこのメイドさん。
「で? その用件っていうのは?」
「はい、実はですね。先日この街でちょっとした騒ぎがあったと聞きまして」
その言葉に俺はビクッと反射的に驚く。
「ああ、ご安心ください。当事者であった輩は既に捕まったと聞いております。それにエマ様も当事者であることは知っていますが、その事について根掘り葉掘り聞きに来たわけでもありませんので」
「は、はぁ……」
「しかし、エマ様にとってはちょっとお答えしづらいことをお尋ねしたく伺ったのは事実です。どうか私を信頼して、お話をさせていただけないでしょうか」
「……」
俺は返答に困ってつい押し黙る。メイドさんの言いぶりから察して、十中八九聞かれるのはあの時俺の身体が光ったことについてだろう。
しかし何故このメイドさんがそのことを? もしかしてあれは、本当はおとぎ話的なものでは無いのだろうか。
沈黙を続ける俺に代わって、アニスさんがメイドさんに尋ねる。
「その前に、あなたの名前と、何でその事を聞きにいたのか教えてもらってもいいかな。アタシの予想が合ってれば、あなたはこの国の王城のメイドさんだろうけど」
「そうでしたね。まずはそこからお話しするべきでした。申し訳ありません」
メイドさんは深々と頭を下げた後、こちらを正面に見据え自己紹介を始めた。
「アニス様のおっしゃる通り、私はマリアンデール城でお勤めをさせていただいているメイドであり、名をアキと言います。何卒よろしくお願い申し上げます。」
「了解、アキさん」
「よ、よろしくお願いします」
とりあえずこちらも挨拶を返すと、アキさんは微笑んだ。
「はい、ありがとうございます。それで、何故メイドである私が今日ここに参上したかと言いますと、実はお嬢様……我が国の王、ノエル様の命によるものなのです」
「へぇ~、王様直々に……」
お、王様ぁ? なんだか話が大きくなってきてないですか?
「はい。そしてここからが本題なのですが、ノエル様が、昨日の事件で起こったある事について、本人の口から直接聞きたいと仰っているのです」
「それってもしかして……魔法、のことだったり」
「その通りです」
「ということは魔法っていうのは……」
「はい。本当にこの世界に実在するようです。私も昨日ノエル様から聞きました」
「えぇぇ~……。ほ、本当だったんだ……」
あまりの展開の早さについていけない俺を置いて進んでいた二人の会話は、気づけば驚くべき内容となっていた。
まさかこの世界にも魔法があったなんて。
「それで、王様はエマを呼ぶために、アキさんをここに派遣したと」
「はい。朝早くのご訪問となったことを再度お詫びいたします。ノエル様が、どうしても早くエマ様に会いたいとおっしゃるもので」
「だ、そうだけど……。エマ、大丈夫?」
黙り続ける俺が心配になったのか、アニスさんが声をかける。
「あ、はい、えっと……。その王様は何故、私を?」
「詳しくは私にも話してくれませんでした。ただ、魔法の事について話がしたいとだけ」
「……」
魔法と同じく、こういう展開も前世では何度か見たことがある。選ばれし勇者が王に呼ばれるような。
だが、今俺が置かれているのはどうもそういった話ではなさそうだ。そもそもこの世界には勇者どころか魔王すらいないはず。
そんな状況で今すぐにでも俺を呼びつけた理由はなんだ……?
「エマ様。私はノエル様の命令に従い、すぐにでもエマ様を連れていくのがメイドとしての勤めです。しかし、私も一人の人間。突然の事に不安になる気持ちは理解しているつもりです。無理やりに連れて行くことは致しません」
「アキさん……」
「ですが、ノエル様は貴女の悩みの種である魔法について、ハッキリとした知識をお持ちであるようです。そんなノエル様とお話ししていただくことで、その不安が和らぐのではないでしょうか」
アキさんは、王様に従うメイドという立場であるにも関わらず、俺の事を気遣ってくれる。そんな彼女の誠実さは今日こうして会話をしただけでも既に感じ取れた。
……うん、だったら、俺1人でただ考え込んでいてもしょうがないよな。
「分かりました、アキさん。私、王様に会いに行きます」
「そうですか。ご決断いただけたようで何よりです」
決断、か。あの時勇気を思い出させてくれたリリスにはまた感謝をしなくちゃな。
「はいはーい、アタシもエマに付いてっていいですかー?」
「ええ、構いませんよ。ノエル様も喜ぶかと」
「わーいやったー! 王様に会えるなんて機会滅多にないもんね!」
よかった、一人じゃ心細いからアニスさんにも付いてきてもらおうと思ってたけど、俺の口から言わずに済んだ。
と安堵していると、彼女は俺をジッと見つめた後、ウィンクをしてきた。……もしかして、心を読まれたのだろうか。だとすると凄い恥ずかしいんだが。
「エマ様? 顔が赤いようですが。もしや熱でも……」
「あ、あ、いえ! なんでも、なんでもないですよ」
「にししっ」
「?」
こうして俺は、アニスさんとアキさんと共に、王城に赴くことになった。
昨日から抱えていた疑問である、魔法。王様に会うことで、何かハッキリと分かるようになるのだろうか……。
「エマ。アタシは言われなくても、エマにいつでも付いていってあげるからね!」
「や、やっぱりバレてる~~‼」
相変わらずアニスさんは、俺を照れさせることが得意なようだった。