2話 二度目の人生、新たな一歩!
「あっと……すまん! そこまで驚かせるつもりはなかったんだが……」
ローグさんの言葉を聞き、俺の意識が現実に戻ってくる。
「え、あ、えっと……。あ、腕時計!」
一度落ち着くために深呼吸をしようと思ったところで、腕時計を落としていたことに気付く。
幸いにも傷一つ付いていなかったので、ホッとしつつ、再度ローグさんの方を見つめ話を再開させる。
「ご、ごめんね、あまりに急な話だったからビックリしちゃって」
「いや、俺こそすまない。もう少しゆっくり話を進めるべきだったな……。どうだ、今度は落ち着いて話が聞けそうか?」
「う、うん」
「分かった。今からは出来るだけ丁寧に話すからよく聞いてくれ。……実はこの話はな、前々から母さんと話し合っていたことなんだ」
彼はそう言って、先ほどの反省を活かしてか、ゆっくりと話を続ける。
話をまとめると、両親は俺を人里離れたこの家に暮らし続けさせることに、少し前から抵抗感があったらしい。
確かに、俺が今住んでいる家の周りは人はほとんど住んでおらず、森や山に囲まれたいわゆる田舎のような場所だった。
たまに行商人や両親の知り合いが来ることもあるが、せいぜい一週間に一回程度。
そのため必然的に人と接する機会が少ないこの環境は、多感な子供にとっては少なからず良くないのでは、と考えていたようだ。
そこで、16歳になった今日この日をきっかけに、旅に出て多くの人や環境と触れ合ってみるのはどうかと提案した、ということだった。
「……話は分かったよ。分かったんだけど……私、今のこの生活には満足しているよ?」
そう、これは偽らざる俺の本心だった。優しい両親と、広大な自然に囲まれたこの環境で元気いっぱいに過ごす毎日は、転生前の世界とは比べ物にならないくらい幸せだった。
だから、急に旅に……外の世界に出るなんてことは、考えたこともなかったのだ。
「愛する娘にそう言って貰えることは、親冥利に尽きるんだがな……」
「私も嬉しいわ。ありがとうね、エマ」
パーティはこの話が終わったところでお開きとなった。
後片付けをしながら、ユキさんは、
「驚かせてごめんなさいね。今すぐ何かしなさいとか、そんなことを言うつもりはないの。ただ私達はね、エマ。貴方がやりたいって言ったことはどんなことでも応援するつもりよ、ってことを言いたかっただけなの」
と優しく囁いてくれた。
俺はただ「うん」としか返せなかったが、それでも彼女は、いつものように頭を撫でながら微笑んでくれた。
◇
後片付けが終わり、いろいろと考えたいことがあった俺は、早々にお風呂に入ることに。
シャワーの温かい水を浴びながら、大きく息を吐く。少しだけ心のモヤモヤが晴れた気がした。
こっちの世界にもシャワーがあることを、今ほど嬉しく思った日はなかったかも。
目の前の鏡に写るのは、女の子の姿をした今の自分。
最近、すっかり伸びなくなった身長の代わりに、更に大きくなってきた胸やお尻を見て、改めて自分の成長を実感する。
今でこそ平然としているものの、初めは自分の身体を見ることすら緊張していたのを思い出し、一人笑った。
そっか、気付けばもうこんなにも時間が過ぎていたんだな――。
湯冷めしないうちに、長く伸びた髪を乾かし、ベッドに寝転がる。
何か考え事をする時は、いつもこうするようにしていた。
「旅、か……」
落ち着いてゆっくり考えてみると、魅力的な提案ではあった。前世では、色々な所に旅行することに憧れたりもしていたからだ。
それに、ここは異世界。ローグさんがくれた本で何度か読んだことはあったが、この世界には俺が未だ見たことが無いようなものがそこら中に溢れているだろう。
「行ってみたいっていう気持ちも、無いことはないんだよなぁ……」
ただ、このままずっとこの家で両親と暮らし続けたいという気持ちもあるわけで。
それだけに、俺の心は濃い靄がかかった、不鮮明な状態なままだった。
「今日明日で結論を出せっていうわけじゃないし……。今日はもう寝ちゃおうかな」
両親の優しさについ甘えることになってしまうが、こればっかりは簡単に決断できそうもない。
色んなことをいっぺんに考えた疲れからか、布団をかぶった後はすぐに意識は遠のいていった。
◇
『ランダムで行こう! って、ズバッと言い放ったあの時の決断力はどうしたんですか? 優真さん』
懐かしく、どこか安心できる声が聞こえる。
『あ、そうでした。今の優真さんはエマさんなんでしたね。それにしても……ランダム設定で送り届けた私が言うのもなんですが、随分と可愛らしい姿に変わりましたね』
その声の主は楽しげにクスクスと、鈴を転がすような透き通った笑い声を出す。
俺の記憶の中でそんな可愛らしい笑い方をするのは、彼女しかいなかった。
「リリス? リリスなのか……?」
いつの間にか目の前にいた彼女が、ニッコリと笑って答えた。
『はい、リリスですよ。お久しぶりです、優真さん改め、エマさん』
「リリス!!」
嬉しさから思わず俺は彼女を抱きしめる。
言い訳をすると、ユキさんによく抱きしめられていたからか、くせみたいになっているのだ。
でも……会いたかった。16年間、この時をずっと待っていた。
『きゃっ! ……フフ、もう、こういう積極性だけはあるんですから』
「あ、ああ! ごめん、やっとリリスに会えたと思ったらつい」
慌てて身体を離す。ひょっとして嫌がられたかなと思ったが、彼女の相変わらずの笑顔からは、杞憂だったようだ。
『覚えててくださったんですね、てっきり優真さん……。あっ、ごめんなさい、なんだか今のその姿を見ても優真さんって言っちゃって……』
「ん……まあリリスからしたら、以前のイメージが強いからしょうがないよ。どちらでも好きな方で呼んでくれ」
『はい、ありがとうございます。ですが、やっぱり今はエマさんですから。それに、私が優真さんって呼んだせいか、昔の口調になってしまっていますよ?』
いざ口調を指摘されると結構照れくさい。でも、こうしたやり取りは、16年前のあの時を思い出すようでなんだか嬉しくなった。
それにしても、リリスはどうして今頃になって会いに来てくれたのだろうか。
気になったことはそのままにしておけない性格な俺はすかさず尋ねることにした。
『以前、私はあなた方転生者のサポートを行っている、という話をしましたよね? 実はそのサポートの対象には、転生後のことも含まれてまして』
へえ、アフターケアまでしてくれるのか。
『ただ、転生後のサポートとは言っても、エマさんが実際に体験してきたように、転生後の人生は必ず幸せになるようになっています。ですから、通常は転生者の方が万が一にでも不幸にならないよう、上から見守ってるだけなんです』
普通の人が聞いたら随分ヤバイ会話だが、当事者である俺にはまあ当たり前だが理解できた。
それならこうして会えること自体珍しいのだろう。でもそれならそうと最初から言っといてくれればよかったのに……。
『……恥ずかしながら、この事をエマさんにはお伝えするのを忘れていたな、と思いまして……今日こうして出向いた次第です』
……16年待ったことも忘れるくらいに、彼女はどこまでも、可愛らしい女神さんだった。
◇
『ち、ちゃんと別に理由はあるんですよ!? えー、コホン……エマさん、あなたは今、大きな悩みをかかえていますよね』
取り繕うように咳払いをしてから、恐らく彼女が俺に会いに来た目的であろう本題を切り出す。
……そういえばさっきまでずっと悩んでたんだっけ。なんだかすっかり忘れていた。
「もしかしてそれを聞いてくれるためにわざわざ?」
『え? あ、はい、そうです、もちろんです! 私はエマさんを見守る女神ですから!』
なんで一瞬言葉がつっかえたのかは聞かないでおこう。話が進まないし。
「えっと、悩みというか、自分でも正直よく分かんないんだけど……。自分の心は既に決まってるようで、でもそこまで手が届かないみたいな……」
自分が本当にやりたい事はなんなのか。
どうにもあいまいな返事しかできない俺だったが、リリスはそれを聞いてまるで確信を得たように答える。
『……おそらく、エマさんは怖がっているんだと思います。外の世界に出ることを』
「怖がる?」
『はい。外の世界……今まで自分が知らなかった世界に新たな一歩を踏み出すというのは、誰だって怖い事のはずです。ですから、その恐怖心を抱くこと自体はなにもおかしくはありません。……ですが』
と、そこで言葉を切って、いつかのように俺の手を握るリリス。
そういえば、俺が転生する前もこうして握ってくれたっけ。あの時も、いよいよ転生だって時になって緊張して身体が震えて……。
「……あっ!」
『思い出しましたか。……エマさんはあの時、心の中では恐怖していたはずです。しかし、勇気を出して一歩を踏み出しました。その結果、今のエマさんがあります』
「そっか、同じ事だったんだ……」
転生して新たな人生を歩み始めるのと、旅に出て新たな世界を歩み始めるのと。
……なんだ、既に経験してきたことじゃないか!
『それに、未知の世界が楽しみたいからってランダム設定を頼んだのは他でもないエマさん自身ですよ? あの自信たっぷりの決断力に押し負けて、私も同意したんですから』
ちょっぴりイジワルをするように言う彼女。
「はは、それもそうだ。……自分らしくないことをクヨクヨ悩んでたってわけだな」
俺の心の奥底に眠っていた"勇気"が目覚めたような、そんな気がした。
そんな俺を見て、これまたいつかのようにクスクスと笑うリリス。
……やっぱり、リリスには敵わないな。
『フフッ。あの頃の"優真さん"が帰ってきたみたいですね。……これで安心して、私も帰ることが出来そうです』
彼女は嬉しいような、寂しいような表情をしていた。
「……もう行っちゃうんだ」
『はい。女神があんまり一人の方に干渉し続けるのは良くない事ですしね。……本音を言うと、エマさんのそばにいたい気持ちはありますが…』
「……いや、そう思ってくれるだけで嬉しいよ、リリス。また会えて本当に良かった」
『私もです、エマさん。……では、そろそろ行きますね」
彼女もまた、目に涙を浮かべていた。
「またね、リリス」
『ええ……貴方のこれからに、祝福があらんことを!』
――そう言うと彼女は、白く輝く光と共に消えていった。
◇
「ありがとう、リリス……ん?」
頬の辺りを伝わる水滴の冷たさに意識が戻ってくる。……どうやら涙のようだ。
気が付くとそこは布団の中。目の前は、見慣れた自室の天井。
「……あれ? 夢、だったのかな」
夢にしては、やけに鮮明に記憶が残っている。それに、リリスの手のぬくもりも。
彼女に思い出させてもらった勇気も心にある。あれは夢なんかじゃなかった。
「……うん、もっともっと幸せになるよ、私」
グッと両手を握って気合を入れる。
幸せになり続けることが、彼女への本当のお礼になる気がしたから。
服を着替えてリビングに行くと、そこにはいつものように朝のストレッチをする"お父さん"と、朝食の準備をする"お母さん"の姿があった。
「おはよう、お父さん、お母さん!」
「「おはよう」」
いつも以上の元気を込めた俺の挨拶に、少し不思議そうな顔をしながら揃って笑顔で返す二人。
そんな彼らに、俺は負けじと満面の笑みで伝える――。
「あのね! 私、旅に出ることに決めた!」
俺がまた、新たな一歩を踏み出した瞬間だった。