15話 雨が降って、なんとやら?
「マジなんだろうな? あいつらが決闘してるっつーのは」
エマとルーサの二人が剣を交えはじめた少し後、エインズ城の廊下を早足で進む二人の姿があった。
「左様でございます殿下。なんでもルーサ様からの急な申し出があったそうで」
ジークは三歩後ろを歩く執事風の男性の言葉を聞き、大きく舌打ちをした。だが、彼の表情に怒りの色はなく、その口元もどこか緩んでいた。
「あいつぅ、俺様がめんどくせぇ仕事パッパと終わらせてから楽しみにしていた事を、この俺様より先にやりやがってぇ」
「……いくらエマ様の魔法が早く見たいからとはいえ、大切な執務の事を"面倒"と仰るのは少々見過ごせませぬなぁ」
「ナッハッハ! ……今のは聞かなかった事にしてくれ、頼む」
そのようなやり取りを続けているうちに、彼らはエマ達が決闘を繰り広げている中庭が見える場所までやって来ていた。ジークは手すりに肘をかけると、そのまま眼下の二人を楽しげに見つめ始める。
「てっきりお止めになるかと思っておりましたが」
「もう始めちまってるんだ、邪魔するのは無粋ってもんだろ」
「左様でございますか」
「……ニシシ。さぁて、エマがどれほどの力を持ってるのか、じっくり楽しませてもらうとすっか」
◇
「ま、魔法で回復ぅ!? そんな事まで出来るの!?」
「い、いや私もなんとなく出来るかなって思ったら、その……出来ちゃって」
「なっ」
「まさに"偶然の産物"ねぇ……。ンフフ、エマちゃん、やっぱりアナタ素敵だわぁ♡」
ルーサは目を丸くさせ、ステラさんはうっとりとした感じで、俺の豹変っぷりにそれぞれの反応を見せていた。俺自身もこんなに上手くいくとは思っていなかったので、心臓がドキドキしっぱなしだけど。
「とにかく、これでまだまだ戦えますよ、ルーサさん!」
「……プッ、アハハハハッ! ……エマ、アンタ最高ね! いいわ、ルーもまだまだ力を出し足りないの。力の限り、ぶつかって来なさいっ!」
「もちろんそのつもりです! でも、次はちょっと趣向を変えてっ!」
さっき成功した回復魔法の感覚を思い出して、今度は空気を身体全体で感じる。精霊が大地だけじゃなく空気中にもいるんだとしたら、こういう事も出来るかもっ。
「なに、風が急にっ……!」
「よし、上手くいったっ!」
自分の身体を中心に風を起こして、ルーサの素早い動きをけん制する。俺が魔法を使う事を察知して先制攻撃をしかけた彼女だったが、狙い通り簡単には近づけないようだった。
そして、駄目押しのつもりでさらに俺はルーサを押し返すように風の流れを操ったのだが。
「くっ……! よく考えたら決闘で魔法を使うだなんて、前代未聞のルール違反だけ、どっ!」
「えっ!?」
「そんな野暮な事言ってる場合じゃないわねっ! 今のエマとの戦い、凄く楽しいわっ!」
なんと彼女は向かってくる風を剣でなぎ払い、凄まじい勢いで攻めたててきた。おまけにこの状況を楽しんでいるとは、さすがは副団長さん。こっちにもその余裕を少しは分けてほしいっ!
「ほら、アンタのその風の鎧も消し去ってあげるっ」
「だ、だったら私はもっと強い風をっ……」
首元で光り輝くペンダントを握りしめ、より魔法へと意識を集中させる。そうすることで、周囲の風の勢いも強まっていったのだが――、
「えっ、な、い、いたたたたっ! な、なにっ!?」
「……もしかしてっ! だ、駄目よエマちゃんっ、力が強すぎるんだわっ」
ステラさんが叫び声をあげた。その言葉のおかげで、今自分の身に何が起こったのかを理解した。
いつの間にか、風は勢いよく舞い上がり俺の周りには竜巻が出来上がっていた。しかも、気付けば俺の身体はいくつもの裂傷を負っていた。どうやら鋭い風に切られたみたいだ。
慌てて制御しようとするが、痛みのせいで意識を集中させることすらままならない。竜巻は一向に収まる気配を見せなかった。
「まずいわ、このままじゃエマちゃんがっ!」
「分かってるっ! え、エマッ……くっ、なんて風なのっ……!」
ルーサが俺を止めようと近づいてくるが、暴風によって押し流されてしまう。勢いを防ごうと前に出していた腕には、俺と同じ傷が出来ていた。
「だめ、ですっ、ルーサさんっ。これ以上私に近づいたら貴方もっ」
「バカッ、何言ってんのっ。アンタをこのまま放っておけないでしょうがっ」
くそっ、なんとかならねぇのかっ……!
「ルーちゃん! これ、使ってっ」
だんだんと意識が遠のいてくるなか、ステラさんがルーサに大きな円盤のような盾を投げつけた姿が見えた。そうか、盾で風を防ぎながらなら安全に近づけ……ってあれ? なんかあの子の姿勢、盾を装備するって感じじゃないような……。
あっそうだ、思い出したぞ。たしかフリスビーを投げるときってあんな風に身体をひねっていた気が――――。
「ぅぐっ……!?」
「やった、狙い通り!」
「ちょ!? る、ルーちゃぁん!?」
ルーサが鋭く放った盾は竜巻を突き抜け、そのまま見事俺のお腹にクリティカルヒット!
不思議と痛みは感じなかったが、身体はもはや限界だったようで、そのままコテンと膝から崩れ落ちた。気付けばさっきまで唸りを上げていた竜巻もすっかり消え去っていた。
そっか、俺の気力が尽きれば魔法も消えるんだったなぁ……。
「お、おバカぁ! 投げつけて使えって意味で渡したんじゃないわよぉ!」
「……え? あっ、しまったついっ! え、エマ、大丈夫!?」
駆け寄ってくる二人の足音が聞こえてきたが、返事をする前に俺の意識はプツリと途絶えてしまった……。
「……おい、救護班の準備は」
「既に完了しております」
「よし、お前も様子を見に行ってやれ。俺様はちょっとやる事がある」
「はっ、畏まりました」
「……なんつー力だ、ありゃあ。クックック……。気に入ったぜぇ、エマ」
◇
「あいたたた……。結構しみるわねぇ」
傷にシャワーのお湯が当たらないように慎重に浴びていたルーサだったが、度々顔をしかめている様子を見るに避けきることは出来ないみたいだった。
俺が意識を失ってすぐ後、二人とも救護班に治療してもらったそうだ。幸いどちらも重傷と言えるほどでは無かったため、今はこうして戦いで汚れた身体を洗い流すついでに、湯治をしている。
なんでもこのエインズ城自慢のお風呂は、ケガの治りを早くする効能があるらしい。ステラさんも一緒に入りたがっていたが、急な呼び出しがあったそうでしぶしぶ去っていった。
「本当にごめんなさい……。私のせいでルーサさんまで」
「もういいって言ってるでしょ。それにエマの方こそ大丈夫なの? ……その、傷だけじゃなくてお腹とか」
「はい、体力を回復した時の応用で痛みを抑えるくらいは出来ないかなって思ったんですけど、上手くいったようで」
「ふーん、便利なものね、魔法って……」
盾を思いっきり食らった部分を見せて、平気だよとアピールする。だというのに、彼女は念入りにチェックをしているようだ。心配してくれるのはとっても嬉しいんだけど、さすがにお腹をジッと見つめられると、こっちとしては恥ずかしいものがある。
「あ、あの……?」
「え? ああいや、ごめん。なんでもないの」
「……やっぱりおっぱい大きくて羨ましいわね……。で、でもルーだってお姉ちゃんくらいに成長すれば負けないはずっ……」
視線を逸らしたかと思ったら、今度は何やらブツブツ独り言を言い始めた。しかしルーサって、改めて見ると華奢で綺麗な身体をしているなぁ……。
い、いかんいかん、あまり見過ぎるとドキドキしてしまう。
身体を洗い終え、二人同時に湯船につかる。ホッと息を吐くタイミングまで一緒だったので、なんだかつい二人で笑いあってしまった。いつの間にやら、俺とルーサの間にあったギクシャクは無くなったようだ。
それにしても、今日ほど激しく動いた日はないかもしれない。心地よい疲労感のおかげで、お風呂から上がったら即座に眠ってしまいそうだ。
……でも、どうしても気になることが一つ。あの竜巻……。あれは俺の魔法の力が暴走した結果なのだろうか。身体中に出来た傷を改めて眺めると、少し身震いがした。
「ねぇ」
ふと、隣に座るルーサの声が聞こえ、そちらに振り向く。彼女はこちらに顔を向けていたようで、ちょうど見つめあう形になってしまった。透き通った赤い瞳の奥まで見えるほどの距離間と、優しげに微笑んだ彼女の表情に、また心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「凄いわよね、アンタの魔法。体力の回復に、風の操作……正直驚いたわ」
「最近までは剣を出すくらいしか出来なかったんですけどね。ですから、私自身もビックリしています」
俺は手にすくったお湯を空中に浮かべてみせる。ただ、今日はもう本当に気力が限界のようで、ものの数秒でパシャッと落ちてしまった。えへへ……、と力のない笑いをする俺を、ルーサはなおも見つめ続けていた。
「……やっぱり、怖い? 力が暴走したことが」
……どうも、彼女には見抜かれてしまったようだ。
「さすがは副団長さん、ですね。……たしかに、怖くないと言ったら、嘘になります」
「…………」
一分か、それ以上か。
長い長い沈黙の後だった。
「うりゃっ」
「ふぁっ? な、なにふるんでふかぁ」
唐突に、ルーサが俺の頬を引っ張り始めたのだ。
「フンッ。アンタにそんな暗い表情は似合わないから、無理やり笑顔を作ってんのよ」
「る、ルーサさん……」
「いーい? よーく覚えておきなさい。アンタの魔法が次いつ暴走しようが、ルーがまた止めてあげるんだからっ」
「……え? わっ」
今度は急に手を離したかと思うと、そっぽを向いてしまった。
俺は、ヒリヒリと痛む頬を撫でながら彼女の今の言葉を反芻する。暴走しても、彼女が止めてくれる。さっきみたいに強引だけど、彼女なりの優しさで。
――『バカッ、何言ってんのっ。アンタをこのまま放っておけないでしょうがっ』。
傷を負ってまで、俺を救おうとしてくれたあの姿を思い出す。
「……ふふっ」
「な、なにがおかしいのよっ」
「あ、いえつい……。ふふふ……」
駄目だ、嬉しくってつい頬のゆるみが抑えきれない。しかし、ルーサはそんな俺を見て、馬鹿にされたのかと勘違いしてご立腹のようだ。
しょうがない、ちゃんと言葉にして伝えるか。
「そういえば、謝罪は何度かしましたが、お礼はまだしていませんでしたね」
「ハァ? お礼?」
「……先ほどは私の暴走を止めていただいてありがとうございました。次も頼りにしていますね、ルーちゃんっ!」
「んなっ!」
それからしばらく大浴場には、彼女の照れ隠しの叫び声と、俺の笑い声がこだましていた。
◇
あの後、ルーサは「恥ずかしいから、みんなの前では絶対にルーちゃんって呼ばないでよねっ!」という、付き合って間もない頃の彼女のような捨て台詞を吐いて、先に出ていってしまった。
そのまま一人でお湯に浸かっているのも妙に寂しかったので、俺も彼女を追うようにして出た後、例の朝寝ていた部屋に戻る。
そういえば今更だけどこの部屋って、元々誰かのものだったのだろうか。でも、家具と言えばベッドと、小さいテーブルにイスが二つしかないのを見るに、使用感は感じにくい。まさか、俺がこの先ずっとここで暮らすためにわざわざ用意したとか。
「んん……ふわぁ~~……」
なーんて、そんなわけはないよなぁ。というか、今はそんな事よりも眠気が……。大きなあくびをしながら外を眺めれば、綺麗な星が見えた。もうすっかり夜だ。フカフカのベッドを堪能しつつ、心地よい眠りにつくとしよう……。
「エマちゃん大変よぉ! ジーク様、本気でアナタをお嫁にするみたいだわぁ!」
俺はベッドから跳ね起きた。




