0話 プロローグ~女神に会ったらしてみたい10の事~
ここはとある病院の一画。
「終末期患者病棟」と書かれたそのスペース内の1つの病室は、昼間だというのにカーテンが閉められていて真っ暗な状態でした。
重苦しい雰囲気が漂うその病室には、一人の少年がベッドに横たわっていて。
少年は虚ろな瞳で、ただ天井を眺め……そしてまもなく来たる"最期"の時をジッと待っていたのでした。
◇
俺の名前は「榎本優真」。通っていれば高校1年生の16歳だ。
俺には昔から憧れている夢があった。
夢と言っても、大金持ちになりたいとかそんなんじゃない、もっと当たり前の事だ。
俺は自由に動きまわれる元気な身体が欲しかった。
朝起きてご飯を食べて、学校で勉強して友達と遊んで、休日には家族とどこかへ出かけて。
そんな何気ない日常を送ることが俺の夢だった。
でも、現実は残酷で。
俺の身体は生まれつき病気を抱えており、しかもそれは現代の医療では治癒する方法が無く。
さらに不幸なことに、その病気のせいで俺は常に外出すらままならない状態に置かれていた。
両親は必死になって俺が元気になる方法を探してくれたが、結局今日この日まで見つかることは無かった。
母は俺に会うたびに泣いていた。今日も泣いていた。俺はそんな母に掠れた声で「今までありがとう」と一言だけ言った。
──今日はそんな俺の儚い命が尽きる日。
母が去った後、誰も居なくなった静かな病室で俺は目を閉じる。
そしていつものようにひとり呟くのだった。
「もし、願いが叶うなら……」
◇
誰かに呼ばれたような気がして、ふと目を開け周りを確かめる。
よく考えたら目が開くのも不思議な気が……。
「まだ生きてる……のか?」
『いいえ。貴方は先ほどお亡くなりになりました。誠に残念ですが』
それは突然だった。
目の前……しかも寝てる俺の下半身のあたりから、見知らぬ女性がヌッと現れたのだ。
「おおっ!?」
『あっ……お、驚かせてしまって申し訳ありません。こうして亡くなった方の前に来るのは慣れてなくて……』
異様な事態に驚きつつ、俺の下半身から生えたままの女性……どちらかといえば女の子だろうか? をまじまじと見つめる。
美しさの中に、どこか幼さを感じる風貌。透き通った白い髪をした可愛らしいその女の子は、「よいしょっ」と一声あげスーッと浮き上がった。
「透けてるし浮いてる……」
彼女は俺の両足にちょこんと座る。あ、一応座れるんだ。
『こんにちは、私は女神です。この度亡くなった優真さんを迎えにきました』
「ははあ、女神……。」
なるほど女神なら目の前で浮いてもおかしくはない……のか?
「あ……そういえば俺ってやっぱり死んでたんだな」
『え? ええ、まあ……あ、あの、私が言うのもなんですが、やけに落ち着いてますね?』
「今日死ぬっていうのは分かってたし」
『あ、いや私が言いたいのはそっちではなくて……』
目の前の自称女神さんが不思議そうな顔で見てくる。
そういや、俺が死んだのは分かったとして、女神ってなんのこっちゃ。
改めて彼女の観察を再開すると、髪の毛は白いし、背中に白い羽付いてるし、着ている服でさえ白い……一言で言えば「幽霊みたいな」姿だった。羽ついてるし、むしろ「天使」の方がよっぽど説得力があった気もしないでもない。
まあ、なんだかんだいって彼女には一目惚れしてもおかしくないほどの美しさがあったのだが。
そういえば神様っていうのは、この世界や人間の創造主だと聞いたことがある。なら俺がこうして不自由な身体でこの世に生を受けたのも、そんな神様の仕業なのではなかろうか。
……目の前にいるきょとんとした表情の女神。可愛い顔した彼女も神様と同じ存在なんだとしたら……あれ? そう考えるとなんかムカついてきたな?
『あの……もしもーし、優真さひゃあ!?』
沈黙が気になったのか、話しかけてきた彼女を遮るように、そのか細い両肩を掴む。
『ちょ、どうしたんですか急にっていうか顔が怖いですよ! なんでそんな顔で私を見るんですかってあのあの聞こえてますよね!? なんで無視するんですかっ』
後になって考えれば、女神だの神様だの現実離れした状況ですることではなかった気がするが……この時の俺はすっかり冷静さを失っていた。
「アンタ神様ならなんで俺の人生こんなにヒッドイ設定にしたんじゃあああ!!」
『ひええええええ!?』
◇
彼女が用意したのか、俺は今あたり一面真っ白な空間に座っている。さっきから白ばっかりで落ち着かない。
一方で、真っ白な彼女は真っ赤な顔をしてたいそうお怒りであった。
『ですからぁ、優真さんの人生を決めたのは私じゃないんです! 私なんも悪くないですよ!』
「すいませんすいません、なにぶん人と接する機会が少なかったせいで考えるより先に俺の身体がですね」
『ほんとにもう! ……初めてですよ、初対面であんな失礼な事を叫んだ方は。びっくりして思わず帰っちゃうところだったんですからね』
しばらくプンプンしていた彼女だったが、ひたすら平謝りをするしかない俺を見て、大きなため息をついた。
『ハァ~~……。まあ、もういいです……優真さんが叫びたくなる気持ちは分からなくもないですし』
「……ありがとう。それと、本当にごめん」
本当はもっと怒りたいだろうに、こちらを気遣ってくれている彼女についつい嬉しさを覚える。
『ふふっ、もういいですってば。……それに、そろそろ本題を話さなければいけませんしね』
「本題っていうと……たしか俺を迎えに来たとかなんとか」
『そうです。正確には優真さんを次の人生へ送り届けるために来たんです』
……次の人生?
『ええ、私たち女神は、優真さんのように……言い方はよろしくありませんが、不幸な人生を送り、そして亡くなられた方々を、せめて次の人生では幸せに生きていただくためのサポートを行っているんです』
「……つまり、簡単に言えば死んだ俺を幸せな人生に転生してくれると」
『あはは、理解が早いですね。そのとおりです』
現実離れした話ではあるが、目の前に女神がいて、実際に会話をしている現状で疑問を持つのがむしろおかしい気がする。
それになんというか、ありがたい話だ。次の人生の幸福が確約されているなんて、今まで辛い人生を生き延びた俺にとってはこれ以上ない事だった。
……辛い人生、と言うと両親にはどこか申し訳ない気もするが。
そんな俺の胸中を知ってか知らずか、彼女はテキパキと話を先に進める。
『それで早速なんですが、優真さんが次の人生をどのように歩みたいのかを決めておく必要があるので、いくつか受け答えしていただきたいのです』
「ん? 幸せになるってことに決め事なんてあるの?」
『もちろんです。幸せと言っても感じ方は人それぞれですから』
「……そこまでやってくれるの? 良心的過ぎない?」
『良心的だなんてとんでもない。優真さんのような方は幸せになってしかるべきなんです』
な、なんて優しい女神さんなんだ! 誰だこんな良い子に向かって失礼な事を叫んだ奴は!
「俺、女神さんの事好きかも」
『す、好き!? も、もう、駄目ですよ。いくら異性との関わりが少なかったからって急にそんなことを言うのは』
「やっぱ嫌いだ!」
『さっきから酷くありません!?』
そりゃあ確かに看護士さん以外の女の子とこんなにも会話したのは初めてだけど!?
だからって同情しつつ人の心にナイフを刺してくる子のほうがよっぽど酷いと思う!
◇
『もう始めますよ! いいですね!』
「はい、すいません……お願いします……」
またもやプリプリと怒る彼女になす術もなく返事をする。怒ってる顔も可愛いなんて言うと本当に帰っちゃいそうなので黙るが吉。
『え-、コホン……榎本優真さん。享年16歳。男性。病気のためほとんど学校に通うことも出来ず学歴はなし。親しい友人もなし。というか人付き合い自体両親以外ほぼなし』
ペラペラと資料をめくりつつ俺の来歴を語る彼女。
聞けば聞くほど悲惨だなぁ俺の人生……というか、後半俺の心を抉るためにわざと言ったように聞こえるのは気のせいじゃないはず。
『外出不可なので趣味は必然的にインドアなものに。中でもアニメ、ゲーム、インターネット……いわゆるオタクですね』
「うむ、エリートオタクだぞ俺は。なにせほぼ毎日だからな! 身体がしんどい時はろくに出来なかったけど!」
『なんでそうも明るく胸を張って言えるんですか……』
「ははは、こうでも考えてないと直ぐに人生辞めたくなるからな。まあもう死んでるんだけど」
『……』
笑いを誘ったつもりだったが……ちょっと失敗。
『あー、えっと……!? な、なんですかこれ……』
「??」
無表情から一転、頬を染めながらこちらをチラチラと窺う彼女。何が起こったのかは検討が付かないので、静観していたのだが、そんな察しの悪い俺を見て彼女はどこか諦めるような目線を送る。
『あーあー……うわ、えぇ……』
「なんかめっちゃ引いてるんですけど!? ちょっと待って何を見たの!? 声に出してごらんなさい!」
『せ、セクハラですよ!?』
「セクハラになるような内容なの!? 気になるからそいつを見せろおおお!!」
◇
『……というわけで優真さん。大体決まりました、貴方の転生後の人生設定』
「あんなことがあった後じゃとてつもなく不安なんですけど……」
どうやら彼女が見ていたのは俺が以前やっていたSNSの呟きらしい。自分の黒歴史を曝け出された気分。
『だ、大丈夫です!今からやる最後の大きな設定調整でなんとでもなります』
「何卒良い方向にお願いします!」
『ど、土下座までされちゃうと責任重大ですが……任せてください。きっと優真さんが次こそ良き人生を送ることが出来るようにしてみせます』
そう言って彼女はまた別の資料を取り出し始めた。
『では最後に……次の人生をスタートさせる世界観と優真さん自身の設定を選んでください』
「世界観? 俺自身?」
『はい。世界観と言うのは、今のこの現代世界だったり、優真さんのお好きなファンタジー世界でもなんでも選択可能です。優真さんの設定と言うのは大ざっぱに言うと出自のことです』
『男性か女性か、はたまた性別不明な者か。ファンタジー世界が希望でしたら勇者や魔王になってみたり、こちらも自由です』
……しれっと自分の嗜好がバレてることを明かされたが、一旦置いておこう。
「俺は自由に遊びまわれる元気な身体があって、明るく楽しい人生が過ごせるならなんでもいいんだが……そこまで選択肢が多すぎると悩むな……」
『ゲームのように、こちらでランダム生成することも可能ですよ?』
「それはそれでどうなの?」
とは言ったものの、ランダム生成。考えようによっては悪くないんじゃないだろうか。彼女が言うには前提として必ず「幸せな人生」があるわけだから、下手なことにはならないはず。
それに、細かいことまで自分で決めちゃうのもなんだか味気ない気もする。せっかく転生するんだからには、未知の世界を楽しみたいじゃないか。
「いや……そうだな、うん。全部ランダムで行こう!」
世界観だろうがなんだろうがランダムでいい。俺は"女神"さんを信じることにした。
『えっ、ぜ、全部ですか?』
「おう、どうせ俺は今の人生よりうんと幸せになれるんだろ? だったらどんな世界、どんな出自だって大歓迎だ」
『……本当に、いいんですか?』
「ああ」
『……分かりました。それでは全てランダム生成で設定完了としますね』
「よろしく頼む」
自信たっぷりに答える俺に、彼女も納得してくれたようだった。
◇
『ではこれで全過程が終了しましたので、いよいよ今から優真さんの転生の準備を始めますね』
そう言って彼女はフワリと浮いて両手を天に掲げる──と同時に俺の身体の周りが光り始める。
いよいよ俺は生まれ変わるのか…。
そう思うと先ほどまでの余裕はどこへやら、緊張で身体が震えてくる。
そんな俺の心を読み取ったのか、彼女が優しく微笑みかけてくれる。
『安心してください。何度も言うように、優真さんは必ず私が幸せにしてあげます』
「ああ、女神さんの笑顔を見ていたらなんだかそんな気がしてきたよ」
『……えへへ、そうですか。そう言って頂けるのは嬉しいですね』
「……なぁ、女神さん。最後に名前を教えてくれないか」
『私の名前……ですか? そんなもの聞いてどうするんですか?』
「いやその……俺にとって第二の人生のスタートは女神さんとの出会いからなんだ。だったら名前を聞いておかなくちゃ後味が悪いだろ?」
ちょっと恥ずかしいことを言った気もするが、俺の本心だった。でも、理由はそれだけじゃない。こんなに楽しく誰かと会話したのも初めてで。俺の思い出の1ページ目には、女神さんの名前を書き記しておきたかった。
『……優真さんは本当に変わった方ですね』
「16年間ずっと寝たきり人生だぜ? そりゃ変な奴になっちまうよ。なんてな」
また冗談を言ってみた俺だが、今度は彼女も笑って答えてくれた。
『……リリスです。私の名前はリリス』
「リリス……か。可愛い名前だな。君にピッタリだ」
『ふふ、ありがとうございます。……優真さんこそ、名前の通り優しくて真っすぐな、素敵な方ですよ? ちょっとばかり、思ったことをすぐ口にしちゃう悪いところもありますけど』
「上げて落とすのはやめてくれ……それにもう反省もしてるから」
俺の言葉にリリスはクスクスと笑いながら、俺の手を両の掌でギュッと包んでくれる。
……くそう。なんだかリリスには一生勝てる気がしないな。
『さあ! 優真さん、これから新たな人生が始まります! 貴方の未来に、祝福があらんことを!』
「うおおっ?」
彼女の一声と同時に俺の身体が浮き始め、天高く光るゲートのようなところへと向かっていく。
リリスは宙に浮く俺の手をギリギリまで握り続けてくれたが、いよいよ手が離れてしまう。
そうだ、もう1つ大事なことを忘れていた!
既に彼女とは随分距離が離れてしまったため、大声で呼びかける。
「リリス! そういや俺の今の記憶はどうなる!?」
『優真さんの今の記憶は保持したまま転生させます! 本当は忘れさせなきゃダメなんですけど、私から優真さんへの最初のプレゼントです!』
──ありがとう、リリス。
聞こえたかは分からないが、俺は精一杯の感謝を込めて叫んだ。
あぁ、よかった。
おかげで、リリスの名前を忘れずに済むな────。
眩い光が俺を包みこんだ頃には、すっかり意識は無く。
こうして俺は新たな人生を、不思議で可愛い女神様との思い出と共に歩み始めたのだった。