第十五話 元勇者は発言の許可を求める件について(仮)
大ホールの中は思っていたよりもさらに大きなところであった。入り口から舞台に向かって下がっていくスタイルのもので、舞台を中心に半円形となっていて大学などで使われる大教室を想像できる。ホール自体は一階席だけではなく二階席も準備されており、基本的に保護者は二階席に座ることになっているようだった。
まだ、適正検査が行われていないためクラス分けがなされていないので、基本的には座席は自由。
しかし、入学生が座ることになっている中央の三列の座席、(後ろと左と右には上級学年が座ることになっている)の一番前の列だけは札が置かれていて座る人間が決まっているようだった。
「とりあえず。適当に座るか」
俺とシャルは二列目の中央付近に座った。そこにぽかりと二つ座席が空いていたからだ。
前には誰も座っていない。つまり俺の前の席に何か特別な人間が座ることになるわけだ。
―まあ、多分貴族の中でも高級貴族の連中なんだろうな。
「ねえ、ヒカル!」
「何だ?」
「わくわくするわね!」
俺は冷ややかな視線を右隣に座るシャルに向けた。
シャルはこの大ホールに入ってからも人目を引いていた。今では彼女の右に座る男子、さらにその右に座っている男子のさらにさらにさらに右に座っている女子にいたるまで、みながシャルのことを、一人は大胆に、一人は控えめにといった具合で気にしているようだった。
まあ、元魔王様はこういう庶民的、いや人間的なことが物珍しいこともあって興奮されているようだが、俺はもうほんと、何事もないことを祈るばかりであった。
それから、少しして、大ホールの座席はほとんど埋まり、空席がちらほらとしか見えなくなる。
この聖騎士を養成する学園、聖錬学園はもちろん王都の中でも一流のエリート学園だ。つまり、学園の入隊式の注目度が高い。そのため、大ホールには学園関係者以外の人間もかなりの人数が来ていた。
そして、その人たちの座席ももちろん用意されており、空いている席はその席と、俺の前にある一列目くらいとなっていた。
―高級貴族様は重役出勤ってことですかね。
隣にいるシャルは相変わらず。期待に目を輝かせている。
三列目まで入学生が入っているため、後ろの人間たちはシャルのことをどこの貴族だろう? などと退屈な時間を無意味な推理にふけって消費していた。
俺は眠気と戦いながら、入隊式の時間になるまでボーっとして、時間を潰していると、後5分ほどという合図の鐘が鳴る。
それにより、場の空気が少し変わった。
その理由は簡単である。一列目に座る高級貴族が入ってきたのだ。
俺は少し不思議に思った。
いくら高級貴族といえども、これが毎年恒例ならば上級生にもその連中はいるはず。
しかし、この場には今入ってきた連中に対して畏敬の念というか畏怖を感じている者ばかりだ。今年から高級貴族が入隊したわけではないだろうに。
俺は再度回りを見渡した。
学園の全員が入っていてもおかしくはない人数がこの場に収まっている。
いや……そうか。
そこで単純なことに気が付いた。田舎暮らしのせいで、いやおかげで貴族の考えがトレースできていなかったようだ。
そもそも、高級貴族が自分とは関係がない入隊式に出席するわけがないか。
つまり、この場で最も立場が上なのは、この一列目に座るやつら、単純に考えると一番学園で立場が低いはずの新入生というわけだ。上級生、さらに他の人間までもが彼らに対して粗相がないようにと気を使っている。奇妙な図式だ。
まあ、俺には関係がないか。と思ってふと自分の前に座ろうとしている人物を見る。
その人物は車椅子で来ていたため周りの執事なのか部下なのかが、その人物を支えて座席に座らせようとしているところであった。
俺はその人物を見ておもわず目を見開く。
痛々しいほどに体中に包帯を巻いている男。顔にだけは幸い傷がなかったのか、顔や頭には何も巻いていなかったので、誰なのかしっかり識別できた。
―あのときの?!
そう、昨日。王都に着いてから急いでいた俺たち、いや正確にはシャルがぶつかったことにより、絡んできて、不幸にも全身の大事な骨を折られてしまった人物が目の前にいた。
あれだけの攻撃を受けても一日でここまで回復できるとは、流石高級貴族、いい医者を持っているらしい。それとも、意外にも頑丈だったのかもしれない。
俺は思わず下を向いて顔を隠した。そして、横目でシャルを見た。こいつも何か気が付いたに違いないと思ったからだ。
「わあ、痛そう。何があったのかしら……」
―えええええええ! お前のせいやん!!
シャルの顔にはまったく相手に対しての気付きがなかった。むしろ、純粋に相手の怪我を心配しているようだ。
駄目だ。こいつ。こういうタイプが世界を悪くするんだ。こういう、自覚のないやつが一番厄介なんだ。ああ、そういえば元魔王だったっけか、納得。
俺はシャルが相手を見るのを止めたかったが、何分、俺は後ろの席で、シャルはその隣だ。
ここで俺がこそこそと動いても話しかけても目に映ってしまうだろう。
俺はただただ、心の中で気が付かれないようにと祈るばかりだった。
神様、お願い。もう俺に試練を与えないで!
「では、入隊式が終わる頃にまた来ます」
車椅子の男を座席に座らせた男の一人がそう言い、壇上の横にあるドアから去っていた。
ふう。なんとか凌いだな。相手はもうこちらを向く機会はない。
俺は安心して、腰を深くして椅子に座りなおした。
横ではシャルがまだ、その包帯だらけの男に「かわいそうに」とつぶやくように言っていた。
―うん。全部君がやったことだよ。
一列目の全員が座席に座ってから、辺りが暗くなり始めた。そして壇上にある演台がライトに照らされる。
「本日はみなさん。入隊おめでとう」
その声とともにその演台に一人の人間が立つ。
「みなさん。おはよう」
そこにたった人物は、無精ひげに長い髪を後ろで束ねている。少し色黒で若々しいイメージだ。
これがうわさの学長か。
壇上に立った人物は、この学園を束ねている人物で、この国で三人しかいない英雄の称号を持っている人物である。俺は、この学園に入隊することが決まってから、一応学園のことを少し調べていたので知っていた。
英雄の称号を持っているからといっても英雄ほどの力を持っているわけではない。
称号というのは、将来、そうなるかもしれない人間に授けられるもので、それを持っていることでの優遇処置はものすごいものがある。それはつまり、力ある者が邪魔をされないための印籠的意味があるわけだ。
ちなみに、俺は前の世界で初めから、賢者の称号を得ていたので、最終的に賢者になったわけだから、称号の意味は大きいのだろう。
確か学長の年齢は五十台だったはずだが、見た感じ三十台といっても大丈夫な感じであった。
学長であるシルバー・グレゴリは、大ホールをぐるりと一周見た。そして、微笑んだ。
「ここには今、将来聖騎士となるべく集まった人間がいるわけだが、みんなどうして聖騎士になりたい? そこの君答えてみてくれ」
シルバー学園長は、急に一人の生徒を指名した。
その人物は一列目にいる生徒で、シャルの目の前に座っている。
「はい。私は聖騎士となって、この国を魔物から守護したいと考えています」
流石に高級貴族といえども、学長には礼儀を守るらしい。当てられた生徒はきびきびとした発声で返答した。
「ふむ。それをしたことによって何になるんだね?」
「え?」
「君が魔物からこの国を守ったとして何になるんだ?」
「えっと……、この国の平穏が守られます」
「本当にかね?」
シルバー学長の急な攻めに、当てられた生徒は意味がわからないという困惑した表情となっていた。
「まあ、いい。では、その後ろの君は、どうして聖騎士となりたいのかね?」
そう言われてシャルが指名される。
「はい! 私はこの世界を救う勇者になりたくてこの学園に入った友人の付き添いで入隊しました!」
―ん?
あれー? なんか、シャルの言葉からものすごい危険信号をキャッチしたんだけど、俺の気のせいかなあ?
会場はシャルの言葉を聞いて、笑いに包まれた。
「ほう」
だが、その中でシルバー学長の返答の声が少し跳ね上がった気がした。
「その勇者を目指している友人というのは、誰なんだい?」
「はい! それは――」
―まずい!
俺は容赦なくそのとき、シャルの足先を誰にもわからないように、強く踏みつけた。
シャルの顔が一瞬ゆがむ。そして言葉が詰まった。
「それは?」
シルバー学園長が再度尋ねてくる。
―このままではまずいことになる!
俺は高速で頭を回転させる。
そして、いくつかのシミュレーションが行われた。
まず一つは、このままシャルに任せることだ。だが、そうなれば確実にまずいことになる。
次にこのまま足をつぶす勢いで、足先を踏みつけ続ける。そうすればシャルは痛みでまともに話すことはできないだろう。
それなら、学長も途中で聞くのをあきらめるかもしれない。
しかし、それではこの微妙な雰囲気が続くことになるし、シャルからなんらかの反撃があるかもしれない。それでは駄目だ。それに相手は元魔王といえども一応女の子、少しくらい慈悲の心がないわけではない。
じゃあ、いっそのこと、地面に魔力を流し込んで軽い地震でも起こすか? それなら、この話題自体が吹き飛ぶことになるだろう。
いや、それも駄目だな。
相手は英雄の称号を持っている人物、この世界の英雄称号持ちがどれほどの力なのかわからないが、万が一俺の行動がばれたときはまずい。となると、そのほかに照明を落とすなどのこともできるだけやらないほうがいいだろう。
―残された選択肢は一つだけか。
「学長!」
拙い策だが、仕方ない。
俺はその場で手をびしっと上げた。こうなれば一か八かだ。
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