ドーナツを食べる生活
「ドーナツを作れるかな?」
タケルは目の前にいる老人に質問した。彼はシャルル・キュイジニエ、六〇歳。タケルによって奴隷ゾンビとなった者だ。
あれから七日間、奴隷ゾンビは七〇人に増えた。その内子供は七人になっている。
毎日兵士の馬車がやってきては人を捨てる。兵士は毎日顔触れが変わっており、その度にタケルは奴隷ゾンビに変えてやったのだ。
捨てられた人間はここに来るまでに亡くなっているものが多かった。ろくに手当もされずに放置されたので馬車の中で死んでいるのも珍しくない。
子供の死亡率も高く、前期の七名も瀕死の状態であった。奴隷ゾンビに医者がいたおかげでなんとかなったくらいである。
子供たちはひときわ大きい家に住ませている。そして医者と料理人も同居していた。この町で唯一の人間なので気を遣っているのである。
「ドーナツとはどんな食べ物でしょうか?」
シャルルが訊ねた。最初は髭を生やした老人だったが、綺麗にそり落としている。すっきりとした顔立ちになっていた。
「小麦粉で作られたお菓子だよ。丸い輪になっているんだ。油で揚げて砂糖でまぶすんだよ」
タケルに説明されて考え込むシャルル。彼は六〇になるまでは貴族の家で厨房を預かっていた。お菓子なども作れる。
「難しいですね。油はともかく、小麦粉や砂糖は簡単には手に入りません。小麦は都か農村に行かないと無理ですし、砂糖はさらに高級品で貴族しか手に入りませんね」
「なるほど。では代用品とかできないかな。小麦粉の代わりになるものはないだろうか」
「そうですね。代用品なら何とか作れるかもしれません。特に小麦が不作の時期もありましたから、そういうのは得意です。ですがなぜドーナツという食べ物にこだわるのですか?」
シャルルは疑問を口にした。タケルは基本的に何でも食べる。そして子供たちの食生活に人一倍気にかけていた。食べ物に対して注文をしたのはこれが初めてである。
「ぼくはね、元の世界ではドーナツが好きだったんだ。母親が作ってくれた手作りのドーナツだけを食
べていた。実のところお金がないから手作りをすることで安く上げていたんだけどね」
タケルの過去の話にシャルルは真顔になった。
「ドーナツしか食べていなかったけど、店で買ったものよりもおいしいと思っていた。生きている実感を味わっていたんだ。子供たちにもその楽しさを味わってもらいたい。これはぼくのわがままなんだ。でもどうしてもやりたいことなんです。ですからお願いします」
タケルは頭を下げそうになったが、止めた。シャルルは承諾する。
これは奴隷ゾンビとしての命令ではなく、心からタケルの役に立ちたいという忠誠心であった。
「わかりました。ですが私はドーナツというものをよく知りません。できればどのような材料が必要か教えていただきたいのです」
こうしてタケルはシャルルにドーナツのレシピを教えたのであった。
☆
「ドーナツですか。楽しみですね」
タケルのそばにアムールが一緒に歩いていた。
町は徐々に出来上がっていた。タケルの家はもちろんのこと、子供たちの住む家も立派な造りになっている。
そして下水道の設置も進んでおり、井戸の掘削もすぐに終わった。
テチュの腕もよいが、人を使うのもうまかった。あれほどの実力があるのに病気になったら捨てる家族が理解できないと思う。
「うん。この世界で初めて食べるドーナツが楽しみだな。子供たちにもぜひ食べてもらいたいんだ」
タケルは嬉しそうに言った。アムールは奴隷ゾンビなので食欲はわかない。だがタケルの喜びは自分の喜びでもあるのだ。
「それにしてもここに捨てられる人たちはすごい人が多いね。いろんな職人がいて、それぞれがすごい腕を持っているのだもの。それなのに年寄りだから、病人だからといって捨てるのはどうかと思うな」
これだけは納得できないものだった。テチュもそうだが、シャルルにオネットなどもすごい人なのだ。それなのに理不尽な理由で捨てるなど正気ではない。
「それは仕方ないと思います。法律で決まっているのです。貴族以外は特別扱いされません。もう何百年も法律を変えていないとサージュ様がおっしゃっておりました」
法律か。王族や貴族にとって都合のいいものしか作らず、庶民は使い捨てにする。よく人材が逃げ出さないと思ったが、逃げ出さないように入国を規制しているそうだ。サージュが教えてくれたのである。
タケルの町はまだまだ発展途上だ。毎日十名ほど人口が増えている。いずれ都は異変に気付くかもしれない。だがまだまだだろう。その日が来るまで自分は力を蓄えねばならない。
魔王サタナスに言われた世界の絶望を浄化するのは、時間がかかる。焦らずゆっくりやるべきだと思った。無理をすれば悪いことが起きる。一歩ずつ進まなくてはならない。
タケルたちが歩いていると、目の前に三人組の男がおしゃべりをしていた。
大きな声で人の陰口を楽しそうに話していた。正直聴いていて気分が悪い。
「おかしいですね。あの人たちはなんで働かないのでしょうか?」
アムールがそっと耳打ちする。奴隷ゾンビになったのになぜ彼らはさぼっているのだろうか。命令をしていないからではない。奴隷ゾンビはタケルのためなら自主的に行動することは確認されている。
彼らはタケルのために働きたくないのだろうか。タケルは首を傾げた。
その内タケルは目の前の男に見覚えがあった。それは最初にゴミ山で奴隷ゾンビにした男である。自分にいつまで奴隷になるのかと訊ねていたなと思い出した。
フェアネン・イディオといって五〇歳の男だ。底意地の悪そうな男でいつも不機嫌そうな表情を浮かべている。
フェアネンはタケルに気づくと、ぎろりとにらみつけた。主に対して向ける目ではない。完璧に敵意のこもった眼であった。
そこへテチュがやってきた。
「お前ら! ここで何をさぼっている。さっさと仕事に戻れ!!」
フェアネンは舌打ちするとぺっと唾を地面に吐き捨てた。上司に対しても態度が悪すぎる。
「うるせぇよ。俺はあんたの部下じゃない。あんたに命令される筋合いはないんだよ」
「なっ、お前らもそうなのか?」
テチュは憤怒の顔になると、他の二人も睨みつけた。こちらはサボっていたことに罪悪感があったのか、テチュに視線を合わせずうつむくだけである。
「当たり前だろ。なんであんたに命令されなきゃならないんだよ。偉そうにしやがって。みんなあんたのことを嫌っているのが理解できないのかねぇ? やっぱり学校にも行けなかった奴は教養がなくていけねえや。ひゃはは……」
あまりの暴言にタケルはかっとなった。
「フェアネン!!」
名前を呼ばれてフェアネンは起立の状態になった。
「あなたはこれからテチュの指示通りに動いてください。それからさぼることや陰口は禁止です。他の二人も同じですよ。早く仕事に戻りなさい」
フェアネンと二名はそのまま起立状態になった。まったく口を動かすことができない。そしてタケルを思いっきりにらみつけていた。
「タケル様ありがとうございます。お前らはこれから川辺の近くの下水道の掘削工事だ。そこで作業員の手伝いをしていろ。終わったら読書なりゲームなり息抜きをして構わない。さっさと行け」
テチュに命じられるとフェアネンたちは駆け足で川辺に向かった。
タケルが指導者を指名すれば、本人でなくても命令を訊くのである。これでサージュや他の人にも頼んでいた。人が増えればどんどん効率も悪くなる。早くきちんとした伝達システムを組む必要があった。
「申し訳ありません。タケル様。あのような者がいるとは思いもよりませんでした」
テチュは深々と頭を下げた。別に彼の責任ではないが、謝罪をせずにはいられないのだ。
「あの人……」
アモールがつぶやいた。
「あたしフェアネンさんを見たことがあります。街に買い物に行く途中で見かけました。酒場で大きな声を張り上げて人の悪口ばかり言う人でしたね」
彼女は表情を曇らせる。誰だって人の悪口を大声で言う人に好意を持てない。
「ああ、あいつは前に俺の仕事を手伝っていた。だが仕事はそつなくこなせるんだが、愚痴ばかり多い男でな、それに自分より弱い奴を難癖付けていじめるのが大好きなんだ。そんなやつを現場に置くのは嫌だから出入り禁止にしたんだが、他所で俺の悪評をばらまきやがったのさ」
テチュは忌々しそうに言った。そのせいでテチュの仕事は激減し、病気にかかってしまったそうだ。そして自分の意志で家を出た。家族に迷惑をかけたくなかったからである。
テチュは捨てられたのではなく、自ら出て行ったことにタケルは安心した。彼は家族に捨てられたわけではないからだ。
「その後、実弟から金を借りては酒を飲み、女を抱く毎日だったらしい。大方病気になったのをいいことに家族に捨てられたのだろうな」
まさに因果応報である。世の中で尊属殺人が絶えないのは、憎しみが他人よりも積り重なるからだ。家族だからこそ毎日顔を合わせる。そして憎しみといら立ちが溜まり爆発してしまうのだ。
第三者ではつまらない理由かもしれないが、当事者にとっては殺意を抱いてもおかしくないのである。
「それにしてもタケル様。大丈夫でしょうか」
アムールが心配そうな顔になる。
「あの人の表情。とても怖かった。タケル様を心底憎み切っている……、そんな風に感じ取れました」
「俺も同じ意見だ。もちろんあいつらはあなたの悪口など言わない。奴隷ゾンビは主の悪口を言えないんだ。その不満が火山のように爆発する。そんな気がしてなりませんな」
テチュも賛同した。そもそもいきなり奴隷ゾンビにされて喜ぶ人間がおかしいのだ。例え病気が治ったとしても一生奴隷だと言われれば誰だって不満を抱く。
サージュは自分の欲望のために、奴隷ゾンビの仕組みを利用している。
そしてアムールにテチュは救われた命をタケルのためにささげる覚悟があった。
だが、それ以外は? タケルに憎しみを抱く人間は他にもいるだろう。陰口を叩けない状況にそれらは満足できるだろうか。
瞋恚の炎が一気に燃え上がり、この町を焼き尽くす。
タケルはそんな未来を予測せずにはいられなかった。
奴隷ゾンビの危うさを書きました。
アムールより、サージュやテチュの方がキャラが立ち始めている。
作者の手から離れていくのは面白いものです。