ブレグイソーゾ・ウルソ
熊の形をした風船に見えるブレグイソーゾ・ウルソはぷかぷかを空を漂っていた。
まるで気球の様に風任せでゆったりと動いているのだ。
都の人間たちはそれを見て、なんだなんだと空を見上げている。
そして自分たちの真上に来ると、急に眼が死んでいく。
まるで蝋人形のように動かなくなったのだ。
影に入らなかった者は心配そうに声をかけるが、反応はない。
そうこうしているうちにブレグイソーゾ・ウルソが移動した。そして通行人の足元を見てぎょっとなる。
影が紙袋に空気を入れたように膨らみだしたのだ。
影は人の様に立ち上がると、同じく影が抜けた別の人間に乗り移った。
するとそいつの身体は光り始めた。光り終わるとそこには豚の頭の怪物が生まれたのである。
怪物はごろごろ転がりながらオドロキ腰を抜かした人間を喰らい始めたのである。
別の場所では二本足の馬が火を噴き、家族を家ごと焼き払ってしまった。
ある場所では逆立ちした狐が尻尾を回転させて空を飛び、人ののど元を噛みちぎっていたという。
確かに最強の怪物であった。怪物を大量に生み出す悪夢のような力を持っているのだから。
「なんてことだ。怪物がどんどん生まれていくぞ!!」
タケルは怪物たちを切り裂く。身体の大部分が入れ替わり、体力は湧き水の如くあふれ出てくる。
タケルたちは怪物たちを倒しながら進んだ。人がブレグイソーゾ・ウルソの影に入ると魂が抜かれる。その後魂は空っぽの身体を求めるのだ。
それは奴隷ゾンビでも構わないようである。
奴隷ゾンビだった者はタケルが魂晶石を呼び出し埋めていく。怪物たちは元に戻っていった。
アムールの槍、アグリの弓、ノブレスの剣術、そしてコンフィアンスの魔法が炸裂する。
ピュールは後ろで紙袋に入ったドーナツを食べていた。相変わらずぶれないというか空気が読めないにもほどがある。
「ですがブレグイソーゾ・ウルソは厄介ですよ」
「確かに。攻撃が通じないのはきついな」
「それ以上に私たちはあいつを倒せないんです」
コンフィアンスの言葉に一同は目を向ける。いったい彼女は何を言い出すのだろうか。
「仮に倒す方法があっても倒せません。倒したら魂晶石が砕けるからです。
あのどす黒い魂晶石が砕けたら間違いなくサタナス様は消滅してしまうでしょう」
トキこと、天草四郎から抜き取った魂晶石はどす黒かった。サージュ・サージュよりも吐き気のする邪悪なものを感じたのだ。
ただでさえ怪物が増え、魂晶石が砕けてしまう。そうなればサタナスは死に、この世界は消滅してしまうだろう。
ならば魂晶石を戻すしかないのではないか。これはコンフィアンスが否定する。
「魂晶石を戻しても無駄です。人間に戻しても死んだら無意味です。やはり世界は消滅します」
そもそも抜魂術は穢れた魂を浄化するためにあるのだ。もしどす黒い魂の持ち主が死ねば、死後に魂は霧散するだろう。そうなれば同じことだ。
さすがにトキは百年の月日を生きていたわけではなかった。この日のために彼は生き延びてきたのだ。
例え二代目抜魂術師が来なくてもアンサンセをブレグイソーゾ・ウルソに変えればいいのだ。まったくうまいやり方にタケルは舌を巻いた。
「その二点を踏まえて、タケル様には第三の道があります。それは奴をこの世界から追い出せばいいのです」
コンフィアンスが自信ありげに答えた。タケルは思わず聞き返す。
「追い出すって?」
「ブレグイソーゾ・ウルソを別の異世界に送ります。そして動きを止めるのです。その後は魂が浄化されるのを待てばいいだけなのです」
「コンフィアンス。何簡単そうに言ってるんだよ。異世界に送るなんてむちゃもいいとこだろ?」
アグリが突っ込んだ。確かにコンフィアンスの言い分はめちゃくちゃだ。だが彼女は理知的な人間だ。根拠なく言うはずがない。
「タケル様なら異世界に通じる穴を探り当てられます。だってタケル様の身体は魂晶石でできているのですから」
タケルははっとなった。確かにタケルはこの世の人間ではない。今のタケルなら異世界の入り口を探り当てられるはずだ。
それに初代抜魂術師は自分のいた世界からラスプーチンやフラメルといった人物を連れてきているのだ。タケルもやりようによってはできないこともないのである。
タケルは目を見張る。そこには異世界から流れる空気を感じた。タケルは空気の帯を追いかける。ブレグイソーゾ・ウルソと軌道が一緒のところを狙っていた。
都の中で広い公園にたどり着いた。タケルは駆け足でブレグイソーゾ・ウルソの前に立つ。
「ブレグイソーゾ・ウルソはどんな攻撃も通じない。どう倒せばいいのかが問題ではないんだ。どうしてどんな攻撃も通じないのかを考えるべきだったんだ!!」
タケルは叡智のコック帽を呼び出し剣を構える。そしてブレグイソーゾ・ウルソの影を中央の部分から丸く切り裂く。
すると影から顔が飛び出した。きしゃーと奇声をあげている。はんぱんのお化けに見えた。
ブレグイソーゾ・ウルソの本体は逆だったのだ。
見える部分が影であり、その下が本体だったのである。
タケルはブレグイソーゾ・ウルソの影を掴む。そして異世界の裂け目に飛び込んだ。
そこは魔界であった。サタナスがいる。彼女はソフトクリームを舐めていた。
「おや? タケルではないか。儀式なしで来るとはすごいものだな」
サタナスは素直に感心していた。
「サタナスさん。ニブルヘルムの入り口はどこにあるの!?」
「? あっちだが」
サタナスは右手である洞を指した。タケルはそこにブレグイソーゾ・ウルソの影を放り投げた。絶叫だけが耳に残る。
「なんなのだ?」
残されたサタナスはきょとんとしていた。
☆
ニブルヘルム。氷漬けの世界だ。地面も壁もすべて氷でできている。空は常に鉛色で冷たい風が吹き荒れていた。
地面や壁の中には大勢の人間が閉じ込められていた。家畜なども一緒である。全員神々の黄昏で命を落とした者たちだ。
人間のほかにも神がいる。オーディンやトール、巨人であったロキや世界蛇のヨルムンガンド、巨大な狼フェンリルがいた。
そこで動いているのはただ一人。ニブルヘルムの女王ヘルであった。ロキの娘で、ヨルムンガンド、フェンリルの姉でもある。彼女はオーディンの命令で黄泉の世界の女王を務めていた。
ヘルはペットの犬、ガルムを引き連れ散歩をしていた。ただしアフリカゾウ並みの大きさだが。真っ白な毛に包まれた白い魔犬である。
「ああ、退屈ね。今度サタナスを誘ってボードゲームでも楽しみましょうか。ついでにペルセポネとイザナミも誘ってやろうかしら」
ヘルはガルムの顎を撫でる。巨象のような犬はヘルの右手を噛みちぎった。血は出ていない。まるで案山子のように千切れたのだ。
「あらあら。だめよガルム。私の腕はおいしくないのよ」
そういってガルムから右手を取り上げ、元に戻す。そして鼻をなでなでしてあげる。
ガルムは子犬の様にしゅんとなった。主人には弱いようである。
その時絶叫が聴こえてきた。それはブレグイソーゾ・ウルソの影である。
はんぺんほどの大きさで、鬼のような形相を浮かべていた。ヘルに向かって噛みつこうとする。
だがヘルは噛みつく瞬間、右手を差し出す。一瞬で氷漬けになった。
こちんと地面に落ちる。
「あらまあ、なんてどす黒い方なのでしょうか。異世界の人みたいですが、こちらに来た以上ここで安らかに過ごしてくださいな」
ブレグイソーゾ・ウルソこと、益田四郎時貞はニブルヘルムの住人と化した。
彼が解放される日は、魂晶石が真っ白になる日までである。
次回で最終回です。




