オネット・エペイスト三世
「いひひ、ひひひひひ」
男が剣を握っている。だらりと剣を地面に向けていた。剣士というより、ごろつきといえる。
歳は二十を超えていないようだが、ぼさぼさの赤毛に無精ひげを生やしていた。着ているものは元は上質な服だったがぼろぼろである。おそらくは着古したものであろう。
「おまえかぁ、おまえがタケルなのかぁ?」
男がきいていた。まるで酔っぱらいの口調である。目はややうつろであった。
「ぼくはタケルだけど、あなたは誰でしょうか。名前も名乗らず挨拶をするのはすごい失礼ですよ」
「うーーーるせぇ!!」
タケルの問いを男が絶叫で遮った。自分の思い通りにならないことにかんしゃくを起こす子供のようだ。
「俺様はなぁ、かの剣豪、オネット・エペイストの孫なのだぞ!! そう、俺は偉いんだ。ものすごく偉いんだよ!!」
オネットの孫を名乗る男は威張り散らす。確かにオネットは偉かっただろう。ノブレスの剣術指南役だったのだから。だが孫が祖父と同じ地位であるとは限らない。虎の威を借りる狐といったところだ。
オネットの孫は先ほどから無意味に剣を振るう。酒に酔っているように見えた。だが顔は赤くなっていない。おそらく気が触れてしまったのだ。
「オネット様の孫ですか。ああ、あなたはオネット・エペイスト三世さんですね」
コンフィアンスが代わりに答えた。どこか見下したような口調である。だが彼女の気持ちは理解できた。目の前の男は尊敬するに値するとは思えないからだ。
「てめぇぇぇ!! 俺様をそんな名前で呼ぶんじゃねぇ!! 俺様は三世なんかじゃねぇ。オネットの孫だ。偉大なるオネット・エペイストの孫なんだよ!!」
オネット三世は叫び散らす。名前を否定しておきながら、自身はオネットの孫だと言う。かなり矛盾している。本人はそのことにまったく気づいていない。
もうこの男の脳裏に世界はまともに映っていない。タケルとしてはテレビの画像が壊れ、音声は混声している状況なのだ。普通ならスイッチを切り、テレビ自体を捨ててしまえばいいが、人間の脳はそうはならないのだ。
「オネット・エペイスト三世は没落貴族です。祖父は追放され、父親、名前はオネット・エペイスト・ジュニアですが彼はは息子を置いてエストカープ帝国に亡命しました。残った彼は酒と女に財産を食いつぶしていたのです」
コンフィアンスが説明する。
「ジュニアが亡命したのはエペイスト家の剣術を世界に広めたかったようです。ですがムナール王国がそれを許さなかった。父親は許したそうですけどね。息子と一緒に新天地に連れて行こうとしたのですが、反発され、渋々帝国へ亡命したのです。その後帝国軍の剣術指南役として地位を得たそうですよ」
おそらくオネットは息子が夢のために新天地に旅立つことを認めたのだろう。だが孫はそれを嫌がった。だから祖父は孫を今まで守っていたのだ。だが後ろ盾がなくなり、孫は赤貧洗うがごとしとなったのだろう。
「黙れ黙れ、だまーーーれぃ!!」
三世が叫んだ。人違いをされてキレている。
「糞おやじのことなど口に出すな!! あいつは偉大なるムナール王国を捨て、帝国の犬となり下がったんだ!! そのせいで俺様は裏切り者の息子としていじめられ、石を投げつけられたんだ!! 俺様は許さない。親父も、エストカープも貴様もな!!」
父親と帝国を憎むのはまだわかるが、なぜタケルを憎むようになったのか。それが理解できない。
「今のムナールを変えた張本人だからだ!! てめぇのせいで虫けら共が幸せになっちまったんだ!! あいつらは地べたに這いつくばり、ゴミを漁って生きてりゃいいんだ!! なのにてめぇのせいでまともな生活を送るようになっちまった。むかつく、むかつく、むかつくんだよぉぉぉぉぉ!!」
口から泡が噴き出ている。白目を剥き錯乱していた。もうこの男はこの世のものではない。自身の中にいるもう一人の人格が乗っ取ろうとたくらんでいるかもしれぬ。
タケルはオネットの剣を取り出すと構えた。三世の構えは祖父の教えがみじんもない。奴隷ゾンビにするにしても視線が定まっていないので無理だ。おそらく耳もろくに聴こえていないに違いない。
☆
タケルは家を出た。広い庭に出た。三世も追ってくる。家の中で暴れられるのは困るからだ。
三世は先ほどから剣を振り回している。でたらめにもほどがあった。まるで馬鹿に刃物を持たせるなだ。
「いひひひひ。俺様の剣術、偉大なる剣術、素晴らしい剣術。剣術、剣術、剣術……」
同じことを何度もつぶやいている。剣術という響きに酔っており、その本質など理解していない。偉大なのは祖父であるが、本人は素晴らしくもなんともないのだ。
「いひーーー!!」
三世が剣を振るった。タケルはそれをさばく。
カキンカキンと金属の鳴る音が響く。
火花が飛び散り、目がちかちかする。
タケルは焦った。相手の筋がめちゃくちゃだからだ。
この手の場合、相手の腕が良ければ動きは読める。
だがこいつの場合、子供がチャンバラで遊ぶがごとく振るっているのだ。
下手すればタケルが致命傷を負ってもおかしくはない。
これはさっさと行動を起こすべきだ。こいつは先読みなどできやしない。
三世が無意味に剣を天に差し出すと、タケルは右わき腹を切り裂いた。
三世はげーっと血を吐き出す。泡と混じり、見栄えが悪くなる。
それでも三世は倒れない。げらげら笑いながら、タケルを追っていた。
本当に酒を飲み、薬でも決めているのだろうか。とても健常な人間ではない。
タケルは背筋が凍る思いがした。
偉大なる祖父を持つ孫の哀れな顛末に憐憫の情が沸いたのである。
いや有能な祖父を持つゆえの転落であろうか。祖父の名前に縛られた男の末路であった。
しかしオネット・エペイスト・ジュニアは父親の鎖を振りほどき、新天地に向かった。そして帝国軍の剣術指南役の地位を手に入れたのである。
ようは三世は努力をしなかったのだ。努力をせず、努力するものをあざ笑う。
自分は努力をしたくない。他人が自分を理解する努力をしろと要求しているのだ。
「あなたはオネット・エペイスト三世だ。その名前は一生離れはしない!!」
タケルは剣を手放すと、三世の顔面に拳を殴りつけた。
鼻の骨が折れ、前歯が折れた。そして大の字に倒れたのである。
☆
三世は気絶していた。タケルは息切れを起こしている。すぐに奴隷ゾンビにはできない。そこへアムールたちがやってきた。心配そうである。
「大丈夫ですかタケル様。ケガはございませんか?」
「本当に心配したよ。あいつの剣筋めちゃくちゃすぎるもんな。近所のおっちゃんが酒を飲んで暴れるのと同じだよ」
タケルは大丈夫だと答えた。ほっとする二人。だがコンフィアンスは別の件で考え込んでいた。
「なぜこの人はここに来たのでしょう? どうしてタケルさんの自宅を知ったのでしょうか?」
「そりゃあぼくが都の法律を変えたからさ。実際はノブレスとティミッド王がやったことだけど」
「ですがそれはほとんど口外されておりません。人の口には戸が立てられないといいますが、あまりに早すぎます。そもそもタケル様を狙う意味がないのです」
コンフィアンスの答えにタケルは首をかしげる。
「オネット・エペイスト三世殿は剣術に興味がなく、祖父の名前を利用して女を口説く人種です。それは祖父が追放されても同じでしたね。父親は亡命しましたが、祖父の名前に庇護されていていました。そんな人がなぜ祖父の名前を嫌悪するのかわかりません」
コンフィアンスの言う通りであった。剣術とは縁が遠い彼女でも知っているくらいだ。三世はそういう人種なのだ。
「実は私も噂で聞いていました。オネット様の名声を利用して酒場の支払いを渋ったり、女性の口説き文句に使っていたということです」
アムールも同意する。要するにこの男はクズなのだ。祖父の名誉を利用し踏みにじる寄生虫なのである。それ故にこの男がタケルに復讐しに来たのは理解できなかった。
「まったく役に立ちませんね」
いつの間にか一人の男が入り込んでいた。タケルたちは全く気付かなかったのだ。それは幽霊のようにふらっと現れたように見える。ボサボサの髪に髭をもじゃもじゃと生やしていた。
「まあ、期待はしていませんでしたがね。もっともこれから役立ってもらいますが」
男は剣を取り出す。そして三世の眼を切り裂いた。傷口から血が迸り、絶叫が響く。
そして心臓に剣を一突き。口からけふけふと血を噴き出した後絶命した。
あっという間の出来事であった。アムールは叫び、アグリとコンフィアンスは敵意を込めた目で相手を見ていた。
「貴様ぁ!! なぜ、なんで殺したぁ!!」
タケルが怒鳴った。あまりの凶行にタケルの堪忍袋の緒が切れたのだ。
「役立ってもらうためですよ。どうせこの男は死んでもらう予定でした。奴隷ゾンビに変えたところで役立つとは思えませんね」
男はあくまで冷静である。
「それはそうとご無沙汰しております。大和タケルさん」
男は挨拶した。なぜ自分の名前を知っているのだろうか。
「ああ、私のことは覚えておりませんか。当然ですね。あなたは私を殺したことになってますから」
それを聞いたとき、タケルの背筋に悪寒が走る。それはこの世にいるはずのない男だったからだ。
「グレゴリー……」
タケルは声を絞り出す。アグリも驚いた。それは彼女の住むノール村で私設兵士たちの隊長を務めていた男だからだ。
「なんでお前が生きている。奴隷ゾンビにもならなかったのに」
「その理由は私を奴隷ゾンビにすればいいのではないですか?」
グレゴリーは悠々と答える。あまりに余裕な態度にタケルはいらっときた。
「ぼくの奴隷になれ!!」
タケルは右手を突き出し、叫ぶ。だが何も起きない。いったいなぜだろう。
「奴隷ゾンビにはなりませんよ。なぜなら私の魂はすでに抜き取られているのですからね」
衝撃的な事実にタケルは驚愕した。グレゴリーは冷静に改めて挨拶する。
「改めて名乗らせてもらいます。グレゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンと申します」




