アヴァリエント・ハポーザ
タケルとノブレスはムナール王国の城に来た。それは石造りの城であった。
遠目で見ればそこそこ立派に見えるが、間近で見れば所々崩れているのがわかる。
堀の水は干上がっており、役に立たない。兵士たちは見張りを放棄し、カードゲームで遊ぶか、酒を飲んで寝ているかのどちらかだった。
タケルはそれらを片っ端から奴隷ゾンビに変える。そして命令して真面目に働かせていた。出会い頭から速攻でだ。
城で働く者はみんな痩せこけていた。さらに目はどぶの様に黒く濁っており、生気がない。タケルによって奴隷ゾンビに変えられた方が生き生きしているくらいだ。
普通なら王には会えない。都合が悪いと言って時間を延ばし、何日も過ごす羽目になる。無論会えないからといって帰宅することはできない。不敬罪になるからだ。
本来ならノブレスを何日も待たせる。食事も風呂も出さず不潔な彼女を王の前に引きずり出し、物笑いのためにするためだ。少しでも逆らえば首をはねればいい。だがノブレスはそのことを織り込み済みである。
家臣たちを奴隷ゾンビに変え、上司をタケルたちの元に呼び寄せる。それの繰り返しだ。
宰相まで呼び寄せればこっちのものである。物の数刻も経たずに王家の重臣たちは奴隷ゾンビに変わった。アンサンセとの謁見はすぐに果たされることになったのである。
「ぐぐー。ノブレフゥ《ノブレス》。なんでお前がここにいるでぶー」
王の間では玉座にアンサンセが座っていた。タケルは最初豚が座っているかと目を疑った。だがそれは人間である。彼は骨付き肉にむしゃぶりつきながら不機嫌になっていた。
床には食べ残しの骨が散らばっている。あまりの肥満に息切れを起こし、豚のように鼻息が荒くなっていた。
「ご無沙汰しております。兄上。元気そうで何よりです」
ノブレスが恭しく頭を下げた。だがアンサンセの怒りは収まらない。
彼は隣にいる宰相、奴隷ゾンビになった者に骨を投げつけた。まるで子供である。
「ぶふー。きしゃまー、ノブレフはひと月はまたしぇろ《またせろ》といったでぶー。ああ、むかむかするでぶー」
アンサンセは足をバタバタふるわせている。
「それは存じておりますが……」
宰相は言葉に詰まった。王の命令には絶対なのだが、タケルの命令には絶対服従なのだ。アンサンセは自分の意見を無視され怒り狂っていた。
「むかちゅくー、むかちゅくじょー! お前なんか死刑でぶー。ぶぶー!!」
アンサンセがベルを鳴らすと、王の間に兵士が二人が入ってきた。巨漢で両手で斧を手にしている。二人は処刑人なのだ。
アンサンセはない顎でしゃくると宰相を捕らえる。そして首をはねるよう命じた。
斧が振り下ろされ、首が飛ぶ。だが宰相は死ななかった。血すら流れない。処刑人は異常事態に驚き、宰相の身体を自由にした。
宰相は自分の首を拾い、元に戻して一言つぶやく。
「ああ、死ぬかと思った」
それを見たアンサンセは混乱していた。死刑を執行させたのに死ななかったのだ。だが次に出た言葉は信じがたい物であった。
「ぶぶー! なんで死なないでぶー! ぼくちゃんの命令をむひ《むし》するなんてゆるせないでぶー!! ぶぶー、ぶぶー、ぶぶぶーーー!!」
アンサンセの表情に血管が浮き出る。怒りで顔が真っ赤だ。
王座から降り立つと、ひょこひょこと歩き出す。ぜぇぜぇと息切れを起こすもまっすぐノブレスたちの前にやってきた。
「ぶぶー! アウトクラシアしゃまーーー!! ぼくちゃんにちゅから《ちから》をーーー!!」
するとアンサンセは服を脱ぎだした。もろ肌を出すがまるで贅肉の塊である。心臓には五方星の刺青が施されていた。
そこから王の間の周りから黒い影が浮かび上がる。それは人の影が風船のように膨らみ、霧のように漂っていた。
それらがアンサンセの心臓部分へ一斉に吸い込まれていったのだ。タケルは掃除機でビニール袋が吸い込まれる、そんな印象を受けた。
アンサンセの身体は光る。そして光が収まるとそこには異形の怪物が目の前にいた。
☆
それは狐であった。銀色の毛に子牛ほどの大きさである。尻尾の数は九本あった。
狐は突如逆立ちを始めた。そして尻尾をヘリコプターのローダーの如く回転させる。王の間に空飛ぶ狐が出現したのだ。
「アヴァリエント・ハポーザ……」
ノブレスがつぶやいた。
「魔王サタナスが使役する怪物の一柱だ。強欲を意味する怪物で、空から獲物を喰らうと言う」
アヴァリエント・ハポーザは急降下して処刑人ふたりを喰らいついた。
生きながらかみ砕かれ、泣き叫ぶ処刑人たち。歯で噛み切られた首がぽとりと落ちる。宰相は腰を抜かした。失禁してしまう。
タケルは宰相を逃がした。そして右手に念じて剣を取り出す。オネットの剣だ。次に叡智のコック帽をかぶる。相手の弱点を探るためだ。
「タケルよ。ああなってはどうにもならない。一思いにやってくれ」
ノブレスは絞るような声で叫ぶ。血肉を分けた兄を殺してくれと頼んだのだ。タケルも彼女の悲痛な叫びに気づいた。
アヴァリエント・ハポーザは王の間を旋回していた。何があったと騎士や家臣たちが入ってくる。全員奴隷ゾンビというわけではない。タケルが逃げろと命じても引き下がらない者も多かった。
空飛ぶ狐はそんな彼らを喰らうのだ。まるで鴉のように獲物を喰らう。ぼりぼりと骨が砕ける音が鳴る。タケルの剣もノブレスの剣もまったく届かない。
「……タケルよ。奴隷ゾンビは死なないのだな?」
ノブレスが訊ねた。タケルは肯定する。先ほどの宰相も首をはねられたのに関わらず死ななかった。
「死にません。高所から墜落しても、体を潰されても再生します。ですが時間はかかります」
「なるほどな」
ノブレスは狐を観測する。先ほどから奴隷ゾンビ以外の人間を喰らっていた。奴隷ゾンビははなから無視している。
アヴァリエント・ハポーザは普通の人間を狙い、急降下してきた。ノブレスはそれを庇い喰われてしまう。
タケルは叫んだ。狐は正面に向かうとにやりと笑う。空飛ぶ狐は一方的な暴力で人間を蹂躙して楽しんでいた。タケルは怒りで血が沸騰しかける。
だが狐は苦しみだした。額に剣が突き出る。そこからノブレスが飛び出した。彼女は片手に剣を握り、血まみれの裸体を晒している。そしてすたっと着地した。血のついた剣を振るう。
彼女は奴隷ゾンビだ。身体をかみ砕かれても再生する。ノブレスはそれを利用したのだ。
「ふぅ、喰われると言うのはこういうことなのだな」
ノブレスは平然としていた。血まみれの銀髪をさらっとかきあげる。その姿は地獄の血の池で沐浴する女悪魔に見えた。
アヴァリエント・ハポーザの身体は沈み、横たわった。そしてその身は消える。残ったのは奴隷ゾンビ以外の死体だけが残った。
☆
タケルとノブレスは地下牢からティミッドを救い出した。痩せこけており、死にかけていたが、タケルによって奴隷ゾンビに変えられた。すっかり健康を取り戻し、王座に座る。
「わが娘よ。そして抜魂術師殿よ。我を救っていただきありがとうございます」
ティミッドは娘だけでなく平民? のタケルにも頭を下げた。本来王族は庶民など気にかけないものだ。それも王直々に謝礼をするなどありえない。
アンサンセのことはすでに話してある。そしてティミッドの眼から涙が流れた。自分の子供たちが血肉の争いで沈んでいったことに心を痛めていたのだ。
「アンサンセはイシュタール共和国を信奉していた。イシュタールの技術でムナールを再生すると意気込んでいたのだ。それなのにアンサンセは変わってしまった。まるで別人になってしまったのだよ」
それとは別にタケルは気になったことがあった。アンサンセは奴隷ゾンビでないのに、怪物に変化したのだ。
今までは奴隷ゾンビになったものが怪物になっていた。この差はなんだろう。
「この手の話は難しく考える必要はない。なぜ奴隷ゾンビでないものが怪物になったのかではなく、怪物になるのは奴隷ゾンビだけなのかと吟味することですな」
ティミッドが助け舟を出した。彼は臆病な王で有名だった。ムナールの誇りより、豊かさを求めていたのだ。そのため国民の評判は最悪である。怠け者で暇人の若者たちが百年前の戦争など経験したことがないくせに、国王を非難するのだ。
ティミッドの言葉にノブレスはひらめいた。
「もしかすると兄上は最初から奴隷ゾンビにされていたのかもしれないな」
それを聞いたタケルははっとなった。自分はアンサンセを奴隷ゾンビにしていない。しているとするとどういうことだろうか。
「単純に初代抜魂術師の仕業ではないかね」
ティミッドが言った。確かにこの世界にはもう一人抜魂術師がいた。だが百年も前の話だ。本人が生きているとは思えない。それに自分はサタナスから召喚されたのだ。もし抜魂術師が生きているのなら自分は何のために呼ばれたのか。
「それは当然だろう。普通の人間は百年も生きてはいられないからな。サタナス様にしてみれば当然至極の行為だろう」
亀の甲より年の劫。若い頃はとかく複雑に考えたがるものだ。ティミッドは王として百戦錬磨の兵である。アンサンセも彼を助言者としていたら名君になっていたかもしれない。ノブレスはそう思うと悲しくなった。
「ムナール王家はサタナスを信仰していた。だが兄上はアンジォ教団に鞍替えしている。消去法で考えて初代はアンジォ教団とかかわりのある者として間違いないだろう」
ノブレスは震える声で涙をぬぐう。今は未来を見ることが大事だ。過去は後で悔やみ、年老いた頃に縁側で日向ぼっこしながら語ればいい。
王位はティミッドが再び就くことにした。ノブレスにはある程度自由にできるよう触れまわす。タケルも王のお墨付きをもらい、貴族と謁見できる権利をもらった。
法律は軽い物から少し変えていく。いきなり変えると混乱するし、暗殺の危険性(奴隷ゾンビになったから心配はないが)があるからだ。
初代ローマ皇帝のユリウス・カエサルも急激に変革を求めたため、暗殺された。後継者である甥のアウグストゥスはそれを教訓に法律と権利を少しずつ変え、皇帝になったのである。
タケルは皇帝になるわけではない。国の再生だ。だが初代抜魂術師が関わっているとわかった以上、なんとかせねばなるまい。タケルはそう思った。




