イラ・カヴァーロ
「今どういう状態なんだ!?」
タケルは早馬でやってきた。アムールとアグリも一緒に来ている。
タケルたちは村のはずれにいた。兵士の話では怪物をこちらに連れてきているはずなのだ。前回フェアネンがグルタオン・ポルコという怪物に変化した反省もあり、兆候のある者は人のいない場所へ連行することになっている。
ある日主であるタケルの悪口を言い出すものが怪しい。奴隷ゾンビは主の悪口を言えない。忠告などはできるが罵詈雑言は口に出せないのだ。
「あちらです」
そこには巨大な馬が二頭いた。アフリカゾウほどの大きさで、赤い毛並みで二本足で立っている。前足の蹄を先ほどから叩いていた。
『かっぽこかっぽこ、へいへいへい!!
ぽこぽこぽこぽこへいへいへい!!』
そして炎を吐き出した。奴隷ゾンビの兵士たちは焼かれていく。肉の焼ける臭いと鼻にべっとりとつく飛散した脂肪が気持ち悪い。
「イラ・カヴァーロぢゃ!!」
貧相な老人が叫んだ。
名前は確かアポー・ファナティックという老人だった。八〇歳でここ数年寝たきりだった。奴隷ゾンビになった途端あたりを走り回ったのが印象的だった。
「魔王サタナスの配下で、憤怒の炎を噴き出す馬ぢゃ!」
アポーが叫ぶのを無視してタケルはイラ・カヴァーロに斬りかかった。
だが足を上げられ躱される、そして再び足を踏みつけた。
地面がどしんと揺れる。タケルは姿勢を崩しかけた。
もう一頭が走ってきて、タケルにけりを入れる。
だが体を沈めて回避した。髪の毛が少し削られた。
ごろごろと前転して回避する。二足足の馬は蟻を踏みつぶす子供の様にタケルを狙っていた。
タケルは懸命によけ続ける。その度に足を斬りつけるが、なかなか致命傷にはならない。
その内一頭が大きく息を吸い込んだ。そして一気に炎を噴き出す。
炎は野原を焼き尽くし、焦げる臭いと熱気に包まれた。
陽炎が浮かび上がり、視界が歪む。
もう一頭も炎を吐いた。今度はタケルが剣を向け、切り裂く。
炎は真っ二つに割れ、道ができた。
さあ行くぞと駆けだすが、体全体に強い衝撃が走る。
別の一頭により蹴り飛ばされたのだ。タケルは荷馬車の車輪に衝突してはじけ飛ぶカマキリであった。
草むらに落下するタケル。頭が鐘を鳴らされたように響く。胃の中が熱湯を飲まされたように熱くなる。骨が軋む音が強風に煽られた木の様に聞こえた。
タケルの視界が暗くなる。自分自身は不死身ではない。普通の人間だ。
本当は兵士たちを利用すれば楽に勝てたはずだ。グルタオン・ポルコのときは突発だったが、それを反省し、兵力に力を注いでいた。
タケルが適当に指揮しておけばこんな目にはならなかった。
本当は死にたかった。母親がいなくなり、天涯孤独の身になった。このまま誰にも相手にされず死んでいく。それが怖かった。
この世界デポトワールに召喚されて、魔王サタナスに無理難題を押し付けられても平気だった。
奴隷ゾンビを作って思い通りになる世界に興味はなかった。
自分と同じ境遇である子供たちを救いたかったのだ。
だがそれも終わりだ。
自分は死ぬ。そのイメージが具体的に思い浮かんだ。
タケルは大の字になって倒れた。息が苦しい。もう終わるのか。
突如タケルの周りに日影ができた。イラ・カヴァーロが足で踏みつけようとしていたのだ。
もう動けない。終わりだ。もう終わり。
アムールやアグリには悪いことをしたと思う。抜魂術師が死んだら奴隷ゾンビはどうなるのか。それだけが気がかりだった。
☆
『かぽー!!』
怒りの馬が悲鳴を上げる。それは目に矢が刺さったからだ。
目から血が迸る。言葉にならない悲鳴であった。
やったのはアグリだ。彼女は弓を持っている。怒りで目つきが鋭くなっていた。
「タケル起きろ!! あんたはここで眠ってんじゃない、起きてこいつらをぶっ殺せよ!!」
あんまりな無茶ぶりであった。その間に矢を放つ。馬の怪物たちはちくちくと責められ怒り狂っていた。
その怒りをアグリに向けようとしている。
だがどうすればいい? 今の自分には何もできない。何をすればいいのだ。
『私の力を与えましょう』
頭の中に声が響く。そして剣が光った。それに連れられ体も光る。傷が治りだした。
「オネット……」
オネットの剣が自分を癒したのだ。なんとなく剣の輝きが鈍ったように見える。剣の師匠は不詳の弟子のために己が魂を分け与えたのだ。
体が軽くなった。タンツボにこびりついたタンを流水で洗い流した爽快感である。
さてどうしようか。このままではイラ・カヴァーロに勝てない。せめて弱点がわかればよいのだが。
馬のさばき方など習ってないからわからない。
「いや、シャルルの知識ならあるいは……」
タケルは叡智のコック帽を召喚した。被ると一目で馬どもの弱点が開示される。
「イヤァァァァァァ!!」
タケルは馬の右足に剣を突き刺す。そして力を込め、刃をひねった。一気に上方へ切り上げる。
それに連れられ、イラ・カヴァーロの体は裂けた。
『かっぽーれ!!』
仲間を殺されて頭に血が上ったのか、鼻息を荒くしながらタケルに突進する。
好都合だ。イラ・カヴァーロは炎を吐く。
タケルはまっすぐに飛び込んだ。剣で炎を切り裂く。
剣の切っ先はイラ・カヴァーロの口の中へ突き刺した。
『かぽーーーん!!』
口の反対側に何か飛び出した。タケルである口に穴を開けられ、イラ・カヴァーロは絶命した。
巨体は野原に倒れこんだ。どしんと地面が揺れる。そして炎が舞い上がり、その身は消え失せていた。
☆
「イラ・カヴァーロになったのはプルミエとスゴンでした」
戦闘が終わった後、兵士が答えた。プルミエとスゴン。最初アグリを追い回していた兵士だったはずだ。なぜあの二人が怪物になったのだろうか。
なんでも突如タケルの悪口を言い始めたそうだ。これを見た兵士の一人がタケルへ報告しに行くことを決めた。タケルの書いた仕様書を読んだからだ。
「天使ぢゃ! あいつらは天使に憑かれたのぢゃ!!」
アポーが叫ぶ。タケルは否定した。怪物に変化したのにどうして天使を連想するのか理解できない。
するとアポーが真顔になって答えた。
「天使は魂の抜けた身体に憑りつくのぢゃ。そしてそいつの魂の代用になる。ところが本人の魂ではないから無理が生じる。その結果体内で反発してしまうのぢゃ」
「でもどうして怪物になるのさ。天使憑きならもうちょっと白い翼が生えた印象があるんだけど」
アグリが疑問をぶつける。
「天使だからぢゃ。魂を抜かれたものは魔界への入り口につながっておる。それ故に天使を殺そうと怪物に変化するのぢゃ。汚れた魂を取り込み、自ら浄化させるためにな」
タケルは驚いた。魂が抜けた物は魔界につながるとはどういうことだろうか。
「なぜあなたはそれを知っているのですか」
「わしの祖父母はアンジォ教会の信者だからぢゃ。聞いた話によれば天使は我らを見守っている。そして抜け殻の人間に憑りつくとされておるのぢゃ。当時はまだ奴隷ゾンビがいたからのう。苦痛や欲求から解放されても幸せとはいえん。だから天使に憑りつかれたがる人が多かったそうぢゃ。アンジォ体操はその一環ぢゃよ」
アンジォ体操!! あの奇天烈な体操にそんな重要な意味があったのか。
そういえば兵士たちはアンジォ体操をしていた。それ故にプルミエとスゴンは怪物に変化してしまったのだろうか。
「そういえばサージュ様がおっしゃってました。フェアネンさんも熱心なアンジォ教の信者で、体操を毎日欠かさなかったとか」
そういうことだったのか。謎が解けた。
だがアンジォ体操を続けた奴隷ゾンビは多い。誰がどのきっかけで怪物に変化するかわかったものではないのだ。どうすればいいのだろう。
それをアポーが答えた。
「はっきりいえばまだましなほうぢゃ。なぜならあんたはきちんとした命令を下しておる。先代は碌な命令をしておらず、ただ奴隷ゾンビを増やしていたとのことぢゃ。食糧難だから子供以外はみんな奴隷ゾンビに変えられたという。わしが十歳のときは怪物が暴れて村が崩壊するなど日常茶飯事ぢゃった。それにくらべれば被害は少ないと思うぞ」
確かに被害は少ないかもしれない。だが奴隷ゾンビにしたせいで怪物になるとは夢にも思わなかった。サタナスはその点についてはまったく言ってない。どうしてだろうか。
「そもそもサタナスは五百年前にムナール王家が作り上げた宗教ぢゃからのう。当時は天使憑きなど経典にはなかったわ。百年前に初めて加えられたそうぢゃ」
アポーがさりげなく答えた。作られた宗教とはどういうことだ? それをアムールが補足する。
「これは有名な話ですよ。まだ国として機能していない時代、ムナール王家がサタナスという宗教をでっち上げたそうです。魔王信仰にしたのは悪魔を崇拝することで自分たちに凶事を呼び込まないためだとのことです。都なら結構知られてますよ」
「あたいは知らなかったな。そもそも勉強より仕事の手伝いが優先的だったからね」
アグリは知らなかったようだ。
そういえば最初サージュは魔王サタナスの話を聞いたときその存在を疑っていた。だが百年前に抜魂術師がいたのだ。なんで懐疑的だったのか。
「サージュ様は自分で見た物しか信じない人です。アポーさんのように奴隷ゾンビを見た人ならともかく、サージュ様の世代だと奴隷ゾンビはいなかったから疑っていたのです」
アムールの説明になるほどと納得する。自分で実際に見た物しか信じないわけだ。
そして自身に起きたことは現実として受け入れていた。それがサージュの強さなのだ。
「今回の件はサージュ様と相談した方がいいですね」
もちろんだ。
そして今回の戦いで魂晶石から道具になった者はその魂を分けてもらえることが判明した。これからの戦いに役立つだろう。
タケルは胸に誓った。




