女神の声
「これはすごいものだな」
タケルは感心した。彼はコック帽をかぶっている。これはシャルルの魂晶石から出来たものだった。
タケルは今保育園の厨房に来ている。そこでみんなが用意した食材を前に子供たちに料理を作っていたのだ。
ノール村から運び込まれた小麦粉にバター、チーズに卵はもちろんのこと、森から取ってきた山菜やキノコも積まれていた。それと魔物の肉もある。
ちなみに森の恵みはタケルが手に入れた物だ。タケルは植物に詳しくない。だがコック帽をかぶっているとそれが食べられるものかわかるのだ。
目の前に淡い光を放つ文字が浮かぶ。食材の名前と特徴が書かれているのだ。
そしてタケルが料理を作る。タケルは異世界に来る前は主に料理を作っていた。病弱な母親にはインスタント食品など食べさせられない。それ以上にお金がないのだ。
タケルはハンバーグとオムライスを作った。タケルの頭の中には自分が作りたいもののレシピが浮かんでいる。それに従い、調理していくのだ。
何が必要なのか、足りないものは何を代用すればいいのか、瞬時で理解できた。
そしてタケルは子供たちの食事を作ることができたのだ。
「まるで魔法のコック帽だな。それさえあればどんな料理もできるのか」
アグリは調理の手伝いをしつつ、感心していた。
「いいえ。魔法ではありません。これは叡智のコック帽です」
アムールが否定する。
「シャルル様の食材の知識と調理法、そしてタケル様が知る異世界の料理。経験があってこそ完成したのです。たぶんタケル様が食べたことのないものは再現されないと思いますが」
アムールの言う通りであった。フカヒレとか高級料理などは再現できない。タケルが食べたことはないからだ。
目の前にある食材を見れば、タケルが食べた物を再現できるかわかる。
あくまで補助にすぎないのだ。
ちなみにタケルが書いたレシピは奴隷ゾンビなら読める。試しにアムールが天ぷらを揚げてみたがうまくいった。
アグリが作ったらなぜか異質な物体へ変化を遂げたのは驚いた。レシピ通りに作ってもまずくなるなんて初めてである。
「なんでそんなことがわかるのさ?」
「なんとなくです。魂晶石は魂が具現化したもの。その人の人生が詰まったものと判断します。シャルル様は有名な料理人ですからね」
アムールの推測は正しい。それ以上に模範解答は出ないだろう。アグリは納得した。
さて子供たちはタケルの料理をおいしそうに食べていた。タケルの世界ではありきたりの料理だが、こちらの世界では未知の味だった。
「みんなのおかげで調理ができた。これは君たちのご褒美でもあり、当然の報酬だ。これからもよろしく頼む」
子供たちは食材を運んだり、食器を並べただけだが、タケルは絶賛する。
ただ食べ物を与えるだけではなく、労働の対価として与える。それがタケルの教育であった。
子供たちにきちんとした教育を施す。そして人生の荒波を乗り越える知識と体力を育てる。タケルはそう誓った。
だがアムールはちらりと見た。子供たちはどこか不満そうな表情を浮かべていることに気づいた。
☆
「タケル様。よろしいでしょうか」
夕刻、タケルの家にテチュが訊ねてきた。彼だけではなく女性を一人連れている。見るからに平凡そうな女性で、道ですれ違ってもすぐに忘れる。そんな印象がした。
一体何の用だろうかと、テチュたちを家に上げた。
「テチュ、ご無沙汰しています。今日はどのようなご用事ですか?」
タケルはソファーに座っていた。テチュと女性は照れくさそうにしている。
アムールはお茶を持ってきた。
「実はこの人と結婚したいのです」
いきなり爆弾発言が飛び出した。これは寝耳に水である。頑固そうなこの男が結婚したいとはどういう了見であろうか。
「彼女はアンヌといい、パン屋を営んでおります。主に子供たちが食べる分だけですが、そのパンはとてもおいしいのです。奴隷ゾンビの私に食事は必要ありませんが、それでも食べたら幸せを感じる。そんな味なのです」
テチュがまっすぐに告白する。テチュは頑固な大工だ。回りくどい口説き文句などできっこない。そんな彼が真正面からいうことに驚いた。
「それと家事の問題もあります。一人暮らしだと家事がろくにできません。洗濯や掃除も一苦労です。それはアンヌも同じでして。ですから一緒になりたいのです」
一人口は食えぬが、二人口は食えるというやつだ。一人暮らしだといろいろ無駄が多くて生計を立てにくいが、結婚して夫婦二人で暮らせば経済的に徳である。
タケルの世界ではどちらか片方に依存しており、きちんとした年収がないと結婚したがらないのだ。夫婦共働きを忌み嫌う世代になってきているのである。
「それと保育園から子供を二人引き取りたいのです。奴隷ゾンビは子供を作れないそうなので」
テチュの言葉にタケルは悩む。
下手に子供を養子に出すのは難しい。児童虐待につながるからだ。自分の子供でも虐待死させる親がいるのに、赤の他人だとさらに危険だ。
奴隷ゾンビなのだから命令を下すのは簡単である。だがそれは家族といえるだろうか。
嫌なものを無理やり押し付けられ、命令のままに子供を育てても、その子たちの教育にいいとは思えないのである。
「これは子供たちのためでもあります」
目を瞑り考え込むタケルをしり目にアンヌが答えた。
「子供は家族とともに育てるべきだと思います。確かにあの子たちは親に捨てられました。その心の傷は永遠に癒せることはないでしょう。私も家族に捨てられました不治の病になったから。そんな私でも今でも悪夢を見ます。
だからこそ家族は必要なのです。朝にはあたたかな食事が食卓に並び、夜は家に帰ると明かりが灯っている。そんな家が子供には大事なのです。
家では家族として躾け、外では家との規則は違うことを教える。そうでないと子供たちが大人になったとき親になれないと思いますので。
それにタケル様はご存知ですか。子供たちの表情に陰りがあることを。確かにしつけは大事です。自分たちが必要とされていることを自覚させるのは大切です。
ですが子供たちに無理やり学ばせても意味がありません。今のタケル様は恩着せがましいと思います」
アンヌの言葉にタケルは言葉を失った。
タケルは母子家庭ゆえに家族の温かさを知らなかった。
それに元の世界では児童虐待や、家族の不仲の事件が耳に入る。
そのためタケルは歪んだ考えを押し付ける形になっていたのだ。
タケルは改めてアンヌを見直した。自分のために意見してくれていると思うと嬉しくなった。
「わかった。検討してみる。それとテチュたちと同じように結婚と養子を望んでいる人たちがいるかもしれない。明日はサージュと相談してみたいと思う」
これで話は終わった。結婚制度を検討する形になる。
☆
次の日、タケルはサージュと相談した。その結果結婚制度を賛成してくれた。
女性陣と相談し、理想の教育をタケルが文字に書いて指導する。少なくとも児童虐待をしないように命じればいいのだ。
それにアンヌの呼びかけで結婚を望む男女が多くやってきた。サージュは法の設備を整え、結婚と養子をスムーズに行えるようにしたのだ。
家族のための一戸建てはテチュが用意した。子供たちと暮らせて、将来親になったときのためにしっかりとした造りにしている。
子供たちは新しい両親と共に保育園を出た。どれも明るい顔になっている。
タケルはそれを見て心が痛んだ。
自分は彼らに嫉妬していたのかもしれない。
タケルの人生は母親の看護で終わっていた。同年代の様に遊ぶこともできずにいたのだ。
異世界に来てタケルは抜魂術師になった。そして奴隷ゾンビに変えていい気になっていたのだ。
子供たちを育てると言って実際は自分の思い通りに操ろうとしていたのである。アンヌという女性はタケルにとって救いの女神であった。
彼女がいなければタケルは独善的な政治を行っていたに違いない。
そう思うと背筋に寒気が走った。アンヌとの、テチュとの出会いに感謝していた。
「よし、新しい家族が生まれた記念だ。ぼくがごちそうを作るよ」
タケルの提案に子供たちは喜んだ。
保育園の広場で盛大なパーティが行われた。タケルはつぎつぎと自分の世界にある料理をふるまった。
そして母親となった者たちはタケルのレシピを見ておいしいお菓子を作る。
父親たちは果実酒を片手に乾杯していた。酔いはしないが、場の雰囲気に酔っている。
アムールとアグリも料理を運ぶ手伝いをしていた。
タケルはとても楽しかった。初めて自分がこの世界に来てよかったと思った。
だがその平和はすぐに敗れた。
早馬の音が聞こえてきた。それはノール村からの兵士である。
そして兵士は馬から降りると、息を切らしながら報告した。
「ノール村で怪物が現れました!!」
タケルは腰に佩いていた剣を握る。
オネットさん、ぼくに力を貸してくれと祈った。




