ソンブル子爵家の秘密
「ここがソンブル子爵の家か」
タケルは一際高い丘にある家に来た。なんとなくヨーロッパにありそうな立派な館である。さすがは村の領主だと感心した。
アムールとアグリ、そして案内に兵士を二人つけていた。
ここに住む人間は苦労知らずの世間知らずで、村人が苦しんでも自分だけは贅沢な食事をとり、酒を飲んでいると思うと腹が立ってきた。
だがその気持ちは屋敷の中に入るにつれ、薄れていく。
屋敷は荒れていた。庭には庭園があるが、どれも枯れて手入れなどされていない。途中で壁の隅に年老いたメイドが猿団子のようにくっついていた。試しに奴隷ゾンビに変えたら全員若い女性で驚く。
はてな、これはおかしいぞとタケルは警戒心を強めた。悪の親玉が住んでいると思ったら、何のかかわりもない馬の骨の浮浪者の巣に近い。
正直お化け屋敷と言われても納得できる。アグリも首をかしげていた。そもそも彼女は貴族に用事はない。ソンブル子爵の事情はまったく知らないのだ。
タケルは兵士の一人に主はどこかと訊ねた。
「それなら地下牢にいます」
意外な答えが返ってきた。なんで領主が地下牢にいるのだ。
「だって我らフラメル商会に逆らうのですから」
兵士は目をきょろきょろさせながら答える。あまり口にしたくないのだが、無理やりしゃべらされてて不愉快なのだ。
フラメル商会とはなんだろう。後ろの二人に訊ねてみる。
「フラメル商会は都で一番の商人です。確か百年前に開いたそうですね」
アムールが答えた。次にアグリが補足する。
「私設兵士はフラメル商会の紹介できたのさ。地方の領主は都の正規兵を雇えないからね。そいつのせいで質の悪い奴らがやってくるわけさ」
吐き捨てるように言った。
さて兵士に案内され、タケルたちは地下牢にやってきた。生臭く、淀んだ空気で気が重くなる。
そこで見たのは信じがたい光景であった。
ソンブル子爵はそこにいた。鉄格子の中にいる。だがタケルはその人の顔を知らない。では訊ねてみたらどうか。
無理だ。なぜならソンブル子爵は物言わぬミイラだったのだから。
子爵は椅子に縛られていた。高そうな服を着ているがすでにボロボロである。
悪臭の元はこちらのようだ。
そして隣には女性が両腕を鎖で吊るされていた。あられもない姿である。肌はボロボロでしみだらけ、髪の毛はボサボサだった。
死んではいない。半分生きているようだ。目は虚ろで口から歌が流れている。すでにあの世の境界線に足を踏み入れているようだ。
女性の足元には十歳くらいの少年が寝かされていた。首輪をつけられている。こちらも奇跡的に命をつなぎとめていたようだ。
タケルは兵士に訊ねる。
「こちらはどなたでしょうか?」
「そっ、ソンブル・バロン子爵とその妻シャグラン夫人と子息のトリステスです」
その瞬間、アムールとアグリから涙が出た。嗚咽が止まらない。
タケルはそうかとうなずくと、持っていた剣で鉄格子を切断した。
ソンブル子爵の縄を解き、床に寝かせる。
そして隣に行き、シャグラン夫人の眼を見た。どぶの様に濁っている。タケルを見てもけたけたと笑うだけだった。幽界に住む幽鬼のようである。
「……ぼくの奴隷になれ」
タケルは右手をかざすと、シャグラン夫人の心臓部が光り出した。そしてそこから魂晶石を取り出す。
するとシャグラン夫人は泣き出した。目から黒い血が流れ出る。
大声を出して泣き出した。発情期の猫のような声である。
なんと眼球がぽんと音を立てて飛び出した。そこから黒い血がほとばしる。
血を噴き出しながら泣きじゃくる。やがて血が流れ終わると、シャグラン夫人はくしゃみをした。
その瞬間、両手から鎖がずるっと抜けた。さらに前身の皮が剥けて中身が飛び出る。
ごろごろと前転した後、立ち上がった。
それは三十代前半くらいの妙齢の女性である。金髪ロールに高貴そうな顔立ちであった。体型もメリハリが効いており、均整の取れた姿勢である。
「初めてお目にかかります。わたくしはシャグラン・バロンと申します。ノール村領主、ソンブル・バロン子爵の妻です」
「どうも初めてお目にかかります。シャグラン様。ヤマトタケルと申します。あなたに抜魂術を施し、魂晶石を抜き取りました」
互いの挨拶が終わると、シャグランは着替えを求めた。
「ああ、頭がすっきりしておりますわ。こんなすがすがしい気分は久しぶりです。庭園に出て歌でも歌いたい気分ですわ。でも今は息子のトリステスを医者に診せなければ」
「私たちが運びましょう。アグリさんも手伝って」
アムールが申し出た。アグリも渋々承諾する。二人はトリステスを抱えて地下牢を出た。
シャグランは物言わぬミイラと化した夫を一瞥する。そしてさっさと振り返り、地下牢を出たのである。
☆
「ひと月前、突如フラメル商会の兵士たちが屋敷を乗っ取ったのです」
シャグラン夫人は庭園でお茶会を開いた。すでにタケルによって奴隷ゾンビになったメイドたちはひさしぶりの主のために紅茶を用意する。
タケルとアムール、アグリが椅子に座っていた。トリステスはすでに医者に診てもらっている。
「隊長のグレゴリーがわたくしたちを地下牢へ閉じ込めました。農民たちに優しくする貴族は許せないとわけのわからない御託を並べたのです。
そしてソンブル様は椅子に縛られたまま亡くなり、わたくしは……」
「その先は結構です」
タケルが遮る。シャグランはおそらくひどい目にあわされたのだ。それも息子の前で。母親の心は大丈夫だ。奴隷ゾンビにしたから。だが息子の心の傷は難しい。
「農民に優しい貴族とはどういうことですか?」
「わかりません。うちの人は陰気な性格ですがそれなりに村人と付き合っていました。不作になったらある程度は融通を利かしていましたが、それだけです。
グレゴリーにとってその行為が許せないと言っていました」
「許せないって。農民をいたぶれば損をするのは自分たちなのに、どういうわけだろうね」
アグリはわけがわからないといったところだ。大体農民を極限まで絞り苦しめるのはドラマくらいなものである。現実ではある程度飢え死にしない程度に巻き上げるはずだ。そうでなければ畑を耕す人間がいなくなるからである。
「ここ十年、都のほうもおかしくなっています。使えるものを平気で捨て、学校や病院を次々と閉鎖させたりしていたそうです。とてもまともな政治とは思えません」
シャグランは頭を抱えている。貴族の彼女でも違和感がばりばりなのだろう。庶民にはさらに意味が分からない。
「それもこれもアンジォ教団が幅を利かせるからです。彼らのせいでムナール王家はおかしくなってしまいました」
「アンジォ教団とはどんなものでしょうか。ぼくはよくわからないのです」
「アンジォ教団は百年前にできた宗教団体です。主に天使を崇拝しています。そして祈るだけで働かなくても食べていけるなどと信者を増やしていました。天使の前ではすべて人は平等であり、差別はいけないと。でも実際は差別意識が異常なまでに強く、一時期規制の対象になっていたのです」
シャグランが吐き捨てるように言った。相当胸糞悪い話なのである。
「わたくしはあまり都には赴きません。精々年に一度国王陛下の誕生日に行くくらいです。ですが年々腐っていくのがわかります。おぞましい世界に変貌していましたね」
シャグランは寒気がすると言わんばかりである。
話はここまでにする。あとは村人たちを奴隷ゾンビに変えるだけだ。だがやることがひとつある。
タケルは兵士に耳打ちした。すると兵士の顔が驚愕する。いったい何を言ったのだろうか。
☆
庭園に兵士が五人立っていた。シャグラン夫人はそれを見てはっとなった。それは彼女に屈辱を与えたものたちではないか。
「ぼくは復讐物が嫌いです。だって人を殺して憂さを晴らすのは気分が悪いからです。ぼくは胸糞悪い人間を奴隷ゾンビにしても痛めつける気はなかった。
まじめに働かせて、一切の嗜好品を絶たせた方がよほど地獄だからです。
だがこいつらは許せない。人の人生をめちゃくちゃにして心の中でにやにや笑うなんておてんとうさまが許してもぼくが許さない。
こいつらに自殺させます。どうせ奴隷ゾンビだから死なないけど、異物が体内に入る苦痛を味合わせてやります。
お前ら自殺しろ!!」
シャグランが止めようとしたがもう遅い。
兵士たちは持っていた剣を腹やのどに突き刺した。
助けてくれ、死にたくないと泣き叫ぶ。鼻水や涎を垂れ流し、失禁するものまでいた。
剣が深々と突き刺さるとそれは起きた。
兵士たちの体が爆発したのである。大きな音を立てて、はじけたのだ。
後に残ったのは兵士たちの着ていた鎧と剣だけである。
いったい何事かとタケルは慌てたが、シャグランが答えてくれた。
「奴隷ゾンビに自殺を命じてはならない。奴隷ゾンビに死を与えるのは、抜魂術師が自殺を命じたときだけ。それが古くから伝わるサタナス経典にある記述です」
意外だった。まさか奴隷ゾンビが死ぬとは思わなかった。だがそうなるとサージュはどうなるのか。彼は何度も自殺を試みたが死んでなかった。オネットの稽古の時もある意味自殺を志願しているようなものだった。
「おそらくタケル様が自殺を命じていないからです」
アムールがタケルの疑問に答えた。
「お二人とも自らの意志でわが身を傷つけておりました。タケル様の命令がなければ死ぬことがないのでしょう」
なるほどそうかもしれないと思った。
サージュは自分自身の知的好奇心で実験していた。
オネットはタケルのために人を斬る練習をさせていたのだ。
奴隷ゾンビは命令されたら死ぬ。これは頭の中にいれておかなければらならぬ情報であった。