アンジォ体操
「さて来るかな」
タケルは北の草原にやってきた。昨日アグリを助けた場所である。
一晩家で休んでいたが、兵士を不眠不休で見張らせていた。もちろんぴんぴんしており、異常なしと答える。
「来るわ。特にあいつらの隊長グレゴリーは好色だもの。女も好きだけど、拷問も飯の次に大好きな男だわ。奴は相手が死んでも遺体を持ち帰っていたぶる異常者なのよ」
アグリは寒気がするとばかりに震えた。タケルの横にはアムールが槍を手にしている。彼女が護衛なのだ。見張りは遠くで待機しており、町の警戒もきつくしている。
「この国は常にそうなのかな? 弱者を踏みにじって楽しむ人種で支配されていたのだろうか」
タケルの素朴な疑問である。そもそも国民を捨てるだの殺すだの正気ではない。国民は国力だ。どの世界も国力を蔑ろにした国は亡ぶ。ただし飽食だった日本に住んでいたから、甘い考えが浮かぶのだ。
広い世界ではそんな国は当たり前かもしれぬ。
「そうでもないです。貧しいけどそれなりに満足して暮らしていけました。ここ十年アンジォ教会が幅を利かせるようになると、私たちの生活がいきなり圧迫されたのです」
これはアムールであった。彼女は貴族の家で奉仕していたが、そういった世情をいち早く知ることができたのだろう。アグリも無言で首を振る。ここ十年くらいのようだ。
それにしてもアンジォ教会とはなんだろう。新興宗教なのだろうか。その辺を察したのかアムールが答える。
「アンジォ教会は百年前に生まれたそうです。ちょうどその頃―――」
アムールが口を閉じた。すると草原にうっすらと影が現れる。それは黒い兵士だ。全員馬に乗っている。一分隊引き連れてやってきたのだ。
タケルたちは茂みの中に隠れる。そしてアグリに確認させた。あの中にグレゴリーはいるかと。アグリは首を横に振る。
「いっひっひ。あの小娘の死骸はどこだぁ? まったく任務をろくに遂行できないのかねぇ? いっひっひ」
下品な言葉遣いだ。装備は良質だが、中身は悪質では話にならない。ことわざに良い鉄は釘にはならない、良い人は兵士にはならないとある。ごろつきと兵士の違いは国の加護を受けているかの差であろう。
「早く見つけないとな。昨日の今日で虫と獣のディナーになっているかもしれないけどな」
「それならそれで面白い。残った家族に診せつけてやろうぜ。お前らの娘はこんなみじめな死を遂げたってな!!」
聞くに堪えない笑い声であった。アグリは欠陥が浮き出て、彼らをにらみつける。目が真っ赤に血走り、握り拳を作っていた。
彼女は無抵抗な農夫の娘ではないようだ。
「さて見つける前に、体操を始めようぜ。天使様をわが身に降臨させる大切な儀式だ」
兵士たちは馬から降りた。そして横一列に並ぶと歌を歌い始める。
「天使は最高、悪魔は最悪。(両手を上に伸ばす)
神を崇める、私は偉い。(両手を前方に振り下ろす。)
異教徒共は探し出し、見つけ出したら即死刑。(何かを探すしぐさをして首を回す)
火あぶり、水攻め、逆さづり。(両手を広げ、首を絞める仕草をしながら体を回転させる)
泣き叫ぶ声は、甘露の響き。(両手を腰に当て、胸を張って大きく笑う)
天使のラッパに、聞きほれて。(両耳に手を当て腰を左右に振る)
魔王の顔を、踏みにじれ。(その場で三回ジャンプ)
アンジォ最高。最高なのはアウトクラシア様(そして最後に両手を上に伸ばす)」
大の男たちが体操しながら歌うのは不気味である。
タケルは呆気に取られていたが、すぐに気を取り直しアムールに訊ねた。
「あれはアンジォ体操です。アンジォ教会の信者は朝の仕事始めに体操を行います。私も十年くらい前からバロン家に強要されました」
「あたいの村もそうさ。あいつら村のみんながサボらないように朝から広場に集めてやらせるんだ。まったくうざいったらないよ」
アグリも腹を立てている。だが問題はあの兵士たちだ。いかにも与太者といった風貌だが律儀にアンジォ体操を守っている。
アンジォ体操にどれほどの力があるかはわからないが、人心を引き付ける何かがあると判断した。
☆
「さあ、死骸を探そうぜ。おら、お前らも探すんだよ」
馬に隠れて見えなかったが、二人ほどいたようだ。それは昨日の二人である。彼らはみじめな囚人のように両手を縄で結ばれていた。そして徒歩でここまで来たのだ。
「……なんなんだ? 全然疲れてない。痛みも感じない。こんなことってありえるのか?」
魂晶石を抜かれた兵士は自分の身に起きたことに懐疑的だった。だが上官らしい兵士がそいつを殴る。剣の鞘で思い切り顔を殴ったのだ。殴られた兵士は驚愕した。まったく痛みを感じないし、血も流れない。だが相手はそれに気づいてなかった。
「うるさいぞ! お前らはさっさと俺らの命令を訊けばいいんだよ!! どうせ帰ってもグレゴリー隊長からは死刑を言い渡されるけどな。いっひっひ」
「いやいや、死刑なんかにするわけがないね。拷問だよ。目をえぐり、耳をそぎ、男のお宝もちぎる。そして手足を切り落として芋虫ご~ろごろと広場にさらすんだ。えへへへへ、想像しただけでたまらないね……」
兵士たちは帰った後のお楽しみを想像し涎を垂らしている。こいつらは放置すれば必ず災いを振りまく。こいつらを奴隷ゾンビに変え、ノール村に襲撃だ。
「待てお前ら!!」
タケルが茂みの中から飛び出した。アムールとアグリも一緒である。
「あなたたちは私の主タケル様によって断罪されます。さっさと兜を脱ぎ、その身をゆだねなさい!!」
「お前ら! もうあたいは逃げない。お前らがこいつの奴隷になる様を拝ませてもらうぜ!!」
二人は兵士たちを挑発した。なんでする? と問い詰めたくなる。
突然のことにぽかんとなる一分隊。だが時間がたつと自分たちが馬鹿にされたことに気づき、激高した。
「てめぇぶっ殺してやる!!」
「お前もだ小娘!! 生きていたなら幸いだ。村に帰る前にたっぷり楽しませてやる!!」
兵士たちは咆哮をあげる。まるで飢えた猪の集団だ。タケルはすぐに行動を起こさず、叫ぶ。
「プルミエ、スゴン!! お前らはこいつらの兜を脱がせろ!!」
タケルは命令を下す。先ほどの名前は奴隷ゾンビに変えた兵士の名前だ。二人は後ろから木の枝を振り回し、仲間の兜を外そうと懸命になっている。
「なっ、お前ら何をしやがる!!」
仲間の裏切りに一時混乱した。その隙にアムールは敵の兜を次々と槍で外していく。貴族の屋敷で掃除し続けた彼女は棒術の如く、技を会得していたのだ。
「ぼくの奴隷になれ!!」
兜を外された兵士たちは次々と奴隷ゾンビに変えられた。兵士たちはタケルの操り人形と化す。仲間は次々とタケルの指揮下に置かれていた。
そして残ったのは上官ただひとりである。
「そっ、そんなばかにゃ!! こいつらが裏切るなんて、こいつらが裏切るなんて……」
ぶつぶつと同じことを呟いている。先ほどタケルの抜魂術を目撃したはずだが、全く理解していなかった。この男は目の前の現実を受け入れることができないのである。
自分にとって都合のいい現実以外認めたくないのだ。自分以外の人間が己に槍を向けるなどあってはならない。これは夢だ。夢なんだと男は草むらに寝そべり眠ろうとしていた。
そこを兵士に蹴られた。タケルが命じたのだ。男は蹴られた衝撃で泣き叫ぶ。これは夢だ。これは夢だ。悪夢なら早く目を覚ましてと泣きじゃくった。
タケルはあきれ果て、速攻で奴隷ゾンビに変えてやったのだ。
☆
タケルとアムール、アグリは兵士から装備をはぎとり、自分たちで身に着ける。男たちの汗と悪臭で鼻が曲がりそうであった。ちなみに装備を奪われた兵士は近くで見ていた町民に預ける。思いっきり重労働をさせてやると命じたのだ。
彼らは涙目になっていた。口には出さないがなんで俺たちがこんな目にと心の中では思っているだろう。
タケルはさっそく馬に乗ってみた。乗馬は初体験だ。だがうまくいかなかない。
当たり前だ。タケルは馬どころか自転車にも乗ったことがないのである。単に自転車が買えなかっただけだが。
アムールも馬に乗るのは初めてで、乗っただけですぐに振り落とされた。地面に突き出た石に落下し、首の骨が折れたがすぐに戻った。
一瞬息が苦しくなったので、首の骨が折れないように心がけようと誓う。
その様子を見てタケルがはらはらしたのはいうまでもない。
それ以上にアムールは彼を見てはらはらしているのだが。
見かねたアグリは二人に乗馬を教える。さすがは農夫の娘だけあり乗馬は得意だった。アグリは簡単に馬を乗り回す。
そして数刻後、タケルとアムールは馬を乗りこなすことができたのだ。
さてこれからタケルたちはノール村へ向かうことにする。
まずは隊長を抑える。グレゴリーと呼ばれる男だ。そいつを抑え、さらに領主であるソンブル子爵も奴隷ゾンビに変える。
そして村人は子供を除いて全員奴隷ゾンビに変えるのだ。
「プルミエ、スゴン。先導を任せたぞ」
タケルが命じる。二人は了解と敬礼した後、馬に乗り、タケルたちを導く。
上官は徒歩でとぼとぼと歩いていた。
兵士たちには奴隷ゾンビのことを説明した。全員何も言わなかった。おそらくタケルに対する不満はあったろうが、それを口にすることができないのだ。
先ほど見たアンジォ体操のことを質問したが、自分たちは毎日朝は欠かさず行っているという。
都の兵士なら絶対に欠かせない儀式だそうだ。プルミエは兵士になってから毎朝欠かせないという。実際に行うと体が軽くなる。まるで背中に天使の羽が生えたような軽やかさになるのだ。それに心の中の欲望が消え去り、すっきりするという。
強制的ではない。自主的だそうだ。最初は無理やりだったが、二回目は進んで参加したらしい。
それを聞いたアムールは首をかしげる。彼女は主に強制されていた。アグリも同じである。それにそのような効果は得られなかったと証言している。
自主的と強制。この差はいったいなんなのだろうか。
「その謎はノール村を攻略してからだな」
タケルはそう誓った。