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13番目の噂

 夕刻。沈みつつある陽射しが、広場の噴水を照らす。

 噴水は、あちこちが崩れかけていた。数年前の内戦の傷跡だ。噴水に限らず、広場のあちこちに戦いの跡が残る。割れた石畳。傾いだ家。上半分が欠けた柱。

 どこもかしこもボロボロだ。それでも、この広場の噴水は市民の待ち合わせの場所でもある。

 ただ、それも昼間の間だけの話だ。治安が安定しないせいか、日が暮れるこの時間帯は人通りがほとんどない。

 だからこそ、その声はひどくよく響いた。


「どういうことだよ!?」


 噴水の前で、二人の人間が言い争っていた。

 一人は、黒髪に蒼い目をした少年。薄汚れた麻のシャツを、無造作にズボンにつっこんでいる。

 もう一人は、初老の男だ。真っ黒な仕立ての良い服を、きっちりと着こなしている。


「ランスが来れない、って……! ちゃんと約束したんだぞ!?」


 少年は、初老の男に猛然と食ってかかった。

 彼にとって、それは当然のことだった。

 待ち合わせをしていたのだ。ランスという友達と。

 ところが、待ち合わせ場所にやってきたのは、この男――ランスの執事。

 よりにもよって少年が一番苦手としている執事の男は、案の定、少年のことを冷たく見下ろして慇懃無礼に口を開く。


「ランスロット様はお忙しいのです。遊びにいちいち付き合っている暇などありませんので」

「遊びじゃないって!」

「では、今回はどのような用事で待ち合わせをされていたので?」

「うっ……それは……言えないけど……」

「お話にもなりませんな」


 少年が気まずげに目を逸らすと、執事は勝ち誇ったように鼻を鳴らして踵を返した。


「これ以上、貴殿に関わっている時間すら惜しい。私も暇ではありませんので」

「あっ、ちょっと……! せめてランスに伝言を……!」

「その呼び方、どうにかなりませんかな?」


 少年が慌てたように、執事の服の裾を掴んだ。

 しかし、その手は執事によって乱暴に手を払われてしまう。


「おわっ……!?」


 タイミングが悪かった。

 思わずよろめいてしまった少年は、地面に尻もちをつく。

 そんな少年を、執事が冷ややかな目で見下ろす。


「ランスロット様は、オルレアン家の次期当主になられるお方。貴殿のような下級貴族が軽々しく呼んで良い名前ではない」


 では、失礼します。そう、馬鹿にしたように付け加えて、執事は足音高く歩き去ってしまった。

 それはもう、優雅に、一分のすきもなく。

 少年は、だからこそ、ぽかんとしているしかなく。

 馬鹿にしたようなカラスの声が頭上から聞こえた。それでやっと、少年は我にかえって。


「こんの……頭でっかち野郎ーっ!」


 拳を握りしめ、夕焼け空に思い切り叫んだ。


***


 日が暮れ、夜を迎えた酒場は、人でごった返していた。

 あちこちで酒が飲み交わされ、アコーディオンの調子っぱずれな音が鳴り響き、歌やら話し声やら怒号やらがひっきりなしに聞こえる。

 広場の噴水から、そう遠くない酒場。

 その片隅のカウンターで。


「あぁもうやってらんねぇよ! なんだっての!」

「まぁまぁ。落ち着けや。シンク」

「これが落ちついてられっかぁー!」


 勢い良く中身を飲み干して、黒髪の少年――シンクはカップをカウンターに叩きつけた。


「親父! もう一杯!」

「へぇへぇ……ったく、ただのリンゴジュースの何が良いってんだか……」

「未成年だからに決まってんじゃねぇか! 酒は大人になってから!」

「分かった分かった。頼むから、そんなにきゃんきゃんわめくな」


 呆れたように言いながら、酒場の店主はカウンターごしにカップの中身を注ぎ足した。


「んで? 何がそんなにやってらんねぇんだって?」

「だからぁ! ランスのとこの頭でっかち執事に馬鹿にされたんだって!」

「そんなの、毎度のことじゃねぇのかい」

「そうだけど! そうだけどさぁ! さっきは特に酷かったの! あからさまに差別してくる感じだったの!」

「あぁ……まぁ、なぁ……」


 憤懣やるかたないシンクとは対照的に、店主は何とも言えない顔をした。

 シンクはじろりと彼を睨みつける。


「なんだよ?」

「そりゃあ、執事のじーさんが言うのも一理あるかと思ってな」

「そんなことないだろ」

「いやいや、あるだろ。ランスはオルレアン家の長男なんだろう? オルレアン家っていやぁ、この国唯一の騎士の家系じゃねぇか。貴族の中じゃ一番偉い……本当だったら、気安く名前なんか呼べやしねぇだろう」


 シンクは頬を膨らませた。

 店主の言うことは、正しかったからだ。

 この国――光の国ルクスは王がいない国である。ゆえに国を動かすのは貴族で、貴族が一番偉いといっても過言ではない。

 ただ……ひとくちに貴族と言っても、身分はピンからキリだ。

 国の中枢を握る、いわゆる貴族から、平民と同じくらい金のない貴族まで。その中でランスは……ランスロット・オルレアンは、この国で最上位に属する貴族である。

 だから、本来ならばシンクだって、ランスロットのことをおいそれと愛称で呼ぶことは出来ない。

 けれど、だ。

 シンクは唇を尖らせた。


「ランスが良いって言ってくれただろ」

「そりゃそうだが……」

「おっさんだって、ランスって呼んでるじゃん」

「あのなぁ、シンク。そういう話じゃなくて、俺は一般常識ってやつをだな」

「じゃあいいじゃん」

「……はぁ。俺は時々、お前のその真っ直ぐさが羨ましくなるよ……」


 店主は呆れたように首を振った。

 何だか、というか……絶対に馬鹿にされている気がする。

 むっとしながら口を開きかけたシンクだったが、文句を言う前に店主の方が別の客に呼ばれて去って行ってしまった。


「……なんだよ」


 シンクはカウンターに上半身だけ突っ伏した。

 盛大にため息をつく。


「どうしたもんかなぁ……」


 やりたいことはあった。

 けれどそれには、ランスが必要だ。彼が来れないのなら、今日は諦めて帰るべきなのか。

 それとも……そう、シンクが思った時だった。


「――の噂を聞いたか?」

「例のナンバー13、か? 金さえ積めば、何でもしてくれるっていう……」


 シンクの耳に飛び込んできたのは、ひそひそとした話し声だった。

 ちらりと見やれば、少し離れたカウンター席に座った若い男二人が見える。

 痩せぎすの男と、小太りの男だ。

 彼らは、何故か身を寄せ合って、浮かない顔で話を続けている。


「最近、ここらをうろつき回る妙な人間がいるらしくてな。そいつの正体がナンバー13じゃねぇかって」

「なに? どこぞの娼館の、女主人の奴隷だって俺は聞いたぞ? 顔は見れねぇくらいに醜いだとか。妙な力を使う魔物だとか」

「そいつは古い方の噂だ。フード被った盲目の子供なんじゃないか、ってのが最近の噂で」

「ったく、面倒なやつだぜ……姿形も分からんのじゃ、探しようもねぇじゃねぇか」

「そりゃそうだけどよ? そいつは、金さえ積めば、何でも望みを叶えてくれるんだぜ? 探さないって手は、」

「なんだって!?」


 ばん、とカウンターを叩いて、シンクは立ち上がった。


「な、何だお前……?」


 男二人が驚いたようにシンクの方を見つめる。

 だが、シンクはそれにも構わず、二人の方に猛然と詰め寄った。


「さっきの話、本当か!?」

「はぁ?」

「なんでも願いを叶えてくれるって!」

「あ、あぁ……って」


 そこで、痩せぎすの方が我に返ったように眉を釣り上げた。


「お前、まさか俺たちの話盗み聞きしてやがったのか!?」

「う、えっ!? いや……それは……」


 シンクはさっと目を逸らした。

 勢いを取り戻したのは太っちょの方だ。目を見開き、鼻息荒くシンクの胸ぐらを掴む。


「てめぇっ! そういうことだったのか!」

「うわっちょ、ちょっ……!? い、いーじゃん! 細かいことはさぁっ! それより、さっきの話、詳しく……っ」

「いいわけあるか!? このクソガキ!」

「く、クソガキじゃないしっ! お、俺は……うぐっ」


 言おうとしたところで、太っちょに無造作に投げ捨てられた。

 派手な音を立てて尻餅をつく。その拍子にテーブルに当たった。皿が床に落ちて割れる音。おまけとばかりに、麦芽酒ビールの入ったカップがズボンに落ちてくる。


「冷た……っ」

「あぁん? よく見りゃお前、トリスタン家の小僧じゃねぇか?」



 周囲からの悲鳴。迷惑そうな視線。

 そんな中、シンクの方をじろじろと見ていたやせぎすが、ニヤリと笑う。太っちょの方も馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「トリスタン家っていやぁ、貧乏貴族様じゃねぇか! ハッ、こんな酒場で人の話盗み聞きたぁ、随分落ちたもんだなぁ!? あれかァ? もしかして金が欲しいから聞き耳立ててやがったのかァ?」

「そんな訳ないだろ! っていうか、今は貧乏とか関係ないしっ! 俺が話を聞きたかったのは、別の……!」

「ハハッ! 貴族サマのおっしゃることはよくわかんねーなァー?」

「落ちぶれ貴族サマの言うことだから分かんねぇ、の間違いだろォ? ギャハハっ」

「っ……」


 太っちょと痩せぎすが囃し立て、あざ笑う。周りもだ。

 それにシンクが顔を歪めて、拳を握りしめて。


「ああン? やろうってのかァ? ご立派な貴族サマが俺ら国民を殴るってかァ?」


 痩せぎすの男がニタニタと笑った。

 腹の立つ笑いだ。けれど。


「……くそったれ!」


 シンクは腹立ちまぎれに吐き捨て、拳を床に押しつけて立ち上がる。

 そうして、周囲がはやし立てる中、身を翻して酒場を飛び出した。


***




「あぁもう! どいつもこいつも……!」


 夜もすっかりふけた街の通りを、シンクは足音高く歩く。

 今宵は満月だ。月明かりが照らす夜の道は明るい。

 だが、シンクの気持ちはどこまでも晴れなかった。

 頭に浮かんでは消えるのは、夕方の執事の馬鹿にしきった目線や、さっきの酒場に響いた嘲笑だ。

 貴族たるもの、民に手を上げてはならない。

 それは、シンクの信条だ。貧乏貴族にだって、それくらいのプライドはあって然るべきだ。そう思う。思ったからこそ手を上げなかった。

 でも、だからって、腹が立たない訳じゃない。


「貧乏貴族の何が悪いって言うんだよ!」


 足元にあった小石を蹴り飛ばして叫ぶ。

 応じる声は勿論ない。

 聞こえるのは、からからという小石が転がる音だけだ。

 それも、やがては夜闇の中に消えて。

 何故か無性に虚しくなって、シンクはそっとため息をついた。


「……やっぱ今日は帰るか」


 帰って、寝よう。そうだ。それが一番だ。睡眠に勝る解決策なんてない。

 寝たら綺麗さっぱり忘れられるし。そう胸の内で呟いて、シンクは通りの角を左に曲がった。

 その時だった。


「どういうことだ! このクソガキ!」


 シンクの心臓が飛び上がった。

 首をすくめて立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回す。


「な、なんだ……?」


 よくよく目を凝らせば、夜闇の中に人影が見える。ちょうど、シンクが向かおうとした先だ。

 柄の悪そうな大男。それに隠れるようにして、フードを被った人影。シンクと同じくらいの背の……あれは少年だろうか。


「てめェ、今わざとぶつかってきやがったな!?」

「…………」

「あァ? バックレようたって、そうはいかねェぞ!? どうせ金でも盗むつもりだったんだろうが!? えェ!?」


 大男は、怒号を上げて少年の胸ぐらを掴む。男が腰元から何かを抜いた。

 短剣だ。月明かりを弾いて刃が輝く。明らかに異常な空気だ。それに、シンクは目を見開いて。


「お、おい……っ! お前っ!」

「あ゛ァん?」


 シンクは慌てて、大男の元に駆け寄る。

 少年を掴んだまま、大男は鬱陶しそうに振り返った。

 その眼光は鋭いが、焦点が定まっていない。おまけにひどく酒臭かった。

 シンクは思わず顔をしかめる。


「酔っぱらいかよ……」

「ンだと!? 俺は酔っぱらいなんかじゃねェ!?」


 大男が子供を無造作に手放して、シンクの方へ短剣を向けた。


「おわっ!? ちょ、ちょっと落ち着けって!!」


 やっぱり酔っ払いじゃんか! そう胸の内だけで叫びながら、シンクは無理矢理笑みを作る。


「べ、別に俺はお前とやりあう気なんかないぞ! 剣とか持ってないだろ!」

「るせェ! 今、俺のこと馬鹿にしただろうがァ!?」

「馬鹿にしてないって! ただ、ちょっと言いたいことが!」

「言いたいことだァ?」


 大男がジロリとシンクの方を見やる。シンクはコクコクと頷いた。


「そ、そうそう! ちょっと怒りすぎじゃね、ってことをだな……」

「そこのクソガキが俺の方にわざとぶつかってきやがったんだ!」

「だ、だからって、短剣まで抜かなくたっていいだろ?」

「そいつは俺の金を盗もうとしたんだ!」

「そんな……お前の勘違いなんじゃないのか?」

「よく見てみろ!」


 大男は憤懣やるかたないといった様子で、地面に座り込んだ少年を指さした。

 どうせ、酔っぱらいの言いがかりだろう。シンクは話半分で少年の方を見やる。

 少年は、薄汚れたフードを目深に被っていた。

 シンクの視線を感じたのか、警戒するように体を硬くする。

 大事そうに握るのは、少年に似合わない小綺麗な巾着袋だ。

 ……いかにも、硬貨が入っていそうな。


「……ま、まじかよ」


 本当に盗んでいた、らしい。

 え、でもそれなら、


「むしろ、お前の言っていることの方が正しいんじゃ……?」

「ッ、だからそう言ってんだろうがァ!?」


 大男が耐え切れなくなったのか、いきなり斬りかかってきた。

 慌ててシンクは避ける。紙一重。鼻先を掠めていった刃に、シンクは青ざめた。


「ちょ……っ!? 分かった! お前が正しいってことは分かったからっ!」

「るせェ! 俺の邪魔しといて、タダで帰れると思うなよ!?」

「はぁ!? んなのっ、完全にとばっちりじゃっ……っわ!?」


 やたらめったら短剣が振り回される。何とかシンクはそれを避ける。避けながら、じりじりと後退していく。

 できたのは、それだけだった。

 普通なら対抗できたはずだった。貴族の端くれとして、シンクにも剣の心得はある。

 ただ、シンクはただの貴族じゃない。

 貧乏貴族だ。


「くっそ……! 剣なんて、この前の家賃代で売っぱらったっての……っ!?」


 やけくそになってシンクは叫ぶ。その瞬間、足がもつれる。地面に尻もちをつく。

 今日これで何回目だよ……! なんて、言ってる場合じゃない。

 大男が馬鹿にしたようにシンクを見下ろして、笑った。

 笑いながら、短剣を振りかざした。


「ぶっハハッ! だっせェなァ!」

「ちょっ、待っ、」

「待つわけねェだろうがよォ!」

「おい! 冗談だろ……っ!」


 シンクの声も虚しく、短剣が振り下ろされる。

 無情に。寒々とした月の光を弾いた刃が。眼前に迫って。


「――お前、トリスタン家か」


 そんな、低い声が聞こえた。

 誰かに、思い切り後ろから引っ張られるような感覚があった。

 その直後だ。

 耳障りな金属音。

 そして、月明かりを弾いて宙を舞う短剣と――


 大量の金貨。


「……へ?」


 シンクの間抜けな声は、やけによく響いた。

 大男の持っていた短剣が、くるくると夜闇を舞って地面に突き刺さる。

 同時に、金貨が無数の音を立てて地面に散らばる。

 そして、シンクの目の前――大男からシンクを庇うように、一つの影がゆらりと立ち上がった。

 あの、フードを被った少年だ。

 だらりとやる気なさそうに両腕を下ろしている。片手に握るのは、無残に斬られた巾着袋。

 金貨の入った袋で、短剣を防いだらしい。遅ればせながら、シンクが理解したところで、フードの奥から声が聞こえた。


「……いい加減にしたらどうだ」


 その声は、直前に聞いた低い声と同じだった。意外にも落ち着いた声。

 でも、なんで俺が助けられてるんだ? そんな疑問をシンクが抱く中、少年が淡々と話を続ける。

 

「いくら酔ってるとはいえ、関係ない奴に短剣振り回す奴があるか?」

「あァン?」


 大男が顔を歪ませた。


「なンだァ? こそ泥が偉そうに言いやがって!」

「フン。俺はお前を思って言ってるんだが?」

「嘘つけ! どうせ、こいつに恩を売るつもりなんだろう!」

「低次元な考え方だな」

「なんだとォ!?」


 憤慨する大男を前に、少年は呆れたように肩をすくめた。


「そうだろう? 相手の立場もわきまえず、自分の状況も把握していない」

「なにィ?」

「よく見てみろ。お前が今まで短剣振り回してた相手は、トリスタン家の坊主だ。貴族だぞ?」


 その言葉に、大男が黙り込んだ。

 少年が鼻を鳴らす。自信ありげだ。そりゃそうだろう。貴族と聞けば、大抵の人間は尻込みする。

 つまり、大男は短剣を振るうのやめ、この場の難は過ぎ去る……そういう筋書きなのだろう。それくらいはシンクにも分かった。

 ただ……不安になったシンクは、ちょいちょいと少年のフードの裾を引っ張る。


「……なぁなぁ」

「…………」

「なぁってば」

「……うるさい。なんだよ?」


 少年が鬱陶しそうに振り返る。

 シンクは恐る恐る口を動かした。


「その、大丈夫なのか?」

「は?」

「だって……確かに俺は貴族だけどさ。その、」

「ぶっはははッ!」


 シンクの歯切れの悪い言葉を遮ったのは、大男の笑い声だった。

 嫌な予感と共に、シンクは大男の方を改めて見やる。

 見つめる先では、全身を震わせて大男が笑っている。


「トリスタン家だって!? そりゃあ、タイソウな貴族サマだなァ!」

「……何がおかしい?」

「おかしいことしかねェなァ、盗っ人坊主! 理由はそこの貴族サマに聞けば分かるだろォよ? えェ?」

「……俺の家が貧乏だから、だろ」


 拳を握りしめ、シンクは苦々しく呟いた。

 大男が勝ち誇ったような顔をする。


「そういうこった! 貧乏貴族に落ちぶれ貴族! もう、貴族っていうのも恥ずかしいかもなァ!? ただのガキじゃねェかよォ! えェ!?」

「っ……」


 シンクは唇を噛み締めた。

 反論できなかった。

 悔しい。そんな気持ちが、どろりと胸の奥で煮えたぎる。痛いほどに噛み締めた唇から血が溢れる。

 それでも、大男に手を挙げるわけにはいかなかった。

 それだけは……お金がなくても、剣がなくなってもそれだけはしてはいけないことだと、そう思って。


「八年前、一人の貴族が、お忍びで街に出かけた」


 静かな少年の声に、シンクは顔を跳ね上げた。


「お前……?」

「なんでも剣を探していたそうだ。街一番の鍛冶屋に入った彼は、そこで一番出来の良い剣を手にしようとした。よく見えるように、壁に飾られていた剣をな。だが……固定が甘かったんだろうな。壁にかけられていた剣が突然、貴族の上に落ちてきた。そして、その貴族は死んだ」


 見えるのは、淡々と話し続ける少年の背中だ。突然、何を言い出すのか。そう思ったのは、シンクだけではなかったようだ。

 大男がイライラしたように少年を睨みつける。

 

「それがどうしたァ? あァ?」

「この時に、罪に問われたのは誰だと思う?」 

「はァ? ンなの、ただの事故に決まって、」

「違うな。貴族優位の裁判では、鍛冶屋の店主に有罪が下った。刑は勿論、死罪だ。当然だろうな。ご立派な貴族を『殺した』わけなんだから」

「それがどうしたって、」

「最近の話もしよう」


 息つく間もなくまくしたて、少年が大男の方へと足を踏み出す。


「ある貴族の家から金が盗まれた。犯人は誰かも分からない。だが、腹の虫が治まらなかった貴族は、屋敷に出入りしていた使用人のせいにした。証拠も何もなかったが、見事に、その使用人は有罪となった。刑は、両手の切断だったか」

「な、」


 大男が絶句する。

 その大男から一歩と離れていないところで、少年は立ち止まり、肩をすくめる。


「貴族ってのは、つくづく自分勝手な生き物だ。ちょっとした過失でさえ、貴族相手なら、間違いなく罪に問われる。お前も、それは知ってるだろう?」

「そ、れは……」

「さて、ここでお前にもう一つ、耳寄りな情報だ」

「……耳寄り、だとォ?」

「そう」


 大仰に頷いて、少年が声を落とす。


「トリスタン家の嫡男は、オルレアン家の次期当主と仲が良いって噂がある。オルレアン……っていえば、お前も分かるだろう? そう、剣の一族だ。この国じゃ、一番偉い貴族サマだな。そんなところに害を成そうもんなら、どうなるか……」


 大男の目に、はっきりと怯えの色が浮かんだ。

 ごくりと、つばを飲み込む音が聞こえる。

 そんな彼に、少年は面白がるような口調で付け加える。


「安心しろよ。ちゃんと、俺は逃げ延びて、お前が犯人だってこと、貴族に伝えてやるからさ」

「う……うわぁぁぁぁ!?」


 大男は悲鳴をあげて踵を返した。

 全速力で、少年とシンクを置いて逃げていく。


「口ほどにもないな」


 淡々とした口調に戻った少年が、シンクの方に向き直る。

 その少年を、シンクは睨みつけた。

 少年の眉根が寄る。


「なにか不満か?」

「……俺は、お前の言ってる貴族じゃない」

「は?」

「事故で一般の人を有罪にしたり、無罪の平民を犯人にしたてあげるようなことはしない」

「……なんだ、そんなことか」

「そんなことじゃないだろ!」

「そんなことだろう」


 呆れたように少年が息をついた。

 

「あんなのは、あくまで一例だ。あの酔っぱらいを追い払うための話。全員が全員、そうってワケじゃない。ゼロだとは言わないけどな」

「っ……」

「なぁ、あんたは貴族の条件を何だと思ってる?」

「条件?」

「金があることが貴族の条件か? そうじゃないと、俺は思うがな」

「え……あ、ちょっと!」


 少年は身を翻して歩き始めた。

 目を瞬かせたシンクは、慌てて立ち上がり、少年の後を追う。

 お礼を言わなければ。そう思った。それと同時に、何か忘れているような気がした。

 一体なんだったか。なにか大切な……。思い出そうとして、シンクは首を傾げて。

 目の前を行く少年が、ひょいと金貨を拾い上げたのを見て思い出す。


「そうだよ! お前、盗み働いてたじゃん……っ!」

「っ!? おいっ!」


 とっさに手を伸ばした。

 少年の腕を掴む。少年が驚いたように振り返る。

 その拍子に目深に被っていたフードが外れる。


「っ、いきなり何するんだ!」

「いきなりも何もないだろ! 盗みは犯罪なんだぞ!」

「勘違いするな! これは元々俺の金だ! あの酔っぱらいの方が金を巻き上げてこようとしたんだぞ!」

「へ? そうな……の……」


 シンクの言葉は、途中で止まった。

 少年の姿を、まじまじと見ることになったからだった。

 ざんばらに切られた金の髪。

 苛立ちの色を滲ませる蒼の瞳。

 けれど何よりも目を引いたのは、その胸元にかけられたナンバープレートだ。

 『13』という数字が刻まれた、プレート。


 ――……そいつの正体がナンバー13じゃねぇかって

 ――……どこぞの娼館の、女主人の奴隷だって俺は聞いたぞ? 

 ――……フード被った盲目の子供なんじゃないか、ってのが最近の噂で

 ――……何でも望みを叶えてくれるんだぜ? 探さないって手は、


「ナンバー13……もしかして、お前が、あの……?」


 シンクが呆然と呟けば、少年は顔をしかめて。

 思わずシンクは、がっしりと少年の両手を掴んだ。


「そうなんだな!? 頼む! 俺の願いを叶えてくれ! 人を探してるんだ!」

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