act.1 東京2041
1.東京2041
街は眠らない。
漆黒の夜空に向かって溢れる光が人々を惑わせ、心を枯らし、科学を中心にして回る現代を過剰に飾り立てる。自らの本質を服飾で覆い隠す化生が光を浴びながら歩く街――華々しく輝く東京は表からはそう見えるだけで、道端に点々と続くごみを追えば、蓋をして隠した裏側が見えてくる。
目を焼く光の中を歩きながら、少年は薄汚れたパーカーのポケットに手を入れた。知らない内に穴が開いていたらしい。冬の風が指に絡みついて、少年は指を手の内に丸めこんだ。
街の中央で一際発光して存在を示す巨大スクリーンが、新しい機巧人形の宣伝をしていた。画面の中で踊るのは、華やかな衣装に身を包んだ少女たち――その容貌は無機質で、しかし完璧な美しさを振りまく。ほっそりとした輪郭、すっと通った鼻筋、長い睫毛、その奥に眠るガラスの瞳。ミカゲ・プロトタイプ、美影シリーズとも呼ばれるその美しい機巧人形を手にするのは、主に富裕層の脂ぎった親父達。……その時点で用途は知れているなと少年は一人嘲笑した。
少年はその映像を空虚な目で見つめ、いかにも不潔そうな髪をかき、雑踏からするりと抜け出した。路地裏の闇へ足を踏み入れようとした時、後ろから自分を呼ぶ声に気づいた。
「ちょっと、いいかな」
少年は振り返った。そこには、トレンチコートを着た、どこか頼りなさげな青年が立っていた。彼の様子から感じられた焦りや怯えが腹立たしく思え、少年は冷たく言い放った。
「何」
その声に、努めて平静を保っていたと思しき青年の表情が歪むのが見て取れた。実に情けない。それでも青年は深く呼吸をして、胸ポケットから何かを取り出した。それを見た途端、自分の中で不信感と苛立ちが募るのが分かった。
街灯にさらされ、尚も威光を放つ桜の紋は金色に光り、青年から溢れる嘘くさい『正義』をまざまざと示した。
警察手帳をしまうと、青年は少年に向き直った。
「僕は間宮。……君だよね、バクっていうのは」
身分を明かせばこちらが大人しく言うことを聞くと考えたのか、今の青年はまさに虎の威を借る狐。自信に満ちた目を少年に寄越して来た。
「……そうだけど」
呆れを混ぜた息を吐き、バクは屈する様子を微塵も見せずに、青年間宮を睨んだ。
青年はバクの言葉に答えようとしたが、そこで何かを止めるように一度口を閉じた。彼の喉が上下するのが見えた。数秒の後、彼の口から白い吐息が立ち上る。
「……協力して欲しいんだ」
「何に、どうやって? 端的に説明してくれる?」
ポケットに手を突っ込んだまま、バクは青年に冷たく言い放った。
冷たい視線から逃れるように、えっと……と言いながら目を忙しなく動かす青年。話の腰を折られて調子が出ないのか、普段からこうなのか……多分後者だろうな。
溜息をわざとらしく吐くと、バクは間宮に背を向けて路地裏へと一歩踏み出した。
「あ、あの……!」
「こんなに人がイッパイのとこで話すつもり? 大事な話っぽいって思ったんだけど、違う?」
呆れた声音でそう言うと、間宮は黙って後ろに続いて来た。
彼らが路地裏へ向かって進む度に、ぱしゃんと汚水が跳ねる。電線が張り巡らされた、澱んだ夜空を見上げながら、バクは立ち止まった。害虫が這うビルの壁を見ても気にも留めず、そこにもたれ掛かると間宮に視線を向けた。
表と裏の境界、そこに佇む青年は表の世界の華々しい光を背に受け、深い闇へと、意を決したように話し始めた。
「……ある人物を探して欲しいんだ」
「勿体ぶらないで早く言ってくれる?」
「……一年前から続いている連続殺人の犯人を、探して欲しい」
真剣な青年の眼差しに、バクは壁に預けていた身を起こし、彼の真正面に立った。
「二〇四〇年十二月頃、一人の男性がこの辺りの路地裏で殺されているのが見つかった。それが最初の事件」
「……あれか。覚えてる。去年の今頃だったっけ、珍しく寒い日だった」
人口は都市部に集中し、夜でも行き交う人並みや生活の光が絶えない。温暖化の進んだ今となっては、気温は上昇する一方。そんな中珍しく『冬らしい』日だったなと、バクは記憶を探るように視線を空中に向けた。
「そう、その日からここ一年、同じように殺されている人が見つかっているんだ。徐々に被害者が増えている」
「……何、それを調べろって?」
「……捜査に、協力して欲しい」
「これって、善良な一般市民に頼むようなこと?」
嘲るように、挑発するようにそう言うと、間宮は押し黙った。
何か考えた後、青年は真っ直ぐにバクに向かって言った。
「僕たちが入り込めない所も、ある。下手に動けば、嗅ぎつけられる可能性も……」
ベージュのトレンチコート、その下の黒いスーツ、左手首の時計、鈍く光る革靴――青年の真っ当な姿を舐めるように見た後、舌打ちした。なるほど、その上等な革靴を汚したくないってことか。そして、彼らにとって自分のようなモノは、汚れても別に、ってことだ――。
「お断りだ。ケーサツが無能過ぎんのが悪いんだろーがよ」
少年の体から発せられた、低い声音。先程と打って変わって、言葉の端が鋭く刺さる。胸を強く押されるような空気に負けじと、青年はその場に踏みとどまる。
「情報だけでいいんだ、どこで見たとか、そういう……」
「そっちの都合押し付けないでくれよ? 殺人犯とか……一般市民に頼むことじゃないだろ」
「そう思ってないから、頼んでる」
青年の瞳は静かに震えているように見えた。バクはその姿に一歩踏み出しかけた足を止めた。
「……君がここらに詳しい情報屋だって聞いたんだ。だから、頼んでる」
「誰から聞いたのか知らないけど、あんまり人の言うこと鵜呑みにしない方がいい」
バクは言い終わる前に、青年の方へ向かって歩き始めた。狭い路地裏、突然の行動に青年は挙動不審になり、どちらへよけるか、立ち塞がるか逡巡しているようだったが、バクは構わず突っ込んだ。
肩がぶつかる。
威嚇するように間宮を睨みつけ、バクは再びぎらつくネオンが降り注ぐ世界に踏み出そうとしていた。
「白い、女の子なんだ! 探してるのは! 長い髪の……白くて、長い髪で……真っ白な服で……!」
また、頼みに来るから――。
去っていくバクの背中に、青年の声が投げつけられる。滅裂な言葉から彼の焦りが伝わってくるが、そちらには一瞥もくれてやらない。薄汚れたパーカーのポケットに右手を入れながら、青年へ皮肉を込めて左手を振った。
そのまま人ごみへと消える……振りをして建物の影に隠れた。諦めきれない表情で立ち尽くし、やがてとぼとぼと去っていく青年の姿を認めると、バクは冷笑した。
右のポケットに開いた穴から、黒いものが覗いていた。それを取り出し、冷たい目で中を確認する。
「……ケーサツって薄給なのかねぇ」
僅かなカード類の他に小銭と五千円札が一枚、かわいそうな財布の中身に同情するように白い息を吐いた。奥の方を探るがキャッシュカードは無い、保険証も無い……もしかしたら盗られることを見越していたのかも、という考えは彼の間抜けそうな顔にかき消された。
予想を裏切られ、バクは脱力した。悔しさよりも失望が勝り、それをぶつけるように長財布を逆さまにして乱暴に振った。
すとん、と何かが地面に落ちた。滑り落ちたものを拾い上げ、バクはさほど興味もなさそうに呟く。
「また頼みにくる、ねぇ……」
運転免許証に写った彼の顔を見ながら、こっちの方がしっかりして見えるなぁと一人で笑った。
次に会った時にでも返してやろう。
財布をぽんぽんと宙に投げては捕らえ、そうして弄びながら路地裏の闇へと消えた。
* * *
二〇三〇年代、生きた人間と違わぬ容姿、完璧な美を持った人形、『ミカゲ・プロトタイプ』の登場に、人々は震撼する。
憧憬、畏怖を越え、『人間』により一歩近付いたその人形たちは、友として、家族として、そして、恋人として人々の心に棲み着いた。
その開発に尽力したのはとある若き機巧士で、彼は技術者でありながら有能な経営者だった。
彼の名は橋本昭二――人形をつくるだけの立場だった機巧士達にとって、彼の存在はあまりにも大きすぎた。一躍時の人となった彼の会社は、センターシティーコーポレーション、通称シーキューブ社と呼ばれ、日本だけではなく世界にもその名を轟かせ、最早知らぬ者を数えた方が早いとまで言われた。
精巧な人形の部品は、すなわち、精巧な人体の模造品。その事実に目をつける者の出現は当然の流れと言えよう。ある者はより美しい瞳を、ある者はより艷やかな髪を、ある者はより頑丈な腕を――人々は理想を叶えるために技術の成熟を夢想した。
天下のシーキューブ社を始めとした企業との提携故か、有能な企画者と技術者の存在故か、体の一部を機巧へと替える機巧手術の実用化は意外にも早く、民間に広まる日もそう遠いことではなかった。その魔術によって、人々は生と死の摂理を超越した存在になろうとしていた。
そして、二〇四〇年――。
その技術が完全なものではないことを示す事故が起こる。
ある時を境に、機巧手術を違法に行い、患者から金を毟り取る輩が現れたことがその始まりであった。粗雑な手術の結果、機巧不適合症――脳信号と機巧の動きに齟齬が生じたり、機巧が持ち主そのものを傷つけたりといった障害に苦しむこととなった人々が出てきた。しかし、法律という後ろ盾がまだ充分に無い故に泣き寝入りをする者が多く、手術に失敗した人間の中には、スラムでひっそりと暮らしていく選択をする者もいた。
なぜ肉体を捨てようなどと考えたのか。
彼らに残された道は、その愚かさをただ嘆くこと、それだけだった。
「ほんと、バカだよなぁ」
薄汚れたパーカーのポケットに両手を突っ込みながら、バクは呟いた。
落ちかけた太陽の光より街の人工灯の方が輝きを増し始め、路地裏の闇は一層濃く映る。屋根から外れて折れた雨樋から濁水が伝い、その上をねずみが走る。ねずみは甲高く鳴きながら倒れたポリバケツの中へ頭から突っ込んだ。そして、その宝の山を漁る。かきだされた生ごみを踏みつけ、バクは意地の悪い笑みを浮かべた。
薄暗い路地の真ん中を我が物顔で歩き、彼はダンボールに腰掛ける男を目端に捕らえた。その男の両腕に目をやる。汚れたシャツの袖口から覗く、銀色に鈍く光る手。弱々しく震えるそれは懐から煙草を出すのさえも精一杯なようだ。人体の骨や筋肉にあたる部分が合金で忠実に再現され、細かく走る導線は神経……の役割を果たすはずだった。
バクの視線に気付き、男は手を止める。震える手は胸元へと伸びたまま一度静止し、諦めたように下に降ろされた。男の腕はだらりと暗い地面に垂らされていた。そこにねずみが走っても、何の反応も示さない。上手く示せない、と言った方が正しいか。
――これが代償、ねぇ。
ふと、男の腕を見る。
四角形の右下に刻まれた三つのアルファベット。センターシティコーポレーションの頭文字を取ったそのロゴマークが薄く浮かび上がっていた。
この男の前にも、噂の少女は現れるのか。路地を抜けながら、バクは街で耳にした下らない話を思い出した。あの、白い少女の話を。
彼女が通り過ぎた後には、機巧人形の残骸や、機巧不適合症で苦しんでいた人間の死体があるという。その亡骸はどれも笑っているのだと。陳腐な都市伝説だ。
ネオンの光が遠くなる。
ぼんやりと映し出された足元を、ねずみが数匹走り抜けていった。