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離れられない無声音

作者: 原田うらん

家の庭に植えてある梅の木は塀を越え道路を覗くように成長している。


小さい頃から梅の木に登っている女性の姿が見えていた。

他の誰にも見えない彼女は梅の妖精だと思っていて、なんとなくそれは今でも思っている。

気持ち悪がる家族にはもう見えないと嘘を吐きながら高校2年の冬が訪れた。


彼女は平日の朝は必ず1度だけ道路に向かって手を振っていて、私以外に彼女が見える人がいるのか気になっていた。

いつか家に誰も居ない時を見計らって彼女に声をかけてみようと機会を待っていた。


テスト期間でいつもより早く学校から帰ってくると普段いるはずのお母さんが居ない。

これを逃せばもう声をかけるタイミングはないかもしれない。

走って庭に出た。


「訊きたいことがあるの」


「お嬢様! お久しゅうございます。最後にお声をかけてくださったのは黄色のお帽子に水色のスモッグを着られていた時――」


久しぶりに聞いたその声も私の呼び方も懐かしさのあまり笑ってしまいそうになる。

10年以上も前の事を昨日の事のようにすらりと思い出している彼女は人間でないと改めて実感する。

外で立ち話をするには寒すぎて、私の部屋に招き入れ単刀直入に訊いた。


「お恥ずかしながら私の姿が見えない殿方にご挨拶をさせていただいております」


彼女の表情は好きな人の話をする時の、話しているだけで楽しそうで嬉しそう幸せそうなものだった。

理解者に出会えると勝手に期待していたものは外れ、彼女の感情を共有できない。


それにしても、どこの誰かは知らないがこんなにも想われているのに見えないだなんて、声が届かないだなんて、不幸せな人もいるものだ。


「その方は毎朝梅の木を見上げて行かれるのですが、5年前に珍しく梅の花が咲いている日に雪が積もり、慈愛の目で木を綺麗だと褒めてくださったのです。表情の美しさに見惚れてしまって以来、見えていなくとも聞こえいなくとも人の真似をしては御挨拶をしてまいりました」


丁寧な言葉の選び方に相手への誠意が感じられる。

5年も想い続けられるのだから、それもそうか。


「手紙を出してみないか。お前の気持ちを私が手紙にして、その人に渡す。どうだ」


彼女の想いを見て、聞いていて、伝えてあげたいと思うのは当然の事だろう。

彼女は急に大粒の涙をぽろぽろと流してはそんな事が許されるのですか、と感謝の言葉を並べていった。


文房具屋をはしごしてようやっと見つけた梅の便箋に彼女の言葉をまとめ、手紙にした。


いつもならこたつに入り温もりながらご飯を食べている時間に、塀の外の梅の木の下で2人、彼女の想い人を待つ。

10分ほど経って彼女が声をあげ、指す方を見ると30代後半くらいのおじさんが歩いてきている。

通勤通学のラッシュよりも早いこの時間に歩いているのはおじさん1人だけだ。

彼女の容姿が20代くらいなせいでもっと若い人だとばかり思っていた。


彼に身体を向け、会釈をする。


「急にすみません。貴方に渡してほしいとこの手紙を預かっていまして――」


手紙を差し出す。


「俺に? 驚いたな。本人は来ていないのかい?」


彼は鞄を持っていない左手で手紙を受け取った。

シンプルなシルバーリングが薬指にはまっている。


私にしか見えない本人を横目に、本人は来られないと嘘を吐く。


「そうか。ラブレターなんて何十年と貰っていなかったからせっかくだし直接受け取りたかったな」


彼は渋く笑う。


「ご結婚されている事は伝えておきます」


「ああ、すまないね」


「いえ、彼女は貴方と関係を持つより幸せを願っていると思います」


彼女は何度も頷いている。


「それはよかった。ゆっくり読ませてもらうね。ありがとう」


彼は足早に歩いて行った。


そこに居るのに見えていない状況は、発音しているつもりでも息が抜けているだけで発音しきれていない、まるで無声音のようだ。


「これからどうするの」


家に帰りながら訊く。


「この木から離れることはできないですし、変わらず彼を見ては挨拶するでしょう。妖だからと諦めていましたが、人間だったとしても駄目だとわかったのでキッパリ諦めがつきました。お嬢様、本当にありがとうございました」


ちらちらと降りだした雪は地面に落ちては溶けてゆく。

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