予兆
西暦2030年。
驚異的なネットワークの発達により、日本は経済大国となった。
「不況」という言葉と隣り合わせであったはずの生活はそこにはなく、ほとんどの人が不自由なく過ごせる環境がそこにはあった。
一家に一台、政府からはパソコンが支給される。
さらに、自分のためのパソコンが欲しい場合には、各自治体に申し出れば「パソコン手当て」なるものが支給され、自由に買うことができるようになっていた。
この驚異的なネットワークの発達には、ある会社が関与していた。
その会社の名は「メルクリウス」。
この会社は通称「MENECC」と呼ばれ、正式名称は「Mercurius Eternal Network and Cyber Connecting」という。
このメルクリウスが提唱した新世代のネットワーク技術により、日本は革新的な進歩を遂げたのだ。
そして、誕生した巨大なネットワーク網は世界にも広がっていった。
だが、その代償として、人々は「対面」することが少なくなっていった。
──そして経済大国となって2年後の2032年。
若者の間であるものが流行し始める。
「神寄せ」。
これは、ネット上にある「神の花園」というサイトにアクセスし、自分の名前と生年月日、年齢を入力すると、自分の未来を神様が占ってくれる…というものである。
一種オカルトめいたそれは、妙によく当たると有名になり、新し物好きな若者たちの間に広まったのだ。
時にそれは残酷な未来も突きつけるため、「神寄せ」が流行り始めた頃から、中高生を中心に自殺者も増えた。
そして、こんな噂も流れた。
「神様に認めてもらえた人は、神様が力をくれる」
これが真実であるのか証明したものはなかったが、そうした「力」に憧れる世代でもある学生たちの間では有名な噂となっていた。
しかし、ここにそれを信じないものが一人…───
*
「神寄せェ?」
日本の首都・東京。
その中心地ともいえる新宿のとあるファーストフード店で、ポテトを頬張りながら一人の少年が素っ頓狂な声を出した。
神崎 鈴人。高校2年生。
葛ノ葉高校という不良が集まることで有名な高校に通っている少年だ。
制服である学ランは着崩され、本来その下に着ているはずのシャツの姿はなく、代わりに「わかやまのおいしいみかん」とポップな文字で書かれたTシャツを着ている。
黒いぼさぼさ髪の下から覗く鋭い赤い瞳が印象的だ。
季節は夏から秋への節目。今日は2学期の始業式だった。
何かとうるさい長兄に言われ、かったるいそれに仕方なく出席し、久しぶりに会った仲間と共にホームルームは抜けてきた。
「そうだよ、鈴人。知らないのか?」
鈴人の目の前に座っていた少年がハンバーガーを頬張りながらきょとんとした顔で尋ねてくる。
川上 直彦。鈴人の親友の一人だ。
くせっ毛な色素の薄い髪が目に付く、ちょっと気弱そうな少年。
少しタレ目なためによく実年齢より年下に見られる。
「話は聞いたことあるけどよ…そーゆーオカルト系は俺信じねェって前から言ってンだろがー」
「でもさ、マジで当たるって有名なんだよ!みんな言ってるよ!」
間延びしたやる気のない声で返答する鈴人にもめげず、直彦は一回やってみようよーと言って食い下がる。
気弱そうな直彦だが、一度言い出すと引かないという一面を持っている。今回も付き合わない限り引きそうにないと判断した鈴人は、小さくため息をついて残っていたポテトを放り込んだ。
「わぁったわぁった。やりゃいいンだろ?今からネステ行こうぜ?」
*
ネステというのは「ネットワークステーション」のことだ。
パソコンを自由に使うことができるようになっている施設のことで、運営自体は民間だが、その資金は政府から捻出されているため、ほぼ政府が運営しているといってもいい。
中は個室になっており、カフェのように飲み物や食べ物を食べることも可能になっている。
そして、24時間体制で運営されているネステにはさまざまな人間が出入りしている。
学生、サラリーマン、主婦…老人から子供まで、裏の社会に生きるものも…。
*
新宿の一角にあるネステ「アンブロシア」が鈴人たちの行きつけだ。
アンブロシアのマスター(店長みたいなものだ)に軽く挨拶をし、会員証を通して席につく。
席は1人用のものから5人程度で使用できるパーティルームまで様々ある。
今日は直彦が一緒なので、1人用よりちょっと広めのペア席だ。
「ンで?カミ寄せってどうやンの?」
「ホントに鈴人知らないのなー…えっとな、確か…」
黒い革張りのソファにどさりと腰掛けては、好物のコーラを片手にポテトチップスをつまみつつ、別段興味もなさそうに尋ねる鈴人に苦笑しながら、直彦はパソコンを起動し、ネットに繋いだ。
ちょっと待ってて、と告げて、そのまましばらくキーボードを叩く。あの部分でマウスをクリックすると、サイトページがディスプレイに姿を現した。
「…神の花園ぉ?」
ディスプレイには淡い色合いで「神の花園」と大きく描かれている。
その両端には大きく鮮やかな花の模様が描かれ、サイトを彩っている。
画面を見た鈴人は眉をひそめながら呟いた。
「なんっかイカニモ!って感じだなぁおい…」
「まあ確かにねー…でも当たるのは本当らしいよ!生徒会長もやったらしくてさ、神寄せで『望む地位を手に入れるでしょう』って言われたら本当に生徒会長になれたって…」
直彦の話に半ばアホくさ、と思いつつもあえて口には出さずふーん、とだけ返した。
その様子にもー、と頬を膨らませた直彦はサイトにある「未来を視る」という項目をクリックした
すると画面には「貴方のことを教えてください」というものへと変わり、名前や生年月日を入力する部分が出ている。
「ここに、名前とか入れていくんだよ」
直彦は手馴れた様子で、自分の名前や生年月日、年齢を入力していく。
その下には「貴方の未来を視ますか?」と書かれていて、「はい」「いいえ」の部分がクリックできるようになっている。
直彦は迷わず、「はい」をクリックした。
どうせロクなモンが出てこない。ありきたりな占いの文章だろう。
そう思っていた。
しばらくローディング画面が続き、画面が変わった。
先ほどまでの淡い色合いの画面は消え、真っ黒な中に赤い文字が浮き上がった。
『死を受け入れよ。さすれば花園へと辿り着く』
その言葉の意味が理解できず、直彦も鈴人もしばらく黙り込んでしまった。
───「死」?
「な、なんで…どうして…僕が…!」
震える声を絞り出した直彦の顔は青白く、唇が小さく震えている。
恐怖からか、口からは歯の鳴る音がかすかに聞こえた。
「…真に受ける必要はねェだろ!ンなもん占いだっての!」
思わずわずかに声を荒げた鈴人はそのままパソコンをシャットダウンし、未だ顔面蒼白の直彦を連れて、ネステを後にした。