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●短編集、裏(問いをかける小著)

伝説の壺薬

作者: 黒十二色
掲載日:2026/04/04

 安全な宿と名高い「ドロフィン」に辿り着いた時、もう酒は残っていないと言われた。無理もない。夜も深く、半分の月も西の山脈に沈みかけている頃だったのだから。


 それでも入り口が閉ざされていなかっただけでも本当にありがたい。荒野に浮かんだ灯りが幻でなくて本当に良かった。


 大きなイヌの魔物に襲われて、馬を失った。

 落馬の衝撃で傷ついてもいた。


 木の椅子に座るのに失敗して軋む床に転がったとき、体格のいい筋肉質の中年女性が薬の入った壺を手にして駆け寄ってきた。


「あなた、お酒どころではないでしょう。傷の治りが悪くなる」


 私はその言葉に違和感をおぼえた。傷は深くとも、いや深いからこそ頭は冴えていたかもしれない。


「そんな風に言うってことは、本当はあるんだな。酒」


「出しませんよ。死なれたら困りますからね」


 てっきり傷に薬を塗ってくれるのかと思ったのだが、女は薬の入った壺だけを置いて、「まったく、旅人はみんな中毒者ばかり。なんでこんな世界になっちゃったのかしら」などと愚痴をこぼしながらカウンターの奥へと消えていった。


 周囲を見回してみると、傷だらけの椅子に浅く腰かけている老人がいるのみだった。


 浅い座り方には理由があった。大きな剣を担いだまま座っていたのだ。


 椅子の傷は、彼の背負った大剣によって生じたものだと直感した。他の椅子は傷ついていなかったので、彼の特等席なのだろう。


 老人は自分が飲んでいた割れかけの陶器に酒を注ぎ、飲むでもなく乱暴に机に置いた。


 一度もこちらに視線をくれることはなかったが、その酒は、私のためのものだった。飲みたいなら飲みに来いということだ。


 私は欲望の犬になったかのように、酒入りの陶器に飛びつくようにして、老人の向かいに座った。


 私はさっそく酒をあおり、なにか共通の話題を探した。しかし、この荒れたご時世だ、暗い話しかない。


 日夜を問わず、すこし遠出すれば間違いなく魔物に襲われるようになったのは、半世紀前の魔王の死が原因だ。統制を失った魔物が暴れだし、じっくりと魔物が世に広がり、すっかり暗黒時代になってしまった。


 私が明るい話題をさがしていると、見かねた老人が声をかけてきた。


「魔物との戦いの必需品である強力な治療薬には、かなりの酩酊成分が含まれておる。ゆえにその壺薬を一度でも使った旅人は、ほとんどの者が酒に呑まれるようになる」


 老人は自分で言って自分で笑っていた。


 あまり笑える冗談ではなかった。私は何と返せばいいか困った。


 判断を誤ったと思った。女主人に話をつけて、さっさと部屋に案内してもらうべきだった。酒に手をつけてしまった手前、年寄りの長話から逃れることはできない。


 老人は構わず続ける。


「もっとも、不完全なものでなく、伝説の壺薬であれば、そのようなことはないのだがな」


 伝説の壺薬。きいたことがあった。たしか、過去に伝説の壺職人だけがそれを作れたという話だったか。


 老人は私が言葉を返す前に、昔話を始めた。


 ★


 伝説の壺職人がいる。


 そんな噂を聞きつけて、勇者ジャックがリヴィトの工房を訪れたのは、肌を刺すような冷たい夜だった。


 吐く息は驚くほど白く、頭上には零れ落ちそうなほどの星空が広がっていた。


 北の果て、薄い板を張り合わせたばかりのみすぼらしい工房は、澄んだ湖のほとりにあり、霜を踏み荒らさないと辿り着けない秘境にあった。


 勇者ジャックには伝説の壺を求める理由があった。来たるべき魔王との戦いに備え、効果の高い壺薬を求めていた。世の中に壺は星の数ほどもあるが、最高の回復薬は、その伝説の壺でしか成功例がなかった。


 勇者ジャックの目的は非常にシンプルだ。


 リヴィトの壺。


 雪よりも白く、なめらかな仕上がりで、芸術的な価値が高いばかりでなく、最高の回復薬づくりには欠かせない特別な魔力を帯びている。


 村々や資産家や国家が所有していた貴重なリヴィトの壺はすでに全てが失われ、今やどの宝物目録にも記載がない。さいわい、職人リヴィトの行方を知る者がいたため、馬車も使えない極寒まで徒歩で参じたのだった。


 リヴィトは勇者を見ても、興味を示さなかった。


「あの、リヴィトさんですよね。伝説の壺の」


 リヴィトは言葉を返さなかった。


 勇者ジャックが至近距離で後をつけても、壺づくりを凝視しても、いないものとして扱った。


 釉薬が塗られ、最後の焼きが終わり、大きな窯の中には白く細長い壺がいくつも生まれていた。光沢のある白は、きらきらと光を反射する新雪のようだった。


 見事な出来栄えだ。並々ならぬ魔力を感じた。史上最高の壺薬が作れそうだ。


 ところが、壺たちが窯の外に出ることはなかった。


 叩き割られたからだ。


 一つ、二つ、三つ、四つ、確かめながら、職人のハンマーが壺を割っていった。


 しばらく何が起きているのかわからない勇者だったが、やがて勢いよく駆け寄って小さなハンマーを持つ職人の腕を掴んだ。


「なっ、なんで壊してるんですか!」


 払いのけられた勇者は次の一手を打つ。白い壺の一つを取り上げ、抱きしめた。せめて一つでも守ろうとしたのだ。


 そこで初めて、勇者と壺職人の目が合った。


 勇者ジャックは、リヴィトに投げ飛ばされた。気づけば、手からこぼれた壺が職人のハンマーによって砕かれていた。


 金属のような硬く激しい悲鳴を何度も立てて、壺は全滅した。


「なんてことだ。貴重な壺が……見事な壺だった。完璧だった。何で……何でなんだ」


 戸惑う勇者は、このとき初めてリヴィトの声をきいた。


「壺ではなかった」


「え? いやいや、あなた、何を見てたんですか? 完全に壺でしたよ?」


 その日は、それきり、リヴィトは何もしゃべらなかった。


 夜になり、焚火をして、食事をとり、眠り、朝になり、山で土を集めるところから一日が始まる。


 壺職人が自信を喪失しているのだと思い、勇者は事あるごとに励ますことにした。


 土の選び方を褒めた。ろくろ使いを褒めた。繊細な叩き方を褒めた。削りの丁寧さ、薪割りの効率、火加減の調整、釉薬の調合、真剣な表情、料理の技術、叩き壊す以外の、ありとあらゆることを褒めた。


 壺ができるたびに、出来上がった壺のよさを語った。いくつもの角度から、何度も何度も語った。


 職人は聞く耳を持たなかった。


 壊され続ける壺の音が、耳の奥に残り続けた。


 工房に来てからの日数を数えなくなってから、どれほど経っただろうか。ジャックは壺づくりの手伝いをするようになっていた。


 時々、同じ質問をして、煙たがられていた。


「何度も言わせるな。壺ではないからだ」


 厳しさのなかにも優しさがあった。それは、弟子に言って聞かせるような調子だった。


 壺じゃないとはどういうことだ。あらためてジャックは考えた。


 ――見た目も、役割も、完全に壺にしか見えない。薬をつくるのに最適な壺だ。もしかして、ものを入れるために、壺を作っているわけではないってことか。いいや、それはおかしな話だ。壺はものを入れるために作られるものだ。何も入れないなら、もう壺じゃない。


 ジャックは観察を続けた。


 ――リヴィトは、壺が完成する直前に壊している。ということは、もしや、完成に近づくほどに、壺ではなくなるということか。それは一体、どういう理屈だ。


 そこまで考えて、ジャックはまだ焼いていない壺の形をしたものを手に取り、壺に話しかけるかのように言った。


「もしや、生み出され続けているのが、リヴィトが入れたいものに見合う壺じゃないのか。何かを入れたくて作り続けているとしたら。たとえば、入りきらないほど大きなものを入れようとしているのなら、サイズの合わない壺には用がない。……ああそうか。だから壊しているのか」


 ジャックは職人に、「何を入れようとしているんだ」と聞いた。


 答えなかった。


 しつこく聞いて回った。


「そうではない。違う。何かを入れるとか、入れないとか、そういう問題ではない」


 それ以上、語ってはくれなかった。


「入れる入れないの問題じゃないということは、完成しないことを求めているんじゃないか。だったら、解決する手段は一つだ」


 ジャックは、すべてを壺だと言い張ることにした。


「ろくろを回しているとき、もうすでに壺だ。叩いて形を整えている時も、もう壺だ。釉薬を塗っているときも、もう壺だ。叩き割る行為も壺だ。一連のすべてが壺になっている。あなたはすでに、最高の壺を生み出し続けているんだ。すべての壺が最高の出来だ。いまさら出来上がった壺の優劣にこだわる必要があるだろうか。いいや、ないね!」


 それは渾身の演説だった。


「何でもかんでも壺にするな」


 そうやって一蹴されかけたが、勇者は引かなかった。引かないから勇者だった。


「私は見つけた。あなたの生き様に、壺を見出した。私にとって、あなたは間違いなく壺なんだ」


「……勝手にしろ」


「じゃあ、そこの白い壺を一つだけでいい、私にくれないか」


 職人は言葉を返さなかった。


 一つ残らず砕かれた。それが答えだった。


 なんで壊すんだ。何を求めているんだ。


 わかったようで、いまひとつわからなかった。


 ちゃんとわかるために、見様見まね。勇者は自分で作ってみることにした。


 焼きあがった。だが完成と言えるかも怪しいほど、ひどい有様だ。底に穴があいてしまっている。飾ることも使うこともできそうになかった。


 それでも勇者は、そのひどい壺を壊せなかった。


 ただ歪に生まれただけで、それを無意味と断罪していいのか迷ったのだ。


 勇者は、もっと壺を知りたいと思った。


 北の果ての、さらに果て。そこに工房を築き、一人で壺の探求をはじめた。


 だんだんと作る壺が大きくなっていった。


 何を入れるでもない大壺が、湖畔にいくつも並んでいった。


 雨風にさらされ、ひび割れ、崩れることがあっても、自分から壊すことはしなかった。作るたびに叩き壊してしまう職人への、静かなやり返しだったのだろうか。


 ジャックは壺づくりに没頭した。


 職人と同じように、朝から晩まで壺のことを考え、壺を生み出し続けた。


 ――壺に何を入れればいいのか、わからない。

 ――何でも入れられるものにしたい。


 そういう理由で壺が大きくなっていったわけだが、どんなに大きくしても世界すべてを包む壺なんて作ることはできないのだ。神になれないことに駄々をこねているようなものだ。


 それでもジャックは壺づくりをやめなかった。


 いつかすべてを入れ得る壺が作れるはずだと、真剣に土と炎に向き合った。


 あるいは、壺職人リヴィトも似たような理由で破壊を続けていたのかもしれないと勇者は思った。


 ――それでも、私はリヴィトとは違う。やり方に大きな違いがある。


 こうした気付きの蓄積により、ついにジャックは、自分の身体よりも大きな壺を作るようになった。


 ある日のこと。穏やかで暖かな珍しい日だった。


 これまでで最も大きな壺を転がして運んでいるところに、懐かしい匂いの風を感じた。大地が震え、それまで楽し気に歌っていた鳥たちが、慌てた声を発して飛び去っていった。


 振り返ると、大きな魔物がいた。黒紫の身体と、鋭利な二本の角。蝙蝠のような翼をもち、目を赤く光らせた悪魔型だった。屋根よりも高い場所からジャックを見下ろしていた。


 ジャックは身構えたのだが、すぐに魔物が膝をついた。さらに身構えたものの、魔物は攻撃する気配が全くなかった。ただ痛恨の念を込めて、こう言った。


「父が死んだ。薬が作れずに死んだ」


「父とは」


「魔王だ」


「……なぜ私にそんな話を」


「壺だ。とても美しく、とても大きい。偉大な父を入れるのに相応しい。あなたの傑作を、骨壺にしたい」


 魔王の息子は、できたての白い大壺に手を掛けた。


 持って行っていいかと許可を求めてきた。


「頼む。父を収めたいだけだ」


 ジャックは壺を何のため作っているのか、自分でもわかっていなかった。


 ジャックは自分の壺を見つめた。


 違う。


 これは違う。


 小さなハンマーを握りしめた。振りかぶって、一度止めた。


 もう一度、高く振り上げて、渾身の力をこめて振り下ろした。


 叩き割った。魔王の息子の手を離れた壺は、破片になって四方八方に散り転がった。


「この壺は、お前のために作ったんじゃない」


 初めて自分の壺を破壊した。


 魔王の息子が寂しそうに飛び去っていったのを見送ったあとで、ジャックは、その場の土を集めはじめた。


 ★


 老人は、話を終えてまた酒をすすめると、誰が祀ったか知らないが、近くに大きな壺が祀られた観光地があることを教えてくれた。荘厳な飾りつけで、見るも鮮やかだという。


 興味がわいた。老人が案内してくれると言うから、日が昇ったら見に行くことにしよう。



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