言葉を使うということ
「そんな言い方しなくてもよくないですか?」
会議室の空気が一瞬で凍ったのを、誰もが感じていた。
部下の橋本が、言葉を噛み締めるように吐いた。
その真正面にいたのは、私だった。
部長代理を任されて数ヶ月、まだ肩書きに自分が追いついていないのを自覚しつつ、私はできる限り公正に、効率的に、チームをまとめようとしていた。
意見の衝突はあってもいい。言いたいことがあるなら言ってほしい。
だからこそ、私はその時も、橋本にきちんと伝えたつもりだった。
「君のその案、確かに新しくて面白い。けど、現実的には少しリスクが高い。今の時点で採用はできないな」
それだけのことだった。
批判ではないし、否定の言葉も使っていない。
それなのに、彼の目には、はっきりと不満の色が浮かんでいた。
やがて会議が終わり、誰もが気まずい雰囲気のまま部屋を出ていった。
私と橋本だけが取り残された。
「どういう意味ですか」
「どういうって……案としては面白い、でも時期尚早ってことだよ」
「面白いけどダメ、って、一番きつくないですか。最初からダメって言ってくれたほうがマシです」
私は何も言えなかった。
まさかそんな風に受け取られるなんて、思ってもいなかったから。
社会人として、言葉を正確に選ぶことは大事だと教えられてきた。
余計なことは言わず、伝えるべきことだけを、端的に、丁寧に。
けれど、いくら丁寧に言葉を包んでも、受け取り手の心に鋭く突き刺さることがある。
それをコントロールすることはできないのだ、とこの時、初めて実感した。
橋本の案は確かに光るものがあった。
けれど社内の制約、予算の都合、そして今の時流に乗るには少しだけ外れていた。
だから「今は無理だ」と伝えた。
あくまで事実として、客観的に。
だけど彼には、「あなたの考えは現実を知らない子供の意見だ」と聞こえたのだろう。
そのことに、後から気づいた。
「橋本、ちょっといいか」
一度だけ、飲みに誘った。断られるかもしれないと思いながら。
けれど彼は「はい」と頷いた。
居酒屋の席、最初のビールを注文したあと、私は正直に口を開いた。
「あの時の言い方、きつかったよな。悪かった」
「……いえ。こちらこそ、感情的になってしまって」
「君の案は、本当に悪くなかった。ちゃんと読み込んでたよ。リスクがあるとは思ったけど、未来の選択肢としてはアリだと感じた」
「ありがとうございます」
それだけの会話だった。
けれどその夜、橋本が帰る間際に言った言葉が、いまでも心に残っている。
「言葉って、不思議ですね」
「……ああ」
「俺、あの日、ちゃんと伝えようとしてくれてるのも分かってたんです。でもそれでも、ダメだったんです。自分が責められてるって、勝手に思っちゃったから」
彼は笑ったが、その笑顔には少しだけ、痛みのようなものが混じっていた。
私は頷いた。
「言葉ってのは、発した人の意図が正しいんじゃなくて……」
「……受け取った人の感じたことが、正しいんですよね」
それがすべてだった。
どんなに整えた言葉でも、それが相手の胸に届いたとき、どう響くかはわからない。
そしてその響きこそが、その人にとっての「事実」になる。
それから私は、言葉の「正しさ」にこだわるのをやめた。
言い方一つで誰かを遠ざけることも、救うこともある。
だからこそ、どれだけ伝えるつもりでも、「伝わったか」を確認する時間が必要だと学んだ。
あれから半年、橋本は今、別部署で新たなプロジェクトを任されている。
件の提案も、彼のアレンジによって、形を変えて実行に向かっていると聞いた。
私が却下したアイデアは、別の誰かによって「行ける」と判断されたのだ。
悔しさがないと言えば嘘になる。
けれど、少しだけ嬉しいとも思えた。
「そんなつもりじゃなかったのに」
そう思う出来事は、これからも何度もあるだろう。
でもそれはきっと、悪ではない。
伝える勇気と、受け取る痛みの間で、言葉はいつも揺れているのだから。