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血の国境(ブラッド・ボーダー)

 東京湾に一隻のクルーザーが滑り込んでいた。夜の海を裂くその白い船体は、異国の死を運ぶ器だった。甲板には三人の人物が静かに立っていた。

 黒王。その男には名前がなかった。かつて持っていたかもしれないが、今はもう遠い過去の霧の中に消えた。忘れたのか、捨てたのか、あるいは、記憶に値しなかったのかもしれない。彼の中には名前よりも深い何かがあった。ただ殺すためだけに研ぎ澄まされた存在。冷えた瞳に、火は宿っていなかった。

 エミさん。金髪碧眼、白磁のような肌に、どこか古い諜報国家の亡霊の気配をまとう女。MI6。その名も今では記録の底に沈んでいる。任務に生き、恋もなく、名も捨て、国を捨てた女。狙撃の天才。情報の魔女。生き残ることに特化した人間兵器。その胸の奥には感情らしきものがあったのかどうか、誰にも分からない。

 そしてチル。赤いコートを纏った少女。年齢は若いが、歩みは悠然としていた。全米最大のマフィア、チルバニアファミリーの令嬢。だが、そこにお嬢様らしさはない。血と銃火に育てられ、毒と欲に囲まれて大人になった娘。その瞳には恐れも驕りもない。あるのは静かな意志。破壊のために呼吸をし、支配のために美しく在る。

 三人はただ東京の街を見下ろしていた。無数の灯りが血管のように広がるこの都市が、今から彼らの足元に崩れ落ちる。誰一人、自分たちを止められる者はいない。それは確信ではなく、過去の証明だった。

 東京の一夜が、ゆっくりと地獄に染まりはじめていた。

 歌舞伎町。ネオンの海に潜む獣のような男たちが、神鬼連合の事務所に集っていた。焼酎と煙草の匂い。淫靡と暴力の余韻が、狭い部屋に染みついていた。

 最初の一撃は音ではなく光だった。

 ビルの外壁が爆発し、真紅の煙と火花が部屋に噴き出した。壁を破壊したRPGの爆風により、三人のヤクザが即死。机の陰に隠れていた幹部の一人は、そのまま背骨を粉砕されて倒れた。

 真っ黒なスーツ、ドクロのマスクを被った男たちが静かに入ってくる。その動きには無駄がなかった。照準、排除、再装填。全てが訓練された殺人のリズムだった。

 黒王が一歩前に出た。敵が銃を抜くよりも速く、黒王のグロックが二発、喉と眉間を正確に撃ち抜いた。反撃に出た若頭が日本刀を抜いたが、その動作の半ばで彼の足首が撃ち砕かれ、膝をついた瞬間、エミの狙撃が左目から頭蓋の裏まで貫いた。

 チルは部屋の中央に立ち、笑っていた。その姿はまるで夜会の令嬢のようだった。敵の血が彼女のハイヒールを濡らした。踏まれたヤクザが呻き声を上げた瞬間、チルは片足で彼の顔面を押しつぶし、至近距離から小型のベルギー製サブマシンガンを撃ち込んだ。

 十七発。すべて心臓付近に集中した。撃ち終わるまで、チルの微笑は崩れなかった。

 二十分後。新宿署。

 警察は即応したが、速さではなかった。遅すぎたのだ。

 署の正門前に停車した装甲車がC4で爆破され、火の柱が夜空に上がった。警察署の外壁には既にドリルによる穴が開けられていた。事前に電波は妨害され、署内のセキュリティログは全て改竄されていた。

 黒王が突入する。警棒を振り上げた若い巡査の胸に、無言で銃口を突き立てた。反射で拳銃を抜こうとしたが、間に合わない。弾は二発、肺と心臓に届いていた。

 屋上からはエミの狙撃が始まっていた。

 最初の一発で、受付カウンターにいた中年刑事が即死した。次に動線を確認し、通路に集まった機動隊三人の頭部を順に撃ち抜いた。弾道は常に最短距離。風も重力も計算に入れていた。狙撃というより、予言のようだった。

 その間、チルは監視室に侵入し、監視カメラの映像をリアルタイムで操作していた。すでに署内の部隊配置は完全に掌握されていた。

 チルは端末の前で囁いた。

 この国、思ったより簡単ね。

 その頃、署長室では黒王が最後の一発を撃ち終えたところだった。銃声の余韻と、椅子に崩れ落ちる肉体の音。灰色のスーツに血の花が咲いた。

 静寂。

 そして、次の火が灯される。

 チルはスカートを整えながら立ち上がった。指先には一滴の血がついていた。それを見て彼女は静かに微笑んだ。

 エミが屋上から戻ってくる。手にはまだ熱を持った狙撃銃。黒王は黙ったまま弾倉を交換する。

 誰も言葉を交わさなかった。だが、全員が知っていた。

 これはただの抗争ではない。これは戦争だ。

 いや、それ以上のものだった。

 この国を壊し、買い、支配する。

 そう決めた時から、三人は止まらない。

 日本がまだ気づいていないだけだった。

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