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エイベルギアの聖旗  作者: 狼煙
序章
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06話 女将の小言と賄い

 オルガ砦の中には小さいながら傭兵や鍛冶師向けの食堂がある。

 ちょうど昼時ということもあってか、開け放たれた扉からは賑やかな声とそこから食欲をそそる匂いが漂っている。大きな鉄鍋には鹿肉と野菜の煮込み料理が湯気を上げており、幾つも並んでいる編み籠には香ばしく焼きあがったばかりであろうパンがこれでもかと山のように放り込まれている。

 それらの料理の前には客であろう兵士や機巧師がそれぞれお盆を手にもってずらりと列をなしており、大鍋の前にいる恰幅の良い年配の女性が並んでいる客のお盆に手際よくお椀によそった煮込み料理やパンと果物を乗せていく。中にはお椀によそわれた料理の分量に不平を並べる者もいるが、この年配の女将に一喝されると渋々と諦めて空いた席に向かっていく。

 

 この砦の食堂を取り仕切っているのはケーラという年配の女性である。

 恰幅の良い体格に良く通る声、誰にでも分け隔てなく接する態度やその面倒見の良さも相まって砦に務める男衆からも頼りにされている。本業は町にある《銀月亭》という宿屋の女将であるのだが、夜は酒場も兼ねている宿であるため昼間はここで砦の食堂で賄いを出す手伝いをしてくれているのだ。

 オルガの町は鉱山で働く鉱夫やそこから採れた鉄鋼で武具などを鋳造している鍛冶師、それにこの砦に務める兵士や傭兵といった強面の男衆が多く住んでいる。そうした連中は総じてがさつで大雑把、何かというと腕っぷしで解決しようとする荒くれものが多い。そんな中を相手に女手一つで宿屋と酒場を切り盛りしている姿は、まさに女傑という言葉が良く似合う。

 特に町で唯一の酒場の女主人である彼女に睨まれてしまうと、どんな強面の男衆であっても酒にありつくことが出来なくなってしまうため、この町での暮らしが長いものほど彼女に逆らうような愚かなことはしないのだ。


 以前はこの食堂もケーラが一人で切り盛りしていたのだが、最近では町に住んでいる他の女性も手伝いとして雇われている。

 あまりにもお粗末な食事しか供されていないのに呆れかえったケーラが、食事などにはあまり関心を向けていなかったログナーに直談判したのだ。もちろん食材の仕入れに必要な金や新たに雇うことになった女性たちの給金などの経費は傭兵団の懐から供出されることにはなったが。ただその甲斐あってか砦の賄いとして出される食事は以前と比べて各段に旨いものになり、昼時には砦で働く者だけでなくわざわざ町からこの食堂に食べにくる鉱山夫などもいるくらいであった。

 とくに彼女が賄いの当番になっているときは、日替わりの煮込み料理だけでなく羊肉の串焼きや卵料理なども気前よく振舞われることがあるため、それを目当てにいつもより客足が増える食堂を手伝うため、娘のアリシアも一緒にここを訪れることは珍しくはなかった。

 カインはちらりと奥の厨房に目をやると二人ほど手伝いにきている女性の姿が見えるが、そこにアリシアの姿はなかった。


(こっちには来てないのか…)


 カインは食堂の入口にある盆を手に取ると、配膳している列の最後尾に並んで順番を待つことにした。

 幸い配膳はケーラが担っているので、他に聞かれることなく話すことができそうであった。


「さっさとお盆とお椀をこっちにお出し…ってアンタかい!」


昼時の忙しさもあって、行列の最後尾までくるまでカインがそこに並んでいることに彼女は気付かなかったのだろう。

少しだけ驚いたような顔をするが、すぐさま不機嫌そうな顔に変わる。


「……シアは?」

「何であたしに聞くんだい」

「…………」


先ほどまでの愛嬌はどこへやら、じろりとカインを睨みつけながら声を低くする。


「あの娘なら来てないよ。今日は夜からお客が大勢くるから宿で夕食の仕込みをやってるからね」

「……そうか」


 どう話したものかと歯切れ悪く言い淀むカインに、痺れを切らしたケーラが猛然とまくし立てるように詰め寄る。


「で、あんた昨日うちの娘に何をしたんだい?」

「いや…別に大したことは…」

「男のくせに声が小さいんだよ!何があったかちゃんと説明おし!」


 ケーラは怒声をあげながら、カインの手にしていたお椀に鹿肉の煮込みをどちゃりとよそう。他の客と同じようにパンを二つお盆にのせるが、興奮したケーラは手にした羊肉の串焼きをぐさりとパンに突き立てる。


「お、おい!?」

「何だい…!何か文句でもあるってのかい!」


 ケーラは再びじろりとカインを睨みつけるが果物をのせようとした所でその手が止まる。

 ふいに大きなため息をつくと、肩を落としながら少し俯いて小声で呟いた。


「あんな夜の寒空に上着も持たずに家を飛び出したかと思えば、数刻後には泣きながら帰ってくる。あたしゃてっきりアンタが死んだもんかと思ったけどそんな様子でもない。宥めて問いただしても、首を横に振るだけで話そうともせずに俯いちまうし…」

「…………」

「いつものアレで喧嘩したのかい…?」


ため息交じりにそう言った彼女の言葉にカインは小さく頷くと、ケーラはそっと果物をお盆に乗せた。


「あの娘もどうにも出来ないことは分かっちゃいるんだけど、アンタが心配なのさ」

「…………」

「昔からあんたは暇さえあれば砦で訓練してるか剣の修行ばかり。それでなくても見張りや護衛の仕事でここにも居やしない。たまに家に戻ってるかと思っても近頃は店に顔を出すことも滅多にない。それであの娘に心配するなって言っても無理ってもんさ」

「……済まない」

「あたしに謝ってどうするのさ、まったく…」


そんなカインの様子にケーラは少し呆れたように笑う。


「今はあの娘も気持ちの整理が上手くついていないだろうけど少し時間が経てば落ち着くさ。それにあの娘と喧嘩しちまったんなら、アンタが家で晩飯にありつくのは無理だろう?今日の夜はうちの店に顔を出していきな」


 そう言ってケーラはカインのお盆に果物を二つ置くと、その背中を軽く叩いて空いている席へ座るように促す。

 二人が話し込んでいるうちに、いつのまにか食堂はまた他の客がぞろぞろと集まり賑やかになり始めていた。


「だいたい、あんたはいつまでもウジウジとあの娘の気持ちに…」


 賑やかなその声にかき消されてケーラが最後に何事か呟いていたのを聞き取ることはできなかったが、何を言われているのかはおおよそ見当はついていた。だが、それを聞き返すことも、それに答えることも、今のカインには迷いがあった。


(人を殺める俺の手は、アリシアの手を掴んでいいのか…)


 ぼんやりと盆にのせた椀からあがる湯気を見ながら、カインはいつも心の片隅にあるその葛藤を思い起こしていた。

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