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エイベルギアの聖旗  作者: 狼煙
序章
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05話 銀華の髪飾り

 自宅を出たカインはオルガ砦に向かっていつも道を歩いていた。

 それとなく視界に入った空は鈍色の雲に覆われているが、昨晩から降り続いていた雪も今は止んでいる。

 それでも集落の家々は半分近くは雪に埋もれたままであり、町の中央通りとそこから砦に続く道だけは人の往来によって少なからず道らしきものが見え隠れしている。そこには中央通りには鉱山から戻ってきた炭鉱夫たちや、昼間のうちに買い出しを済ませようとしている女子供、それらを相手に並んでいる露店からの行商の声も加わって珍しいくらいの賑わいを見せている。

 心なしかいつもより人通りが多い気がするが、集落の出口付近の広場でその理由がすぐに分かった。昨日の行商隊の面々が砦で検閲を終えたのであろう。町の大通りや広場に止めた荷馬車の近くに幾つも露店を並べると、町の住民に向けてさっそく商いを始めているのだろう。


 オルガの町は北の辺境と言って良いだろう。

 ここを訪れる大抵の者は、町の唯一の収入源と言ってもいい鉄鋼を買付けにくる商人か、町の工房で武器や機巧兵の製造を依頼にくる軍や傭兵といった類の人間くらいだ。基本的に仕入れに来ることが目的であるため、それほど多くはない町の住民を相手に商いをしても採算に合わないのであろう。時折、数人の行商が大陸の珍しいものをもって訪れることはあっても、こうした規模の大きな行商隊が訪れることは数年に一度あるかないかといったところだ。

 とくに露店の前に集まる人だかりに女性の姿が多いところを見る限り、大陸の珍しい品々だけでなく都で評判の衣服や、その材料となる絹や木綿で作られた織物、硝子や銀などの工芸品などが所せましと並んでいるからであろう。旅芸人まで引き連れて来ているらしく、賑やかな弦楽器の音が聞こえるくらいだから、物珍しさに惹かれてさぞかし子供も集まっていることであろう。


 もうすぐ昼前ということもあり、通りには午前の仕事を終えた鉱山夫や鍛冶師なども増えてきている。

 いささか騒がしい場所や人混みが苦手なカインとしては、それらを横目で見るくらいで砦に向かうことにしていたが、ふと銀細工が並ぶ露店の前で立ち止まった。

 何気なく足が止まめてしまったのは、何かの花模様をあしらった銀細工の髪留めが目を惹いたからだ。

 素朴な意匠ではあったが、繊細に施された花模様は淑やかで質素な雰囲気を持ちつつも優し気な印象を感じさせるものだった。普段はこうした装飾品など興味を示すことなどなかったが、何となくアリシアの顔が思い浮んでしまったのだ。


「お、そこの兄さん!何かお目当ての細工品でもあったのかい?今なら安くしとくよ!」

「いや……」


 カインとしてはほんのちょっと足を止めた程度のつもりだったが、目敏い商人はそうした客を見逃さない。

 少しでも興味を持って足を止めている者がいれば、それを逃がさないよう巧みな話術で引き留め、財布の紐を緩めさせるのは彼らの得意とすることだ。


「それとも誰か意中の娘に贈る品でも探しているのかい?」

「……別にそういうわけじゃ…」

「これなんか若い娘さんならきっと喜ぶ一品だよ!」


そう言って店主は銀細工の入った木箱をカインの顔の前に突き出す。

そこには先ほどカインの目に留まった花模様の細工が施された銀の髪飾りが納められていた。店主はカインがこの髪飾りに目が留まっていることに目聡く気付いていたのだろう。この機を逃すまいと矢継ぎ早にまくしたてていく。


「女っていうのは、こうした装飾品を男から貰うだけでもご機嫌になるんだ。ましてや相手も憎からず思ってくれているなら、なおさらってもんだ」

「…そうなのか?」

「おうともよ!見たところ兄ちゃんはまだ若いみたいだが、腰に差しているもんを見る限り砦の兵隊さんなんだろう?」

「…まぁな」

「ひとたび戦に出た日にゃ何か月も家に帰れねぇなんてこともあるだろう? そうなる前に銀細工と一緒に気持ちも伝えておかねぇと、居ない間に別の誰かに取られちまうってこともありますぜ!」

「そう…かもな」

「それにこいつはちょっとした値打ち物でしてね。」

「西の都でも有名な銀細工の工房が仕上げた貴重な逸品でね。うちの店でもようやく仕入れることができたのはこれ一つだけなんだよ!」


 商人が自慢するのも分かる気がした。

 こうしたものに疎いカインから見ても、確かに銀の髪飾りに施された花模様の細工は見事なものであったし、他に並べられている細工品と比べても抜きんでているように見えた。もちろん、つけられている値札もそれに見合うだけのものではあったが。


「そういや、ついさっきも大きな袋を抱えた娘さんがじぃっとこれに見惚れていたっけねぇ。買い出しの帰り道だったんだろうけど、あんまりにも熱心に見てるんで気になって声をかけたんだが、にっこり笑うだけで一言も喋らなくてなぁ。」

「そいつは和栗色の長い髪を紅い飾り紐で結っていなかったか?」

「そうそう!まだ幼い感じだったけど中々の器量良しだったから良く覚えているよ。あれは将来別嬪さんになるぞ」


 店主はカインが物思いにふけるようにその場で立ち止まっているのを見ると、愛想良く笑いながら「まぁ、兄ちゃんも戦で活躍でもすりゃあ女には苦労しねぇか!」と言って髪飾りの入った木箱を露店の棚に戻していく。

 店主としても熱心に自慢の商品を売り込んではみたものの相手が買うような素振りを見せないので、目の前の若者の懐事情を勝手に想像したのか、露店を覗き込んでいる年配の女性客の方に関心を向けることにしたようだった。

 そんな店主をぼんやりと眺めながら、カインは幼馴染である少女のことを考えていた。


(シアのやつも気になって見ていたのか…。)


 恐らくこの店主が見た娘というのはアリシアだろう。

 おおかた宿の女将である養母のケーラに頼まれて、店で出す食事の仕入れに来た時に帰りに露店に立ち寄ったのだろう。

 食材の詰まった大きな袋を抱えながら真剣に髪飾りを見ていたであろうその姿が容易に想像できて、カインは思わず笑ってしまいそうになった。昨晩は喧嘩みたいになって泣かせてしまったが、一応はいつも通りの生活をしているみたいで少しだけ安心したのだ。

 急に何かを思い出すように笑ったカインを露店の店主は少しだけ不思議そうに見やるが、今だにカインが買うような素振りを見せないので、諦めて集まっていた他の客に自慢の商品を勧め始めていた。


 しばらく露店の前で何やら考え込んでいたカインだったが、意を決したように店主に話しかけると店先を離れる時には小さな紙包みを懐にいれて足早に砦に向かっていた。


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