03話 剣と少女
すでに日も暮れて中庭に降り積もる雪も本格的になってきていた。
井戸の組石によりかかるように座り込んだカインはぼんやりと傍らの地面に突き立てられている自分の太刀を見つめていた。
動けないような怪我をしているわけではないが、疲労で体の節々が重くすぐに立ち上がろうとする気にならない。ときおりログナーに殴られた頬が痛んだが、それは傷の痛みというより突き付けられた言葉が己が隠している未熟さを強く感じるせいだろう。
(結局…俺はいつも同じ所に居て、何も変わらない…)
ふいに雪を踏みしめる音に視線を向けると、いつの間にか小さな籠を抱えて近づいてきている少女の姿が目に入った。
年の頃は15、16くらいであろうか。
まだあどけなさが残るものの、質素な村娘の服を着ていても眉目の整った顔立ちは人目を惹く美しさをしている。
小柄で華奢な体つきはまだ女性の色香を感じさせるには早熟なものではあるが、すらりと伸びた手足は白磁のように透き通る肌をしており、腰まである和栗色の髪を紅い飾り紐で結んでいる。その背中から照らす松明の灯りでその美しく長い髪の輪郭がほのかに透けて金色に見える。
少女は座り込んでいるカインの傍に無言で近づくと、同じように傍らにしゃがみ込んでカインの口元の血を拭う。
だが、その顔を伏せたままでこちらを見ようとしない。
「アリシア…」
カインの呟きにおずおずとこちらを見つめた藍色の瞳が、不安と憂いを浮かべてわずかに揺れていた。
アリシアはふいにカインの口元の血を拭っていたハンカチをきつく握りしめると、憂いを含んだ瞳は安堵を湛えるものに変わり、それが大粒の雫となって頬を伝えおちていく。
そのまま座り込んでいるカインの胸に飛び込むと、そこに居ることを確かめるように服を掴んむその手にぎゅっと力が込められる。カインの胸に額を押し付けるように顔を埋めたまま少女の体がわずかに震えていたのは寒さのせいだけでないのだろう。
カインはやや躊躇いがちにその背中に手を回して包み込むように少女の体を抱きとめた。
柔らかな少女の体とその髪から香るわずかな甘い匂いが、今になって自分が死地から生還したことを強く実感させる。
アリシアはカインと同じくこの集落で育った孤児であった。
十年以上は前になるだろうか、まだ幼な子であったカインと赤子のアリシアを抱いてログナーは、わずかに縁のあった教会の老司祭を頼ってこのオルガへたどり着いたのだという。
まだ乳飲み子であったアリシアは老司祭の勧めもあって、当時の流行り病で我が子を失い気落ちしていた宿屋の女将ケーラに養女として引取られ、実の娘のようにこれまで育てられてきた。カインの方はと言えば幼いうちは教会で孤児として育てられてきたが、十になる前に世話をしてくれた老司祭が亡くなった。それからはログナーの申し出もあって、その剣や兵法といった戦う術を学ぶべく弟子として共に暮らすようになっていた。
この鉱山の集落には二人と年の頃が近いものが少ないことや、ログナーが傭兵隊の長として砦に赴くことが増えるようになると、アリシアの養母となったケーラも見かねてカインのこともそれとなく面倒を見てくれるようになった。そのこともあり、二人には血の繋がりこそないが幼馴染としてこれまで家族のように育ってきたのだ。
これまで十年以上の月日が流れ、今では養母であるケーラが営んでいる宿屋で給仕の手伝いをしたり、ときおりケーラと共に砦の食堂の賄いを手伝いでこの砦に顔を出すことも多い。砦にはそれらの常連である兵士や機巧師が多く働いていることもあり、とくに見咎められることはなくこの場にやって来たのだろう。
「んっ………」
アリシアはやや居心地悪そうにカインの腕の中でもぞりとその身を動かすと、ようやく気持ちが落ち着いたのであろうか、おずおずと顔を上げてカインを見つめる。目じりはやや赤くうっすらと赤く染まっており、こちらを見上げる藍色の瞳はまだ潤んだままであった。
ややあって、アリシアはくはくと口を動かして懸命に言葉を紡ごうとしているが、掠れたようなわずかな音になるだけで上手く言葉に出来ずにいる。
「あ…、よ…ぅ…った…」
懸命に喉を振るわせることでようやくその想いが言葉となって紡がれる。
そう、彼女は生まれつきの病で言葉をうまく話すことができないのだ。
どれだけ懸命に声を出そうと喉を振るわせても、わずかな一音が途切れがちに嗚咽のように紡ぎだされるだけで、言葉として理解できる旋律になることはない。カインや養母のケーラなど近しいものはその表情や瞳からおおよその気持ちを察することができるが、育ったこの集落にあっても彼女をそこまで理解できる者はどうしても限られてしまう。それもあってか、幼いころより周囲の子供たちの輪に入ることが上手くできずに人見知りで遠慮がちな性格になってしまった。
「危険だからここには来るなって、言ったろ…」
今更ながらにアリシアはカインの腕の中にいることに気が付いて頬を赤らめて顔をそむけると、自分を包んでいたカインの腕をそっと引き下ろしてそこからするりと抜け出した。
「それに上着も持たずにここまで来たのかよ…」
立ち上がったカインはアリシアの髪や肩に積もった雪を払いながら、深いため息をついた。
ここにアリシアが居るということは、先ほどの戦いのことを伝え聞いてカインの身を案じてこちらに駆け付けたのだろう。この雪の中、上着も羽織らずにこの場に居るということは、よほど慌てて家を飛び出してきたことの証左だ。
(心配してくれるのはありがたいが、大げさなんだよ。)
そんな心中での呟きが聞こえたのか、無言でこちらを見るアリシアの目には今度は咎めるような色が浮かんでいる。
アリシアはカインが傭兵として戦働きをすることを良く思ってはいない。カインの身を案じているのはもちろんのことだが、それと同時にカインが別の誰かにとって大切なものを傷つけることになることを好ましく思ってはいないだ。それが誰かを守るために剣を振るうことであっても、できることなら戦に関わらない生き方をしてほしいと望んでいた。
(強くないと…守れないんだよ…何も)
自分の中にある苛立ちを見透かされているようで、カインはその視線から逃れるようにアリシアに背を向けた。
ログナーに弾かれて地面に突き立ったままの自分の太刀に近づこうとすると、ふいにアリシアがその間に割り込んできた。
「何だよ…」
「ど…ぅ…して…い…っ…も…」
「悪いが通してくれるか」
アリシアは普段はあまり強い感情を表に出すことはないが、いつもとは違いいささか強情だった。カインに太刀を拾わせまいと立ちふさがると両手でカインの胸元を押し返す。
「け…ん…な…ん……か…ぃ…ら…な…い!」
絞りだすように声を出しながら必死にカインを止めようと押し返そうとするが、小柄な少女の力ではどうにかなるものではない。
「け……んを…も…っ…カ…ィ……は…キ……ラ…ィ」
「もうその位でいいだろ」
だがこれ以上この寒空の下にアリシアをいさせるわけにもいかない。
カインは自分をその場に押しとどめようとするアリシアの両肩を掴むと、些か強引にアリシアを押しのけて地面に突き立ったままの太刀を鞘に納める。
なかば強引に押しのけられたアリシアは、顔をうつ向かせたままで立ちすくんでいる。その表情を伺い知ることはできなかったが、僅かに震えている肩を見ればどんな表情をしているかなど考えるまでもなかった。
「俺は、俺の誓いを守るために剣が必要なんだ。だから…」
だがカインはその先の言葉を続けることができなかった。
顔をあげたアリシアの頬には大粒の雫が伝え落ち、カインを見つめるその瞳には深い悲しみの色だけが浮かんでいる。思わず近づいたカインがそっと頬の涙を拭おうと手を伸ばしたが、勢いよくその手は弾かれる。
一瞬、拒絶してしまったことに戸惑いと後悔の色がアリシアの瞳に浮かんだが、そのままくるりと踵を返すとそのままカインを置いてこの場から走り去ってしまった。
残されたカインはもう一度だけ深いため息をつくしかなかった。




