20話 モンテダールの陥落
大陸北部のオルガルト地方にあるモンテダールは人口が千五百を超えるくらいには栄えた街である。
雪深いこの地方にあってもカルハナ山脈から流れ出す雪解け水を起点とした大小の河川に囲まれ、それが育む肥沃な土壌と豊かな森や草原に囲まれている。厳しい冬場を除けば、それらがもたらす豊かな実りを求めて近隣の町や集落から多くの人が集まる。加えて、ここをさらに北へ進むと豊富な鉄の産地であるオルガ鉱山へとつながる街道の要衝であることもあって、町の大通りに大小の店が立ち並び、様々な積荷を乗せた荷馬車やそれに関わる商人や護衛と思しき傭兵などの姿も多く見かける。街の中央には石造りの立派な城館が幾つか立ち並んでおり、なかでもひときわ豪奢な造りの建物はこの町を治める自由都市連合の領事館がある。
街を取り囲むように建てられた城壁も大きく削り出した岩を幾重にも積み上げた堅固なものであり、城門に設けられた扉は部厚い鉄で拵えたものであった。
だが、今となってはそれらの光景は過去のものとなっていた。
堅牢と思われていた城壁は至る所が大きく崩されており、城門に至ってはただの瓦礫にしか見えないほど破壊されている。分厚い鉄の扉は熱であぶられた飴のようにどろどろに溶けてしまっている。
街のいたるところからに藁のように積み上げられたものからは燻るように黒い煙がたちのぼり、それが放つ異臭が街全体を覆いつくしている。藁のように見えたそれは無残に焼かれた人の亡骸だった。その多くは鎧や兜を身に着けた兵士のようであったが、老人や若者、それにまだ幼い子供の姿もそこには積み上げられており、文字通り藁のようにそれが焼かれていた。
街の住民は時折覗き見るように小さく窓を開けて不安そうに外の様子を伺うっている者の姿も見えるが、多くはその光景を恐れて家の窓や扉を固く閉ざしており、これまでのように通りを行き交う人の姿はほとんど見当たらなかった。
モンテダールの街は昨夜突如として謎の軍勢に襲われると、夜明けを迎える間もなく陥落した。
街の中央にある広場にはその軍勢のものと思しき天幕が幾つも張られ、そこには50を超える数の機巧兵が片膝をついて駐機されている。慌ただしく天幕から出入りする機巧師の姿を横目に身ながら、ギュンターはつい先日までは自由都市連合の領事館であった建物に向かって歩いていた。
ギュンターは今年で22歳を迎えており、ノルトハイム家の嫡子として病床にある父の跡を継ぐことになっている。
もとよりノルトハイム家は建国時よりイシュガルト帝国の重鎮としてその繁栄を支えてきた家紋の一つであったが、初代を除いては跡継ぎの才気にあまり恵まれず、長き時代を経た今では小さな領地をもつだけの下級貴族にまで家格を落としていた。
現当主である父のヘルマンは生まれつきやや病弱だったこともあり武芸を得意としてはいなかったが、博識で誠実な人柄であったこともあり宮中を支える文官としてそれなりに栄達していた。だが、動乱の時代にあっては学問や教養よりも戦場での働きで名を挙げる者が重用されることが多く、帝国にあってもそれに変わりはなかった。
それ故、父は自分には幼い頃から勉学だけではなく武芸も磨くように教え、ギュンターが成人を迎える折にはなけなしの私財を投げうって、名のある工房に造らせた機巧兵を祝いの品として贈ってくれたのだ。もちろんギュンターもそうした父の期待に応えるべく、剣や学問を修めるよう己を磨き、かつては名門と謡われたノルトハイム家の名に恥じぬよう務めてきた。その努力の甲斐もあって、今はこの若さで騎士長の位を授かるほどには栄達していた。
だが、今のギュンターは自分の境遇を顧みながら、小さくため息を漏らした。
極秘の任務であったのか、ギュンターは出立する直前までその目的地は知らされておらず、呪法師なる仮面を被った怪しげな連中によって故郷から遠く離れた見知らぬ北の大地へ転移術とやらで飛ばされてきた。戦場にあって自らの剣を頼りに武勲を立てる機会があるのであれば騎士の本懐とも言えるが、此度の出征においてギュンターが上層部に課せられた任務はただの調整役であった。調整役と言えば聞こえは良いが、実際はただの伝令や雑用ばかりである。
ギュンターは第六師団に所属する騎士であり、師団を束ねているのはバルケスという名の将軍である。
まだ戦歴の浅い自分の目から見ても、上官であるバルケスは将才に恵まれているとは言い難い。戦地にあっては前線の指揮は部下に任せっきりで、自分は安全な後方に控えているばかり。その癖、戦利品の押収時や論功行賞の場になると、自らの功を誇るようにしゃしゃり出てくるのである。決して無能というわけではないが、その振舞いと部下への横柄な態度も合わさって、指揮下の兵士の評判はあまり良くない人物だった。
それだけであれば、ギュンターとしても半ば諦めているのでそこまで憂鬱な気にさせられることはなかったであろう。損得勘定で動くことが多い上官ではあるが、武人としての矜持はそれなりに持ち合わせてはおり、利や益があることを示しさえすれば、重い腰を動かすことはさほど難しくはない。
だが、もう一人の方はギュンターの才覚では如何ともし難い人物であった。
この作戦には帝国の二つの師団が投入されている。
一つはバルケス将軍が率いる第六師団である。バルケス将軍は作戦を進めるにあたって、師団のほぼ半数にあたる80機近くもの機巧兵を投入しており、将軍自らその指揮を採っている。作戦の立案当初、軍の上層部としては自国の領土以外で極秘裏にことを進めなければならないため、隠密行動に長けた少数精鋭の部隊による作戦遂行を計画していたらしい。だが、そこに武勲を挙げる機会を求めたバルケス将軍が、私的に手を廻して無理やり共同作戦となるように露骨な根回しをしたと噂されていた。
もう一方は皇帝陛下直属の師団であり、帝国軍にあってもその存在を知るものは数少ない。
もとより少数精鋭であるのか、この作戦においても従軍してきている機巧兵の数はわずかに20機ほどである。そのほとんどが隠形機と呼ばれる従機兵で、膂力こそ通常の機巧兵に劣るものの機動力や隠密性は遥かに優れている機体だ。こうした任務にあってはそちらの方が有用性も高いとギュンターも考えるが、上官たるバルケスは大軍を擁して華々しい戦果を挙げようとしているらしく、多くの機巧兵を率いてきている。己の立場を弁えているギュンターとしてはことさら上官に異を唱えるようなことはしなかったが、そもそも作戦の主旨を理解しているのかは内心では疑問視していた。
ただ、それぞれの師団を率いる将軍に独自の指揮権が与えられているとはいえ、軍上層部からは協力して事にあたるようにと命じられている。そのためギュンターは指揮権の異なる二つの師団の間で調整役として気を使わねばならなかったのである。
ギュンターは石造りの豪奢な城館の門前を抜けると、扉の前の衛兵に訪ねた用向きを伝える。そこで取り次いでもらうのを待つ間、目の前の広場に立ち並ぶ機巧兵たちをぼんやりと眺める。
(半分ほどはもう出立した後か…。どうやら私は出遅れてしまったようだな…)
ほどなくして用向きを伝えに館に入った衛兵が戻ってくると、ギュンターは扉の中に通された。
ギュンターは案内された廊下を抜けて大き目の扉の前で立ち止まると、数回ほど扉をノックして自分の名を告げる。中から「入れ」と不機嫌そうな声がしたのを確認すると、ギュンターは扉の中へ入ると片膝をついて恭しく一礼する。
「お目通りいただきまして恐縮です、閣下」
ギュンターの目の前にいる男は床に幾つも転がした座布団の上に、半ば寝そべるように腰掛けてこちらを見据えていた。その周囲には幾つもの空になった酒瓶が転がり、今も片手で酒瓶を煽りながら不機嫌そうに濁った目をギュンターに向けている。
「それで、俺に何の用だ?」
目の前の男は空になった酒瓶を足元に放り投げると、手近にあった新たな酒瓶の栓を口で乱暴に引き抜いて、口元からこぼれるのも構わずに再びぐいっと煽る。
――男の名は、グエン=ヴァルード。
隻腕の赤獅子と呼ばれ、その剛剣は帝国に並ぶものはいないと称される剣士でもある。
2リート近くはあろうかというほどの偉丈夫で、浅黒く日焼けした肌に燃えるような紅い髪をしている。その通り名にあるように右腕は二の腕から先を失っているが、聖晶石を含んだ特殊な鋼で拵えた義手は素手と変わらぬように剣を振るうという。加えて齢40を超えているだろうはずなのだが、ひとたび自らの機巧兵を駆って戦場に出ると、三日三晩でも炎を纏った剣を振るい続けて敵をなぎ倒すほどの剛の者である。
先だってこのモンテダールの城門を一撃で炎に沈めたのも、この男の仕業だった。
そもそも此度の極秘任務はヴァルード将軍が率いる師団に命じられるはずのものであったが、そこにギュンターの上官たるバルケス将軍が姑息な手段で横やりをいれてきたことで共同作戦となってしまっていた。それが気にくわないのであろうか、モンテダールを占領した後もヴァルード将軍はここで酒を煽るばかりでまるで動こうとはしていなかった。
ギュンターも再三に渡って次の目的地であるオルガへ向かうように進言してはいるが、酒に濁った目をしたまま「まだだ」とにべもなく追い返されるばかりであった。バルケス将軍もはじめのうちは寛大にこの男の我儘を見逃していたのだが、最後は癇癪を起こすと占領地に僅かな手勢を残して主力を率いて先ほど出陣してしまっていた。
小うるさく催促ばかりしてくる者がいなくなって清々したのか、目の前の男は悠々と酒を飲むばかりで今朝から軍を動かす素振りすら見せていなかった。
「すでにバルケス閣下は麾下の兵を率いてオルガなる町へ出立いたしました」
「そうか…」
「出立前に閣下にも後詰めとして参陣なさるようにバルケス閣下より言伝をお預かりしております」
「明け方と同じ話をするつもりか?」
「僭越ながら、もう陽が高こうなる刻限となりますのに、閣下はいまだにごゆるりをなされている様子。英気は十分に養われた頃かと存じます故、そろそろお下知を頂きとうございまして、改めて参上した次第です」
「フン、面倒な物言いをするな。酒など飲んだくれておらず働けと催促に来ただけであろうが」
「いえ…そのようなつもりは…」
「俺は陛下の命なれば面倒でも起き上がる気にくらいはなるだろうが、バルケスのような意地汚い狸の命に従ういわれはないぞ」
「…………」
「あやつが自分で頭を下げに来るのであれば、考えてやらないでもないがな」
この男とて与えられた任務を遂行する意思はあるのであろう。
昨晩、バルケス将軍の率いる部隊がモンテダール堅固な城壁とそれを守備する兵たちの反撃に思いのほか手間取っていると、自ら機巧兵を駆って城門の前に立ちはだかり、恐るべき劫火を纏った剣閃を放つと城壁ごと城門を引き裂いてみせたのだ。
だがその後は自陣へさっさと戻ってしまうと、町が占領されるまでは天幕から出てこようともしなかった。
「それでは致し方ありませんが、小官の判断にて陛下にご報告させて頂く他ありません」
「ほう?」
「ヴァルード閣下は戦地でご病臥に伏せられ、致し方なくその身を安んぜられたと」
「この俺を脅すとは中々胆の据わった男だな。だが獅子の尾を踏んだ野兎が生きてその場から逃げられると思うか」
「思いませぬ。ですが私が受けた命令は両軍を持って任務に当たるよう仰せつかっているだけでございますれば、それを成すためは全身全霊をもって当たるしかありませぬ。それが命を賭けたものとなろうと」
「フン…口の減らない若造だ。ならばその覚悟が本物かどうかこの俺の剣で確かめさせてもらおう」
そう言ってヴァルードは立ち上がると、傍らに置かれていた大剣の鞘を払うと、その切先をギュンターの喉元につきつける。
「戯れはそのくらいになされよ」
いつからそこの居たのだろうか。
檀上に据え置かれている謁見用の椅子の傍らにいつのまに人影が現れていた。
ギュンターがこの部屋に立ち入った時はヴァルード将軍と自分の二人だけしか居なかったはずである。幾つかの窓や廊下や隣室につながる扉もあるにはあるのだが、ギュンターがヴァルード将軍に謁見している間、それらは確かに固く閉ざされたままであった。
ギュンターは何の前触れもなく突然目の前に現れた人影に眼を見開いて驚きを隠せずいたが、ヴァルード将軍はさして驚いた風もなく小さく舌打ちして剣を鞘に納めると、床に敷かれた絨毯の上に座りなおして先ほどより更に不機嫌そうに再び酒を煽った。
「こ、これは一体…」
ギュンターは忽然とこの部屋に現れた人影を前にして、わずかに混乱していた。
その者は足先まで隠れるほどの長い純白の外套を身に纏い、そこから覗く顔が白磁の彫刻のように不自然に白い。それもそのはずである。よく見ればその顔は精巧に人の顔を模した仮面を身に着けており、額や目には宝石か何かのようなものが埋め込まれており、時折あやしげ光を放っている。外套の下には鎧を纏って剣を履いているのであろう。こちらに近づいて歩いてい来る動きに合わせて金属がぶつかるような小さな音が聞こえる。
だが、ギュンターを混乱させているのはその奇怪な出で立ちに対してではない。
目の前にいる者から人の気配というか、存在感のようなものを全く感じないのだ。それこそ、素顔を隠している仮面と同じようにまるで彫刻か何かようように生気というものが欠落しているように感じたのだ。
「バルケス閣下の幕僚のギュンター殿ですな」
まだ驚きを隠せないギュンターだったが、どうにか平静を保つように頷く。目の前の人物は《白面のアスラム》と名乗ると、聖統院に所属する呪法師であることを告げた。
(この目にするのは初めてだが、この者がそうだというのか)
ギュンターも噂くらい聞いたことがあった。
この世の理に反する禍々しい術を修め、森羅万象を操る魔道の者。
斯く言う帝国にあっても、国として表沙汰にできない諜報活動や潜入工作、はては組織内の粛清といった陰働きを担う者たちが集う組織が騎士団とは別に存在していることはギュンターも噂くらいは聞いていた。
──聖統院。
表向きはこの大陸に眠るとされる古代の叡智を発掘しそれを研究している組織であるが、裏の世界では聖遺物なるものを巡ってそうした組織同士での暗闘が繰り広げられていると言う。そのため、呪法師や暗殺者のように闇をその住処とするような者たちを束ねているとも。この任務も聖統院から陛下に直接進言されたものらしく、その準備にいたっては騎士団の上層部にも極秘裏に進められ、ヴァルード将軍率いる騎士団をその任に充てるべく聖統院の長から強く推挙されたらしい。
(聖統院とやらは我らをこんな辺境の地に極秘に送り込み、《神鍵の御子》なる人物を見つけ出せなどと、一体何を考えているのやら…)
聖統院を治めている統主は、先代の皇帝陛下の御代から重鎮としてお傍に使える者と聞いている。
色々と黒い噂も絶えない人物であるが、現皇帝の御代にあっても側近として常にその傍らにあり、陛下の信任も篤い人物とされている。それ故、ことあるごとに政務や軍務に口を出すことも多いらしく、政務を取り仕切りる宮中はおろか、騎士団の上層部からも忌避されているらしい。
「ギュンター殿、ヴァルード閣下がここを動かぬのは理由あってのこと」
「はぁ……」
「聞けばオルガなる町は堅牢な砦を備え、手練れの傭兵らしき者が控えていると聞いております」
確かに先だってモンテダールに潜入させた密偵によれば、傭兵崩れの野党の連中が街道でとある行商隊を襲撃して返り討ちにあったとの報告を聞いていた。何でも野党どもは五機もの機巧兵を擁していながら、オルガの手勢と思しき機巧兵に全滅させられたのだという。それもたった一機に。
「それ故、ヴァルード閣下の命で手の者に探りを入れさせていたのです」
「フン…俺はそんなことを命じた覚えはないぞ。お前が勝手に猿の奴に命じただけではないか」
「フフフ…ですが閣下は反対はなさいませんでした」
「……お前の御託を聞くのが面倒になっただけだ」
そんなことをするくらいなら、ここで酒でも飲んでいる方がマシだというだけだ。そう言ってヴァルードは再び酒を煽る。
「それで、お前こそ何用だ」
「森に潜んで我らを探っていた鼠共ですが…ジャハーン殿が始末したようです」
「フン、煩い鼠など放っておけと言ったはずだ」
「ええ…ですが新手の方は取り逃がしたようです」
「賢し気なことを言って俺を待たせておきながら、とんだ体たらくだな」
そう揶揄するヴァルードに、呪法師アスラムはただ黙って一礼するだけで報告を続ける。
「どうやらジャハーン殿も下僕を全て失い、ご自身も些か手傷を負ったご様子…」
「ほう? 森であの猿を退けるとはな。そいつは何者だ」
「どうやらあちら側にも手練れの呪法師が組していたようです。それと…」
「勿体ぶらずに言え」
「もう一人は年若い剣士。ジャハーン殿はその者の振るう太刀に退けられたようです」
その一言にヴァルードは僅かに目を細めると、口元に獰猛な笑みを浮かべる。
「退屈な任務かと思うていたが、中々楽しませてくれそうじゃないか」
この大陸で太刀なる特異な剣を操る剣士など自分の知る限りそう多くはいない。若くしてその剣技を操る者がいるのであれば、それを授けた師が近くに居るのは疑いようも無い。
ヴァルードは手にした酒瓶を投げ捨てると、大剣の鞘を掴んで颯爽と立ちあがる。
「出陣する、兵たちにもそう伝えろ!」
その言葉に呪法師アスラムは恭しく一礼すると「すでに出撃の準備は整っております」と告げる。
「ギュンターと言ったか。貴様の覚悟とやらはその剣で示してもらう、着いてこい!」
先ほどまで目の前の男が纏っていた酒精は今となっては微塵もなく、猛々しく燃え上がる炎の如き闘気を纏ったその姿は、まさしく獅子の異名を持つに相応しい雄姿であった。それを間近で見たギュンターは言い知れぬ高揚感に囚われ、気が付いた時にはその雄々しき背を追って駆け出していた。




