19話 異形の殺手3
もう半刻はとうに過ぎてはいるだろう。
カインとエメルダは彼らを包囲する刺客の襲撃をどうにかここまで凌ぎながら反撃の機会を伺っていた。
ここまでは気配をできるだけ消して森の中を移動はしてきたが、相変わらず二人の周囲を取り囲むように包囲している刺客の気配を今でも感じる。だが、最初は相手が人間だと勝手に思い込んでいたが、改めて観察してみるとジャハーンと名乗った怪しげな敵を除けば、それ以外の気配が獣に近いものであることははっきりと分かった。それに、ジャハーンの気配だけに集中していると、その動きの合間に息遣いとは異なる不自然な呼吸のようなものが混ざっており、それに呼応するかのように手下の獣たちが動き出していることもすでに掴むことができていた。
「どうやらあんたの予想通りだったみたいだな」
カインは周囲に油断なく視線を送りながら傍らの仮面の人物に向けて声をかける。
音にすら聞こえない刺客が発する僅かな呼吸音を聞き分けるほど恐ろしく耳が良いのであれば、カインの声は確かに耳に届いているはずであろうが、エメルダはあたりをきょろきょろと観察しているのか返事を返す素振りすら見せない。
カインの方もそれを咎めるつもりはないのか、相手の様子に小さく苦笑するだけである。
まだ出会って半日ほどしか経っていないが、このような素っ気ない対応にももう慣れ始めていたし、はたから見れば恐らく自分も似たようなものなのであろう。そう思うと任務の前にログナーに冗談めかして言われた一言もあながち間違っていないのではないかと、今更になって腑に落ちた気がして、思わず自嘲の笑みがこぼれてしまったのだ。
「ここなら丁度良さそうです」
そう言ってエメルダは懐から細長い紙切れの束を取り出すが表面には何かが描かれている様子はない。
エメルダはその紙切れの束から無造作に一枚引きはがし、それを手にしたまま聞きなれない言葉で何事か呟くように唱えながら指でなぞると、そこに大陸語でもない奇妙な文字や複雑な紋様が浮かび上がっていく。
「そいつが例の?」
「はい、左様です。呪符に浮かぶ紋様が傷つけられた瞬間、一瞬だけ強烈な閃光を放つような術を仕込んでおきました」
そう言ってエメルダが差し出したその呪符をカインは訝し気に受け取りつつも黙って懐に納める。先だって説明をされていたものではあったが、まだどこか信じがたいような心持ちであった。だが、これまでもエメルダはカインに対して嘘偽りを述べることはしていないし、ただありのままの事実を口にするだけの徹底した合理主義者であることは理解していた。
(いまさら躊躇しても始まらない。今はこいつを信じるだけだ)
先ほどからカインらを包囲している獣の気配がじりじりとその輪を狭めてきている。
それに当人は殺気を押し殺しているつもりのようだが、先ほどからカインらが身を潜めている大木の上からは、獣の主たるジャハーンから溢れ出ている殺気をひしひしと感じる。
ちらりとエメルダの方を見やると、すでに懐から取り出した何本もの鋼の糸の片方を枝に巻き付け、もう一方は身に鉄輪のようなものに括りつけてて鋼糸がたわまぬように引き延ばしている。
そうすることで、この場に即席の弦楽器のような仕掛けを作り出していた。
エメルダの無表情な仮面がこちらを向いてこくりと小さく頷くが、カインはそれを眼で制する。
(まだだ…もう少し…)
カインは集中するように目を閉じると丹念に周囲の気配を探る。
カインらを取り囲む獣たちからは肌を刺すようにびりびりと強い殺気が溢れている。ここで仕留めるつもりなのか、興奮によるものであるのか、もはや殺気も気配を隠す気もないのであろう。頭上に潜むジャハーンが放つ殺気の方は今にも爆発するかのように膨れがっている。
(来る!)
そう感じた瞬間、ジャハーンの殺気が爆ぜるように大きくなり、小さく息を吸い込むような気配がする。
「今だ!!」
カインのその声を合図に、エメルダは手にした短刀で枝に張った鋼糸を擦りあげると、耳をつんざくような不快な音が森の中に響き渡る。
――ギィギィィギシィィィィン!
鉄がひしゃげ、互いに軋みながらこすり合わさった時のような甲高い異音は、鼓膜を通じて脳の奥深くを突き刺すような痛みすら感じさせた。特に人より聴覚が優れている獣などには、耐え難い苦痛となって襲い掛かっているだろう。
ギシャアアアア!
ヒィギィィィィ!
グルゥゥゥゥゥ!
まさにカインたちに襲い掛かろうとしていた獣たちは身悶えしながら地面に転がって奇声をあげながら苦しんでいる。そしてエメルダの奇策による反撃は手下の獣のみならず、その主たるジャハーンにも手痛い一撃を浴びせていた。
カインを頭上から狙って飛び降りたジャハーンであったが、人であれば不快に感じる程度で済んだこの音も、獣を操る笛の力を持つ仮面を身に着けていた影響をもろに受け、獣と同様に苦しめられていた。
「お、おのれ…!!!」
頭に針を突き立てられたかのような鋭い痛みに加えて、今も耳の奥で何かがじんじんと鳴り響いており足元がおぼつかない。
それでもジャハーンは篭手の仕掛けられた鉤爪でカインの喉元を引き裂こうとするが、その一撃は難なく太刀でいなされる。それどころか木の幹に深く突き立った鉤爪が思うように抜けずにいた所を返す刀で篭手ごと真っ二つにされてしまった。あと少し篭手から手を抜くのが遅ければ腕ごと真っ二つにされていた所であった。
「カイン殿!」
「ああ、分かってる!」
エメルダの合図でカインは懐にあった紙切れを宙に放り投げると、狙いすまして放った短刀がそれを木に縫い付ける。
聴覚を奪われたジャハーンと手下の獣たちは、思わずそれを目で追ってしまう。
「し…しまった!?」
危険を察したジャハーンであったが、すでに手遅れだった。
大樹の幹に縫い付けられた呪符から眩い光の筋があふれると、次の瞬間には爆発したかのような光の奔流がジャハーンと獣たちの目を焼き尽くすかのように襲い掛かった。
ヒィギィィィィ! ギィィィィ! ギシャアアアア!
あちこちで手下の獣が悲鳴を上げているのが、わずかに聴力が回復しかけてきていたジャハーンの耳に木霊する。
(獲物を追いつめていたのは俺の方だったはず…!それが何故…!?)
屈辱に歯噛みしながら眼を凝らして周りを見ようとするが、視界は白く滲んでぼやけるだけで何も視えない。
だが、空気を切り裂くような気配をその身近くに感じたジャハーンは、咄嗟に残されていたもう一方の篭手の仕掛けを操って頭上の枝を掴むと、遥か高い木の上に逃げ込んだ。紙一重とはこのことであろう。わずか一瞬前までジャハーンが居た場所をカインの鋭い太刀が切り裂くと、そこには真っ二つに割れた獣の仮面が雪の上に落ちていた。
「チッ!お前こそ逃げ足は速いようだな」
カインは頭上から感じるジャハーンの気配を見据えて言い捨てるように呟くと、太刀を軽く一振りして刃にこびりついた獣の血を振り落として鞘に納める。すでに地面を覆う雪の上にはいくつもの大きな赤黒い染みが広がっており、そこには痙攣しながら横たわる獣の姿があった。
まだ耳鳴りは完全におさまったわけではないが、視界だけは完全に回復したジャハーンは、その光景を目の当たりにして怒りに震えていた。主に授けられた仮面を失い、自慢の篭手を片方失い、手下の獣も全て失った。
だが何より許しがたいのは、呪法師の助けがあったとはいえ、あのような若造に遅れをとった挙句、自分が獲物として狩られる恐怖を感じさせられたことに腸が煮えくり返るほどの怒りを感じていた。
「お前の顔は忘れんぞ!必ずこの手で八つ裂きにしてやる!!」
森の奥からカインたちに向けて怨嗟に満ちた声が響き渡ると、ジャハーンの気配は闇の中へ消えていった。
「…………」
カインは無言でその気配の消えた先を見据えていた。
戦場に赴けば様々な得物を手にした戦士と相まみえることもある。だが、ジャハーンのような異形の技を使う戦士や、エメルダのような呪法師と肩を並べて戦うことがあろうとは思ってもいなかった。どうやらこれまでと違い、自分の知らない何かこの地で起ころうとしているのであろうか。この任務に出立する間際、ログナーがいつにもまして真剣な眼差しをカインに向けて送り出したのは、こうなる可能性を知っていたのかもしれなかった。
(叔父貴には話してもらうことが色々とありそうだ…)
カインはそう心の中で呟くと、オルガの町に引き返すべくレグナ・ヴァールの元へ駆け出していた。




