18話 異形の殺手2
すでに一刻ほどが過ぎているだろうか。
ひときわ高い巨木の上でジャハーンは怒りと苛立ちに震えていた。
「くそ! ちょろちょろと動いて小賢しい奴ら目!!」
苛立ちを隠しもせずにジャハーンは声を荒げると、その怒りをぶつけるように手近な枝を鉤爪で引き裂く。人間の腕よりも太い枝であったが、抉られたように削られた部分から重みに耐えかねるようにばっさりと落ちる。
慎重に追いつめていたはずだが、半刻ほど過ぎた今でも獲物を仕留めることができていなかった。
若い剣士の方はジャハーンが思うよりも腕が立った。
自分めがけて四方から襲い来る刃を森の木々を巧みに盾にしながら、同時に多方向から狙われないようしている。だがそれだけではない。恐ろしく目と勘が良いのだ。手下の獣が刃を放つ瞬間の僅かな殺気を感じ取ることができているのか、死角から飛来する刃あってももことごとく太刀で弾かれてしまう。まさかとは思うが、手下の獣の僅かな動作で揺れる木々すらこの暗闇の中で見極めている節まである。
若造と侮っていたが、先に仕留めた二人など比較にならないほどの戦士だった。
だが、もう一人の呪法師はそれ以上に厄介な存在だった。
今だに術を使う様子を見せないため全く手の内が読めない。加えて身に纏っている外套に何かの術を施しているらしく、捉えたと思った刃であっても自ら意志を持っているかの如くはためくと、ただの布切れのはずなのに傷一つ付けられずにことごとく弾かれてしまうのだ。
外套に守られていない手足を狙った刃もあったが、思いのほか身のこなしも軽く、今だ致命傷を与えることはできていなかった。
「糞っ!忌々しい!!」
ジャハーンは獣の仮面の下で今日は何度目かわからない悪態をついて相手を罵る。
ジャハーンにとって狩りとは己に愉悦と快楽をもたらす至福のものであるはずだった。獲物を追いつめ、嬲り、動けなるまで弱らせ、たっぷりと恐怖を味合わった顔が絶望に変わる瞬間を愉しむ。それこそがジャハーンにとっての狩りであった。
だがいま目の前にいる獲物たちは違う。確かに追いつめる所まではジャハーンの思い通りにだったはずだが、恐怖に怯えることもなく今だ抵抗を続けている。
何よりも腹立たしいのは、二人の動きなのである。二人そろって同じ方向に逃げ出しながら身を潜めたと思うと、今度は二手に別れて移動する。その度に仮面の笛を鳴らして手下の獣に命令を出さねばならない。
所詮は知恵に乏しい獣。複雑な動きを自らの判断で行うことなどできるはずもなく、ただ笛の音に反応して命じられた標的だけを狙うしかできないのだ。それ故、状況が変わるたびにジャハーンは笛を鳴らして命令を出さねばならず、自らの愉しみに興じることができなくなっていた。
だが、先ほどから巨木の影に逃げ込んだらしい獲物たちはそこから動かなくなった。ここまで辛抱強く手下を操って獲物を追いたてたことで手傷を負ったか、疲弊のあまり動きが鈍くなってきたのだろう。
「クククッ…。これでようやく愉しめる」
ジャハーンは木々の枝を渡って獲物との距離を慎重に詰めていく。
ひときわ太い樹木の大枝に取りついたジャハーンは、既に眼下に木の幹に身を隠している獲物たちの姿を捉えており、頭上まで近づいている自分の存在にも気付かれた様子はない。
どちらの獲物から引き裂いてやろうかと考えるだけで興奮のあまり叫び出したい衝動に駆られるが、今はまだその時ではない。じっくりと品定めして弱っている獲物の方をまずは狙うべきなのだ。
そう考えて逸る自分を抑えたジャハーンは、値踏みするように眼下の二人を見据える。
ジャハーンの目に映るカインは樹木を背にしながら周囲を警戒するようしきりに辺りを見廻しているが、疲労と緊張のあまり呼吸が荒く、構えた太刀の切先も僅かにに揺れている。
(クックッ…剣士の若造の方はだいぶ息も上がってるじゃないか)
もう一方の呪法師は、何やら懐から取り出した糸のようなものを何本も手近な枝に括りつけると、反対側を鉄輪か何かの先に束ねて結いつけながらその張り具合を確かめるように指で弾いている。
(何をしている…。罠でも仕掛けようというのか?)
ジャハーンには相手の呪法師の行動を理解することはできなかったが、もう考えるのは止めた。
あの程度の仕掛けであれば鋭い鉤爪で切り裂くことは容易であったし、この距離まで近づいているならば何を企んでいようと動く前に喉笛を引き裂いてやる自信があった。
(まずは若造からだ…)
若造の方は確かに手強い剣士だが疲弊している今なら動きも鈍くなっているはずである。いかに手練れの剣士であったとしてもその間合いさえ気を付けていればさほど脅威にはならない。
伸縮自在な仕掛けをもつこの篭手と鉤爪であれば、十分に間合いの外からでも仕留めることはできる。加えて手下の獣どもを嗾けた隙に死角である頭上から襲い掛かってやれば、いくら勘の良い餓鬼であっても防ぎきれないはずだ。
(殺してやる…!)
それにジャハーンの忍耐はもう限界であった。湧き上がる殺意が全身を駆け巡り、雄叫びをあげたくなるほどの興奮を抑えることができそうになかった。
ジャハーンは獣の仮面の下に仕込んだ笛に荒く息を吹き込むと、ヒヒュウ!…と小さく掠れた音が鳴る。その音なき音色に呼応するかのように手下の獣たちが音もなくその包囲を狭めていく。
(殺してやる…! 殺してやる!!)
僅かな時間であるはずなのだが、獣の仮面の下ではすでに抑えきれない欲望とあふれる殺意で歪んだ笑みを浮かべる。
あとは合図にもうひと吹き笛を鳴らせば、あの忌々しい剣士の若造は四方から手下が同時に襲い掛かり、その爪や牙で奴を引き裂くはずだ。だが止めはジャハーン自らこの鉤爪で頭ごと切り裂いて握りつぶしてやるつもりだった。
(殺す! 殺す!! ぶっ殺してやるゥゥ!!!)
ジャハーンは獣を操っている笛に息を吹き込んで合図を鳴らすと、溢れた殺意に突き動かされるように木の枝を蹴って狙った獲物に向けて跳躍していた。




