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エイベルギアの聖旗  作者: 狼煙
序章
17/22

17話 異形の殺手1

 カインとエメルダは巨木の陰に隠れるようにしてかろうじて身を守ることはできたものの、姿の見えない敵が作り出す包囲網に手を焼いていた。

 周囲を探ろうと木の陰から少しでも顔を出そうものなら、暗闇から仲間を仕留めたあの細長い刃が飛来して寸前まで顔があった木の幹に正確に突き刺さる。それも複数の場所から同時にである。

 忌々しいことに飛来する刃のいくつかは避けた先をあらかじめ狙って投げられたものが交っている。ある程度はそれにも反応して太刀で弾き落としているが、肩や腕の皮鎧には避けきれずに掠めた刃の跡が着実に増えていた。


「これ以上近づかれるとまずいな…」

「そのようですね」

「あんまり焦っているようには見えないが、ここから逃げ出す良い手でもあるのか?」

「さて、どうでしょうか」


 既に聞きなれつつあったその軽口にカインは小さく苦笑しつつ、周囲の気配を探っていく。

 すでに二人を取り囲む気配はじりじりと距離を詰めながらその包囲の輪を狭めてきており、まるで蜘蛛の巣に捕らえた獲物が弱り切るのを待っているかのようにこちらの動きを絡めとろうとしている。


(包囲しているのは…六…七…八人ってところか。)


 相手が近づいてきていることもあって朧げにしか捉えることができなかった気配も幾ばくかは感じやすくはある。だが、さすがに手練れの暗殺者のような連中を同時に幾人も相手取るのはカインとて難しい。せめて一瞬だけでも注意を逸らすような隙が作れれば、その一角を突き崩して突破することも可能かもしれないが、今以上の手傷を負う覚悟が必要になるだろう。


「フッヒャハハハハ…! お遊びはそろそろお終いにしようか。隠れてばかりいないで出てこい」


 ふいにカイン達を嘲るような声があたりに響き渡る。

 今まで音もなく気配すら闇に溶け込むように姿を隠していたが、20ルフト(1ルフト=1m)ほど先にある巨木の枝の上にその声の主は姿を現した。


 2ルフト(1ルフト=1m)近くはあるだろうか。

 その長身にはあちこちが千切れて隙間だらけの外套を纏っており、頭巾からわずかに見える口元には異様なほど太く鋭い牙のようなものが見え隠れしている。どうやらエメルダと同じように仮面で素顔を覆っているようだが、それは優美な人の顔を模したもの…というよりは牙をむき出しにした獣か悪鬼のように見える。

 それだけであればカインとて驚きはしなかったであろう。

 だが、目の前に現れた者の姿は人と呼ぶには明らかに異形だった。

 外套の隙間から枝を掴むために伸ばしている腕が異様なほど細く長い。人や猿のような獣であってもそれが人型なのであれば、関節と呼べる部位は肩、肘、手首の三ヶ所であるのに対して、その者の腕はそれ以上の関節があるのか、枝を掴んでいる…というより歪つに折れ曲がった腕を巻きつけているのだ。加えてその腕は不釣り合いなほど大きな拵えの手甲に覆われており、そこから曲がった鉤爪のようなものが何本も突き出している。


「ほら…どうした? おとなしくこのジャハーン様の前に姿を現せば、命くらいは助かるかもしれんぞ」


 自らをジャハーンと名乗る異形がゲラゲラと下卑た笑い声をあげるが、カインらを包囲している他の気配からは同調する素振りは見られない。


「戦場でもあんな奴は見たことはないな。仮面もお揃いのようだしアンタの知り合いか?」

「カイン殿は以外に冗談がお上手ですな」


 エメルダはカインの皮肉を軽く受け流すと、集中するように呼吸を整えると慎重に相手の様子を伺う。


(あのジャハーンなる者。僅かに呪力の拡散を感じるが詠唱や呪印を切る気配がない…。あやつ自身が術を操っているのではなく呪封機の力を利用しているのか? それに僅かにあの空気が抜けるような音…)


 何か考えでもあるのか、すぐ近くの大木に身を隠しているエメルダが囁くような小声でカインに声をかけてくる。


「…カイン殿」

「何だ?」

「少し試してみたいことがあります、ご協力頂けませんか」

「この包囲から抜け出す策でも思いついたのか?」


 エメルダの無表情な仮面がこくりと小さく頷く。


「策というほどではございませんが、一つ気付いたことがあります」

「気づいたこと?」

「あの猿めが大仰に喋っている間は…我ら囲んでいる殺気が薄くなるのです。こちらの動きに合わせて包囲の輪を保っていますが、積極的には仕掛けてこないのです」

「…………」


 カインも同じような違和感を感じてはいた。

 先ほどまでは木の陰に身を潜めていようと追い立てるように幾つもの刃が飛来してきていたが、今は逃げようとさえしなければその刃は飛んでこない。周囲を包囲されていることは変わらないが、確かに殺気そのものが薄くなっている。


「それに我らを取り巻く気配が動き出す前…。僅かではありますが空気の抜けるような音。そうですね、掠れた笛の音のようなものが聞こえたように思えます」

「俺には何も聞こえなかったが…」

「何かの音…というよりは空気の震えのようなものです」

「あんたにはそんなことが分かるのか?」

「まだ確証はありませんが…」

「仮にあんたの言う通りだったとして、それがこの状況とどう関係があるんだ」

「そもそも夜の森で身を隠している相手を奴らはどうやって見抜いているのでしょうか? それにここまで移動する間に我ら以外の足跡を見かけましたか?」

「いや…見ていないな」

「ジャハーンなる者が木の上にいるように、我らを包囲する者たちも木々の間を移動しているのではないでしょうか」

「相手は手懐けられた獣ということか…」

「恐らく…、あの者は夜目の効く獣を何らかの方法で操って標的を襲わせているのかと思います。手下が獣であるが故、主の命令がない限りは躾された行動しかできないのだと思います」


 エメルダの話はにわかには信じ難い気もしたが、そう考えると確かに筋は通る。

 自分たちを包囲している連中が夜目の効く野生の猿のような獣であるなら、森の闇に紛れるように木々の間を移動しながら群れとしてこちらを襲ってきていることも頷ける。その姿を捉えるどころか足跡すら無いのでは正体に気付くことも難しいだろう。


「それならジャハーンって奴は獣をどうやって操っている?」

「それをこれから確かめるのです」


 そう言ってエメルダはこれまでの仮説を確かめるだけでなく、包囲を突破するための策をカインに提案した。


 黙ってその提案を聞いたカインは大きなため息をついた。

 確かに状況がエメルダの予想通りなのであればその策で相手の意表を突くことができるかもしれない。上手くいけばこの場を脱出するだけでなく相手を仕留める機会すらあるやもしれないが、かなりの危険を伴うものであるのは疑いようもない。だが、今は迷っている暇はない。このままこの場で手を拱いていても、いずれは四方八方から襲い掛かる刃に切り刻まれて嬲り殺しにされるだけである。それならば、僅かでも生き残れる可能性がある策に賭けてみるしかない。


 カインはこんな所で死ぬつもりなど毛頭ない。

 どんな時でも必ず生きて戻ると愛しき少女に約束している。


 無意識に鞘に結ばれた藍色の紐飾りに触れている自分に気付いて人知れず笑みがこぼれると、その様子に傍らにいたエメルダの仮面が怪訝そうにこちらを見ていた。


「どうかなさいましたか?」

「いや…何でもない」

「では、合図をしたら始めましょう」


 そう言って外套の下に手をやると取り出したものカインに見せる。

 それは細い絹糸のようにも見えるが、鈍色に輝く鋼の糸だった。

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