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エイベルギアの聖旗  作者: 狼煙
序章
15/22

15話 宵闇の森

 雪に覆われた森の木々を縫うように、カインはレグナ・ヴァールをモンテダールに向けて走らせていた。

 オルガの砦を出立してからはすでに半日以上は経過しており周囲はすっかり夜の帳に包まれており、木々の隙間からわずかに見える崖下の街道もここまでは目立って不審なところは見当たらなかった。

 あと数刻ほど機体を走らせればいったん森は途切れて小高い崖になっている所に出る。そこからであれば肉眼でもモンテダールの城壁を臨むことができる。オルガの町からつながる街道からは崖上にあるその場所は見えにくく、モンテダール側からも森の木々に遮られているため身を隠すには絶好の場所と言えよう。

 カインは機体をそこに隠してモンテダールには徒歩で近づいて様子を探るつもりであった。


「カイン殿」


 もう少しで森の木立を抜けるかという時、操縦槽の後ろからエメルダが声をかけてきた。相変わらず抑揚のない口調ではあったが、どこか急を要するような響きが感じられた。


「どうした…?」

「先程からこの近くに獣の気配を感じませぬ」


 そう言われたカインも機体を止めて辺りの気配を探ってみる。

 確かにエメルダの言う通り森は不自然なくらい静まり返っており、わずかに聞こえるのは枝に積もった雪が落ちて枝葉をゆする音くらいしかしない。いくら日が昇る前とはいえそれなりに人里まで距離が離れた森の中では、野兎や梟といった夜行性の獣の気配くらいは感じるものだ。


(確かに、こいつの言う通り静かすぎるか)


 機体を降りたカインは慎重に周囲の気配を探ってはみるが、やはり何も感じない。同じように周囲を見回していたエメルダであったが、何かを見つけて雪に埋もれた木立の傍らで立ちすくんでいる。


「どうした?」

「これを…」


 エメルダが指さした地面にはうっすらと足跡が残されており、雪で滲んではいるものの赤黒い染みが点々と続いている。


「獣に襲われたってわけじゃなさそうだな」


 血痕がある地面の周囲を見渡しても狼や熊のような足跡は見当たらない。残されている足跡も人間のものが一人分だけで、誰かと争ったような痕跡も見受けられなかった。


「手傷を負ってここまで逃げてきたのでしょう。血痕はこの先まで続いているようですね」


 エメルダが指し示した先はこれから向かおうとしていた場所から続いているようで、そこはカインの傭兵仲間が街道の哨戒任務などで中継地点としてよく訪れる場所でもあった。


「俺は様子を見てくる。あんたは…」

「いえ、私もご一緒いたしましょう。この先に何かあるにしても、どちらか一方しか眼にすることができないのでは情報を持ち帰れません。それに私だけこちらに残っても、機体を動かすことができるわけではありませんので」


 エメルダの言い分は最もでもあるので、カインは「足手まといにはなるなよ」と一言だけ残して血痕の続く先へと進んでいく。

 その背を追うようにエメルダも静かに付き従っていく。


 ほどなくすると雪に覆われた茂みの一部が不自然に倒され、そこに一人の男がうつぶせに倒れていた。この極寒の中で外套すら身に着けておらず、背中や肩に負った傷からは今も赤黒い血が流れ出している。

 

「ホランド!?」

 

 すぐさま駆け寄ったカインは男の傷が開かないように慎重にその体を抱え起こすと、男はかろうじて意識はあるらしく震えるように瞼を開けて小さく咳込む。


「カインか…?」


 男は弱々しく呟くと、また苦し気に咳込んでしまうが今度はそれに血が滲む。

 この傷ついた男のことをカインは良く知っていた。カインの傭兵仲間のホランドである。モンテダールの様子を探るためにオルガの町を出てから行方が分からなくなっていた傭兵仲間だった。


「しっかりしろ…今助けてやる!」

「グッ…どうして…お前が…ここに」

「あんたらが戻ってこないから、団長が俺を寄こしたんだ」

「そうか…団長の悪い予感が…当たってしまった…ようだな。…ゲホッ!」

「喋るな!とにかく今は治療が先だ!」


 ホランドの体はまだわずかに温かかったが、呼吸は浅く多量の出血で意識を失いかけている。

 カインはホランドを近くの木に寄りかからせると細く千切った外套の裾で肩口の傷を縛って止血する。だが背中の傷は恐らく内臓まで達しているのだろうか、カインとエメルダが手当をする間もそこから流れる血が地面の雪を赤く濡らしていく。

 ホランドはログナーの麾下でも信任の厚い傭兵である。戦士として卓越した何かの技量を持つということはなかったが、戦場での経験も豊富で、カインはおろかログナーを相手取っても簡単に易々と遅れを取るような男ではない。それがこれほどの手傷を負った上、瀕死の状態まで追い込まれているということは、余程の相手に遭遇したとしか思えなかった。


 ホランドは必死に傷口を押さえて止血しようとするカインの腕を力なく掴むと、痛みに顔を歪ませながら小さく首を左右に振る。

 

「俺はもう助からん…。それより聞いてくれ」

「馬鹿をいうな!」


 すでに血の気を失い真っ青になった唇と浅黒く落ち窪んだ眼窩が、目の前の男に残されている時間が僅かであることをカインも分かってはいたが、だからと言って諦めることも見捨てることもカインには出来なかった。

 流れる血を必死に押しとどめようと傷口を布で押さえるが、虚しくそれが赤く重くなっていく。


「カイン殿…。この勇敢なる戦士殿の限りある時間を奪ってはなりません」


 エメルダはそっとカインの肩に触れて男から引き離すと、代わりに傍らに座り込んで外套から伸ばした手を傷口にかざす。そのまま何事か仮面の下で呟くと、かざした手が柔らかな光に包まれる。その不思議な光をあてがわれると、しだいに痛みに歪んでいたホランドの顔も和らいでいく。


「残念ながら私に傷を癒す術はありませんが、わずかであえば痛みを和らげることはできます」

「それだけでも…ありがたい」

「だが…」

「カイン…。おまえは急ぎオルガに戻って団長に伝えてくれ…。モンテダールは陥落したと…」

「陥落…」

「やはりそうでしたか」

「昨晩のことだ…。突如として街の郊外に…百を超える機巧兵が姿を現したかと思うと、奴らは…瞬く間に城門を突破…して…街に火をかけた…」


 ホランドは一気そこまで言うと、喉元にこみ上げてきた血にむせかえるように再び咳込む。エメルダの術で痛みこそ抑えられてはいるものの、その身に受けた傷が癒されているわけではなく、残された命の灯は確実に弱く小さくなっているのだ。


「あれは…戦なんて呼べる…代物じゃない。ただの虐殺か蹂躙だ」

「モンテダールの守備兵は何をしていたんだ?」

「もちろん…すぐさま城門を固く閉ざして奴らの侵入を防いでいた。だが…城門の前に奴が現れた…」

「奴…?」

「紅い兜の機巧兵だ。そいつが城門の前に進み出て剣を振り下ろすと、濁流みたいな炎で城門や城壁を焼き尽くしちまった」

「焼き尽くすって…そんなことができるのか!?」

「分かりませんが…炎を操ることを得意としている高位の呪法師であれば考えられなくもありませんが…」

「その後は抵抗などできようもなかっただろう。城門を固めていたモンテダール側の機体は消し炭のように黒焦げになって横たわっているだけだったからな…。あれを見て生身で戦おうと思える兵士はいないだろう」


 ホランドの話では、その後崩れ落ちた城門から謎の軍勢は一気に街になだれ込むと、半刻もしないうちに街のあちこちから火の手があがり、昼を迎える前には完全に占領されてしまったのだと言う。


「カイン…。お前は急いで団長にこのことを伝せろ」

「だが…」

「それだけのことがあったのに街から人が逃げ出していないんだ。何故だかわかるか?」

「まさか…」

「俺は見た。街の全員ってわけじゃないだろうが、街のあちこちにうずたかく積み上げられた死体の山を。そこには男も女も子供も関係ない。藁みたいに積み上げられて、見せしめのように焼かれていた死体をな」

「……くっ!」

「無事だった街の連中に聞いた限り、奴らはこの地で何かを探しているらしい…」

「何かを探している?」

「…………」

「それが何かは分からないが、奴らは近くの集落にも手を広げようと探りを入れている。狙っているものがモンテダールに無いと分かれば、奴らが次に狙うのはオルガしかない」

「モンテダールに潜入していたのはあなただけですか?」

「いや、この先で落ち合う手筈にはなっていた。もし約束の時間になっても戻らない奴がいたとしても、それぞれの判断でオルガに戻って報告するようにと決めていた」

「だがそこには誰も戻っては来てはいなかった…と?」

「俺があいつらを見つけた時にはもう冷たくなっていた」

「相手を見たのか?」

「分らない…。音もなく背後に忍び寄ってきたかと思うと喉元を狙って得物で襲い掛かってくる。だが次の瞬間には恐ろしく素早い身のこなしで姿を消してしまう。まるで黒い影みたいな連中だったとしか…」

「…隠形衆」

「知っているのか?」

「私も聞いたことがあるだけです。隠形や幻術を操り、様々な暗器を用いて人を殺める者たちです。我ら呪法師と同じとはいきませぬが、中には簡易な呪法を扱う者もいると聞いております」

「そんな奴らがどうしてこの地に…」

「気をつけろ…あいつらは逃げた俺を…」


 そう言いかけたホランドは最後まで言葉を続けることはできなかった。

 暗闇を切り裂くように飛来した細長い刀が喉や胸に深く突き刺さり、僅かであった彼の命を完全に消し去ってしまった。


「くそっ!」

「むやみに動いては的になるだけです。木を背にするなどして同時に多方向から狙われないようにするしかありません」


 カインやエメルダも四方からその細長い刃が襲い掛かっており、今は自らの身を守るだけが精一杯であった。油断していたわけではないが、すでに幾つもの気配がカインとエメルダの周囲を取り囲んでおり、今はその殺気を隠そうともしていない。


(まずいな…完全に囲まれてる)


 二人は手近な木に背中を預けるように身を隠して辺りの様子を慎重に伺うが、暗い森の中に潜むその影を捉えることは難しかった。

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