13話 予兆
この時期にしては珍しく空を覆う雪雲も少なく、いささか眩しいくらいの太陽が街並みを照らしている。
日の出の時間はとうに過ぎていて、広場につながる町の通りには店の開店準備をするものの姿や、籠を片手に市場に向かう女性の姿や鉱山へ働きに向かう者たちの姿がちらほらと見かけることができる。
そんな日常の風景を横目に、カインは砦に向かって歩いていた。
昨夜はマリエルの披露してくれた歌や演奏で、銀月亭では夜遅くまで騒がしいままであった。
さすがに客人であるマリエルをそこまで付き合わせるわけにはいかず、ケーラはトマスや他の泊り客を2階の宿に案内させると、マリエルは裏手にある母屋にアリシアに伴わせて帰宅させた。もちろん、イザールをはじめ店内の酔っぱらった男衆は彼女に一喝されて店から叩き出されたのだが。
店を放り出されても雪の中で幸せそうに泥酔しているイザールを前にしてカインは大きくため息をついたものの、そのままにしておくわけにもいかず、高いびきをかいているイザールの肩を担いで渋々ながら町の傭兵宿舎まで運ぶ羽目となった。おまけにイザールは銅貨を数枚ほどしか持ち合わせておらず、彼が好きに食って飲んだ代金も含めてカインが全て建て替えさせられていた。
憮然とした表情のままそんなことを思い出しながら歩いているうちに、いつのまにか砦の駐機場に到着していた。
「なんじゃ? まだそんな不機嫌そうな顔しとるのか?」
大きな欠伸をしながら、機材と部品の山からゴードンが声をかけてくる。
足元には食い散らかして空になった食事の器や空になった空き瓶が幾つも転がっており、かがり火のそばには寝袋と毛布が転がされている。どうやら昨晩もここに止まり込んで、昨日の続きを続けていたのだろう。
「別に…昨日のことじゃないさ。爺さんこそ朝まで機体をいじっていたのか?」
カインやイザールも昨日の夕刻までは鹵獲した機体の修理を手伝わされていた。二人がここを引き上げる時には欠損していた右手や左足の骨格も残骸だった他の機体の部品を流用し、どうにかそれなりに動く所までは修理を終えていた。まだ所々は骨格がむき出しので外装が外されているの所も目立つが、右肩にはイザールの注文通り大型の長弩弓が備え付けられていた。
「フン。また出撃せにゃならんといかんからとイザールの奴めが偉そうに儂を急かすもんじゃからな。どうにか動かせるくらいまでに組み上げてやったわい」
さすがに二日続けて明け方近くまで作業をするのは老体と言ってもいいこの機巧師には堪えたのだろう。もう一度大きな欠伸をしながら、痛む腰をいたわるようにさすっていた。
「それでイザールの奴はどうした? こいつを調整するには操手の奴がおらんと話にならんのだが」
「あいつなら宿舎のベッドで頭を抱えて唸ってるはずだ」
しこたま泥酔するまで酒を飲んだ次の日は、強烈な二日酔いで青い顔をすることになるのはイザールの日常だった。
「フン…なるほどな。お前さんが不機嫌なのはあやつが原因か。おおかた朝まで飲んだくれた挙句、最後はお前に担がれて宿舎に転がっとるわけか…本当にどうしようもないヤツめ」
残念ながらゴードンの指摘には訂正できるところは一つもなく、カインとしては苦笑して肩をすくめるしかなかった。
「まあいい…昼には顔をだすだろうから、吐くまでこき使ってやるわ!」
そうぼやきながらも、イザールに渡す機体の修理を続けようとするあたり、口や態度は悪いが面倒見は良いのだった。
「そう言えば忘れておった。確か一刻ほど前じゃったと思うがログナーがここに来てな。ここにお前とイザールが来ていないか聞きにきたぞ。何でも昨日の夕方に話があるそうだから揃って執務室にくるようにイザールに言伝しておいたらしいが」
「いや、アイツからは何も聞いてないな」
「お前らが顔を出したら儂からも伝えておくとログナーにも言っておいたが。まぁそもそもあのお調子者に言伝を頼むのが間違いということじゃろう」
そう言ってゴードンは苦笑している。
「まぁ、それほど急いでいる様子はなかったから大事はなかろうて」
「そうか」
「イザールの奴めはうちの若い衆に叩き起こしにいかせるゆえ、お前は先にログナーのところに顔を出してこい」
ゴードンにそう促されたカインは足早に砦の奥にあるログナーの執務室へと向かうことにした。
この砦は城壁の両端を天然の要害によって守られている。
城壁の東側は切り立った岩壁がそびえたっており、その上からカルハナ山脈の雪解け水が幾筋もの滝となって降り注いでいる。それらが生み出す激流が城門の前の堀にそのまま流れ込み、西側の断崖へ滝となって再び流れ落ちていく。堀に掛けられている吊り橋を渡らなければ、オルガの町や鉱山に入ることはおろか城壁に近づくことさえ難しい。
加えて、高くそびえる石造りの城壁は固い岩盤の一部を利用しており、破城砲や機巧兵の持つ長弩級にも十分に対抗できるだけの堅牢なものとなっている。
砦の内部には、見張りや哨戒にあたる兵士たちの詰所や当直の兵士が寝泊まりするための宿泊所、怪我人を診るための医務室、地下には捕らえた敵兵士を収監するための牢獄といった施設を備えている。砦のすぐ傍には機巧兵や従機兵の整備を行う駐機場や、武器や食料などが備蓄された倉庫も併設されていた。
ここがいつの時代に建てられたものかは定かではないが、カイン達の傭兵団や町の自警団はそれを改修しながら今も使っていた。
カインは砦に通じる渡り廊下を歩きながらログナーに呼び出された理由を考えていた。
叱責された翌日に顔を合わせるのはいささか避けたい気もするが、昨日の説教の続きを改めてされるということはログナーの気質からは考えにくし、元々はイザールを伴っての話とあらば新しい任務か何かについての話だろう。
詰所の脇の通路の先には砦の二階へ通じる階段があり、砦の指揮を預かっているログナーの執務室はある。カインはその扉の前で少し立ち止まると、自らを落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸をする。
改めて扉を叩こうしたカインの手がふいに止まる。誰か先客がいるのだろうか、扉越しにイザールでも他の傭兵仲間でもない見知らぬ気配を感じたのだ。
(誰かいるのか? だがこの気配は…どこかで…)
一瞬、カインが扉の前で入室を躊躇っていると、それを見ていたかのように扉の向うにいるログナーから「入れ」と促された。
刻は数刻ほど前に遡る。
先日から砦に詰めていたログナーは執務室で簡単な朝食を済ませると、早朝から続けざまに部屋を訪れる部下の報告や町の代表者との相談などを次々と処理していた。
一昨日の傭兵崩れの野党に街道を行く行商隊が襲われたこともあって、近隣のモンテダールの街に通じる街道に出向くことは控えるようにと集まった町の代表者や商工会の主だった者たちに伝えていたのだ。
予想はしていたが、彼らとしても渋い表情のまま難色を示すばかりであった。
オルガの町の周辺は森に恵まれているため狩りの獲物などには事欠かないが、だが冬が長く雪深いこの地では畑の収穫や育てた家畜だけで生活を維持することは難しい。街道の往来を制限してしまうと収入源である鉄を卸すことも敵わなり、町の外から食料などを調達するのが難しくなるのだ。
それぞれの家庭でも寒さが厳しくなる前には秋に収穫した小麦や野菜を蓄えるようにしているため、今の所はそれほど深刻な事態になるのはどうにか避けることはできそうであったが、これが続くようであれば冬を越すことも難しくなっていくのも可能性もある。そうした事情も相まって、しばらくは街道を利用する際には用向きのある商人や採取した鉄などは隊商としてひとまとまりになり、それに護衛を伴わせるという妥協案でどうにか話はまとまった。
但し、今は警戒を緩めるにはわけにはいかないため、街道に様子見に遣わした者たちが無事に戻って来てからの話だ、という条件だけはログナーとしても頑としても譲ることはしなかった。彼らとしても不安を抱えたままで出立するのは本位ではなかったし、ログナーへの信頼も大きかったこともあり、渋々であったがその条件で引き下がった。
ログナーは小さくため息をつくと傍らの湯呑みの茶を口にする。
来客の相手をしているうちにすっかり冷めてしまったようで、淹れたての香ばしさや風味などはすっかり失われてしまっていた。もとよりログナー自信はそれほど贅沢を好んだりことさら美食を嗜むようなことはなかったが、ここ数日は自宅へ戻ることもなく砦に詰めている状態であったので、政務の合間のわずかな一時くらいは温かい茶を飲んで煩わしさから解放されたい気にもなっていた。
すっかり冷めた茶の入った湯呑みを机に置くと、ログナーはそこに広げていた大陸の地図に目を落とす。何か考え込むようにその地図を眺めているがその表情は険しい。ややあって、疲れたように目頭を押さえると椅子の背もたれに深く寄りかかって静かに目を閉じる。
「お疲れのようですな」
この部屋に居るのはログナーだけのはずであったが、そう声をかけてきた者がいる。
扉も空いた様子など微塵もなかったが、いつのまにかそこに立っていたのだ。
背丈はそれほど大きいという印象はないが、その姿や纏う雰囲気は奇怪といっても過言ではない。
全身は昏い濃緑の外套で覆い隠され、そこから覗いている顔だけが不自然なくらい白い。そう見えるのは外套から覗いているのが素顔ではなく、それを覆い隠すように仮面を被っているからであろうか。その仮面は白い陶磁器かなにかで作られているようで両目と額には翡翠色の宝石が埋め込まれている。ただ、ときおりその宝石がうっすらと妖しげな輝きを放つことがあり、人の顔を模した造形がことさら精緻で美しいものであることも相まって、人ならざる存在に見える。
加えて、仮面を通してくぐもったように聞こえる声音と抑揚のない口調は感情に乏しく、その者が男であるか女であるかすらも伺い知ることすらできない。
まるで目の前の人物は幻か影のような存在であった。
「覗き見とはいささか趣味が悪いな」
そう揶揄するように呟いたログナーは目の前の人物にそれほど驚いた様子はない。一度だけ声の主に視線を送るも、先ほどと変わらず椅子の背もたれに寄りかかってまた両目を閉じてしまう。
「隠形の術にはそれなりの自負を持っておりましたが、考えを改めねばならないようです」
「かつてはお主のような異形の者に対峙したこともあるのでな。そのことを知らぬ訳ではあるまい」
「ご無礼はお詫びせねばいけないようですね」
そう言っておどけたように優雅に一礼を返すと、「翡翠のエメルダとお呼びください」と名乗った。
その者が纏う外套の色や仮面の翡翠石から通り名としてそう呼ばれているのであろう。
術者が本名を語らないのは珍しいことではない。
彼らは真名を知られるの避けているのである。魔道の術の中には真名を通じて相手に呪いをかけるような術もあるため、用心深い彼らはその身を守るためにも自らの真名を語ることはまずない。特に仮面で素性を隠しているようなものであれば尚更でもある。
「フン…。最初から儂を試すためにわざとらしく隙を作っていただけであろう。こちらがお前に気づく素振りを見せない故、痺れを切らして姿を現しただけではないか」
「フフフ…、これは一本取られましたな。流石は大陸にその人ありと謡われた剣聖ログナー殿です。くれぐれも無礼のないようにと我が主にも釘を刺されておりましたが、私の見立ての方が甘かったようです」
エメルダは「戯れのお詫びに」と言って外套に忍ばせていた手をかざすと、目の前の机に置かれたままの冷めきった湯呑みからうっすらと白い湯気がたちのぼる。
──呪法師。
自然の理に反した魔道の力を振るう者をそう呼ぶ。
彼らは特殊な抑揚で唱える失われし言葉と共に、己のうちにある魔力を聖結晶に送り込むことで虚空から森羅万象を具現化する。僧侶や司祭がその祈りで神の恩寵を奇跡として振るうのとも異なる。精霊使いが大地にたゆう精霊の助力得て様々な現象を起こすのとも異なる。
自然の摂理、神の奇跡、精霊の恩恵、そうしたものとは全く異なる超常的な力を、人から《魔道》として畏れられていた。
「いらぬことを…」
そう言ってログナーは疑いもなく目の前の湯呑みの茶を口にする。
目の前の呪法師はとくに詠唱の言葉を口にした様子もなく、他の呪法師のように術の触媒とするための魔力を宿した杖や錫杖を手にしているわけでない。だが口に広がる温かみは幻術といった類いでもなく、さりとて目の前で炎であぶられたような様子もない。ログナーには魔道の心得があるわけではないが、詠唱もなく術を操る目の前の呪法師が高位の実力者であることは疑いようがなかった。
「お主のようなものをここに遣わしたということは、手紙では伝えられぬ危急の報せがあるのであろう?」
「…左様です」
仮面の者が短く答えるが、ログナーにはその内容が予想できているようであった。
「それで…あの者は何と申していた?」
「封印が思いのほか早く弱まっていると…」
その一言を聞いたログナーは眉をしかめて表情を曇らせるが、すぐに平静を取り戻したように話を続ける。
「どれだけの刻が残されているのか、セレーラ殿は何か申してなかったか」
「一刻も早く…とだけ」
「そうか…」
「ここに来る途中、手前のモンテダールの街の近くに呪法の痕跡を幾つか見つけております。」
「……そこは龍脈が通じる場所か」
エメルダは小さく頷く。
龍脈とはこの大地に眠る魔力が吹き溜まりのように集積していたり、運河のように別のどこかへ流れるような連なりを見せるものである。呪法の心得などがない者には目にすることができるものではないが、達人と呼ばれるような武人や、高位の聖職者や精霊使いなどはその存在を感じることくらいはできるのだという。
個人による差異はあれども、人の身に宿る魔力だけでは大規模な術式を扱うのは難しいこともあり、呪法師はこうした龍脈の力も利用して巨大な力を振るうことができるのだ。
「巧妙に隠されておりましたゆえ残されていた痕跡は僅かでしたが、恐らく転移の法ではないかと…」
「…機巧兵か?」
「恐らくは…」
「どのくらいの規模か分かるのか」
「術式の数から言っても…少なくとも百を超える数になるかと」
「かなりの数だな…」
機巧兵は貴重で効果な代物である。
一機当たりを製造するには鉄をはじめとして大量の鉱石を必要とする。加えてそれを動かすための結晶駆動炉や部品などに至っては、魔力を帯びた聖結晶を必要とするだけでなく、それらを機械の体に融合させる設備や特殊な技法なども必要である。それらを扱うことができる鍛治師なども限られており、時間と財力があればいくらでも生産できるようといような代物ではない。
それをこんな辺境に百近い数も派遣できるとなれば、それはもはや国かそれに準ずる組織であることは疑う余地もない。
ましてや、どこかの国の軍勢が動いたというのであればオルガのような辺境でも噂くらいは耳にする。傭兵稼業に身を置いているログナーはこれまでもそうした近隣の情勢には気を配っているが、そうした話や報告を耳にした記憶はない。
「それだけの数であれば身を隠すことは難しいはずだが。どこに潜んでおるか分かるか?」
エメルダは今度は小さく首を振る。
「用心深い連中のようです。痕跡を残さないようにしているのもそうですが、噂一つ流れてはいないようです」
「統制の取れた軍勢ということか。それに練度も高いようだな」
「恐らく呪法師による隠形の術も施されているでしょう。それもかなり大規模な」
自国の領土を進軍しているのであれば、よほどの事情が無い限り身を隠すように行動する必要はない。堂々と陣旗を掲げて進軍するであろう。
だが、この近隣に潜んでいると思われる謎の軍勢は、目的を気取られることのないよう巧妙に姿を隠しながら行動している。ましてや大規模な呪法の技を用いて秘密裏に百を超える機巧兵を潜入させているということは、今の段階では国家間での戦争になることを政治的に避けようとしており、他国への領土侵攻を目的としたものとはやや性質が異なっている。
加えて派遣された一団が全軍でなかったとしてもその数は国の騎士団などが保有する一個師団に相当する。
大きな戦や内乱などでない限りは、保有する軍勢の半数も出陣させるようなことは軍略的にもまずありえない。自国の防衛や領土の治安維持などにも兵を残しておかねばならず、不測の事態に備えて予備兵力も確保しておく必要があるものだ。このような隠密行動にあっては、他国にその正体や目的が露見するようなことがあった場合に派遣した兵全てを政治的に切り捨てるとう事態も憂慮せねばならない。そこから逆算すると、派遣できるのは多くとも全軍の十分の一程度が限界だろう。
それでも百を超える手勢を送り込んできたということは、その国か組織は千を超える機巧兵の軍勢を保有している可能性がある。
それらを鑑みると、ログナーとして思い当たるのは一つだけだった。
(奴らが動き出したと見て間違いなかろう…だとすれば目的は…)
ログナーはしばし己の考えに耽るように沈黙していたが、目の前のエメルダに意見を求めた。
「お主はどう見る?」
「この地に陸路で侵入したのでないとすれば、長期の作戦行動を賄うだけの補給を確保するのは難しいでしょう。機巧兵の運用には定期的な整備や補給は不可欠なはずですから」
「それだけの大所帯であれば隠密行動にも限界があるということか。だとすれば近いうちに補給と整備が賄える拠点となる場所を襲撃すると?」
「恐らくは…」
「モンテダールか…」
エメルダはそれには沈黙したままである。
モンテダールはこのオルガの町からもさほど離れているわけでもなく、雪深い時期とはいえ整備された街道であれば機巧兵の足ならオルガまでは2日もかからない。それほど大きな規模の街ではないとはいえ、食料や水の確保を行うには十分であろうし、このオルガと同じく独立した自由都市の一つであるため周辺国家の軍隊が駐留していることもない。短期間で制圧が可能で、その後も拠点として占領下においておくにはうってつけであり、謎の軍勢が狙うとしたらそこしか考えられなかった。
「杞憂であれば良いとも思ったが、一昨日のうちに手の者をモンテダールへ向かわせている。この辺りの土地にも詳しくそれなりに信の置ける者たちではあるが今だに戻ってくる様子がない」
ログナーが遣わした者の一人は、この町で傭兵稼業を営むようになった頃からログナーに付き従っている古参の兵士である。傭兵として剣の腕も確かだが戦場での経験も豊富で状況判断も確かな男だった。所用でログナーが不在になるときなどは、腹心として傭兵団を預けることもあるほど信を置いているものであった。
エメルダはログナーに何かを問われるまでは話を黙って聞いていたが、ややあって口を開いた。
「今だその者たちが戻らないというのであれば、すでに敵の手に落ちているか、口を封じられているか、いずれにせよ無事ではない可能性が高いでしょう」
エメルダは相変わらず抑揚のない口調で淡々と告げる。
ログナーは押し黙ったままであったが、並べられた証拠やここ数日で起きている状況から推察しても、エルメダの言を否定することは難しかった。ログナーはエメルダを見据えると、意を決したように口を開く。
「いずれにしても状況を確かめる必要がある」
「もしやご自身でお確かめになるおつもりで?」
「いや、やはり儂はここは動けぬ。このまま戦になるかは分らぬが、それまでに備えておかねばならぬことが山ほどある」
ここオルガの町は街道の最北端にあたる。
もしここが戦場になるのであれば、その前に住民を避難させたり退路を確保したいところだが、ここが街道の終着点の一つであるため、これより先には住民を受け入れられる規模がある町や集落はほぼない。
カルハナ山脈を超えることができれば、そこにはさらに北の大陸へ渡る港町があるにはあるが、そこへは細い間道がつながっている程度で、女子供や老人が雪深いこの季節にそこを抜けていくのは至難の技と言えよう。いずれにせよ住民が逃げ出す時間を稼ぐためにはこの砦で敵の軍勢を数日は足止めする必要がありそうであった。
「偵察にはカインにレグナ・ヴァールで向かわせる」
エメルダとしてはその名を聞いても得に反対する理由はなかった。
先日の傭兵崩れの野党との戦闘を見ても、彼の者が機巧兵を操る技量も戦士としての判断力も申し分ないと思っている。ただ、レグナ・ヴァールと呼ばれる黒い機巧兵からは、出口を求めてうねり暴れている力の奔流といった異質な気配を感じたのだ。理を重んじる呪法師としてしてはいささか曖昧な理由ではあるかもしれないが、これは直感とでも言うしかない。
それが機体そのものに宿る何かなのか操る者が持つ力なのか判然としないものであったが、少なからずエメルダには見定める必要があると感じており、ログナーに一つの提案を申し出た。
「僭越ながら、私もその者にご同行させて頂けますか?」
「…………」
その申し出にログナーは暫し黙り込む。
相手がただの野党や傭兵程度であれば、多少の危険があったところでカイン一人でも十分に役目を果たして戻ってくるだろうが。だが、もし相手がログナーの考える者たちであれば、剣だけでない邪法と相対する可能性も少なくはない。
そのような事態であってもログナー自身であれば対処することもできるだろうから、自分で機巧兵を駆って確かめに向かうことが一番手っ取り早のかもしれない。だが謎の軍勢の目的がログナーの思う通りであるならば、まもなくこの砦やオルガの町は戦場になる。それに備えるためにも指揮官であるログナーはここを離れることはできないと考えていた。
目の前の呪法師の主のことは良く知っている。その者の信を得てここに遣わされてきたというのであれば、術者としての実力も含めて頼るに値するだろう。
「よかろう…。そなたにも頼むとしよう」
モンテダールへ出立するにあたって二人は幾つかのやりとりを終えると、エメルダは「仰せのままに」と恭しくログナーに一礼して現れたときと同じように景色に溶け込むようその姿を消してしまった。
その場に残されたログナーは静かに目を閉じると深いため息をつく。
まだ年若いあの二人に重く苦しい宿命を背負わねせねならぬ刻が近づいていることは分かっていた。それでも彼らがそれに立ち向かえるだけの心の強さや、その運命に抗う術を教えるための時間が欲しかった。
(あの時と同じ…。こちらが望むように刻は待ってくれぬということか)
執務室の扉の向こうによく知った若者の気配を感じる。
その者が少しだけためらいがちに扉をノックしようとしているのが分かると、ログナーは苦笑しつつも中に入るように促した。




