12話 西の客人と旅の楽士
店はカインが出た時と変わらず大賑わいで、大笑いしている男たちの声や調子はずれの歌声が裏口まで聞こえてきている。
カインとアリシアが仕入れた食材を麻袋から取り出しながら厨房の籠や木箱にしまっていると、ちょうど給仕のために料理を取りに来たケーラが声をかけてきた。
「随分遅かったじゃないか。どこで道草食ってきたんだい?」
「思ったより買い出しの量が多かったんでな…」
「アリシアを迎えにやったアンタまで遅いから、どうしたのかと思ってさ」
そう言ってケーラはちらりと横目でアリシアを見ると、その視線に気づいたアリシアはそそくさと食材の籠を抱えて倉庫の中へ逃げ込んでいってしまった。その背中ごしにアリシアの髪に見慣れない銀細工の髪飾りが揺れているのを目ざといケーラが見逃すはずもなかった。
「へぇ~、アンタにしちゃいい趣味だねぇ」
「な、何のことだ」
「まあ、遅くなったことはあの髪飾りに免じて見逃してやるかね」
カインは咄嗟に誤魔化したつもりだったが、付き合いの長いケーラにはそれが照れ隠しであることは見透かされているようで、にやりと揶揄うような笑みを向けられていた。
「買ってきたもんはここに置いておくからな」
ここで何を言い返してもいらぬ詮索をされるだけなので、カインはそっけなくそれだけ答えるとケーラの脇を通り抜けて立ち去ろうとするが、すれ違いざまにそのの背中を力いっぱい平手で叩かれて思わずむせ込んでしまう。
「痛っ!何すんだ!?」
「ちょっとは見直したってことさ!今日は腕によりをかけて旨いものを振舞ってやるから、いつもの席で待っておいで」
ケーラはそう言ってもう一度力強くカインの背中を叩くと厨房から追い出した。
カインは厨房の暖簾をくぐると、先ほどまでカインらが陣取っていたカウンターにイザールの姿はなく、ひと際賑やかなテーブルにでいつのまにか酒杯を片手に盛り上がっているイザールの姿があった。
(あいつは相変わらずだな…見知らぬ連中でもいつの間にかそこで馴染んでる)
自分にはできない芸当だなとカインは小さく苦笑しつつ、いつもの指定席である厨房近くのカウンターの椅子に腰掛ける。ここはカインやイザールが傭兵仲間と銀月亭を訪れるときは良く利用している席で、店では暗黙のうちに傭兵たちの指定席みたいな扱いになっていた。
カインはどこを見るとはなしに賑やかな店内をぼんやり眺めていたが、ふいに白い湯気の立ち昇る茶碗がそっとカウンターに置かれた。傍にはいつの間にか幾つかの料理を乗せたお盆を手にアリシアが立っていた。
「もう厨房の方はいいのか?」
アリシアはこくんと頷いて小さく微笑むと、運んできた料理をカウンターに並べる。
鹿肉と野菜を串焼きにしたものや、鶏肉や野菜とキノコを煮込んだシチュー、それに軽くあぶったパンやチーズに干しブドウなどが、次々とカウンターの上に並べられていく。
「いつもより豪華だな」
そう呟きながら、先ほどケーラが「腕によりをかけて…」と言っていたことを思い出して苦笑する。幾つか並んだ料理の中には、アリシアがカインの家に来ると振舞ってくれる一品が含まれていたからだった。
食べきれないのか、と心配そうにカインの顔を覗き込むアリシアに、カインは「いや、好物もあるから全部食べるさ」と言うとナイフやフォークを手にして食べ始めた。
そんなカインの様子にアリシアの表情もぱっと輝かせると、そのまま自分のお茶を片手にカインの隣の椅子にちょこん腰掛けた。今日だけは多少のぎこちなさのあるものの、二人にとって自然で当たり前の日常がそこにあった。
カインが出された料理をすべて平らげてアリシアが居れなおしてくれたお茶を飲んでいたときだった。
ひときわ賑わっていたテーブルでイザールと話し込んでいた初老の男が、酒杯を片手にカインとアリシアに近づいてきた。いささか酒精で赤らんだ顔はしているが足取りもしっかりしており、酔っ払いが絡んでくるような類いのものではなさそうだった。
「お若いの…少しお邪魔するが良いかの?」
「あんたは?」
長居はせんよ、とアリシアが席を勧めるのをやんわりと手で制すると、その老人は「トマス=エストリア」と名乗った。
どうやら昨日の戦闘でカインが助けた行商隊の元締めをしている人物のようで、聞けばエストリア商会の会頭の地位にあるらしく、その富と権勢が列国の大貴族と並ぶものであることを世事に疎いカインでも知っていた。
「なに、昨日は危ないところを救ってもらったからの。一言その礼を言おうと思っただけだ」
「べつに大したことはしていない…」
「いやいや…、お主があそこで駆け付けてくれなければ儂らはどうなっていたか分らんかった。おかげで隊商の皆も無事に済んだし、積荷も失わずに済んだ。改めて礼を言わせてもらおう。」
そっけなく答えるカインに、トマスは気を悪くした風もなく笑顔で返す。
「それにしてもあの黒い機巧兵の操手がこんな若者とは驚いた。それ相応の手練れの者かと思うておったが…」
そう言ってトマスは興味深げにカインを見つめるが、それは商人らしい値踏みをするような視線ではなく素直に驚きと賞賛を含んだものであった。
「相手が油断していたから運がよかっただけさ」
「そう謙遜することもあるまい。傭兵崩れの野党とは言え、あれだけの数の相手を撃退したのだから大した腕前ではないか。それにあの高さの断崖からお主の機体が飛び降りて来た時にはさすがに目を疑ったぞ。それこそ神話に出てくる翼神かと思ったわい」
「……そんな大袈裟なもんじゃない」
そう言ってトマスは陽気にからからと笑って酒杯を軽く掲げる。
カインとしては特別なことをしたつもりはなく、レグナ・ヴァールであればあの程度の機動は当たり前のことであった。ただ隣で話を聞いていたアリシアが心配そうにカインを見つめてくるので、あまりこの話を続けて欲しくはなかった。
そうした不機嫌そうな表情が顔に出てしまっていたのか、トマスはわざとらしく咳払いを一つすると、空になった酒杯のおかわりをアリシアに頼むとカインの隣に腰掛ける。
「長居はしないんじゃなかったのか?」
「フフ…そう老人を邪険にするものではないぞ」
「…………」
「やれやれ…、聞いていた通り不愛想な若者だの。まぁ…あの娘さんを不安にさせるような話をしてしまったのは謝罪しよう。気を悪くさせるつもりはなかったのだが…済まなかったの」
そう言って素直に頭を下げられては、年若いカインとしてもいささか態度を改めざるを得なかった。
「別にそんなつもりは無かったんだが…」
「ほう? 思ったより素直なようだの。あちらの席の陽気な傭兵殿の言った通りだな」
「イザールが何を言ったか知らないがアイツの話は真に受けない方がいい。すぐにあることないこと付け足して話をややこしくするからな」
「そういうお主は、ちと愛想が足りんようだがな?」
どうして老人というのは若者と会話をするときに最もらしく一言を付け加えて教訓をたれることが多いのか。ログナーといい、鍛冶師長といい、この老人も然りである。自分が愛想が悪いこといまさら指摘されるて腹が立つようなことはないが、昨日から周りの年長者に説教されることが多かったので些か辟易しているだけだったが、憮然とした様子でカインは押し黙ってしまった。
「すまんすまん、言ったそばからこれじゃ。どうも年を食うと説教くさくなっていかんな」
「いや…別にいい」
「まぁ…儂みたいに老い先が短くなると、自分の積み重ねたものを教訓として若者に残したくなるもん何じゃよ。勘弁してくれ」
そう言ってトマスはまたも陽気に笑うと、懐から小さな銅板を取り出してカインに差し出した。
「これは…?」
「エストリア商会で発行しとる通商手形じゃよ。これを儂の商会の看板のある店で見せれば、取り扱ってるものであれば何でも仕入れて届けてやることもできる。それにある程度ではあるが金の工面なども融通を利かせてくれるじゃろうて」
「…そんな大層な物を何で俺に? 昨日の護衛の代金なら傭兵団に支払ってるんだろう」
「もちろん、そっちはログナー殿にお渡ししてある。帰りの護衛も引き受けてくれておるので、前金としてそちらも支払っておるぞ」「それなら…もう十分だろ?」
「フフフ…お主は若いのに無欲だの」
「別に…今の生活でそんなに不自由はしてないからな…。俺は任務でたまたまあんたらを助けただけだから、個人的に何か礼をされるような筋合いもないし商人に変な借りをつくりたくないってだけさ」
「ふむ…そんなに警戒せんでも良いさ。これは命がけで儂らを救ってくれたお礼だし、儂の命の対価としては安いくらいじゃよ」
「それにお主のように若く手練れの機巧兵乗りはめったに出会えるものでもない。ゆえにそれは名刺も兼ねた先行投資みたいなもんじゃよ。まぁ、商人としての下心があることは認めてしまうがな」
「フン、やっぱりアンタも食えない商人だな…」
カウンターに置かれた銅板をちらりと横目で見るだけでそれを受け取るそぶりすら見せないカインに、トマスはやれやれといった様子で肩をすくめる。
「余計なことを言って警戒させてしまったかの」
そう言ってトマスは苦笑するが、差し出した通商手形を懐に戻そうとしないということは、老商人としてはこれをカインに受けとらせることを諦めているわけではなさそうだった。
「…それで、あんた何でオルガの町に?」
「別に大したことではない。オルガは良質な鉄鉱石を仕入れに来たのじゃよ」
「それだけなら商会のお偉いさんのアンタがわざわざ自分で出向かなくても良かったのじゃないのか」
「確かにそれもそうじゃの…。エストリア商会は儂が一代でここまでの大きさにしたものだが、何か特別なことをしたり大博打を打つようなことをしたわけではない…」
トマス曰く、良い商いを望むのであれば、仕入れるものは自分の目で見て、取引の相手を見定めて信頼関係を築いていくことを大事にしておくことが重要だと云う。それにはできるだけ産地を知り、扱う人間の為人を知り、彼らが暮らすその土地に商談へ赴くことを厭うては商売は上手くいかないというこの老商人なりの信念らしい。
今まで商いにはあまり興味がないカインであったが、この老商人が持つ信念や矜持が一代でエストリア商会を大陸有数のものに育て上げたということは良く分かった。
「まぁ、あんたがここを訪れた理由は分かったが、ここいらをうろつくなら護衛くらいは雇うんだな」
「フフフ…耳が痛いな。手前の町からはそう遠くないとは聞いていたゆえ、護衛を雇うのを軽んじたのは不覚じゃった」
「これまでも商売で色んな所に行ったのか?」
「そうじゃの…。ここまで大陸の北に足を運んだのは初めてじゃが、ありとあらゆる国や地方へ商いの旅をしたぞ。南の草原も、西の砂漠も、それこそ遥か東の果てに至るまで若い頃からあちこち飛びまわってきたからの」
物心ついたときからこの地をほとんど出たことが無かったカインには、大陸の果てと言われてもその先に何があるのかなど想像すらできなかった。
さすがにトマスは長らく商人として大陸を渡り歩いてきただけあって、その巧みな話術で語らられる体験談や見知らぬ世界の話は、剣以外には興味を示さないカインであっても引き込まれてしまうくらいだった。
「それだけ大陸に詳しいなら…」
カインは前置きしながらもその先を言い淀んでいると、トマスは「儂が知ることなら何でも教えてやるぞ」と気さくに促してくる。 それを聞いたカインがやや躊躇いがちに尋ねてきたのはアリシアの病気のことであった。
「……そうか、あのお娘さんはそんな病なのか」
愛らしい笑顔で注文を取りに来た際も、一言も喋ることがない様子からトマスも薄々は察していた。
この店の常連らしき客は特に気にしたような素振りをしてはいないし、年頃の娘を他人がとやかく詮索するのも不躾であると思って、トマスも気になってはいたが見て見ぬふりをしていた。
「あんたなら腕の良い医者か、そうした病に効く薬を何か知らないか?」
「ふむ、そうじゃの…。見たところあの娘さんの喉には大きな傷のようなものも見当たらんし、とりわけ何日も高熱で寝込んだりしたようなこともないのであろう?」
「そうだな…。たまに風邪を引いて床に臥せることはあっても何日も寝込んだりしたことはないな。それに大怪我したってこともないはずだ」
「儂は医者ではないから正確にはわからんが…」
トマスは記憶をたどるように軽く目を閉じて考え込む。
しばし黙って考え込んでいたようだったが、ふと何か思い出したことがあったのか懐の手帳をめくって何かを探し始めた。古びたその手帳をぶつぶつを何かを言いながらめくっていると、見慣れぬ文字で走り書きが記されたページで手がその手が止まった。
「おぉ…残っておったか」
「このあたりじゃ見慣れない文字だな」
「どこの言葉だったが忘れてしもうたが…『呪いは病にあらず、医術や薬では癒せない』ってことでな。魔法や呪いの類いには人の体に何かしかの病のような症状を見せるものがあると聞いたことがあってな」
「アリシアのがそれと同じだっていうのか?」
「儂は医者でも呪い師でもないのでそれは分からんよ。ただ薬草の調達で訪れた町で、そうした話を耳にしたことがあるってだけだ」「…………」
「そう気を落とすな。儂らの商会では薬草や書物の取り扱いもしておるゆえ、医者も薬師もそれなりに人脈は持っておる。その中にはこうした魔術や呪いに詳しいものがおるやもしれん。儂の名を出せば話くらいは聞いてくれるだろうから、その手形はやはりお主が素直に受け取るがよかろう」
トマスは改めて机の銅板を差し出すと、老商人の好意に渋々感謝しながらカインも今度はそれを受け取った。
「食えない爺さんだな。どんなことでも商売と取引の材料にしちまう」
「それが一代で富を成す秘訣じゃよ」
そう言って相好を崩したトマスは、今しがたアリシアが運んできた酒杯を手にすると、満足気にそれを片手で軽く上げて見せた。
店についたばかりの落胆ぶりとはうってかわって陽気に酔っぱらったイザールがこちらに近づいてきた。
手にしている酒瓶の中身もすでに半分ほどになっており、どこか足取りもおぼつかない。
「なんだなんだ~? トマスの大旦那は店の看板娘にちょっかいでも出してるのか~。悪いがアリシアはお相手がとっくに決まってるんだから野暮なことはするもんじゃないぜ?」
イザールはわざとらしくカインの肩に手を回すと、にんまりと笑いながらアリシアを見る。
その言葉にカインの隣に座っていたアリシアの頬が桜色に染まり、恥ずかしそうに身を縮める。
「そうか…それは残念だの。儂があと十も若ければアリシア殿のような器量良しは放ってはおかんのだがな」
トマスはイザールの軽口にわざとらしく乗って見せると、耳まで赤くして縮こまっているアリシアに意味ありげに微笑んで見せる。 年齢こそイザールと大きくかけ離れているが、どうやらこの老商人もイザールと同じく真面目な人間をからかって楽しむ悪癖を持っているようだ。まともに相手をしてはこちらが疲れてしまうだけなのでカインは聞き流してしまうつもりだったが、アリシアのどうやらそうではなかった。
傍らに座っていたアリシアは、カインをじぃっと上目遣いで見つめて何か言いたげな表情をしている。
「酔っ払いの戯言を真に受けるなよ?」
「…………」
その様子にカインが怪訝そうに見返すが、彼女の方が何かを言い出そうとする様子はない。
カインからの言葉を待っているのか、不安と期待の入り混じったような視線でこちらを見つめてくるだけなのだ。
「何だよ?」
「…………」
そのうちアリシアの頬が少しづつ膨らんだかと思ったら、そのままみるみる不機嫌そうな表情に変わって、挙句の果てにはぷいっと顔を背けられてしまった。
(何なんだよ…)
そんな二人のやりとりを酔っ払いの二人が緩み切った顔で眺めている。
「トマスの旦那よ、なかなかいいもんが見れるだろ?」
「そうじゃの。儂も麦酒がこんなに甘いと感じたのは初めてじゃわい」
「ちょいとからかうだけで毎日こんな調子だからよ、時々焦れったくなるんだけど…そこが良いんだよ」
「お前さん、若いのに見どころがあるの。これで所帯を持つようになってしまうと、それはそれでつまらんものじゃて」
「そうそう!この焦れったくて甘い感じがな…こう、たまらんのよ!」
カインたちを酒の肴にしてイザールとトマスは勝手に盛り上がっており、傍らのアリシアは不機嫌に顔を背けたままである。すでにカインとしてはどうにもならない状況に、ただ溜息をつくしかできなかった。
数刻くらい経った頃だろうか、ふいに銀月亭の扉の鐘が来客を告げるようにからころと鳴る。
カインの傍らでどうにか機嫌を直しつつあったアリシアもそれに気づいて、いそいそと出迎えのために入口へと向かう。
新たに店を訪れたのは、上品な濃緑色の外套に身を包んだすらりと背の高い女性客だった。
その手には白い布で包まれた何かを大事そうに抱えており、待ち合わせをしている者の姿を探すように店内を見回している。時折じっと何かに耳を傾けるようにその動きが止まる。その様子がちらりと目に入ったカインにはすでに察しがついていた。
どうやら彼女は目が不自由なようなのだ。
荷物を抱えている逆の手に握られた白樫の杖で歩く先を杖で確認するような仕草を見せている。
(あの女、確か…)
カインにはその姿に少しだけ見覚えがあった。
昨日の戦闘で荷馬車に身を潜めていたらしい彼女を野党に乱暴に馬車から引きずりおろしていたのを目にしていたのだ。
その後、そこからどうにか逃げ出そうとしてた馬車に仲間が助け上げているときも、大事そうに白布でくるまれた何か抱えていたのが印象に残っており、オルガ砦に逃げ込んだ行商隊の面々は年若い女性は一人だけであったはずであるから、彼女に間違いはないであろう。
「あれ…あんたの連れじゃないのか?」
トマスはまだイザールと下らない会話で盛り上がっているのか、カインに促されてようやく彼女に気が付いたようだった。
「おお…あれはマリエルだの。どうやら用事とやらも済んだみたいじゃな」
「もしかして、噂の美人の楽士殿っていうのは…?」
「お主も驚くぞい。美人と謡われるものはどの国にもそれなりおるもんじゃが、彼女は別格じゃな」
ヒュウ!と口笛を鳴らすとイザールはいそいそと身だしなみを整える。
「そいつはお近づきになりたいもんだな」
「そもそも彼女が称えられるのは美しい外見よりもその歌声じゃよ。彼女が楽器を奏で歌うその姿こそそれはもう言葉にはできぬほど美しいぞ」
「へぇ~、旦那も随分な入れ込みようじゃねぇか?」
「こうして行商の旅に連れだって道行きを同じくすることもあったゆえ、我が商会の劇場で専属にならぬかと誘ってはおるのだが一度もよい返事をもらったことはない」
「そりゃまたすげぇ話だけど…なんで断られたんだ?」
「さてな…、理由は話してはくれぬよ。何でも人を探して大陸を渡り歩いておるとの噂だが、どこまで本当かは分からぬな」
そう言うとトマスはマリエルに声をかけて自らの方へ手招きする。
ことさら大声で呼びかけたのは彼女の目が不自由であること知っており、騒がしい店内では見知った声を辿るのが難しいと考えたのだろう。彼女を出迎えていたアリシアもそれに気がついたのか、杖を持つ彼女の手にそっと触れるとその手を引いてゆっくりとカウンター席まで案内してきた。
「お嬢さん。ありがとうございます」
案内してくれたアリシアに小さく微笑んで礼を告げると、すっかりカウンター席に陣取っているトマスに向かって柔らかい笑みを浮かべる。
「こちらにおいででしたか、大旦那様」
「すまんの。誰か迎えをやろうかと思っておったがすっかり忘れてしまっておったわい。一人では難儀したろう?」
「いいえ…。雇われている身でもないのにそのようなお気遣いをされては申し訳がありません。どうか過分なご配慮はなさらぬようお願いします。」
「そうかそうか。まぁ助けが必要な時は遠慮なく申すが良いぞ。そちに貸しを作れるというなら大抵の無茶は叶えてみせるというものじゃ」
「あら…お上手ですこと。ですが時折こうして行商の旅の道行きにお供させていただけるだけで、私には十分でございますよ」
「して、お主の用事とやらは片付いたのか?」
「はい…お陰様で。腕の良い職人さんがこちらの町にはおられると伺っておりましたので。このような時間まで申し訳なかったのですがどうにか修理して頂けました」
マリエルは抱えていた荷物の白布を丁寧にほどくと、木目の艶も美しい弦楽器がそこに現れた。彼女はそれを愛おしそうに指でなぞると、いつものように楽器を奏でる仕草で抱えながら指先で流れるように弦を弾く。
それは深く静かな音色であったが、どこか懐かしくもあり少し寂しくも感じる音であった。
「ふむ…。やはりお主の奏でるその音色は良いものじゃな。」
「七楼弦とは珍しいな…」
「おや? この楽器をご存じで?」
「確か…大陸の東のさらに先にある国の楽器だったよな? 俺がまだ青二才だったころに一度だけ見たことがあるだけさ」
「ほう? 儂に言わせればイザール殿もまだまだ青二才と言える年じゃが、存外お主は世慣れしておるし博学なようじゃの」
「まぁ、ここにくるまでは傭兵としてあちこち渡り歩いてきたからな。まぁ俺のことはいいじゃないか。それよりいい加減この美人さんに俺達を紹介してくれよ」
「これはご挨拶が遅れました。私は旅の楽士のマリエルと申します。以後、お見知りおきを」
マリエルはそう言いながら被ったままであった外套の頭巾を下ろす。
店に入ってきたときは目深に被っていたフードに隠されていたが、その素顔は透けるように白く美しい肌に眉目の整った顔立ちをしている。薄く紅を引いている唇はゆるやかに弧を描くように柔らかい笑みが浮かべおり、緩やかに波打つ淡い金色の長髪を頭の後ろで結い上げている。
残念ながら両目の瞼を静かに閉じているため、彼女の美しさを際立たせるであろうその瞳を見ることはできないが、凛とした立ち振る舞いの中にもそこはかとなく気品や淑やかさを感じさせるその姿に、店内の男客だけでなく給仕の女性までも思わず手を止めて見惚れさせているほどだった。
「いやぁ、どうして噂通りの別嬪さんじゃねぇかよ。なぁ、カイン?」
「どうして俺に聞く」
「どうしてって?そりゃ朴念仁のお前が呆けた様な顔して見とれてっからだよ」
「べ、別に見とれてなんか…」
ちらりとアリシアの方を伺うが幸いイザールの話は耳に入っている様子はなく、むしろアリシアの方が頬を桜色に染めて彼女に見惚れているようだった。
そんなカイン達のやり取りにマリエルは口元に手をあてて小さく微笑んでいる。
「儂らもまだ知り合ったばかりじゃが紹介しておこう。こちらの若いのがカイン殿」
トマスに紹介されたカインは「どうも」不愛想に一言だけ返す。
「この通り不愛想な若者じゃが腕は相当立つようじゃぞ。儂らの窮地を救ってくれたあの機体は彼が操るものだったようだからな」
一瞬、レグナ・ヴァールのことが話題に出た瞬間、マリエルの雰囲気が強張ったようにカインには感じられた。気のせいかもしれなかったが、どことなくマリエルがこちらに向ける笑顔がなんだかその時だけは硬質なもののように思えたのだ。
「それから、そっちの軽薄な若いのがイザール殿。カイン殿と同じくこの町で傭兵をしておるそうじゃ」
「トマスの旦那…、軽薄ってのは余計だっての!それに俺の紹介は何かおざなりじゃね?」
「はて? ここでお主を見ておる限り気さくなのは取柄のようじゃが、傭兵としての技量までは伺い知れぬからなぁ」
「あん時はカインの野郎が伝令を俺に押し付けて、おいしい所を持って行ったからだよ!俺だってその場にいればあいつらぐらい片手で仕留めてやったつーの」
「ほう…それは大した自信じゃの?」
トマスの言い草にカインが笑いを堪えていると、「お前まで笑うな」と憮然としたイザールが咎める。マリエルもそんな二人の様子を微笑ましく感じたのか、クスクスと口元に手をやりながら笑っている。
「悪いな…貧乏くじを引かせて。だがこの男の自信はあながち嘘じゃない。弓を扱わせたら傭兵仲間の間じゃあ誰もコイツには敵わない」
「カイン殿がそこまで認めるなら…まぁ儂も信じるとしようか」
「ぜったい旦那は信じちゃいねぇよな? まぁいいけどよ。それより…」
イザールはさりげなく自分の隣の席に誘うべくマリエルの手を取ろうとするが、ぴしゃりとその手を叩かれた。
「痛ってぇな!?」
「アンタはちょっと目を離すとすぐにコレだ!」
「ケ、ケーラ!?」
「彼女はアタシの宿の大事なお客さんだよ!ちょっかい出したら承知しないよ!!」
「チッ…人の恋路を邪魔するんじゃねぇよ!」
「フン!恋路もなにもまだちょこっと挨拶しただけじゃないか。まだ始まってすらいないよ!」
「るせぇ!これから始まるんだよ、これから!!」
じろりと凄みの効いた目でケーラに人睨みされると、先ほどの威勢はどこへいったのかイザールはおとなしく退散するしかなかった。
「うちの客がすまないねぇ。あたしはこの宿の女将のケーラ。そんでもって、さっきアンタを案内したのが娘のアリシアさ。この町にいる間は困ったことがあったら何でも遠慮なく云っとくれ」
そう言ってケーラは豪快に笑うと、マリエルに席を座らせると、淹れたての暖かいお茶を彼女の前にそっと置く。
何やらぶつぶつと愚痴か文句をいっているイザールには新しい麦酒の入った杯をどかりと置くと、「これでも飲んでおとなしくしてな」と言い残して厨房へと戻っていく。
「どうやらカイン殿やイザール殿には、お世話になってしまったようですね。」
「うんうん。マリエル殿は俺様の見えない活躍もちゃ~んと分かってくれている。」
「お前の活躍とやらは知らないが、ああした危険からこの町や街道を守るのは俺達の仕事だからな。別にアンタが気にすることはない。」
「ありがとうございます。ですがあのまま彼らに捕まってしまったら、私の場合などはどのような目に遭わされたか分かりませんでした。聞けば、かなりのご無理をして私共の命を救ってくれたと聞き及んでおりますので、何か私にもできることでお礼をさせていただければと…」
「トマスの旦那からも礼は貰ってるし、アンタまで気にしなくていい」
「それでは私の気が済みません。私にできることであれば何なりと仰ってくださいませ」
「何だよ…お前が要らないっていうなら俺がかわりに受けるぜ。 なぁマリエル殿?」
そんなイザールの身勝手な物言いにもマリエルは淑やかに微笑み返すが、纏う雰囲気がしっかりとその申し出を拒絶していた。
「この通りカイン殿はいささか生真面目すぎるようでな。儂も御礼を受け取らせるには一苦労したのじゃよ」
頑なにカインがマリエルの謝礼を断るのを見かねてトマスが話に割り込んできた。
「それならばマリエルよ、こういうのはどうかな。そこにある楽器もどうにか修理は済んでおるようだし、幸いここは賑やかな酒場でもあるゆえ、ここで一曲その腕前を披露してはくれんかの?」
「ええ…そのようなことで宜しければ私は構わないですが…」
「カイン殿もそれならばよかろう? ここで儂らが出会えたことには何かの縁もあろう。それに彼女の奏でる曲と歌は万金の価値があると儂が保証するぞ」
カインは歌や演奏にことさら興味があるわけでないが、酒場の皆もそれなりに楽しむことが出来るであろう。何よりそれを聞いていたアリシアが先ほどから遠慮がちにカインの服を引っ張りながら期待と羨望の入り混じった視線をカインに向けてきている。そんな顔をされてはカインとしても断ることもできそうになかった。
「それくらいなら…」
「それでは準備をいたしますので、暫しお待ちいただけますか?」
そう言ってマリエルは先ほどの七楼弦を取り出すと、その音色を確かめるように弦を弾いて簡単に調律をし始める。ほどなくしてマリエルが七楼弦を奏で始めると、その流麗で繊細な旋律に聞き入る客が増え始め、賑やかだった店内もしだいに静かになっていく。
その唄は星を探す旅人の詩であった。
―旅人は、天から落ちた聖なる星を探している。
―昏い夜の空を越え、幾たびの月夜を巡り、ある地へとたどり着く。
―そこで聖なる獣たちと出会い、大地の恵みを知り、やがて自らも大地と風になっていく。
―それでも聖なる星を探し続けた旅人は、風となり海を渡り、大地を永遠に旅していく。
―終わることのない旅路を、彷徨うように。
トマスの話では大陸に伝わる古い伝承を詩にしたものらしく、儚くも物悲しい唄ではあった。
マリエルはそれを七楼弦の寂しげな音色と凛とした美しい歌声を響かせて、優しい風のように穏やかに歌い上げる。その凛とした姿と心に染み入る歌声に、いつしか店内の客も無言で聞き惚れていく。
カインの隣にいたアリシアも瞬きすら忘れて憧憬と羨望の眼差しで彼女の唄う姿を見つめている。わずかに上気した頬もほんのりと桜色に染まり、見つめる瞳はうっすらと潤んでいるようにも見える。喜んでいるのは違いないのであろうが、カインは胸にちくりと棘が刺すような痛みを感じていた。
傍らにいる幼馴染の少女にはこのように歌声をあげることは叶わない。
どれだけ憧れて修練を重ねてようとも、喉に病を抱えているアリシアにはそれができないことを彼女自身が一番分かっていた。そのことを受け入れて諦めるしかないアリシアの境遇や、今の自分では彼女を救うことができないもどかしさがカインの心に小さな痛みいつも感じさせるのだ。
(いつか、この病を治す手立てを俺は見つけてやれるのだろうか…)
カインはアリシアと交わした誓いを守りたいと思っている。
だが今の自分の力ではどうすることもできないし、そんなことが本当にできるかどうかも分からない。ただ、僅かでもその可能性が外の世界にあるというならカインはそこへ向かうつもりだったし、そのためには彼女を守れる強い自分で在りたいと思っていた。
(いつか必ず…。)
アリシアは美しい歌声と演奏を奏でるマリエルを熱心に見つめている。
そんなアリシアの横顔をカインが見つめていると、その視線に気づいたアリシアが嬉しそうにカインに向けて微笑み返してくる。その表情に少しだけ心臓の鼓動が早くなったような気がして、平静を装おうのもそれなりに苦労するはめになった。




