11話 小さな約束
すっかり日も暮れて人通りもまばらになっていた通りをカインは雑貨屋に向かって歩ていた。
昼間は賑わいを見せていた通りの人影もまばらで、広場に並んでいた露店でも店主が店じまいの片づけを始めている。立ち並ぶ店や工房の明かりも消えているところが多い。
オルガは小さな町であるため食料や雑貨を扱う店は数えるほどしかない。この時間まで店を開けているのは広場にほど近いところにある雑貨店だけである。アリシアが買い出しに向かうとしたら、恐らくその店であろう。
昨日のこともありカインとしてはアリシアと顔を合わせるのは少し気まずいと思わないでもなかったが、昨夜のアリシアの顔を思い浮かべるといつまでもそのままにしておくわけにも行かない。ただ、顔を合わせた時にどんな表情をすればいいのか、そもそも何を言ったらいいのか、カイン自身でもいまいち考えがまとまっているわけではなかったし、何より言葉が足りずに彼女の気持ちを受け止めることができない自分の不甲斐なさに胸がチクリと痛む。
ふと、カインは自分が懐に入れていた包紙に触れていることに気付くと苦笑して立ち止まる。だがそれもつかの間、小さく首を振るとその迷いを振り切るように足早に雑貨店へ向かった。
そんなことをカインは悶々と考えているうちに、お目当ての雑貨屋についてしまった。
あいかわらず店内は足の踏み場もないほどの商品が所狭しと並べられている。床に並べられた木桶や木箱には様々な野菜や果物が仕分けされて並べられており、その横には小麦や大豆などの穀物の入った麻袋が無造作に積み上げられている。陳列棚を兼ねている店の壁には調味料や香辛料の入った壺、油や蜂蜜などのガラス瓶なども並んでいる。さらに天井からは鹿や羊の乾燥肉が吊り下げられており、カウンターの奥に並んだ商品棚にも酒や薬などの貴重な品々が納められている。小さな町の雑貨店としては品揃えも良く、割と遅くまで店を開けていることも多いため、ケーラの店では食材の仕入れなどで世話になることも多かった。
店のカウンターの前で和栗色の長い髪を束ねた娘は注文の品を書いた紙切れを店主に渡すと、店主はカウンター奥の扉に入っていく。ほどなくして店主はその紙切れを片手に奥の倉庫から戻ってくると、その手にはガラス瓶や白磁の壺を抱えていた。
「えっと…あとは蜂蜜を2瓶に…黒胡椒だったかな?」
こくりと頷いたアリシアの前には、すでにいくつかの商品が詰め込まれた大小の麻袋が並んでいる。
「お勘定はいつも通りツケにしてあるから、次の仕入れのときにまとめて払ってもらうよ」
ケーラの店では定期的に食材や酒類をこの店から大量に仕入れているため、その誼みで急な仕入れの際などは勘定は後払いなどにしてくれることも多かった。
店主は注文の品が書かれた紙に代金を書き込むと店の判を押したそれをアリシアに差し出す。
アリシアも軽い会釈をしてから受け取ったそれを上着の懐にしまうと、カウンターに置かれた麻袋を抱えようとする。だが大きい方の麻袋には仕入れた野菜や乾燥肉などがぎっちりと詰め込まれており、華奢な彼女の細腕では簡単には持ち上げられそうになかった。
「すまんねぇ…。今日は息子が仕入れに出ちまってるもんだから運ぶのを手伝ってやれないんだよ」
店主はそういって申し訳なさそうにすると、アリシアはにこりと微笑んで再び袋を持ち上げようとする。
「やっぱりもう少し小分けに詰めなおしてあげるから…分けて運んだほうが…」
店主の申し出にアリシアは小さくかぶりを振る。目の前に置かれた小さい方の麻袋は手にしていた編み籠に入れて腕にかけると、大袋の方はひとつ深呼吸してからどうにか持ち上げる。そのまま頼りなげな足どりでふらふらと店の出口に向かおうとする。
「本当に大丈夫かい?」
抱えた荷物で前もろくに見えていない彼女の様子に、店主も心配そうな顔でカウンターから身を乗り出して声をかける。
そんな店主の気遣いにアリシアももう一度だけ軽く会釈をしてから店を出ようとするが、そちらに気を取られてしまっていたアリシアは店の入口で何かにぶつかってよろめいてしまった。咄嗟のことにバランスを崩したアリシアは荷物を抱えたまま倒れそうになる。
「迎えにきて良かったかもな…」
そういってアリシアを支えたのはカインだった。
カインは彼女が抱えていた大きな麻袋を引取ると、「帰るぞ」とぶっきらぼうに荷物を持っていない方の手を差し出す。その光景に少しだけ呆けていたアリシアだったが、ちらりとカインの顔を見てからおずおずとその手を握り返してくる。ただ、差し出された手を素直に握ったものの、何か思い出したようにぷいと顔を背けて怒った様子を見せるところは、今も昔も変わらなかった。
(シアは変わらないな…)
そんな彼女の様子に少しだけ苦笑しながらも、カインはアリシアの手を引いて店を出た。
すっかりと日が暮れた空からはまたゆるやかに雪が舞い落ちてきている。
ただ珍しく雪雲の切れ間からは月が顔を覗かせており、はかなげだが優しい月明りが雪に覆われた街並みを照らしている。二人は雑貨屋を出ると無言でもと来た道を銀月亭に向かって歩いていた。
アリシアはその病もあって口数が少ないのはいつものことではあるのだが、いざ顔を合わせたて何を話したらよいのか分らず、カイン内心では少し戸惑っていた。何度か道すがら彼女の表情を横目で伺ってみたものの、相変わらず膨れっ面をしたままである。その癖、繋いでいるカインの手はきゅっと握ったまま離そうとする様子はないである。
(やれやれ…まだご機嫌ななめみたいだな)
カインも傭兵としてそれなりに鍛えてはいるが、たんまりと食材が詰め込まれた大袋を片手で抱えるのも苦しくなっており、そろそろ繋いだ手を解放してほしいと思っていた。
ちょうど広場の近くまでくると、店終いをし始めていた露店の中にこんな時間でも人が集まっている店が目に入った。どうやら昼間の細工品を扱っている店はまだ粘り強く商いを続けていた様で、この時間になっても若い娘や買い物籠を下げた主婦らしき女性がもたむろしていた。
ふいにカインがその手に感じていた温もりが消える。
どうやらあの人だかりにアリシアの顔なじみがいるようで、カインと手を繋いでいる姿が急に気恥ずかしくなったのだろう。少しだけ名残惜しそうにしていたが、頬を赤らめながらそそくさと手を離してしまったのだ。
(まぁ、おかげで助かった)
大方は並んでいる装飾品などに夢中でこちらのことは気に留めた様子もなく、並べられている商品が箱に仕舞われるたびに小さなため息が漏れ聞こえる。カインとしても昼間の店主にここで声をかけられるのは避けたくもあったので、抱える荷物で顔を隠しつつ足早にその場を後にするつもりだった。
そそくさと露店の前を通り抜けたとき、傍らにいたはずのアリシアの姿がないことに気がついた。カインは足を止めて振り向くと、アリシアは他の女性客を遠巻きにする場所で露店をどことなく寂しげに見つめて立ち止まっていた。
「シア…?」
そんな彼女にカインが小さく声をかけると、ようやくその声で我に帰った様子でこちらを見ると寂しげに小さく笑った。
どうやらアリシアが見つめていたのは何かの商品が並んでいた所のようだったが、すでに売り切れているのかそこにお目当ての商品の姿はなかった。
「……何か欲しいものがあったのか?」
まだぼんやりと空白になったその商品棚を見たまま、アリシアは遠慮がちに微笑む。
普段からあまり贅沢を好まず我儘を言うことのないアリシアだったが、やはり年頃の娘ということなのだろう。こうした細工品や綺麗な衣装などに憧れをもつのは当然のことであった。
「おや…、そこにいるのは昼間の娘さんじゃないか?」
そう言って露店の店主はアリシアに声をかけてくる。
「済まないねぇ…アンタが気に入ってくれた銀の髪飾り、あの後売れちまったんだよ」
アリシアもその店主に寂しげに微笑み返すが、がっかりした様子は隠しようがなかった。
「ありゃあ中々の逸品だったんでね。あれだけしか仕入れが…ってあれ?」
それとなく抱えた荷物で顔を隠しつつ、店主の視線から逃れるようにしていたカインだったが、この目聡い店主を誤魔化すことはできなかった。
「ああ!そこの兄さん!!」
思わず大きな声を上げた店主に、傍にいた他の客やアリシアも驚いてカインを見る。
(おい…余計なことを…)
そうカインが心で呟くよりも早く、露店の店主は大声でまくし立てた。
「あんた、この娘にあの髪飾りをあげるつもりだったのかい? いやぁ、今朝はこの娘さんもこれをずっと眺めてたからあんたに売るときは悩んだんだよね。いやぁ、良かった!すっきりしたよ!!今日一番の商いだったな!ワハハハハハハ!!!」
アリシアも予想もしていなかった偶然に目を丸くしてカインを見ている。
カインは呆気に取られているアリシアの手を引くと、盛大に笑う店主の声を背中で聞きながら脱兎の如くその場を後にした。
カインはアリシアの手を引いて古びた教会の礼拝堂の中にいた。
大荷物を抱えて雪道を走ったせいもあり、さすがに二人とも肩で息をしている。こんな時間でもあるので礼拝に訪れているものは誰もおらず、がらんとした屋内には燭台に灯された灯りだけが静かに揺れている。
カインは抱えていた麻袋を床にそっと置くと、アリシアの髪や肩にかかっていた雪を静かに払い落す。
「その…大丈夫か?」
カインの問いかけにアリシアは小さく頷く。
露店の前で急にカインが手を握ったかと思うと、訳も変わらず引きずられるように雪道を走らされた挙句、今しがたこの教会に駆け込んできたのだ。一息ついてようやく落ち着いたのか、アリシアも抱えていた籠をおろすと自分の上着についた雪を払う。
この時間になるとさすがに礼拝堂に人の姿はなく、静かでひんやりとした空気にアリシアはひとつ小さなくしゃみをする。
「ちょっと暖炉に火をつけるか…」
その様子を見ていたカインは、少しだけ温もりを残している暖炉の灰にま新しい薪をくべて火を起こす。
ほどなくしてパチパチと薪の爆ぜる音と柔らかな温もりが暖炉を中心に広がっていくと、カインはその傍にアリシアを呼び寄せて冷えた体を温めさせた。アリシアは促されるまま暖炉の前に座っていたが、どことなくぼんやりと暖炉の炎を見ている目が潤んでおり、寒さのせいなのか頬がほんのりと桜色に染まっていた。
「その…寒くないか?」
その声にようやく我に返ったようにカインを見ると、ふるふると首を横に振る。
「少し温まってから、店にもどろう」
そう告げるカインにこくりと頷くと、アリシアは気恥ずかしそうに目を逸らす。
静かな時間だけが過ぎていく中で、暖炉で薪の爆ぜる音だけが礼拝堂の中に響いている。
幼い頃から近くで育ったこともあり、いつもは二人だけになっても互いを意識するようなこともないのだったが、今日は何だか沈黙が続くことが落ち着かない。
「その…昨日のことなんだが…」
カインは意を決して話を切り出したが、その一言でアリシアの体が一瞬強張る。あまり触れたくない話題なのか、顔を逸らしたままカインの方を見ようとはしない。
そんなアリシアにカインは静かに右手を差し出した。
いつもはそっけない態度ばかりのカインだったが、今日はいつになく彼女に対して気遣いを見せている。そういう態度をカインが取るときは、決まって自分に伝えたい何かがあることを幼い頃から側に居たアリシアは良く知っていた。案の定、カインは照れくさそうに顔を背けてはいるものの、自分に向けて差し出された手はそのままだ。
そんな様子にくすりと小さく笑ったアリシアがカインの手を取ると、ぐいっと力強く引き上げて立ち上がらせる。
「その…なんだ。昨日は悪かったよ」
抜の悪そうな顔でそう言ったカイン見ると、アリシアはまたも可笑しそうに笑う。
「お前が気にするからさ…、本当はもう少し黙っているつもりだったんだけどさ…」
そう言って口籠るカインにアリシアは少しだけ困惑した顔を浮かべる。
「俺、いつかこの町を出て行こうと思ってる」
カインのその一言にアリシアは目を丸くして驚くが、とたんに悲し気な表情を浮かべるながら瞳を潤ませて俯いてしまう。そんな彼女の様子にカインも自分が言葉足らずであったことに気がついて、焦るように言葉を続ける。
「ち、違うんだ。これはその…すぐにって訳じゃないし、それに俺一人でってわけじゃなくてだな…」
その言葉に顔を上げたアリシアは怪訝そうな顔でカインを見返す。
「あー、そのなんだ…。こんな辺境じゃあ、それこそ医者とか教会の癒し手とかいるわけじゃないだろ? でも大陸の中央や西に行けばそれこそいくらでもでかい都がある。そこに行けばシアの病気も治せる奴が居るんじゃないかなって…。それに運よく医者が見つかったとしても、お前が一緒じゃないと診せられないし…」
カインはそこまで一気に話すと、意を決したようにアリシアに向き直り真っすぐにアリシアの目を見る。
「俺がおまえの病気を治してやる」
その一言にアリシアの瞳からこぼれた大粒の雫が頬をつたう。それは先ほど見せた哀しみによるものではなく、温かく心満たしていく確かな感情が形となって溢れ出ているものだった。
「その何だ…、都に出るって言って何か当てがある訳じゃない。長旅になれば路銀もそれなり必要だし、どこでどんな危険な目に遭うか分らないから、自分たちを守るためには剣が必要になることだってあるだろう」
カインがこれまで剣を頼りにしてきた理由がようやくアリシアにも分かった。
傭兵の仕事は命を危険に晒すかわりその実入りは鉱山夫や鍛冶師とは比べ物にならないほど良い。加えて機巧兵を扱えるのであれば馬や驢馬とは比べものにならないくらい旅程を稼げるだけでなく、危険な獣に襲われる心配はおろかそれこそ盗賊などに襲われる心配も少ない。
そのためにカインは危険を承知で剣と強さを求めたのだ。
アリシアのために。
その想いを知ったアリシアの瞳はは溢れ出る嬉しさを抑えることはできなかった。
とめどなく溢れてしまう涙を拭おうとしたアリシアの手を、カインは躊躇いがちに握って引き寄せる。
「だから…俺は必ずシアの所に帰って来るし、もうあんな無茶はしない」
「これはその約束の印だ…」とぶっきらぼうにいってから、懐から出した紙包みをアリシアの手に握らせる。
そっと紙包みを開いて中身を取り出したアリシアは目を見開いた。
それは昼間に自分が見ていた髪飾りだった。
思わず、どうして…といった表情でカインと髪飾りを見比べる。自分はこれが欲しいと誰かに言ったことはなく、露店の前をたまたま通りかかったときに目に留まり眺めていたものだった。だがその意匠が自分の好みにもあって足を止めて魅入ってしまっていたものだった。
「べ…別に覗いたりしたわけじゃないからな。たまたま見かけたそれがお前に似合うと思っただけだ」
カインは照れているのだろう。アリシアに紙包みを押し付けると、その表情を見られまいとくるりと背中を向けてしまう。
そんなカインを見るのは久しぶりな気がしてアリシアはくすりと笑うと、背中を向けたカインの前に回り込むと微笑みながら真っ赤になっているカインの顔を見上げる。
「気に入らないなら…、その…売っても…」
そうカインが言い終える前に、アリシアはその胸に飛び込んできていた。
「お、おい!?」
普段のアリシアは言葉が不自由で話すことが苦手な分、その感情をくみ取ることが難しいことが多い。だがこの時はその喜びを体いっぱいに表現してきたので、受け止めたカインの方がむしろ戸惑うくらいだった。
ただ、カインが彼女を想う気持ちが自分と同じものであること知って、アリシアにはそれがたまらなく嬉しかったのだろう。カインの背中に回したその両腕が「ぜったいに離さないでね」と言っているように思えて、しばらくその顔を直視することができなかった。




