婚約者が言った、恋愛がしたいと
べったべたなテンプレですが、お暇潰しになれば幸いです。
「恋愛がしたい」
定例のお茶会。始まって間もなく、婚約者のシャルル様がおっしゃった。
まるで冷水を浴びせられたように、心と身体が冷えていく。
「……詳しくお伺いしても?」
冷静であるように努めて、掠れそうになる声を抑えて、尋ねる。
近頃シャルル様は、編入してきた男爵令嬢と懇意にしているという噂がある。シャルル様の後を笑顔でついて行く令嬢の姿を、何度となく私も目にした。
恋愛をしたい相手というのは、その男爵令嬢とですか? そう尋ねたい。けれど肯定されてしまったらと思うと、令嬢のことを口にできなかった。
「昨今巷では真実の愛なるものが流行っていると聞く。隣国では王太子が真実の愛だと言って婚約を解消して子爵令嬢を選んだとか」
「……そうらしいですわね」
それでシャルル様も恋を、真実の愛を得たいとおっしゃるのかしら。
動揺を隠すために、紅茶の入ったカップを口に運ぶ。
突然始まった恐ろしい話に、緊張で咽喉が渇く。
学生の間だけ自由にさせてほしいとおっしゃるのか、私との婚約を解消したいのか──。
「そこまで人を夢中にさせる恋というものに関心を持ってね」
婚約者の私には恋心がないとおっしゃっているのだわ。分かっていても、改めて言葉にされてしまうと胸が痛い。
私はずっと、あなたを想っているのに。
止めを刺されるくらいなら、自分から火中に飛び込もう。そうして、私に何を望むのかを尋ねよう。それがどんな言葉だとしても。
「近頃親しくなさっている男爵令嬢と恋人になりたいということでしょうか?」
自分から口にしたのに、否定してほしくてたまらない。身体がすべて心臓になってしまったように感じる。
シャルル様はにこりと微笑んだ。
あぁ、やはりそうなのね……。
涙がこみあがってくるのを必死に耐える。
「冗談だろう?」
思っていたのと全く異なる返答に、表情を取り繕うことを一瞬忘れてしまった。
「私の気を引くために大袈裟なことを口にする令嬢は多くいるが、あの男爵令嬢の話は荒唐無稽すぎる」
「……親しくなさっているのではないのですか?」
「まさか。行く先々に現れるし、わけの分からないことを勝手に話してくる、実に迷惑な令嬢だ」
迷惑とまではっきりとおっしゃるものだから、どう会話を繋げていいものか分からなくなってしまう。
「アドリエンヌに嫌がらせをされている、身の危険を感じると言うから、護衛をつけた。私に近付かせないためにも」
「私が嫌がらせ?!」
思いもよらないことを言われて思わず声が大きくなってしまった。
「失礼いたしました」
「いや、当然の反応だ。アドリエンヌがそのようなことをするはずがないことは分かっている」
信じていただけていることが嬉しい。
「ありがとうございます、シャルル様」
「あの令嬢のことはどうでもいい」
あの令嬢以外を恋人にしたいと、お考えなのかしら……。
「時にアドリエンヌ、君には想う相手はいるか?」
婚約者にこのような質問をされるなんて。それも、慕う相手に。
おりません、そう言えたならいいのに。それは嘘になる。シャルル様は嘘を見抜くのが得意でいらっしゃるし、かといってあなたですと言うのも勇気がいる。
じっと、シャルル様の美しい紺碧の瞳が私を見つめている。
「…………おります」
「そうか」
咎めるでもなく、なるほどといった表情で頷くシャルル様。それは誰だとは問うてはくださらないのね。
「恋とはどのような気持ちなのか教えてくれないか?」
残酷な質問が続く。
「……折につけ、その方のことで頭がいっぱいになります」
時には厳しく感じる王妃教育に耐えられるのも、あなたのそばにいるためだと思うからこそ。
「辛く感じることもあります」
「辛い? 何故だ?」
「…………私の片思いだからです」
ふむ、と呟くとシャルル様は自身の顎に手を当てる。
「片思いだと辛いのか。先日読んだ人気の恋愛小説は、両思いになっても辛そうだったな」
え? シャルル様が恋愛小説を?
「……お読みになったのですか?」
「人気があるということは、その小説に共感する、もしくは憧れを感じる者が多いということだろう? 参考として読んでみた」
昔から気になったことは突き詰めていく方だったけれど……その恋愛小説、どなたに手に入れさせたのかしら。近習の方は男性だから、恥ずかしかったのではないかしら。いえ、近習の方も他の者に命じるわね、きっと。
「もし、折につけ頭に浮かぶ人物がいるということが恋だというのなら、私にもいる」
心臓がぎゅっと鷲掴みされたように痛む。
その方と恋をしたいと、おっしゃるのね。
「それでアドリエンヌ、その片思いの相手とは誰なんだ? 我が婚約者の心を捉えて離さない人物には会って話をしなくてはならないからな」
会えるはずがない。ご本人なのだもの!
「シャ、シャルル様こそ」
「私の相手はアドリエンヌには会えない」
会わせないということ? 愛妾として囲われるということなのかしら?
シャルル様は私の顔をジッと見つめた後、やれやれと言った顔になる。
「……会いたいか?」
会ってみたいけれど、会いたくない。
どう答えたらと思っていると、シャルル様がテーブルの上のベルを手にし、一度だけ鳴らす。近習の方が赤い布に包まれた物を恭しくシャルル様に手渡す。
姿絵か何かかしら……。
布の中から出てきたのは鏡だった。それを私に向ける。映るのは呆気にとられた私の顔。
「え……?」
「我が婚約者殿は鋭いようでいて鈍感だ。私も少し意地悪い言い方をしたのは認めるが」
鏡に映るのは私の顔。
「私の頭の中を独占する女性が映っているだろう?」
顔が、全身が熱くなる。
「それで、アドリエンヌ、あなたの片思いの相手に会わせてもらえるか? 必要なら決闘を申し込まねばならないからな」
悪戯が成功した時の顔で私を見る。このような表情のシャルル様を目にしたのはいつぶりだったかしら。
シャルル様の持つ手鏡の向きを、反対にする。
「……私の、片思いのお相手、ですわ」
鏡に映るご自身を見て、なるほどとシャルル様は頷く。それから困った顔をなさる。
「これは難敵だ。決闘を申し込めそうにない」
そのお言葉に我慢できずに吹き出してしまった。
手鏡をテーブルに置くと、優しい笑顔が私に向けられる。
「やっと笑ったな」
「もう、意地悪だわ」
「童心と言ってくれ。近頃私とアドリエンヌの仲を裂こうと余計なことを吹き込む輩が多いと報告を受けていたからな。誤解されないように自分の言葉で伝えておこうと思った」
「シャルル様……」
どうすればいいの。胸が苦しい。先ほどとは違う苦しさ。嬉しくても胸は苦しくなるのね。
「想い人と恋愛をしたいのだが、姫君、私の提案にのっていただけますか?」
「先ほどのような意地悪をなさらないのならば」
少しだけ困った顔をするシャルル様。
「そうは言うがアドリエンヌ、私がいくら言葉を尽くしてもあなたに伝わらなかった。手紙も花束の花言葉も、伝わっていなかっただろう?」
「……婚約者としての義務を果たされているのかと……」
そうだとしても嬉しかったのだけれど、まさか本心だったなんて……。
「私はあなたに嘘は吐かない。婚約を申し込んだ時に言っただろう」
婚約が決まった際、シャルル様は当家にお越しになり、花束をくださった。膝をついて求婚してくださったのは、どなたかからそうしなさいと言われたのだとずっと思っていた。
「それなのに、まったく姫君には届いていない。その上あの男爵令嬢とのことも気にかけていないと言っていたと聞かされれば、少しぐらい意地悪もしたくなる」
あの日、シャルル様が私におっしゃった言葉が想い出されて、顔が熱くてたまらない。
恥ずかしさと申し訳なさでどうしていいのか分からない私を見て、シャルル様はにっこりと微笑む。
「私の恋人になってもらえますか?」
差し出された手に、自分の手をのせる。
「……よろこんで」
『僕の心をもらっていただけますか?』
婚約破棄しないまっとうな王子が見たくなりまして…書きちらし失礼しました。