6.君が望む場所 10-2
戦列の<テーラン>は自警集団と名乗ってはいるが、新興地区の自治組織の下部組織でもなければ慈善事業でもない。
犯人の受け渡しなどで自治組織と契約を結んではいるが、辺りの商家等からみかじめ料を取っての地域の治安維持や用心棒の派遣、医療の提供などが主力の営利団体である。
その財務と総務を一手に引き受ける勘定部の部長、ジェイルはその童顔に青筋を浮かべながら応接室への道のりを歩いていた。
その迫力たるや凄まじく、すれ違う団員たちが恐れおののいて道を譲る程である。
力が入りすぎて手に持った帳簿にシワが寄っているが、今のジェイルにそれを気にしている余裕はなかった。
<テーラン>は副長の営業力と団員たちの実力でもってそこそこの稼ぎがあるが、食い扶持も多い分、内証が豊かとは言いがたい。
それこそ、様々なところを削りに削り、頭の血管が切れるのではないかというくらい考えぬいて回しているのである。
<テーラン>の財務を破綻させない為ならば首領のカーサさえ怒鳴り飛ばすし、備品の扱いを粗末にする者には相手が泣いて改心まで説教をし続ける。
その冷徹さと的確さと苛烈さとねちっこさで“鬼の勘定部長”の異名を取るジェイルは、乱暴なノックの後、中からの返答を待たずに応接室の扉を開け放った。
ガゴンッという音と扉が何かにぶつかった衝撃を覚えたが、構わず中に入る。
十畳ほどの室内には二組の長椅子が背の低い机を挟んで向かい合っている。
奥の長椅子に四十代後半とおぼしき化粧の濃い女性が座っているのを見て、ジェイルはずかずかと近づく。
そして、ばしんっという小気味いい音を立てて帳簿を机の上に広げて見せた。
「あんたが<リスティアータ>の女将か?」
広げた帳簿の上に右手を置きながら、ジェイルは中年女性を睨みつける。
「あぁ、そうだよ。あんたは誰だい? 挨拶もないなんて躾がなってない坊やだね」
侮りと嘲りの混じった目で見上げられ、ぴくり、とジェイルのこめかみが引きつった。
ジェイルは自身が童顔なことをとても気にしている。
背丈もあまり高くない為、三十を目前に控えた今でさえ、十五、六の小僧に間違えられることもしばしばだった。
が、腐っても戦列の<テーラン>の幹部の一人である。
女将のあからさまな挑発には乗らず、背筋を伸ばして見下ろすようにして答えた。
「あぁ、失礼した。戦列の<テーラン>の財務を預っているジェイルという者だ。これでもとうの昔に成人している。あんたには損害賠償の話があってやってきた」
「損害賠償?」
そう尋ねてきたのは、手前の長椅子にふんぞり返っている実行部第四隊長、ケヴィンだった。
ジェイルが説明の為に振り返ると、額を抑えてうずくまっているタイロンと、その脇に困った顔でしゃがんでいる葉月が目に入った。
「何やってんだ、お前ら」
呆れ混じりの声でジェイルがつぶやく。
「ジェイルがいきなり扉開けっからぶつけたんだよ!」
タイロンは涙目で額を抑えながら、それに抗議した。
が、
「阿呆。そんな所に立ってる方が悪いわ。それよりお前の石頭で扉に傷がついてないだろうな?」
「打ったの頭だぜ? その俺より扉の心配かよ。馬鹿になったらどうしてくれるんだ!?」
「お前の頭に詰まってるのは脳味噌じゃなくて筋肉だろ? それ以上馬鹿になりようがないから安心しろ。それよりも直すのに金がかかる扉の心配をするに決まってるだろうが」
けちょんけちょんに言われた上最後に鼻で笑われて、タイロンがうな垂れる。
「つーか、なんでジェイルが来るわけ?」
「あ、私がお呼びしました」
訝しげに尋ねるケヴィンに答えたのは葉月だった。
「タイロンから話を聞き出そうとした女将がタイロンを追いかけ回した際、食堂に少なくない損害が出ました。そちらはジェイル部長の管轄ですから」
「ま、そういうわけだ」
ジェイルはそう言いながら、開いた帳簿を指差す。
「皿が三十七枚、杯が三十三個、水差しが二個に、椅子が三脚、匙が十五本、あと割れた破片で傷ついた机や床の修繕費込みで、八十二万一千とんで八リンガ、耳を揃えて払ってもらおうか?」
「なっ」
具体的に細かく算出された帳簿の金額を見て、女将が顔色を変えた。
「そんなに高いわけがっ」
「ある。それらを購入した時の代金はきっちり帳簿に残ってるし、その時から上昇した物価も考慮してある。床や机の修繕は別室を修繕した時のから出した概算だが、そう外れてはないはずだ。ま、その他慰謝料も含めてはあるがな。あぁ、踏み倒そうなんて考えるなよ? <テーラン>を敵に回すことの意味を知らないわけじゃないだろう?」
凄みのある笑みを浮かべ、ジェイルが女将の顔を覗き込む。
女将の顔は青を通り越して、土色に近かった。
散々でかい態度をとっていたが、やっと己の置かれた立場を理解したらしい。
<テーラン>の団員が個人的に女将の恨みを買っただけなら、悪い噂を立てられる団員の方が立場が悪いかも知れない。
だが、<テーラン>の本拠地で暴れたとなると、話は別だ。
団員個人ではなく、戦列の<テーラン>自体を敵に回したことになる。
<テーラン>は忌避されることも多いとはいえ、方々(ほうぼう)に顔が利く。
やろうと思えば娼館の一つや二つ、潰すことも不可能ではない。
ジェイルはそれを金で回避させてやろうと言っているのだ。
この辺りが警察のようなヤクザと葉月が判ずる所以である。
戦列の<テーラン>は慈善団体でも無償の有志団体でもない。
非常に微妙かつ、厄介な集団だった。
とはいえ、娼館を潰して何か利益になるわけではないので、ふっかけてはいるが十分に払える額をジェイルは提示している。
大人しく金を払うか、血の滲むような思いをして興した娼館を潰すか。
女将が選べる選択は、一つしか用意されていなかった。
「は、払わせて頂きます……」
俯き消えそうな小さな声でつぶやいた女将に、ジェイルは葉月も敵わない真っ黒な笑みを浮かべて言った。
「まいどあり」