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混沌なき箱庭  作者: 天原ちづる
閑章
66/86

【番外その2】蛇とフリルと入団試験

「おい、そこの」

葉月が戦列の<テーラン>実行部第三隊隊長オズワルドに呼び止められたのは、ひんやりとした風が心地良いある日の午後だった。

常に眉間にシワが寄っているオズワルドだったが、今日はいつにも増して不機嫌そうだ。

きちんと筋肉が付いた長身に鋭い目付き、おまけに鷲鼻。

威圧感バリバリの男は、その外見通りに自他共に厳しく、頭の固いことで有名である。

特に女子供は出しゃばらずに大人しくしておけという考えの持ち主なので、副長の娘として<テーラン>の団員見習いの座に納まっている葉月に対しては、良い感情を持っていなかった。例の事件以来、多少は風当たりも和らいだとはいえ、気軽に声をかけられるような仲ではない。

「私ですか? オズワルド隊長」

本拠地の自室へと続く廊下には、葉月とオズワルド以外の人影はない。

小首を傾げるようにして確認したのは、軽い嫌がらせである。

他の団員たちからは“お嬢”だの“お嬢ちゃん”だの好き勝手に呼ばれているが、さすがに“そこの”呼ばわりはいい気持ちがしなかったからだ。

案の定、オズワルドのただでさえ深い眉間のシワが更に深くなる。

吐き捨てるように言い放った言葉は、恫喝どうかつに近かった。

「お前以外に誰がいる」

気が弱い者ならチビって失神しかねない迫力だが、これがオズワルドの素である。

殺気を向けられたならまだしも、この程度はビビる必要はない。

葉月はふわりと笑い、軽く頭を下げた。

「失礼致しました。確認したかっただけですので。それで何の御用でしょうか?」

「この後は何か仕事があるか?」

「夕方に親分の所へ書類を取りに行くまでは空いております」

「では、動きやすい服に着替えて中庭に来い。直ぐにだ」

有無を言わせない口調に、葉月は少しだけムカついた。

こういう男だと分かっていても、勘に触るのはどうしようもない。

「オズワルド隊長」

用は済んだとばかりに去ろうとしているオズワルドを葉月は呼び止める。

「何だ」

「どうしてそうする必要があるのか、説明をお願いします」

「命令拒否か?」

「いいえ。説明をお願いしております。簡単なことでしたら問題はないでしょうが、私はオズワルド隊長の直属の部下ではありません。もし夕方の仕事に差し支えるようなことでしたらお父様に指示を仰がねばなりません」

頭三つ分は高いオズワルドを見上げ、葉月はきっぱりと言う。

ガチガチの縦割り組織ではないとはいえ、<テーラン>にも指示系統というものは存在する。

葉月は副長直属で、オズワルドは実行部。

そして仕事の優先順位を決めるのは葉月ではない。

上長であるブノワだ。

いくら幹部であっても、勝手に他部署の人間に命令するのは好ましくない。

上長に話を通すのが、筋というものだろう。

筋を通せと言う葉月に、オズワルドの眉間のシワが少し和らぐ。

筋が通れば命令は聞くと言っているのだ。

無駄な問答で時間を浪費するよりは、さっさと話して納得させた方が早いだろう。

オズワルドはそう判断した。

「副長には先ほど話を通してきた」

オズワルドは頭が固いが、故にその辺りは抜かりないらしい。

「お前の役目は入団希望者を叩きのめすことだ」

あまりに簡潔な説明に、葉月はオズワルドの言葉から事情を推測し、補完する。

「その入団希望者はお眼鏡に適わなかったのでお引き取り願うということですね」

「そうだ」

「なぜ私なのかは分かりませんが、お父様に話が通っているのならば従います」

「なぜお前なのかは、その入団希望者が試験に落ちたにも関わらず、お前が見習いをやっているのになぜ自分が不合格なのかとごねているからだ。おまけに聞くに耐えない戯言たわごとをわめいている。不名誉な噂が流れるのは不愉快だ。二度とくだらんことを言えんよう完膚なきまでに叩きのめし、お前が<テーラン>の末席に連なる理由を思い知らせてやれ」

入団希望者の戯言とやらを思い出したのか、オズワルドの眉間のシワが再び深くなる。

葉月は意外な気持ちでオズワルドを見上げた。

自分で言っておいてなんだが、ここまできちんと理由を話してくれるとは思っていなかった。

それにいつもよりも口数が多いし、言葉のチョイスが辛辣だ。

その戯言とやらがよほど腹に据えかねているのだろう。

オズワルドにも関係がある自分の噂というと、あれだろうか。

副長の娘は実の娘ではない。表向きは見習いということにしているが、本当は幹部たちの慰み者で毎夜だれぞの寝台にはべっているとかいうアレ。

そういう悪意ある噂があるのは知っている。

それも山のように、豊富なバリエーションで。

葉月は有名税みたいなものだと割りきっているが、ジークの耳に入った時は大変だった。

葉月とジークの前でその噂を口にした男は、もう二度と固形の食べ物を味わえないだろう。

顔が原型を止めない程に腫れ上がり、あごも粉砕されたからだ。

かなり悲惨な目にあったと思うだろうが、命があっただけでも感謝してもらいたい。

止めを刺そうとしたジークを止めたのは、噂の張本人である葉月であった。

その運の悪い男のことはともかく、今は入団希望者の対応だ。

「なんとなく事情は分かりました。でしたら、着替えずにこのまま行きます」

そっと胸元に手を当てながら承諾した葉月を見下ろして、オズワルドが眉をひそめた。

「その格好でか?」

「はい。この格好でです」

おっとりと笑い、葉月は首を傾げる。

「いけませんか?」

「いつにも増して動きにくそうな服だが……ブライアンか?」

「はい。ブライアン隊長に頂いた服です。可愛らしいでしょう?」

そう言って、葉月はわざとらしく羽織をつまんでみせた。

葉月は普段、ブノワが選んだ大人っぽく品の良い服を着ている。

いつもの服に比べたら、今のはだいぶかさが多い。

今着ているのは、実行部第二隊隊長のブライアンにもらった服だった。

ブライアンというのは通名だ。

本名をフローラといい、生物学的分類でいうと女性である。

見た目はまかりなりにも女性に見える首領のカーサとは違い、爽やかな好青年といった感じの外見をしている。

諜報部のアンジェリカと性別を取り違えて生まれてきたと揶揄やゆされる彼女だったが、その外見や卓越した剣の腕とは裏腹に、かなりの可愛いもの好きだった。

特にフリルやらレースやらの、ふりふりひらひらしたもの大好きだ。

自身で着られないので、余計にその想いが募るらしい。

そんな彼女の趣味が、他人を着飾らせることだった。

葉月以外の使用人の女性も、最低でも三つ以上のリボンやら羽織下に着るワンピースやらをもらっている。

使用人たちが恐縮して受け取るのを断ると、ブライアンはこの世の終わりのような顔をして落ち込み使い物にならなくなるので、あまりに高価でない場合は快く受け取るように、とのお達しが勘定部長のジェイルから下っていた。

上限令が発令されたこともあり、贈られる品々はほとんどがブライアンのお手製だった。

元々器用な上、可愛い物への情熱がブライアンを駆り立てるらしく、出来上がりはなかなかのものだ。

葉月は学問所から帰って来た所をブライアンに捕まり、新作のフリルがたっぷりと入った生成きなり色のワンピースを着せられた。

それに合う袖や裾の刺繍が見事な羽織に、柔らかく広がる帯、短いブーツから覗くレースの靴下は以前ブライアンからもらったものだ。

ついでとばかりに緩く波打つ灰髪にはコテを当てられ、いつもよりふんわりくるくるしている。

それを結わう髪飾りは、ブノワにもらった濃い紅と白銀の結紐である。

ブライアンのセンスは良く、過剰になるギリギリの所で全体が品良くまとめられていた。

ぱっと見は、どこに出しても恥ずかしくないお嬢さんである。

つまり、どこからどう見ても戦闘に向いた服ではない。

「……汚すぞ?」

軟弱さを嫌うオズワルドは、“可愛い”という単語を死んでも言いたくないらしい。

代わりに現実的な忠告を口にした。

葉月はオズワルドの忠告に、ゆるゆると首を振る。

「汚しません。完膚なきまでに叩きのめせと仰ったのはオズワルド隊長ではありませんか。その入団希望者さんとやらは女が強いなんて信じられない人なんですよね。そんな人が、こんなふりふりの可愛らしい服を着た小娘に、しかも服を汚しもせずにコテンパンに伸されたらどうでしょう? 一生、口をつぐんでいたい程の恥だとは思いませんか?」

試験が落ちたにも関わらず居座るその傲慢さを、男としての矜持ごと木っ端微塵に打ち砕くにはそれくらいしなくては、と葉月は笑う。

甘ったるい軟弱さの塊のような格好をしながら、舌に乗せる言葉には甘さの欠片もない。

オズワルドはこの少女が“普通”ではないことを既に知っている。

認めたわけではないが、積極的に排除するまでもないと思っている。

オズワルドの中で庇護すべき“女”の範疇にない者は二人いた。

首領のカーサと同僚のブライアンだ。

そこに、この少女も加えるべきかも知れない。

傍目にはおっとりと笑いながらその背後に不穏な気配を滲ませる葉月を見下ろして、オズワルドはそんなことを考えていた。


戦列の<テーラン>本拠地の中庭は、実行部専用の鍛錬場となっている。

実行部以外の部署が鍛錬する裏庭とは違い、ここは芝生敷だった。

実行部は最も戦闘力が問われる部署である。

鍛錬中につまらない怪我をしてもらっては困る。

芝の維持費と団員育成費を天秤にかけて算盤をはじいた結果だ。

葉月も場所が中庭と聞かなければ、同じ女物でも多少汚しても良い服に着替えていただろう。

土埃つちぼこりの心配がないのは有り難い。

中庭に居たのは、五人。

顔見知りは第三隊所属が二人と医療部所属が一人、そして何故かタイロンとジークだった。

庭木の木陰で濡れた手ぬぐいを額に当てられ寝かされている男と、苦い顔その傍らに立つ男は知らない顔だ。

おそらく彼らが入団希望者なのだろう。

オズワルドと連れ立ってやって来た葉月に最初に気付いたのは、ジークだった。

「ねえさん!」

十の子供の顔には似合わぬ達観した表情が一瞬で和らぐ。

芝生の上とはいえ足音を一切立てることなく側に来たジークに、葉月は木陰に寝かされている男をこっそり指さして尋ねた。

「あれ、ジークがやったの?」

「はい。やれと言われたので」

ジークがあっさりと頷く。

<テーラン>に入団を希望するくらいだから、あの男もそれなりに腕に自信があったのだろう。

だが、平団員と比べて勝るとも劣らないジークだ。

お眼鏡に適わなかった入団希望者程度に負けるはずがない。

葉月の顔に柔らかな笑みが浮かぶ。

葉月は男に勝った所ではなく、別の所に感心していた。

「力加減が出来るようになったのね。すごいじゃない」

ジークは確かに強いが、人の子の体の使い方に不慣れで自身の肉体へ余計な負荷がかかってしまっていた。

彼の最大の課題は、力の使い方、体の動かし方の加減を覚えることだ。

いつでも百パーセントの力で、とは美しい心がけだと思う。

それが芸事に関することならば。

しかし、武術は違う。

一対一の試合ならまだしも、多数を相手にする可能性が高い実戦においては、体力の温存が鍵を握る。

ジークに倒された男は脳震盪のうしんとうを起こしているが、それだけだという。

相手が雑魚とはいえ、否、雑魚だからこそ適切な力加減が必要になるだろう。

葉月はジークの成長を喜んだ。

真正面から褒められたジークの浅黒い肌が赤みを帯びる。

「ありがとうございます」

「でもよ、本当にぼんはスゲェんだぜ? バシッと一撃で決めたかんな!」

遅れてやって来たタイロンが、ジークの肩をバシバシ叩きながら褒め讃えた。

タイロンは力加減が苦手だ。

普通ならたたらを踏むか前につんのめる所だが、ジークは迷惑そうにタイロンをにらみ上げるだけでびくともしない。

「痛いのですが……」

「おっ、悪ぃ悪ぃ」

タイロンはジークのことを気に入っているようだが、ジークの方はあまりタイロンを好いていない。

ある意味素直で真面目なジークと陽気で豪快なタイロンでは、性格が違い過ぎた。

それに加えて、自分も要因になっているのだろうな、と葉月は自意識過剰と思われかねないことを考える。

ジークの過去を聞くに、彼の自分への執着は分からなくはない。

正直、慕われて悪い気はしないが、過度の執着は彼の為にも自分の為にもならないだろう。

上手く、折り合いを付けてもらわないと困るな。

まぁ、徐々にやっていくしかないか、と思考を切り替える。

葉月は一方的に険悪になる空気を切って、タイロンへ尋ねた。

「というか、タイロンは何でここにいるんですか?」

「あぁ、入団試験内容ってのが俺と打ち合って五ロイゼの間倒れねぇことだったんだ」

「タイロン相手に五ロイゼ持つなら、十分な戦力になるからな」

オズワルドがタイロンの言葉を補足する。

五ロイゼは、葉月の感覚でおおよそ四分ちょっとだ。

戦闘力なら実行部の隊長格と同等と言われるタイロン相手に四分持つというのは、かなり大変なことだろう。

葉月はタイロンの攻撃を避けることを最優先して、なんとか持つかも、程度だ。

現在、戦列の<テーラン>の団員数は約六十名。

番号付街の警備隊に比べれば少人数だが、一介の自警団としては人数が多い方だ。

欠員が出れば補充するだろうが、そうでもなければ余程腕が立つ相手しか取らない。

優秀な人材を取りこぼすことがないように、入団試験はある程度定期的に実施されているが、試験官を誰にするのかが問題だった。

実行部の平団員ではうっかり負けてしまうこともあるかも知れない。

隊長が直々に相手するのも、あまりよろしくない。

そう考えると、タイロンはうってつけの試金石だった。

「あぁ、そうだったんですか。お疲れ様です」

「お、おぉ」

葉月が頷くと、タイロンが微妙に申し訳なさそうな顔をする。

タイロンは嘘が苦手な男だ。

思ったことが顔に出やすい。

それを見て、ピンときた。

「入団希望者に、余計なことを言いましたね?」

葉月はタイロンを軽くめつけながら言った。

案の定、タイロンは大柄な体をしょんぼりさせて白状する。

「二人が倒れた後、『これなら坊やお嬢の方がよっぽど歯ごたえがあるぜ』ってな……」

「で、私とジークが呼ばれたわけですか」

「そういうことだ。お前たちの実力は<テーラン>内では知っている者も多いが、外にまで知られているわけではない。入団試験なしの特別扱いだからな。不満に思う者も多かろう。自分の価値は自分で示せ」

自身も不満を持っていた一人であるオズワルドは、先程よりは穏当な言葉を言いながらこちらへ近づいてくる男をあごで示した。


「こいつがあんたらの言う“お嬢様”か」

葉月は笑みの質を変えながら、声が聞こえた方を振り返った。

知性を感じさせないセリフもそうだが、近くで見るとその品のなさがよく分かる。

歳は二十歳前後、短く派手な柄の羽織を着ており、まさしくザ・チンピラといった風情だ。

まぁ、格好だけなら<テーラン>の団員たちも似たようなものなのだが……。

男は葉月の前までやって来ると、上から下まで見回し下卑た笑みを浮かべた。

「へぇ。頭の方は足らねぇみてぇだが、なかなか良さそうじゃん」

葉月はそっと険しい顔で懐に手を伸ばしたジークを制した。

男はそれに気付かぬまま、どんどん失言を積み上げていく。

「アレだろ、その可愛い顔で幹部たちのをくわえ込んでるんだろ? 下っ端もご相伴に預かれたりすんのか?」

この世界でも十三歳はまだまだ小娘だ。

性的対象になるのは、十五歳くらいからだろう。

だが、この男にはそういう趣味があるらしい。

この下種げすが。

葉月はおっとりと笑ったまま、内心で吐き捨てる。

オズワルドは葉月に勝ったら<テーラン>に入れてやると約束したらしい。

この男はもう<テーラン>に入ったつもりでいるのだ。

見た目通りに図々しい。

どんな噂か確かめる為に話させたが、だいたい予想通りだった。

くだらな過ぎて耳が腐る。

そろそろ反論するか、と口を開きかけた所で、思わぬ所から的外れな擁護が飛んできた。

「お嬢はンなことしねぇよ。カスが。大体なぁ、お嬢が可愛いのはぱっと見だけだ。よく見たらそうでもねぇし、中身なんて全ッ然可愛くねぇからな。ぱっと見に騙されると痛い目にあうぜ?」

途端、空気が凍る。

葉月はにこやかに笑いながら、タイロンを振り返りその名を呼ぶ。

「タイロン」

表情はにこやかだが、目がまったくもって笑っていない。

静かな怒りをたたえた灰青の瞳でタイロンを見据えて尋ねる。

「タイロンは、いくつになったんでしたっけ?」

「えー、と、二十三、か、な……」

遅蒔きながら地雷を踏んだことに気付いたタイロンが、微妙に目をそらしながら答える。

葉月はゆっくりとタイロンの答えに頷いた。

「ですよね。でしたら、口に出して良いことと悪いことの区別はつきますよね? それがたとえ真実であっても、心の中に留めておくべき言葉というのはあるんですよ? ちなみにその最たるものが女性の外見についてのあれこれです。それをお忘れなきように」

「すまねぇ……。気ぃ付ける」

「そうなさってください」

葉月はまったく、とつぶやきながらため息をつく。

どちらが年上で指導役なのか、分かったものではない。

実際は葉月の方が年上であるが、それにしてもタイロンにはデリカシーというものが欠落しているのだ。

説教が短めなのは、世間体もそうだがタイロンに悪気がなく葉月を擁護する目的での発言ということと、タイロンの言うことは大体真実だからだ。

葉月は自分がどう見られているか、重々承知している。

雰囲気美人ならぬ、雰囲気美少女だ。

なにしろ、“そういう風”に繕っているのは自分である。

いつもおっとりと笑い、たおやかな少女を演じているのだ。

たれ目がちな造作もそれに一役買っている。

所作と笑顔と愛想で繕えば、ぱっと見は可愛らしい少女の出来上がりだ。

まぁ、タイロンの言う通り、よく見るとそうでもないのだが……そればかりは仕方がない。

もう少し歳をとれば、化粧をしてもおかしくなくなる。

それまでの辛抱だ。

“顔は作るもの”

葉月のモットーの一つである。

「さて、と。お待たせしました」

葉月は辺りを凍らせていた冷気を引っ込め、入団希望者の男を振り返る。

一見、頭のネジが緩んでいるのではないかと思うほど、おっとりとした笑みを浮かべつつ、その口から出てくる言葉は辛辣だ。

「あなたが口になさったようなことは一切ありません。事実無根も甚だしいことです。だいたい、<テーラン>の幹部の皆様はこんな小娘を相手にしなければならない程、女性に困っているなんてことはないんですからね。それに私とて年端も行かぬ少女を手篭めにしようなんて変態を相手にしたいとはこれっぽっちも思いません。自分の実力のなさを棚に上げて開き直るような男はもっと願い下げですね。ついでに品性も知性もない男はお話にもなりません。というわけで、人語が理解出来たらさっさとお帰り下さいな」

すいっと葉月が示したのは通用門だ。

立板に水とばかりに放たれた言葉が男の頭に染み込むまで、数拍の間があった。

ぽかんとした顔は、やがて怒りで赤を通り越してどす黒く染まる。

血走った目で葉月を睨みつけると、唸るような声を上げた。

「んだとぉ! このメスガキが!」

「あら? やはり人語が理解出来ないんですか? 随分と残念な頭と耳ですね」

葉月の目に浮かんだ微かな嘲り。

それが合図だった。

「女風情が調子に乗るんじゃねぇ!!」

男が葉月へと突っ込んでくる。

オズワルドもその他の面々も、それを止めようとはしなかった。

お行儀よく“始め”の合図で始めるような試合は、<テーラン>には相応しくない。

だいたい、葉月の挑発に乗ってしまった時点で、男の負けは確定しているようなものだ。

怒りは力を引き出すかも知れないが、動きが単調になりがちになる。

案の定、男は木刀を振りかぶり、一直線に葉月を狙った。

対する葉月は丸腰だ。

剣道三倍段という言葉がある。

木刀を持った相手と素手で戦う場合は、素手の方が木刀を持った者よりも三倍の段数くらいでないと相手にならないという意味である。

いわゆる俗説で三倍の根拠は特にないのだが、武器ありと武器なしでは武器ありの方が圧倒的に有利なのは間違いない。

なにしろ、間合いが違う。

相手の攻撃が届かぬ所から己の攻撃を食らわすことが出来るのは、かなりの利点だろう。

特に警戒すべきなのは突きだ。

斬りにくれば振りかぶった隙を狙うことも出来るが、突きではそうはいかない。

が、それは相手が冷静ならばの話だ。

葉月は一直線に突っ込んでくる男をぎりぎりまで引きつけてから、左足を斜め前へと踏み出す。

その静かな足運びは、一見遅く見えた。

それでは己の突きを回避出来まいと確信した男の顔に愉悦が浮かぶ。

しかし、少女を捉えたはずの突きは、虚しく空を切った。

外すはずがないと思い込んでいた男は、目から入ってくる情報と自身の感覚に齟齬そごを覚え、一瞬の隙が出来る。

それを見逃す葉月ではない。

「うぐっ」

貫手で男の右脇下を正確に突く。

脇下は神経が集中している急所の一つである。

男は激痛に思わず片膝をついた。

そこで、ひらりと、生成の裾が舞う。

葉月のショートブーツが男の立てた膝を踏みつけ、膝上へと乗り上がる。

それと同時に反対の脚を外側から振り回し、太腿の内側でもって男の側頭部を蹴りつけた。

見事な改良型シャ○ニング・ウィザードだった。

そんな技はもちろん師岡流にはないのだが、見た目の派手さとただの膝蹴りよりも危険性が少ないことでプロレス好きの門弟たちの一部で人気だった技である。

頭を思いっきり揺さぶられた男は、芝生へと倒れ込む。

葉月は男が落とした木刀をジークへと投げ渡すと、男の背を踏みつけながらその耳元へ囁きかけた。

「さて、私が<テーラン>の末席に連なる理由、お分かり頂けました?」

男は目が回っているだろうが、意識はあった。

その証拠に、男の口からは途切れ途切れながらも罵倒が漏れている。

「くそっ、女の分際で……いい気になるなよ……」

自分の立場が分かっていない男に、葉月の口の端がにぃっとつり上がった。

そして愉快そうに、歌うように葉月は言葉を紡ぐ。

「あら? じゃあ、その女に呆気無く倒されたあなたはなんでしょうね? 現実を見つめた方がいいですよ。あなたはこんな小娘にさえ勝てない小物だって。しかも、あなたは木刀で私は素手。この条件で負けるなんて救いようがないですよねぇ? おまけに私、こんなひらひらで動きにくい服なんですよ。それなのに……ふふ、小物どころか、ゴミみたいなものじゃないですか。そんなゴミが<テーラン>に入りたいだなんて、おこがましいにも程があります」

言いたい放題言われた男は唾を吐きかけてやろうと、唯一動く首を巡らす。

そして、葉月と目が合った。

「ひっ」

無様に引き倒されながらまだ葉月のことを生意気なメスガキだと思いっていた男は、ここでやっと自分が被食者の側だと気が付いた。

千の言葉よりも雄弁に、灰青の瞳は語る。

『お前は下位者で、自分が上位者なのだ』

と。

理屈や難しいことは抜きで、上下関係を知らしめるだけの力がその瞳にはあった。

それは男社会である師岡流の中、宗家に生まれた彼女が身に付けざるを得なかった力だった。

捕食者である少女はゆっくりと目を細め、最後の忠告を行う。

「あまり、くだらぬ噂を流さないことです。常に背後に怯える一生を送りたくはないでしょう?」

血の気が引いた顔でこくこくと頷く男。

くすくす笑いながら言いたいことを言い切った葉月は、止めとばかりに男の首筋に手刀を叩き込む。

男は今度こそ、意識を手放した。

<テーラン>に入るのは諦めよう。家業の煮売屋の手伝いを真面目にしようという決意をしながら。


葉月が男の背から下りて立ち上がると、見物していた男たちが寄ってきた。

念のため、医療部員に診察されている男を見下ろしながら、オズワルドが不機嫌そうに言う。

「ご苦労だった。しかし最初の貫手はいいが、なんだあの実用性のない足技は」

悪ふざけが過ぎると怒るオズワルドに、葉月は小さく肩をすくめた。

怒りが自身に向いていると、オズワルドは確かに怖い。

自分でも悪ふざけが過ぎたな、と思うので余計にだ。

「すみません。ちょうどいい感じで膝があったので、つい。それにあんな実用性のない技でやられた方が凹ませられるかと思いました」

それにあまり手の内をさらしたくないという思いがあった。

葉月の強みは力ではない。

技だ。

特に素手での戦いは、こちらでは主流ではないので意表をつける。

しかし、広く知られてしまえば、そのアドバンテージはなくなるだろう。

だからあまり知られたくはなかった。

それがたとえ、<テーラン>内部の人間であろうとも。

「実用性がないことを承知していれば、まぁいいだろう。使い所を間違えるな」

「はい」

殊勝に頷いた葉月にオズワルドも頷くと、部下に伸びている男を運ぶように命令する。

「お前たちも行っていいぞ。ご苦労だったな」

オズワルドが部下たちと共に去ると、中庭には葉月、ジーク、タイロンの三人が残された。

「お疲れさまでした。ねえさん」

「ありがとう」

「お疲れ、お嬢。あの技おもしれぇな。なんて技なんだ?」

「ありがとうございます。あの技ですか……」

わくわくした顔で尋ねてくるタイロンに、葉月は口ごもった。

<ゼルディア語>として口に出すならば、意訳になる。

それはあまりに恥ずかしい。

しかし、とっさには別の名前が浮かばない。

仕方がなく、あれは自分の考えた技ではなく、名前を考えたのも自分ではないと強調した前置きをした上で、葉月は答えた。

「せ、閃光の魔術師、です」


その後、<テーラン>の一部では“閃光の魔術師”が流行した。

しかし間違って膝を叩き込んで膝を痛める者、打たれて首を痛める者、乗った膝が崩れて頭を打った者など怪我人が続出した為、すぐに幻の技として禁じられることになる。

発信源の葉月がとばっちりで叱られるハメになったり、<テーラン>への入団を諦めた男が家業を継いで意外な才能を発揮し支店を出すまでになったりするのだが、それは割とどうでも良い話である。

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