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混沌なき箱庭  作者: 天原ちづる
閑章
65/86

【番外編その1】女狐が死んだ

 「師岡葉月が死んだそうだ」

事務所で昼食をとっていると、耀司ようじの兄貴分である高田の元に一本の電話がかかってきた。

昼時に気が利かねぇと愚痴りながら電話に出た高田だったが、不機嫌丸出しの顔はやがて驚愕の表情に塗り変えられた。

冒頭の言葉は、電話が終わってからつぶやかれたものだ。

その言葉を聞いた耀司は、一瞬何を言われたのか分からなかった。

「へ?」

という間抜けな声を出して、カップラーメンをすする。

どうにも理解出来ていなさそうな弟分に、高田は複雑そうな顔で再度、同じ意味の言葉を発した。

「だから師岡葉月だよ。師岡流の師岡葉月。お前も知ってるだろ? あの女がくたばっちまったってよ」

「はぁ!? あの女狐が? 殺してもくたばりそうにねぇのに、ったのはどこのどいつっスか?」

カップを乱暴にテーブルに置きながら、耀司が驚愕の声をあげた。

耀司が知っている師岡葉月という女は、見た目は頭のネジが緩んでそうでぽわわんとしているように見えるが、中身は恐ろしくしたたかで狡猾で陰険なヤツだった。

政界財界のみならず裏社会にも幅を利かす師岡流宗家の中で、もめ事などを収める部署、対外交渉室副室長の肩書きを持ち、実質的には部署のトップであった女だ。

師岡流の内外、社会の表裏を問わず、あの女に恨みを持っている人間はそれこそ両手両足を足しても足りないくらいにいるだろう。

耀司もその内の一人だった。

簡単には死にそうにないあの女が死んだというのなら、直接的な恨みか逆恨みかは置いておいても怨恨関係であろうと思ったのだ。

しかし、高田は耀司の問いかけに首を振る。

「いや、交通事故だとよ。怨恨の線は薄ぃだろ」

そう言いながら伸び始めたカップラーメンを放置して、煙草に火をつけた。

ふぅっと長い煙を吐く。

耀司は疑い深い顔で質問を重ねた。

「事故に見せかけたんじゃ?」

「相手は免許取り立てのボンボンだったっつーから、本当に事故なんだろうさ」

そんなガキを鉄砲玉に使う阿呆はいないだろうとは、高田の見解だ。

高田に電話をかけてきたのは情報通の千木良だというから、入ってきた情報にまず間違いはない。

縄張りが師岡流の道場に近いこともあり、組の若いのと門下生がもめることが何度かあった。

組の中でもあの女のことを知っているヤツが多いのはそのせいだ。

組、師岡の双方とも血気盛んな輩が多いせいで、取り締まりも厳しくなっているご時世だというのに、あやうく警察沙汰になりかけたこともある。

実は耀司自身も二年ほど前に一悶着を起こしており、その時に師岡側で対応をしたのが師岡葉月だったのだ。



その頃はまだ副室長などという偉そうな肩書きはなかったとはいえ、屈強そうな部下を従えて話し合いに訪れた弱っちそうな女に、耀司は反発を覚えた。

下っ端同士ということもあって、大事にはせずに落としどころを見つけることになったのだが、耀司は終始ふてくされた態度で組側の対応を任された高田を困らせたものだ。

(もちろん後できつく〆られたのだが)

結局、上の方で手打ちが済み、当事者はそれぞれ処分を受けた。

それが面白くなかった耀司は、性懲りもなく師岡に手を出そうとした。

恐いもの知らずというよりはただの馬鹿なのだが、馬鹿なりに考えたのは道場破りという手段だった。

実戦を旨とする師岡流は他流試合を推奨しており、時代錯誤な道場破りも歓迎していたのである。

それでも現代ではいろいろと面倒なことも多く、後腐れがないように誓約書を書かされるのであるが、耀司は堂々と本名を書いて勝負を挑み、そして負けた。

その相手が師岡葉月だった。

たまたま師範代として稽古をつけている最中に耀司が乗り込んだのであるが、相手に名乗りを上げたのは葉月の方だ。

面子めんつというものがある。

揉め事を起こして処罰を受けた者が、性懲りも無く突っかかってきたのだ。

師岡としては“舐められた”と判断せざるを得ない。

暴走を止められなかった組も問題になる。

小さな火種が大火事になる可能性を考えれば、サクっとお帰り頂いた上で釘をさした方がいい。

そう判断した葉月の一本勝ちだった。

“弱っちそうな女”にあっさり倒された上、

「立場をわきまえなさい。このど三一さんピンが」

と、客間へ連れて行かれ罵倒と説教を受ける羽目になった耀司は、葉月から連絡をもらった高田にも再度キッチリ〆られた。

葉月と高田による各所への根回しにより、全面戦争への突入は避けられたわけだが、これが耀司と師岡葉月の因縁の始まりだった。



やっと仁義というものが分かった耀司は大きな揉め事を起こすこともそうそうなくなったが、ちょいちょいと師岡葉月に絡むようになる。

組の人間が「お前が年上好きとは知らなかった」とからかうと、「そんなんじゃねぇ!」と反発する。

高田などは大事にならなければいいと、呆れ半分で微笑ましく見守っていた。

耀司からすれば、それは惚れた腫れたなんぞとは違う感情だ、下種の勘ぐりは止めてくれと思うのだが、だからといってそれが何であるかは、自分自身でもよく分からなかった。

ただ、他人よりは少しだけ特別だったことは、認めざるを得ない。

耀司が知る師岡葉月という女は、黒ではなく白でもない灰色の世界で生きており、強面のジジイ相手にもおっとりと笑いながら駆け引きの出来る度胸と、容易く手折られそうな見た目なのに、自分よりも縦にも横にもデカイ相手を屈服させられるだけの強さを持っていた。

手を伸ばすのが躊躇われる程お綺麗ではなく、忌避したくなるくらいに汚れてもいない、耀司がこれまで出会ったことない女だった。

出会ってから二年が経ち、朧気おぼろげながら自分の感情に合った言葉が見えてきた気がする。

『憧れ』

たぶん、耀司が師岡葉月に抱いていたのは、そういったものだったのだろう。

その師岡葉月が死んだのだという。

それも、交通事故なんかで……。



「っ、ざけんなよ」

パキンッ。

耀司が手に持っていた安物のガラスのコップが、音を立てて割れた。

破片が手のひらに突き刺さり、ぽたりと赤い血が滴り落ちる。

「耀司っ」

驚いた高田が、耀司の手から割れたコップを取り上げた。

耀司はそれには抵抗せず、しかし憤りをぶつけるように叫ぶ。

「なんで事故なんかで死んでんだ! あの女! 車くらい避けろよ! 勝手に死んでんじゃねぇよ!」

「無茶を言うな。落ち着け」

「ちくしょう。なんだよ、なんなんだよ! ざけんなよ!」

自分でもよく分からないことを言っていると、頭の隅では分かっていた。

高田を困らせたいわけではない。

手だって痛い。

それでも、憤りは止まない。

はね飛ばしたという男よりも、簡単にくたばってしまった師岡葉月に対して、腹が立って仕方がなかった。

「ちくしょう……」

唇を噛んでうつむいてしまった耀司に、手の手当を終えた高田はぽんっと肩を叩いて立ち上がった。

「通夜は明後日だそうだ。普通はカタギんトコにゃ相手に迷惑かけるから出ねぇモンだが、師岡だからな……。俺とお前で行くことになった。準備をしておけ」

そのまま部屋を出て行こうとした高田に、耀司がうつむいたまま答える。

「嫌っス」

「耀司……」

はぁっと深いため息をついて振り返った高田は、耀司の後ろ姿を見下ろしながら煙草をくゆらした。

そうして一呼吸を置いた高田は、諭すように言う。

「出ろ。通夜や葬式は死んだヤツのためだけじゃねぇ、残ったヤツに区切りをつけさせるためでもあるんだ。信じられねぇ気持ちは分かる。俺だって信じらんねぇよ。だから出るさ。お前も出ろ。命令だ。いいな」

念を押すと、渋々といった様子で耀司がうなづいた。

それを見た高田は今度こそ部屋を出る為に踵を返した。

そしてふと、窓の外に目をやる。

薄汚れたガラス越しでもよく分かる、綺麗な青空がそこには広がっていた。

「ったく、いい天気だってぇのになぁ」



バタン。

高田が出て行った部屋に、静寂が満ちる。

時々、鳥の鳴き声や、土曜だからかはしゃいだ子供の声も聞こえた。

しかし、耀司の耳には届かない。

「死んでンじゃねぇよ……。最後までなんてずりぃんだよ。あの女狐め……」

ぶつける相手がいなくなった苛立ちを持て余したまま、耀司はそのまましばらく動かなかった。

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