4.手痛い洗礼 8-2
「あー、もう終わっちゃってたのか。つまんねーな」
聞き覚えがある声に顔を向けると、<テーラン>実行部第四隊長のケヴィンが何やら引きずりながらこちらへと歩いてきていた。
それを見てジークがさりげなく、葉月の斜め前へ移る。
ケヴィンがどさっと投げ出したものを見て、葉月が眉をひそめた。
「大通りの喧嘩の仲裁なんてくだらねー仕事だと思ってたら、何やら怪しいヤツがいるだろ。問い詰めてみたらウチのお嬢様と坊ちゃんをシメ上げる算段だったっていうじゃねーか。面白そうだから探してたんだが、ちと遅かったみてーだな。お前がさっさと吐かねーからだぞ」
口とは逆に、にやにや笑いながら投げ出したものを蹴り飛ばすケヴィン。
うめいているので死んではいないようだが、顔面はぐちゃぐちゃにつぶれている。
おそらく、男たちの仲間のはぐれた一人だろう。
はぐれた上に遭遇した相手がケヴィンだ。
相当に運がない。
そんな哀れな男を踏み越えて、ケヴィンが一歩、葉月たちに近づいた。
その顔には好戦的な笑みが浮かんでいる。
「こんな雑魚相手じゃ、物足りねーだろ? 坊ちゃん。俺と遊ぶか?」
葉月はケヴィンが苦手だし嫌いだったが、ジークもケヴィンに対してかなりの警戒心を抱いている。
ライナスからもケヴィンは滅法強く頭も切れるが、その分頭のねじが何本かぶっ飛んでいる男だから注意しろと言われていた。
何が面白いのか、この男は自分たちによく絡んでくる。
元の世界にも頭のねじが何本かぶっ飛んでいる輩など掃いて捨てるほどいたが、葉月に害を成すというのなら放ってはおけない。
葉月からはあからさまに被害がひどくない限り相手にするな、と言われていたが、それで収まるジークではなかった。
先ほどのゴロツキとの喧嘩よりも余程ぴりぴりした殺気に満ちた空気を感じ、葉月はわざと大げさなため息をつく。
「ケヴィン隊長。弟を挑発するのは止めて下さいませんか?」
「お嬢様は黙ってな。俺は坊ちゃんと遊ぼうってんだぜ」
「ねえさん、危ないです。下がっていてください」
ケヴィンに睨まれ、ジークに後ろに押され、葉月はたたらを踏んだ。
まだ殺気を向けられるのは慣れない。
脂汗がにじみ、喉がひゅっと鳴った。
息が苦しい。
無意識の内に両手で胸を押さえていた。
意識して呼吸しないとたちまち息が止まる。
ジークが懐から二振りの短刀を取り出し、ケヴィンが腰の剣に手をかけた。
既に葉月に止められる雰囲気ではない。
葉月からしてみれば、無益という他ない戦いがまさに始まろうとしていたその時、路地裏に無駄にでかいだみ声が響いた。
「あぁっ、やっと見つけた。まったく何遊んでるんでやすか、隊長。いきなり居なくなんでぇでくれって何度言やぁわかるんですかい」
現れたのは額に傷がある三十をいくつか過ぎた辺りの男。
葉月にも見覚えがあるケヴィンの部下だ。
「邪魔すんじゃねーよ、カロル。俺は坊ちゃんと遊んでんだ」
物騒な気配をまき散らしたまま、ケヴィンが応じる。
ジークも無言のままケヴィンをにらみつけており、構えを解こうとはしない。
カロルは殺気立つ二人に、はぁっと大きなため息をつく。
先ほどの葉月と同じ動作だが、わざとだった葉月とは違い、カロルは心底めんどうくさいというようにぼりぼりと頭をかいた。
「隊長。アンタ自らめんどう起こしてどうしやすか。遊び足んなくてイライラしてんのはわかりやすが、やることやってからにしてくださいよ。第三のオズワルド隊長が例の件でお呼びでやんす」
オズワルドの名を聞いた途端、うんざりした様子でケヴィンが殺気を引っ込めた。
「えー、あの熱血石頭が? お前代わりに聞いとけよ」
「駄目に決まってんでしょう。我儘言わんでください」
ぴしゃっと言い切ったカロルに、ケヴィンはぶつぶつ文句を言う。
「何の為の副隊長だっつーの」
「我儘言う隊長を引っ張ってく為でしょう。ウチの隊の場合。さ、お早く」
ケヴィンに負けずうんざりした様子のカロルが腰に手を当てて、上司を追い立てる。
そこでカロルは思い出したように、構えを解いたジークと二人が衝突せずほっとしている葉月を振り返った。
「あぁ、お坊ちゃんにお嬢様。ウチの隊長が大人げなくてすいやせんね。ついでにきゃんきゃんと元気のいい子犬と、それよかはちと落ち着いた子犬を二匹保護してるんでやすが、心当たりはおありですかい?」
カロルの問いかけに、葉月がうなづく。
「はい。おそらく私たちの級友です」
カロルが言うのは、先ほどまいた子犬たちだろう。
まいたはいいが、どうやら乱闘に巻き込まれたらしい。
こちらに巻き込むよりはいいが、少し責任を感じてしまう。
子犬たちの正体は、やたらとジークをにらんでいたあの少年とその先輩たちだろうと推測がつく。
こちらを穏便になだめるのも、少々面倒くさそうだ。
「あ、そーだ」
カロルに追い立てられ、大通りに向かっていたケヴィンが振り返った。
また何か因縁をつけてくるのかと思わず身構えた葉月たちに、軽い調子で問いかける。
「お前ら、<ゼルダの使徒>って知ってるか?」
「<ゼルダの使徒>……ですか? ゼルダってこの国の主神ですよね? すみません、それは一般常識ですか?」
葉月が知ってる? というように隣を見る。
その視線を受けて、ジークが首を横に振った。
揃って首をかしげる姉弟に、ケヴィンは肩をすくめて踵を返した。
「知らねーならいいや。じゃあな、坊ちゃん、お嬢様。また遊ぼうぜ」
そう言い残して、ケヴィンはカロルにせっつかれながら去って行った。
それを見送る形になったジークは、困った顔で葉月を見上げる。
「<ゼルダの使徒>って、結局何なんでしょうか?」
「さぁ? あの反応だと一般常識ではなさそうだったけど……」
もやもやとすっきりしない気持ちを抱え、葉月も困ったように頬に手を当てる。
姉弟は揃ってため息をつき、やはりケヴィンはろくでもない、という意見で一致した。