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混沌なき箱庭  作者: 天原ちづる
第4章 手痛い洗礼
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4.手痛い洗礼 7-1

 その後はひやりとすることもなく、葉月たちは学問所の初日を無事に乗り切った。

とはいえ、葉月たちが学問所で学ぶのは午前中だけなので、そうたいしたことはしていない。

葉月とジークはまったく文字が読めないどころか、この文字を初めて見たのが二ヶ月ちょっと前だ。

まずは文字の種類を覚えることから始まった。

<ゼルディア国>で公用されている文字は表意文字と表音文字があるが、とりあえず表音文字からだ。

この表音文字は副神のエルフィムから名を取って、エレイムという。

このひらがなよりはやや少ない四十三文字の書きとりをして、いくつかの単語を読んだり書いたりした。

まだ覚えられた文字は十程度だが、このエレイムは規則性があるので、全て覚えるのもそう難しくないだろう。

意外と面白かったのは、午前が終わる間際の音読の時間だ。

基本的には個別に課題をこなし、ジャニスがそれを見て回る方式で授業は成り立っていたのだが、この音読の時間だけは全員参加だった。

一人一節ずつ順番に当てられ、冊子の話を読みあげていく。

葉月とジークはまだ文字が読めないので今のところ免除されているが、六歳から十四歳までの子全員が同じ話を順番に音読するのを聞いていると、年齢や男女差にもよって声の大きさや調子が皆違うことに気付く。

葉月は懐かしく、ジークは物珍しく思いながら、音読の時間を終えた。

もちろん、目では冊子の文字を追いながらである。

葉月は横書きであれば左から右へ読むのが染みついているので、右から左に読むのは少々混乱する。

初日から読みこなせるわけはないが、今までの常識と違った常識を身につけるのは、意外と骨が折れそうだった。



<テーラン>の屋敷に帰る道すがら、葉月はジークに学問所の印象を尋ねてみた。

「どう? 初めての集団教育の感想は?」

「面白いですね」

にっこり笑って、ジークが答える。

「小さい子から割と大きい子まで、並んで座っている光景というのは初めてみました」

「あぁ、それは私もあんまり見たことなかったかな。私の生まれたところはだいたい同じ年代で分けてるから。余程の田舎で子供の数が少ないとかなら別なんだけど」

大通りは人通りが多く、賑やかだ。

他人の会話をわざわざ訊いている者などいないのだが、用心のため相手に聞こえる音量ぎりぎりで会話する。

「授業中に教室内を駆け回っている子がいないのが驚きです」

「教室内で暴れると先生が怖いってのもあるでしょうけど、上の子たちが面倒をよくみてるからかもね。すごく賑やかだけど」

「元気があって良いと思いますよ。子供は元気があるのが一番でしょう」

「確かにね」

自分たちも今は子供になっていることも忘れ、妙に年寄りくさい感想を述べ合っていた二人だったが、あることに気がつき口をつぐむ。

しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは葉月だった。

「ねぇ、ジーク」

「はい」

「何人?」

葉月は後ろを振り返らずに、短く問うた。

ジークも前を向いたまま、その問いに答える。

「子犬が三。野良犬が五ですね」

葉月の眉間に薄くしわが寄る。

「子犬と野良犬……ね。私はなんとなくしか分からなかったんだけど、当たりか。ジークはさすがだね。こんなに人通りが多いのに」

「人通りが多いからこそ、不自然なところが分かるんですよ。元の商売柄、そうした不自然を放っておけないんです。命に関わりますから」

ジークは苦笑しながらもさらりと言う。

「で、どうしましょうか、ねえさん」

その短い問いかけに、多分に物騒な意味合いが込められていることが分からない葉月ではない。

子犬の方はともかく、野良犬の方は放っておくよりさっさと片付けておいた方がいい気がする。

ただし、その“片づける”の度合いが葉月とジークではかなり差があるのだろうが。

「位置関係はどうなってるの?」

「野良犬はバラバラですけど、それなりに距離を置いて俺たちを囲んでいます。前方にもいますよ。子犬はまとまって後ろに」

「子犬だけまけると思う?」

「そうですね……。どうやらやる気があるのは一人だけで、他の二人はあまりやる気がないようですからなんとか。……子犬を巻き込むのは気が引けます」

「そうね。問題は私たちに土地勘がないってところか」

新興地区は何しろ入り組んでいる迷路みたいな土地である。

路地でまこうにも、新入りの自分たちの方が迷子になるのが落ちだろう。

「あんまり時間かけると、お昼食べ損ねるし、午後の仕事にも間に合わないしね」

「そうですね。では、この大通りで子犬をまきましょう。あそこの人だかりを利用します」

ジークの視線の先には露天が並んでいる一角がある。

なにやらもめごとがあったらしく、大勢の人が取り囲んでいた。

「いけいけいけ」だの「やっちまえ!」だの、無責任な野次が飛びかっている。

あそこに紛れれば、子犬たちは諦めるだろう。

野良犬もまく可能性もあるが、それならそれで構わない。

全員まいてしまったら、その程度の輩だったということが分かる。

葉月もジークもこの世界で個別に恨みを買った覚えも時間もないので、どうせ目的はだいたい絞られているのだ。

「それじゃあ、行こうか」

おっとりと笑って、葉月が左手を差し出した。

葉月はジークほど気配が読めないし、体さばきも上手くない。

あの人ごみでは子犬をまくより先に、ばらばらになってしまうだろう。

少し気恥かしいが、手をつないだ方がいい。

ジークもそれが分かっているので、照れながらその手をとる。

「はい」

葉月はジークに手を引かれるように、人だかりへと入って行った。

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