1.<世界の落とし子> 1
<当連載について>
PC向けサイト「深藍海都」で連載中の作品を転載しております。
サイト更新を優先しており、こちらへは数話遅れで投稿致します。
完結するまでこちらの話数がサイトに追いつくことはございません。
先が気になる方はサイトの方をご覧ください。
ご了承の程よろしくお願い致します。
キキーッ。
耳障りな甲高い音。
誰かが、「危ない」と悲鳴を上げた。
右から左折して来た車は、何を急いでいたのかスピードを落とさずに曲がってきた。
横断歩道を渡る、歩行者に気が付かずに。
どしん、という重たい音が体に響く。
はね飛ばされ、宙を舞う体。
痛みは感じなかった。
ただ、呆然として首を巡らす。
自分をはね飛ばした運転手と目が合った。
驚愕に染まった顔。見開かれた瞳。
まだ、少年のような男だった。
師岡葉月、享年二十八。
それが、彼女が見た、生まれた世界の最後の光景となった。
葉月は、誰かに呼ばれて意識が浮上した。
そこは荘厳な神殿のようなところだった。
太く白い柱が何本も並びたっており、それがどこまでも続いていた。
距離感覚が狂いそうな広い部屋だった。
目の前にいるのは、白銀の髪を床につくまで伸ばした幼女。
白磁の肌に薄灰青の瞳が印象的な美しさがあった。
可愛らしいのではなく、あくまで美しい幼女というのは、なかなか想像がつきににくい存在だ。
今、自分の名を呼んだのは、この幼女だろうか?
小首をかしげようとして、その首自体がないことに気付いた。
それどころか、葉月は体すら持たなかった。
何やら、きらきら光る“もや”のようなものが、自分であるらしい。
その“もや”は葉月の他にもう一つ、幼女の前に浮いている。
肉体を持たないことで、自分は死んだのだな、と人ごとのように悟った。
普通ならもっと慌てるのだろうが、どこか麻痺しているのか、それとも意外と自分の運命に納得がいくのか、落ち着いたものである。
それよりも目も脳もないのに、よく見えるものだと不思議に思う。
葉月の意識がはっきりしたことを知ったのか、幼女が口を開いた。
「よく来てくれた。葉月、ジーク。<世界の落とし子>たちよ。吾はエルフィム。<混沌なき箱庭>の創造主の一柱。<ゼルディア国>の副神にして、砂と荒野を司る女神である」
幼女はその外見年齢に反し、臈長けた声音で自らの名乗りをあげる。
「そなたらに説明せねばならぬことは山ほどあるが、まず認識してもらいたいことは、そなたらはそなたらの生まれた世界では死んだ、ということだ。そして、この世界で新しい命を得ることになる。それ以上の説明は、この世界での肉体を与えてからにしよう。肉体がなければ話すことが出来ぬし、魂だけの状態で長く世界にさらすのはよくない」
幼女はそう言って二つの“もや”に両手を差し出した。
するときらきらした“もや”は更に輝きを増し、光に包まれる。
かなりの眩しさに、葉月の意識は白く染まった。
そして突然、ぎゅっと目をつむっている感覚を覚える。
おそるおそる目を開くと、光はおさまっていた。
目線を下に動かし、手の平を見つめる。
体だ。
わきわきと指を動かし、己の意思で動くことを確認した。
しかし、葉月の記憶にある自分の体とは、少し違う。
肌の色はたいして変わらない。爪の形もだ。
が、何かが違う。
今度はきちんと首をかしげると、隣から少年の悲鳴のような声が聞こえた。
「毛、毛がない!?」
浅黒い肌をした少年だ。
呆然と腕を見つめているが、彼の頭には焦げ茶色をした髪があって、けっしてハゲてはいない。
少年は十歳前後に見えるので、腕毛がないのは特におかしいことではないだろう。
だが、少年はかなりの衝撃を受けているようで、あちこち体を触っては、
「つるつるしている。気持ち悪い……」
と嘆いていた。
白い貫頭衣の中まで覗き、「毛が……。密かに自慢だった毛皮が……」とつぶやいている。
その様子を見てエルフィムが「ふむ」とうなづいた。
「<混沌なき箱庭>の住人に合わせてそなたらの姿かたちを創り変えたが、特にジークは元の姿とは大きく違っている。受け入れがたいかも知れぬが、受け入れてもらわねば困るな。鏡を出そう。現実を直視するといい」
エルフィムがそう言うと、二人の前にそれぞれ姿見が表れた。
そこに映った己の姿を見て、葉月は目を見開いた。
十二、三歳ほどの少女である。
一つにまとめられた髪は、よく見ると黒ではなく、濃い灰色のようだった。
思わず姿見に手をつき覗きこむと、瞳の色が灰青であることに気付く。
顔立ちも微妙に違う。
たれ目気味であることは変わらないが、何故か十五歳ほど若返っていることを差し引いても、以前とは異なっている。
共通点がないこともないし、印象もそう違わない。
これは確かに“自分”だ。
だが、“日本人”ではない。
地球の、日本の首都で生まれ育った自分は、もういないのだ。
二十八の歳まで泣き、笑い、苦しみ、喜び、生きてきた自分は、もう……。
葉月は自分が死んだと悟った時よりも、遥かに衝撃を受け動揺していた。
かじりつくように姿見にすがりつき、己の面影を探し見つめる。
高ぶった気持ちのまま、姿見に爪を立てた。
甲高い、耳障りな音が響く。
動揺は怒りに変わっていた。
葉月は姿見を乱暴に退け、エルフィムと名乗った幼女をにらみつける。
たれ目気味の目がつり上がり、冷たい空気をまき散らしていた。
「説明を……して下さるのでしょうね?」
怨念のこもった声で葉月が問いかけると、エルフィムは超然たる態度でうなづいた。
「もちろんだとも。葉月。だが、出来ればジークにも一緒に聞いてもらいたい」
そう言って、エルフィムは呆然と鏡を見つめている少年に目をやる。
「葉月の方は年齢、髪や瞳の色、そして多少顔立ちを変えたくらいだが、彼はかなり姿を変えねばならなかった。その衝撃たるや、そなたの比ではないだろう。少し、待ってやってはくれぬか?」
葉月は高ぶった気持ちを抑えるため、深く息を吐いた。
正直、今すぐに問いただしたい。
襟首掴んでも、だ。
だが、確かに自分よりも遥かに衝撃を受けている少年の姿を見てしまっては、待たないわけにもいかないだろう。
葉月はもう一度深く息を吐いて、うなづいた。
「分かりました。待ちます」
「すまぬ」
葉月はゆるゆると首を振る。
信じられないようなことが連続して起こっている。
これから聞かされることも、きっと受け入れがたいことばかりだろう。
けれど、信じ、受け入れなければならないことは、本能的に分かっていた。
エルフィムは、嘘を言わないだろうということを。
葉月は“師岡葉月”という存在の消失を悼み、静かに目を閉じた。