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混沌なき箱庭  作者: 天原ちづる
第4章 手痛い洗礼
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4.手痛い洗礼 3-2

 葉月たちは素手で組手をしていたが、何も最初から最後まで組手をやっていたわけではない。

朝稽古の主は剣術である。

しかし、剣術の稽古と言っても剣対剣ではない。

葉月は木剣を振るっていたが、それに対するタイロンは素手だった。

タイロンに木剣を持たせたら、おそらく葉月では切り結ぶまでもなく骨を折っている。

最悪即死だ。

本来なら剣対剣の戦いに慣れなければならないのだろうが、素手のタイロン相手に互角に渡り合えるようになれば、武器を持っていようがなんだろうが大抵の相手に勝てるようになるだろう。

だがその域まで行くには、まだ時間が掛かりそうだった。

葉月の剣は日本の刀を想定した剣術なので、こちらの剣を振るうには剣に合わせて動きを多少変えなければならないのだ。

日本刀は湾曲した片刃の“刀”だ。

ここの剣は真っ直ぐで両刃の“剣”。

両手で振るう者もいれば片手で扱う者もいる。

形はいわゆるバスタードソードに近い。

ただしあれほど長くはないので、背中ではなく普通に腰にく剣である。

ともかく、まだ慣れていない葉月としては、木剣とはいえ武器を持ったタイロンと稽古する勇気はない。

また得意不得意は特になかった葉月だが、好き嫌いで言えば杖と無手が好きだった。

なのでタイロンに頼んで、剣の稽古の後にどちらかの稽古に付き合ってもらっているのだ。

杖や素手での組手をする時は木剣を稽古場の端に置いておくのだが、こうして時々うっかりと片づけ忘れてしまうこともある。

トーリスは葉月に甘いが、勘定部長のジェイルは怒るとねちねちとうるさい。

勘定部は<テーラン>の財務を司るが、総務としての側面も持つのだ。

つい昨日、葉月が振るった木剣をタイロンが二本もへし折ってしまい、タイロンと二人揃ってくどくどとジェイルの説教をくらったばかりである。

失くしたと言えば、またあのねちっこい説教を聞く破目になる。

それははっきり言って御免蒙ごめんこうむりたい。

ジェイルは童顔で大人しそうな外見とは裏腹に、しわい屋で毒舌家なので団員たちから恐れられているのだ。

駆け足で辿りついた稽古場は、もうすぐ朝食が始まる時間なので誰もいなかった。

庭木に立てかけておいた木剣がそのままあったことに胸をなで下ろし、用具庫として使われている納屋の一つに片づける。

納屋から出ようとしたところで、外から二、三人の男たちの話声が聞こえた。

「あの嬢ちゃん坊ちゃんはどれだけもつかねぇ」

「すぐに根をあげて逃げ出すに決まってらぁな」

「あんな子供たちを<テーラン>に入れようだなんて、親分の気まぐれにも困ったもんだよな」

「だよなー」

「おめぇはどれくらい持つと思う?」

「あと十日ってトコだろ」

「じゃあ俺はあと三日」

「ほんなら、俺は五日にしとくぜ」

笑いながら通り過ぎる声に、葉月はたったの二、三日で評価が変わるはずもないか、と嘆息する。

一緒に働く副長の直属の部下ですら、まだ馴染みきれていないのだ。

あまり顔を合わせる機会のない実行部の者の間では、あのような笑いと賭けの対象にしかならない。

いや、“親分の気まぐれ”で済ませてくれているならマシな方だろう。

相手が子供だからと侮る者は、相手が子供ゆえに積極的に危害を加えようとはしないからだ。

本当に恐ろしいのは……。

そこで葉月はこんなところで悩んでいる場合ではないことを思い出した。

ここでぼうっとしていると朝食を食いっぱぐれる可能性がある。

あれだけ動いたのだ。

朝食を抜くことなど考えられない。

葉月は慌てて納屋を飛び出した。



なんとか朝食にありつけた葉月は、自室に戻って女物の服に着替えた。

手櫛で整えただけだった髪にも櫛を入れ、丁寧にいていく。

卓上には手の平ほどの大きさの鏡がある。

歪みの少ない質の良いものだ。

鏡は庶民でも普通に買える品だという。

あちらの世界では、確かこうした鏡が普及するのは近代になってからではなかっただろうか。

いまいちこの世界の文明の基準が分からないと思いながら、葉月は髪を結いあげた。

鏡を覗き込んで、ほつれがないかチェックする。

この顔を見るのもだいぶ慣れた。

エルフィムの神殿でこの姿を初めて見た時は、とてもショックを受けたのだが、人とは慣れる生き物らしい。

ふにふにと自分の頬をつついて、「はぁ」と息を吐く。

「若さってすごいなぁ」

化粧水も乳液もつけていないのにハリのある瑞々しい肌には感心してしまう。

子供の頃はそんなことは気にしていなかったのだが、一度大人になってしまうと子供の肌のハリが羨ましくなるものだ。

だからといって子供に戻りたかったわけではないが。

そんなことを考えながらも手早く机の上を片づけ、手提げの中身を確認する。

インク壺につけペン、こちらの文字が並ぶ冊子、紐で綴じたノート。

まさか今さら学校に行く破目になるとは思わなかった。

脳味噌は若返っているのだろうが、きちんと覚えられるか心配だ。

パラパラと文字が印刷された冊子をめくってみても、まったく分からない。

この文は横書きで右から左に読むのだそうだ。

左利きが多いとは気付いていたが、こういうところにも文化が表れている。

ちらっと聞いた話によると、表意文字と表音文字を組み合わせて使用するらしい。

その辺りは日本語と似たようなものだが、つまりそれだけ覚えるべき文字が多いということだ。

話し言葉は分かるのが、せめてもの救いだろう。

どうせなら文字も読めるようにしてくれれば良かったのにと、ここにはいないエルフィムに文句をつける。

もう一度手提げの中身を確認したところで、扉をノックする音が響いた。

「ねえさん、仕度出来ましたか?」

聞こえてきたジークの声に、葉月は手提げを掴んで部屋を出た。

「ごめん。遅くなった?」

「いえ、でもライナスさんより早く門まで行って待っていないといけませんから」

学問所は新興地区内だが、<テーラン>の本拠地からは少し歩いたところにある。

初日だけは、ジークの指導役であるライナスが、学問所まで連れて行ってくれるのだそうだ。

早く行って待っているのが礼儀だろう。

「うん。そうだね。迎えに来てくれてありがとう」

葉月が笑顔で礼を言うと、ジークは照れたように笑う。

「実を言うと気がせいてしまって……。まともに教育を受けるのは初めてなんです。しかも子供が大勢集まって勉強するんですよね。ちょっとどういう感じなのか楽しみにしてるんです」

わくわくしている様子のジークに、葉月は微笑ましいものを見るように目を細めた。

葉月など、今さら学校なんて(正確には学問所だが)、という気持ちが強いが、ジークの前向きさは見習わなければならないだろう。

どうせやるのなら、嫌々やるより楽しんでやった方が覚えがいいに決まっている。

何か知らないものを知ろうとする時、学ぶことの楽しさを知らないわけではないのだ。

ただ子供の素直さと容赦のなさは、集団になると手に負えないこともある。

学校の類は決して良いことばかりの場所ではないことも、葉月はよく知っていた。

ジークのように期待に胸を膨らませてばかりはいられない。

水を差すのも悪いので、口に出しては言わないけれど。

だから代わりに願望を口にする。

「いいところだといいね」

「はい」

はにかむように笑うジークに、葉月もつられて笑顔になった。

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