4.手痛い洗礼 3-1
釣瓶の水は冷たくて気持ちいいが、そう長々と冷やしておく必要もない。
適度な時間は冷やしたはずだ。
葉月は釣瓶の水を桶に移して、トーリスに渡された布をゆすぎ、改めて顔や手足の土埃を拭っていく。
タイロンも散々動き回っていたので、汗を流すべく先ほどのケヴィンと同様、上半身裸になって頭から水をかぶった。
ぶるぶると頭を振るい、前髪を両手でかき上げる姿は均整のとれた体に水が滴り、まさしく絵になっている。
葉月は育った家が家なだけあり、兄弟子やら弟弟子やらのそうした姿は見慣れているので照れるようなことはないが、やっぱり目の保養になるなぁ、とおばさんのようなことを考えていた。
ケヴィンも中身はともかく見た目はいい男だ。
本当に、二人とも黙っていればとてもかっこいいのに、残念極まりない。
この世界でのロマンスとやらはまったくもって期待していない葉月だったが、日本の男たちとは違ういい男にはそれなりに興味がある。
葉月とて女なのだ。
「そういえばさぁ」
釣瓶を井戸に落としながらタイロンが口を開いた。
「学問所って今日からだっけか?」
「そうですね。今日からです」
葉月は髪についた土を拭い落としながら答える。
<テーラン>に見習いとして入って三日。
朝はタイロンと稽古をして、昼間はブノワの下で雑用をしていたのだが、いかんせん文字が読み書き出来ない。
どのような組織でもそうだが、首領や副長などの上層部になると、仕事といえばデスクワークの比率が高くなる。
その配下も読み書き計算くらい出来なければ、戦力にはならない。
その辺りの事情はジークも一緒なので、二人とも午前中は学問所で勉強し、雑用は午後だけということになったのだ。
「なんつーか、意外だよな。お嬢が文字読めねぇってのも」
「そうですか?」
「おう。きょーよーがありそうっていうか、頭良さげじゃん?」
「そう良くもないですよ。世間知らずですしね」
タイロンの言葉に、葉月は苦笑する。
教養はあったが、この世界の教養ではないので大して役には立たない。
こちらの世界に関して、本当に子供以下の知識しかないというか、常識を知らないのだ。
落ち着きと常識のなさがちぐはぐ過ぎて、怪しまれるのではないかと気が気ではない。
多少怪しまれるくらいなら良いが、それで排斥されては面白くない。
かと言って知ったかぶりするのも具合が悪く、馬鹿に見られても困る。
その辺りの兼ね合いが難しかった。
自分をどう見せるか、難しいが重要なことだ。
「あー、じゃあ」
タイロンはなんとか葉月にぴったりの言葉をひねり出そうとうんうん唸り、何か思いついたのかぽんと手を打った。
「ずる賢そう?」
これでどうだと言わんばかりの顔をするタイロンに、葉月はふぅっとため息をついた。
「……褒めたいんですか? 貶したいんですか?」
「え? 賢いって褒め言葉じゃねぇの?」
きょとんとした顔をするタイロンに、葉月は微妙そうな表情を浮かべる。
「賢い単体なら褒め言葉にもなりますけど、その前に“ずる”がつくと貶すだけになります。悪知恵が働くってことですよ」
「え? マジで? 俺、すげぇ賢いって意味かと思ってた……」
「…………………………」
「お嬢?」
「良かったですね、タイロン。今日、一つ言葉の意味を正しく理解することが出来ましたよ」
「お嬢さ、今、俺のことすげぇ馬鹿だと思っただろ?」
「そんなことないですよ」
さらっと笑って否定する葉月に、タイロンがむくれる。
「どうせ俺は頭がわりぃよ」
「だからそんなこと思ってないですってば」
苦笑しながらも手を動かし、足首まで拭ってさっぱりしたところで、葉月はあることを思い出して布をゆすぐ手を止めた。
「あ」
「どうした?」
タイロンが小さく声をもらした葉月の方を見る。
葉月はしまったなぁという顔をして、ぎゅっと布を絞った。
「木剣を片づけ忘れてました。ちょっと行ってきますね」
「あぁ、忘れるとトーリスのおやじやジェイルに怒られるもんな。急げよ。朝飯食いっぱぐれるぞ」
「はい」
葉月は急いで桶を片づけると、稽古場に向かって走り出した。