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混沌なき箱庭  作者: 天原ちづる
第4章 手痛い洗礼
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4.手痛い洗礼 2-1

 <テーラン>に拾われてからというもの、葉月の朝は早い。

元の世界でも朝稽古は欠かさなかったので、早起きは別に苦ではない。

ただ、朝から命がけの稽古をするとなると、話は別だ。

元の世界でも味わったことのない緊張感の連続に、神経も体力も削られるので大分しんどい。

葉月は稽古場と呼ばれている庭の一角で、思いっきり派手に転んだ。

ただし受け身はきちんととれたので、見た目ほどのダメージはない。

擦り傷が出来ることや服が汚れることに構わずに、そのままの勢いを利用して転がり立ち上がった。

その瞬間、ぶんっという風を切り裂く音が聞こえ、一瞬前まで葉月が居たところを拳が通る。

「逃げってばっかだとらちがあかねぇ、ぜ!」

拳を振るった男は楽しそうに笑いながら蹴りを繰り出した。

葉月はその挑発には乗らず、するりと蹴りを避け、男の斜め後ろの方へ移動する。

「せっ」

短い発声と共に脇腹に掌底を打ち込もうとしたが、男が肘打ちを繰り出してきたので後ろに下る。

避けたにも関わらず、風圧で葉月の前髪が舞い上がった。

明らかにあんな肘打ちが頭に決まったら死ぬと思えるような威力だ。

額からどっと汗が吹き出し、頬を伝った。

「オラオラオラオラァ!」

男は攻撃の手を緩めない。

葉月はそれらをするりするりと避けて行く。

まるで打ち合わせをしているかのようにするすると避けているが、もちろん打ち合わせなどしていない。

相手は手加減しているつもりのようだが、はっきり言って当たったら洒落にならないので、避ける方は必死だ。

が、いくつかの連続攻撃を避けきったが、長い脚から繰り出される蹴りを避けるのが間に合わなかった。

後ろに跳び下がりながらその蹴りを両腕で受ける。

蹴りに合わせて跳び下がったのでいくらか衝撃を和らげたはずだが、腕の骨が折れるようなしびれを感じながら、葉月はまたもや派手に吹っ飛んだ。

ごろんごろんと庭を転がって、立とうとした所で顔面に拳を突き付けられた。

何度も派手に転がったせいでほどけかけていた髪が、風圧のせいで巻き上がる。

葉月は息を荒げながら「降参です」と両手を挙げた。

葉月に拳を突き付けた男は、にっと太陽のように笑い、へたり込んでいる葉月をひょいと立ちあがらせた。

「お嬢は軽過ぎるんだ。もっと食えよ」

男は葉月のくしゃくしゃになった髪をもっとくしゃくしゃにするようにかき混ぜる。

本人は髪を整えてやっているつもりなのだろうが、その勢いではまったく整いそうにない。

鳥の巣のような頭になるのは勘弁願いたかった。

葉月は苦笑しながら、さりげなく、しかしはっきりとその手を退ける。

「タイロンさんが大食いなだけでしょう? 私は適量を食べてますよ」

「だからタイロンでいいって。そんなんだから筋肉がつかねぇんだよ」

タイロンと呼ばれた男は口を尖らせて腰に手を当てた。

二十代前半だろうが、その少年めいた表情のせいでいくらか若く見える。

葉月はちょっと困ったような表情を浮かべた。

「ただ筋肉をつければいいってもんでもないんですよ。どちらかと言えば骨格に沿った無理のない動きをする方が重要です」

「いや、筋肉は重要だろ。もちろん無駄な筋肉をつけろって言ってんじゃねぇぜ? 必要な筋肉をつけろって言ってんだ」

言っている張本人は確かに均整のとれた体をしていた。

腕は葉月の太ももくらいの太さがあるが、長身であるので不格好ではない。

決して筋肉ダルマではないのだが、脳味噌は筋肉で占められているのではないか、と葉月はこっそりひどいことを考えていた。

面倒見も気も良い人なのだが、筋肉馬鹿なのが玉に傷だ。

あと手加減が苦手なところと不器用なところと掛け算も間違えるし……と、タイロンに出来なことを思い出し、傷なのは筋肉馬鹿なところだけではなかったな、と葉月は更に失礼なことを考えていた。

それでもタイロンは<テーラン>の副長直属の部下で、葉月の戦闘面での指導役だ。

欠点は確かに多いが、侮ってよい相手ではない。

それは葉月もよく分かっていた。

それにタイロンが嫌いなわけでもない。

微妙な立場の葉月のことを“お嬢”と呼び、屈託なく接してくれる相手だ。

いくら直属の上司であるブノワから面倒をみるように言われたからといって、嫌な顔一つせずに毎朝稽古をつけてくれている。

嫌えるはずがない。

しきりに筋肉をつけることを勧めてこなければ、本当にいい人なのだ。

「必要な筋肉はついてますよ。これだけ稽古していれば必要な分は自然とつきます」

「いや、ついてねぇって。ほら見ろ、こんな細ぇじゃねぇか」

タイロンはひょいと葉月の腕を持ち上げると、自分の腕と比べて見せた。

確かにタイロンの腕と比べれば、葉月の腕は細い。

しかし、それは比べる対象が間違っているのである。

鍛えている二十代前半の男の腕と同じくらい太い十代前半の女の腕など、そうはお目にかかれない。

かかれたとしてもその腕についているのは筋肉ではなく脂肪だろう。

葉月は深いため息を隠すこともせず吐き出した。

「タイロン、ほらじゃないです、ほらじゃ。私の腕が細いんじゃなくて、タイロンの腕が太いんですよ」

「えー、細いだろ?」

「細くありません」

どちらが年上だか分からないような会話だ。

確かに中身は葉月の方が歳上なので間違ってはいないが、はたで見ている目にはちぐはぐに映るだろう。

ある意味、微笑ましい光景かも知れない。

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