3.獅子と狼 2-1
葉月が生まれた家は、いわゆる旧家と呼ばれる類の家柄だった。
その発祥は戦国時代後期。天下分け目の大合戦よりも少々前辺りだ。
どちらの陣営につくべきか迷い、はたまた自らの天下統一という野望を捨て切れず、虎視眈眈と覇権を狙う者もいる中で、諜報活動や破壊工作が出来る者が重宝された。
素破や乱破と呼ばれる者たち、いわゆる忍者だ。
忍術と呼ばれるものには体術も含まれるが、葉月の家の先祖はどちらかというと体術に秀でていたらしく、徳川幕府が太平の世を築くと武術を教えることを生業とし、現代では古武術の道場を開いている。
発祥以来、他の武術も積極的に取り入れ、太平の世もなんのそのと実戦的な武術として昇華していった道場の門弟には、財界や政界の子息も多かった。
一般的にはあまり有名ではないが、師岡流宗家といえばヤクザさえ避けて通るとまで言われている。
葉月はそんな家系の宗家の長女として生まれた。
長女とはいえ、兄も弟も妹もおり、跡取りとして期待されたわけではない。
だが師岡の家に生まれた者は男女問わず、厳しく稽古をつけられる。
今でこそ、そこそこ強くはなったが、二十年以上やっていればこれくらいにはなるだろう。むしろ、二十年以上やっていてこれだけしか強くなれなかったのは、才能がないとしか言いようがないと葉月は思っている。
師岡流は無手(武器を持たない体術)の他に、剣術、薙刀術、杖術、弓術を教えるのだが、葉月は苦手なものがなかった代わりに突出して得意なものもなかった。
宗家の人間はそれぞれをある程度やって、向き不向きを見極めて得意な道を究めるというのに、いわゆる器用貧乏であった葉月はどれも中途半端だった。
しかしそんな葉月にも活路はあったもので、武術においては覇気がないだのと見られがちだったたれ目も、駆け引きや交流には役に立った。
おっとりとしたお嬢さんに見える外見に、ぴりっとした辛さを混ぜた話術は、意外性を持って興味を引き出しやすかったのだ。
葉月は師岡家の外交担当としての地位を固め、次期当主である兄を補佐する道を選んだ。
外交担当としての地位を目指してからは、茶道や華道、書道に日本舞踊に英会話と、他のお稽古ごとに精を出してきたせいで、師岡本来の武術に関しては疎かになりがちだった。
もちろん毎朝早朝稽古に参加し、時には師範代として稽古をつけることもあったが、強さを追及することはなくなっていた。
その結果が、これだ。
寝台に横たわるジークの浅黒い肌が赤みを帯び、息は荒くて浅い。
熱が高いのだ。
太ももの傷が深いのもそうだが、無理な動きをしたせいで体中の筋肉に過負荷がかかったせいだった。
簡単に言ってしまえば筋肉痛がひどい状態だが、全身の筋肉が炎症を起こしているのだ。
自分がもっと強ければ、ジークにこのような負担をかけることはなかったはずだ。
あそこで震えて動けなかった自分が情けなくて仕方がない。
ぬるくなった布を水に浸してしぼり、またジークの額に置く。
カーサという女親分について来たことが正解かは分からない。
けれど、こうしてジークを休ませることが出来る場所を確保することが最優先だったのだ。
この決断に対しては、葉月は後悔していない。
それでも、自分がもっとしっかりしていれば、という思いが消えない。