そいれんと soylent
そいれんと
第一章 『ソイレント』Soyrent
『ソイレント』は、肉、野菜を摂らずとも、必要な栄養素を全て含んだ完全食。政府が国民に代替食糧として配給した。
有町征次は、この二〇九〇年八月二〇日 一〇〇歳を迎える。
征次が結婚した四十年前、二〇二〇年は、新型コロナウィルスの蔓延で、日本だけでなく全世界の国々が今までの経験のない混乱を招いていた。世の中の巡り会わせの悪いなか、征次(三十歳)、友子(二十九歳)は、結婚式は出来ず、お互いの両親への挨拶にとどめ、征次の実家のある東京板橋の新居で生活を始めた。そののち、結婚三年目、五年目に男子二人をもうけた。当初、生活は苦しく、不安定で不安な生活が続いた。新型コロナの流行から六年後にしてやっと新しいワクチンと新薬の力が安定し光が見え、世界は従来の活気を取り戻していった。
征次は、二〇一〇年鉄道会社JRに入社。乗務員として四十年、非現業の水素燃料電池を電源にした水素列車の研究スタッフを十年、定年七十歳まで、鉄道一筋で務め上げた。二〇六〇年の退職時には、征次の所属していた水素列車研究も実を結び、スピードのリニアモーター列車と並び二酸化炭素、無排出の水素列車の稼働率が全国70%を超えていた。二〇二〇年の新型コロナウィルスにより、日本でも会社に出社せずリモートビジネスになっていったことで、必要に迫られ、 IT、通信が急速に発達していき各部門、企業形態、生活形態が変わっていった。それをきっかけに、都市集中型から地方分散型が活発となり、力の強い企業が、合理的な方法で流れを作っていくことにより、地方の若い労働力が吸い上げられ、農業の労働者不足に拍車がかかっていくようになってしまった。農業のバイオ化が、国家事業で強力に進められてはいたが、世界一非力といわれる農業は、自然環境の悪化と人手不足問題で深刻さが増していった。二〇五〇年~二〇六〇年の日本の食糧自給率は、バイオを増産の見込んだとしても約四〇%にしか及ばず、高額な輸入に頼るしかならず、品薄と経済の疲弊を招いていた。
さらに、二〇六〇年頃からは、少子高齢化がより進み、六十五歳以上が、人口の四〇%を超えていった。六十五歳までの生産労働者が人口のわずか五十一%と減少、確実に働き手不足に陥っていった。一方、世界全体では、日本の人口減少傾向とは逆に、他国では人口増加傾向が続き、世界的には、食糧不足問題に拍車がかかっていった。
さらに、世界で異常気象、木の乱伐採、また、化学肥料、農薬の使い過ぎで地中のバクテリアが死滅により土地の干ばつ砂漠化が進行。これにより、水不足をと食糧不足を引き起こし、食肉用の穀物も不足となり、結果、タンパク源の柱となる牛、豚、鶏等の食用肉が疲弊していった。そうしたことで、人類の食糧不足のなかでも、とくに水とタンパク質の不足が深刻化していった。
二〇七〇年から現在の二〇九〇年にかけて、日本の政治では、「与党・自由党」と「野党・民主党」の二大政党制になっていた。議論されることは、食糧不足問題と少子高齢化問題は変わらず、さらに、高齢者の生活保護、福祉の限界がみえ、生活面でも行き詰まりをみせていた。そこで、大きな食糧問題の政策の一つとして、政府が『ソイレント』を配給するようになっていった。代替食品『ソイレント』の配給率は、三〇%~四〇%と徐々に上がっていった。
だが、選挙のたびに与野党がひっくり返り安定せず、なかなか国民の要望に応えることができていないのが現実。選挙のために、政治家が、高齢社会での票を意識して、老人の関心を惹こうと、言葉だけの甘い政策を示し、実際には、国民に寄り添うことができておらず、より国民の生活にきしみが出てきていた。
第二章 一〇〇歳尊厳死法案
二〇六〇年頃からIPS細胞での医学の進歩で、平均寿命も一〇〇歳を超え、一二〇歳の時代となっていった。二〇八〇年、政府は、事態を直視し、これらの問題は、甘いこと言っていられないと国民に訴えかけた。若い生命と社会生活の明日への繁栄のため、国民生活の安定と充足を守るため・・・・・社会への奉仕に限界を迎えている老人。その年齢を一〇〇歳と定めて、本人の意思を尊重し、尊厳を持って尊厳死を提示した。
尊厳死法案には、一〇〇歳と一〇〇歳以下の対象者が二種類ある。
一〇〇歳の実施方法は、一〇〇歳の誕生日以後、本人の希望する日に尊厳死を実施する。政府から前もって九十五歳から一〇〇歳までの間、年一回(計五回)にわたり、本人の希望する実施方法のアンケートが届き、意思確認が行われる。もう一方の一〇〇歳以下の対象者は、身体の病気、社会生活、人間生活の不都合により生存を求めない人で尊厳死を希望する者に対して行われる。一〇〇歳と同じように、アンケートで意思確認をしていくほかに、人生コンピューターの判定を受ける。そのコンピューターは、人間と社会の結びつきの限界、人類を守る判断をする。その判定を持って、判定後十日以内にさらに、自分の意思で生存、尊厳死かの意思確認を行い決定する。
日本で行う尊厳死については世界でも注目を集めていた。
一〇〇歳と一〇〇歳以下の二種類の尊厳死についての『一〇〇歳尊厳死法案』として、国民投票で決定することとし、二〇八四年、国会議事員三分の二以上、国民投票過半数の賛成で可決された。
第三章 九十五歳からのアンケート
征次は、九十五歳ではじめてアンケートを受け取った時は、自分には関係ないことのように感じていた。九十九歳になった征次が、最後のアンケートを受け取った時、そこで初めてそのアンケートをよく見た。
そのアンケートには、
「現在の社会が大きく増加する高齢者を補助する力の限界を訴え、姥捨て山法案と一部から非難を受けていたが、国民投票で決定した『一〇〇歳尊厳死法案』一〇〇歳という年齢に達した国民に旅に出てもらい、社会の負担を軽くし、次世代への献体の承諾を求め、現代を維持したい。また、旅にでるにあたり、詳しく希望を伺い、幸福な気持ちで旅立って欲しい。そのためのアンケートです。」と政府からのメッセージが記されていた。
そのアンケートには、夢や現実を細かく質問がつらなっていた。
征次は、アンケートを見ながら自分の人生を振り返って考えて見た。
父の有町征光は、的屋の頭として、数人の若い衆を抱えていて全国を飛び回り、家を空けていることが多かった。だから、度々ほかの土地に移り住むこともあった。また常に、母、千代子が、子供二人 兄の征一と征次とで東京の板橋に居を構え、留守を守った。父が地元に戻り、仕事の時は、母も一緒に手伝った。不安定な生活だったが、二人は、仲が良く子供達にも温かった。父は、無愛想だが、母がそれをカバーしてあまり余り有る明るさで、家族を大きく包んでくれた。そんな両親を子供達も信頼していた。
両親は、自分達の不安定で特殊な生活だったこともあり、将来、子供達には、社会的にも経済的にも安定した普通の生活をして欲しいと思っていた。そんなことから、両親は、二人に堅い道の仕事に進むように願っていた。兄 征一には、大学を出て、公務員に就いて欲しいと願った。父自身がポッポ屋(鉄道員)に成りたかったこともあって、征次には、鉄道の高専を出て、JRに就職して欲しいと願った。父 征光は、子供二人の進路は、いつものように子供の意見など聞く耳持たずで決まっていた。父は、母には「嫌ならいつでも、自分で自分の行く道を変えればいいんだから!」と言っていたらしい。しかし、兄 征一と征次は、何の違和感もなく、両親の希望通りの道に進んでいった。
兄 征一は、温厚で成績もよく、大学を出て公務員となり独立。そして、両親の家の隣に家を建て、両親のことも気にかけてよく見て、征次に何の心配も負担もかけさせなかった。
一方、征次の方は、兄のようにはいかず、親には、面倒を幾つかかけた。その中の一つが、父親譲りの一本気なところで起こったことだ。
征次が、高校二年の時、自分の学校の生徒が、他校の『悪』の何人かに金を巻き上げられたことをきっかけに、報復合戦になった。お互いの番長同士で「こんなことをやっているんじゃ、埒が明かない」と話し合いとなった結果、翌日の夕方、お互いの学校のちょうど中間にある大きな寺の重林寺の境内で決着をつけることになった。人数は、十人と決められた。背は低いが、プロレスラーのような体格の番長市瀬龍一は、すぐに腕に覚えのある幾つかの運動部を周り、猛者十人を選んだ。柔道部には、田村守と征次に声が掛かった。二人は、他のことは何も考えず即加わると返事をした。そして、約束の日の夕方がやってきた。仲間は、丸太や棒を持っていたが、征次と守は、何も持たずに頭を守るために、野球帽を被った。そして、十人が一団となって小走りで重林寺の境内に向かった。大きな木々に囲まれた境内に着くと車と大きなバイクが数台止めてあり、境内へ入ると、やはり、棒や丸太を持った数人とチェーンを持った二人が目に入った。全員ヘルメットを被っていた。明らかに十人以上だ。征次は、守に「チェーンのやつを先にやるぞ!」と声を掛けた。「やっちまえーーー!」市瀬の大きな声で、征次と守は、チェーンの二人に突進した。チェーンを振り回すのを掻い潜り(かいくぐり)腕を掴み投げ飛ばし、その腕を決めて関節をはずした。「痛たたっ!」「痛たたっ!」と二人は、転げ廻った。その時、征次の後から肩の辺を棒で一撃をくった。棒は、二つに折れて飛んで行った。征次は、振向きざま衿を掴んで足をはらった。その後は・・ゴンと鈍い音がして、後頭部を直に地面に打って、足を伸ばしたまま失神した。番長の市瀬も素手で相手の親玉に立ち向かい、軽く打ちのめした。その時、”ウーー、ウーーー“とサイレンを鳴らしながらパトカーが何台か止まり、「やめろ!やめろ!」と大声で叫びながら警察官がなだれ込んできた。近所の人が、通報したようだ。闘いは、ここで終わった。全員警察へ補導された。次の日の新聞の地元欄の見出しに『重林寺の境内で高校生三十人の大乱闘』と掲載された。番長の市瀬は、責任をとって退学となった。市瀬は、校長に「他の者は、自分が無理に連れて行ったので、処分は、自分だけにしてくれ」と土下座したと後から聞いた。”市瀬という人物は、他の世界で生きていくやつだな“と征次は思った。柔道部から加勢した征次と守は、学校から両親共に呼び出され注意を受けた。田村守は、片親で母親が愛知県豊橋で生活していたため、東京の伯父さん夫婦に預けられていた。呼び出された伯父さん夫婦は、神妙な面持ちで征次の両親と一緒に頭を下げた。家に帰って、征次の父は、何も言わなかった、母は、「田村くんも、おまえも怪我がなくて本当によかった」続けて「あの話の内容じゃ、引っ込むわけにゃいかないよね。あんた、やっぱ、強いね!」「若いころのお父ちゃん思い出したよ」とご機嫌に笑った。
その後・・・父は、七十五歳、母は八十五歳、そして兄は、九十七歳で他界した。
時がたっているのだなと三人の顔を想い浮かべた
アンケートの文面をもう一度、気を入れて見た・・・
何も迷いなく結論がでているのに自分でも驚いた。
関わった親から始まり、友人、妻、子、孫、ひ孫 に幸せだったことを感謝し、自分がこれほどまで永く生きられると思ってもいなかった。自分の周りもいろいろと皆居なくなってしまったし・・もう充分ということ・・
自分に今、何かに貢献できることがあるとすれば、身を挺して捧げたいと思った。
アンケートに答える
意思確認
一〇〇歳での尊厳死を受け入れることを承知する。
後生、次世代に使うことができる臓器の提供を承知する。
併せて、役に立てることを全て承知する。
再現体感希望について見たい、感じたいもの
二〇〇〇年代、少年時代の地球の山、川、丘の自然の風景。
自然をテーマのクラッシック音楽。
海の夏の音楽。
妻、ガールフレンドとの初めての出会い
親しかった友人との厳しく美しかった登山の感激
数少ない親孝行
子供、孫との楽しかった野球観戦
仕事のデビュー
二十歳の夏休み
二〇九〇年 八月二十日 有町征次
承諾の意志確認と再現体感希望を記して征次は返送した。
第四章 旅立ちの前日
旅立ちの日は、二〇九〇年八月三十日 と本人の意志により
決めた。
時は瞬く間に過ぎ その前日となった。
その日は、家族みんなで、お別れの会を開いてくれた。妻 友子は、すでに五年前に見送った。いつものお正月のお祝いで集まるのと同じように、有町征次一〇〇歳、長男 要六十五歳、長女 木原友美六十七歳と各連れ合い二人と孫四人、ひ孫四人。大勢で賑やかに、ご馳走の御膳を囲んだ。
宴は進み、最後に孫、ひ孫の八人で、どこで覚えたのか『青春時代』『北国の春』など懐かしい歌を何曲も歌ってくれた。
つい感激して泣いてしまった。
これからも皆をずっと見ていたい。そんな気持ちで心が揺れて、震えた。
“ハッ ”と征次は、気を取り直し、固い意志に迷いがないことを自分に言い聞かせた。
第五章 旅立ちの日
前日の家族との楽しい宴を過ごし、身の回りの整理を確認し、入所の日を迎えた。
二〇九〇年八月三十日。自分で決めた日だ。
国の定めた施設『安住の森』は、各都道府県の主要地に設けられている。東京都は、都下の自然の名残の山の中に配置され、所在地は、公には、伏せている。大きなドーム型の建物だ。
入所日を迎える日に、『安住の森』の係りの者が、自宅まで迎えにきて、『安住の森』のドームの入口まで車で案内される。
ドームの中に入るとホテルのロビーのような雰囲気だった。征次のように、自力で普通に歩いている人、車椅子で進む人、杖を使う人、何人かは担架に乗って入所する人もいた。フロアーのゆったりしたソファに腰かけ、書類の確認を受けた。
「有町征次さんですね」改めて、本人確認が行われた。
『一〇〇歳の年齢による法的コース』
『一〇〇歳以下の各種段階チェックを通った人のコース』
それぞれのコース別に、『一〇〇歳の年齢による法的コース』は、薄いグリーンの作務衣。『一〇〇歳以下の各種段階チェックを通った人のコース』は、ブルーの作務衣が渡された。
征次は用意されたグリーンの作務衣に着替え、また、履物を替えた。着衣も履物も自分にぴったりの物で着心地もよく、気分もよかった。係員の誘導で進んでいくと、入口に近づいた。入口前の大きな球体のような設備のところまできた。一方の『一〇〇歳以下の各種段階チェックを通った人のコース』は、この大きな球体には入らず直接大きな入口に向かった。征次は、球体の室へ促され入った。中央部分にベッドがあり、ベッドを囲むように幾つものライトが並んでいた。
征次は、係りの者が「ベッドに横になり、リラックスしてください」と手を添えてくれて横になった。その後、二人の係りの者は、室の外へ出て行った。ドアが閉まり、征次は、球体の室に一人になった・・
どこからか、優しい声で「リラックスできていますか?・・・・これから、特殊な光線を数十秒放射します。あなたの身体の痛いところ、不都合のあるところ、元気な頃のように回復します。危険なことは、何もありません。身体が気持ちよく温かくなります」と告げられた。
しばらくして、落ち着いてきた頃、周りの幾つものライトが一斉に点灯された。レッド、オレンジ、ブルー、グリーンと色々な光の光線が放射された。目隠しも何もしないのに強い光も全く眩しくなく、
身体全体がポカポカと気持ちよい温かさを感じた。四十秒位経つと“スッ ”と消えた。
また、優しい声がして「はい、終わりました。今までの身体の中で悪かったところが、回復しています。気を付けてご自分でベッドから降りて、次に進んでください」
征次は、ベッドから降り、出口をでると目の前は、きれいな森の入口になっていた。
鳥のさえずりが聞こえ、花のよい香りもしてきた。先の方を見ると綺麗な草花の咲いた小道が続いていた。散歩しているように進んだ。気が付けば、永年悩んでいた膝の痛みはなく、目のかすみも取れて、小道の脇の草や花もくっきり見え、身体も気分もすっきりしていた。小道を進んで行くと前に微かに何人かの人が見える。顔がかすかに見える間隔まで近づくとあの二人は、確か車椅子で移動していた人だ。気持ちよさそうに歩いている。不思議なことに一人一人の間隔は、一定に保たれていて、早足で歩いてみたが、追いつかなかった。それぞれが、自分の満足する時間を自分の力で、気分よく森の綺麗な小道を散歩しながら進んで行く・・・・
目の前に小さな家が数軒見えてきた。前を行く人が、次々と決まっているように小さな家のなかに入っていくのが見えた。
征次も自分が何も考えていないのに、迷いなく一軒の小さな家に吸い込まれるように入っていった。家の中では、綺麗な色の服を身に着けた女性が待っていて「どうぞ」と広間中央にある椅子を勧めてくれた。
征次は椅子に座った途端、意識が薄れてきた。「次はどうなるのだろうか?」と思いつつ意識を失った。壁の向こう側から大きなベッドが出てきて、中央の椅子に合体するように組み込まれた。そして、座っていた征次を自動的にベッドに横たわらせた。きっと、他の家にそれぞれに入っていった人達も同じように進められているのであろう。ベッドに寝かされた人は、夢の中にいるように、身体の力は抜けて何の不安もなく気持ちよい雲の上に浮いているような気分だ。続いて天井から音もなく、頭脳記憶感知器が降りてきて、ベッドに横になっている征次の上半身を覆うようにセットされた。
第六章 自然とのふれあい・・シンフォニー田園
征次は、安らぎのなかで、目の前全体に青い光が差し、何もない静寂な時間が数秒訪れた。
突然、せせらぎと静かなクラッシックメロディーが流れた。征次の好きなベートーベンの田園だ。
山の清流の小川が目の前に表れ、川辺の水に濡れた小石を踏み締めながら歩いている自分が見えた。小川の周りには、緑に包まれた木々、濃い緑の葉が覆い、大きな赤い花、そして、生きいきとした白い山ユリの花、清々しい香りを含んだ風がそよいでいた。
メロディーの中に、ナインチンゲール、ウズラ、カッコーの鳴き声も聞こえ、メロディーは、だんだん大きく響き、草木の緑の中の黄色、白色、赤色、ピンク、色々な小さな花が花畑のようになり、明るい光と共に征次の心のなかにしみ込んできた。
気持ちのよい草原の小道が続き、自分の満足のいく時間を散歩するように進むと、なだらかな昇り坂となり、眺めの良い丘の中腹に差し掛かった。
道が二手に分かれていて引き寄せられるように、右の道を進んだ。先の方に丸太を組んだような家が見えてきた。近づくと沢山の実をつけている柿の木や四方に広がる枝の葉の影に何か動くものが見えた。
よく見ると黒と白茶のトラ柄のネコ、茶柄の三毛ネコが数匹楽しそうに遊んでいた。もう一度、庭をよく見ると、黒、茶柄の中型の犬が三匹のんびり寝転んでいた。
征次が近づいたのを察知すると待っていたかのように数匹のネコと犬が一斉に駆け寄ってきた。予想もしていなかった出来事に征次は、びっくりしながら、みんなの顔をみた。「なんだ!おまえニャンじゃないか?!おお!ゆっぴ!タケ!ミイ!」ネコの名前を次々と呼んだ。
そして、パブ、クロ、メリ飼っていた犬たちそれぞれと顔を合わせて、うれし涙を流し、しっかり抱きしめた。征次との大事な時間を過ごした皆と会えるなんて思ってもいなかった出来事に感激した。スリスリやゴロゴロされながら家の中へ入っていった。
家の中を見渡すと、それぞれの居場所がきまっているようだ。四方に段を組んだ居心地の良さそうなそれぞれの箱ベッドがネコたちの居場所。丸太を削り合わせた厚い木の床に気に入ったそれぞれの毛布が敷かれているところが犬たちの居場所。
皆、幸福そうだ。窓の傍の大きな椅子に征次は座り、もう一度、皆を見渡した。かけがいのない満足した気分になった。
窓から見える草原のかなたの山の方から、
強い青い光が差し、何もない静寂な時間が訪れた・・・・・・
第七章 仕事のデビュー
突然、大きな窓から後へどんどん景色が
飛んでいく場面になった・・・・・
今までとは全く違う現実に引き戻された
ようだ。
征次は、直ぐにそれが何かわかった。
シャーーーーという走行音。
電車の最後部の乗務員室から見える列車の
レールが何本も並び、周りの建物が
どんどん後に飛んでいく場面だ。
征次が、JRの乗務員、車掌として
中央線快速電車、東京行の通勤時間帯に
初めて乗車した日だ。
ゴトゴト!ギッギッ!軋みながら、揺れて後に飛ぶ景色が変わり、後に流れていくレールの数が横に何組も急に増え、広がり、線路の切り替わり部分に入った。また、ゴトゴト!ギッギッ!と軋み揺れた。新宿駅の構内が近づいたことがわかった。
すぐに、放送マイクを取り「間もなく新宿です。お降りの方ご用意ください。間もなく新宿です」列車右側のドア窓を下ろし、外に顔を出し、駅場内信号機の表示を確認するため前方を見た。電車は右カーブを切りながら、駅構内へ進んでいる。最後部の車掌室から前方を見ると、オレンジ色の車体の十両の編成が右カーブで弓なりになり、先頭の車両まで全車両が、玩具のように見える。先頭車両の左上に、新宿のビル街と重なるように、場内信号機が見え、青を確認。進入OKだ。「場内進行!」と称呼した。進入する前方のホームには、あふれんばかりの人並が見えてきた。電車は、ブレーキがかかり、スピードを緩めながら、ギッシリと人が居並ぶホームに滑り込んでいき、停車した。電車の最後部が、ホーム足元にある停止位置の標で停まった。確認して「停止位置オーライ!」と指差称呼した。そして、車掌スイッチを操作してドアを開けた。
「新宿~」「新宿~」駅ホームの放送がけたたましい。「東京行です。乗り降り押し合わず、順序良くお願いします」「間もなく発車となります」「ご乗車の方、順序よくお乗りください」「東京行です!」強い音声で駅の放送が続き、こぼれるほどの乗客が
怒涛のように乗り降りが続いた。
ラッシュ時間帯は、電車の運行間隔二分三十秒
ヘッドだ。二分三十秒間隔で次々と電車が来る。
世界に誇る日本の超過密ダイヤだ。
車掌は、到着してドアを開けホームに降り、すぐに
横に設置されているホームベルを押して出発を乗客に
知らせる流れになっている。
この電車が出発できるかは、出発信号で確認できる。
出発信号機が、赤以外は、青は勿論、オレンジでも
出発可能だ。オレンジの表示の時は、前に電車が
詰まっていることがわかる。
ホーム到着後、列車の最後部にいる車掌から出発信号
が見えにくく、確認できないことも考え、車掌がすぐ
見える位置にレピーターという出発反応標識が設置されている。レピーターは、小さな白色灯で、出発信号が赤以外の出発可能の表示の時、白色灯が点灯して知らせる。
征次は、「レピータ―点灯」と指差称呼して確認。ホームベルを止めて、車掌スイッチを操作し、ドアを閉めた。ドアが閉まると各車両の中央上にある赤ランプの側灯が消えてその車両のドアが全部閉まったことがわかる。前方を見ると何か所も赤ランプが点いていて、閉まり切れていないことがわかる。何人もの駅員が飛んで行き、乗客を車内に押し込み、全部の車両の側灯が消えた。「側灯!滅!」と指差称呼し電車は動きだし、車掌室に乗り込んだ
運転手は、全部のドアが閉まったことを目の前の計器の中心にある小さな白色灯、パイロットランプの点灯で確認する。
そして、出発信号の青を確認「出発進行!」と指差称呼し、電車を発車させる。ホームのこぼれんばかりの人並を電車はすり抜けていく。スピードがどんどん上がり、ホームの客と走っていく電車の危険な接触がないように、前方を監視しながら常にいつなんどきかの非常時に急停止させるために、電磁車掌弁に左手を添えてすぐ可動できるように態勢をとりながら、ずらっと各ポジションの駅員に右手で敬礼しながら走り抜けていく。後方を振り返り、ホームとレールの状態を確認「後方、オーライ!と指差称呼。
一つの駅の車掌の客扱いが、終わり新宿駅を後にした。
二十一歳の初めての乗務は、ちょっと足がフワフワし、緊張と嬉しさ、なんだか、初めてビールを飲んだ時の味のような気分だった。
何も疑うこともない若さが、満ち溢れていた。
第八章 数少ない親孝行
新宿駅のホームを走り抜け、あふれる人並のホームが遠くなり、後方へ飛んで行く景色から、綺麗な一条の青い光が見え、静寂な数秒が流れた。
今度は、小さな室にいる自分が見えた・・
自分が座っている前には、事務机、放送用のマイクと設備、自分の持ってきた乗務に必要なものが入った胴乱カバンがあった。その胴乱カバンの中には、車内補充券、運賃料金の早見冊子、列車ダイヤ、各種マニュアルまとめ等がはいっていた。
前にある小さな鏡に映る自分を見て、征次は、あ、あの時だ!と思った。
征次が、憧れの東京車掌区の専務車掌となり、唯一の親孝行で、両親に伊豆へ旅行してもらった日のことだった。憧れの麻の制服。左腕には、乗客専務と刺繍されている赤い腕章をしていた。征次は、ゆったり座り、マイクをとった。列車の車内放送音量を確かめるため、車掌室のドアを少し開けて放送を始めた。まずは、チャイムが流れる・・・
♪♪♪・・汽笛一声新橋を早や我が汽車は、離れたり・・♪♪鉄道唱歌のチャイムが流れた。
「おまたせをしております。十時ちょうどの発車。特急踊り子七号、伊豆急下田行です。四号車、五号車、赤いシートに白いカバーの掛かっている車両がグリーン車です。お間違えがないように御利用ください。停車駅、到着時間は、後ほどご案内致します。発車までしばらくお待ちください」発車前の案内放送で音量がちょうど良いことを確認した。
征次は、四号車の専務車掌室を出て、車両中ほどの座席に向かった。そこには、両親が仲良く座っていた。征次は「ゆっくり行ってきてね」とお茶を渡した。「後でお弁当も持ってこさせるからね」と声を掛けた。あまり笑ったことのない親父が、照れたように笑った。母親は、征次の姿を見て涙ぐんだ。
格好の良いところをみせられてよかった・・・唯一できた親孝行だった。
親父、おふくろ、ありがとう。
二十八歳東京最年少専務車掌、征次の胸が熱くなり、心地よかった。
第九章 親しかった友人との厳しく美しかった登山の感激
専務室へ戻り、室のドアを開けた途端・・・・
征次の全身に、青い軟らかい光があたり静かな時が流れた・・
足元からビュービューと雨と霧が吹きあげた。目の前が見えない。切戸の岩にしがみつきながら、足元に全意識を集中していた。
お互いの声で、それぞれ位置の確認をとりながら、気合いを入れゆっくり進んだ。先輩の花井満さんと行った北アルプス・槍ヶ岳・穂高岳縦走しているところだった。厳しい天候のなか、北岳三〇九二mを登頂した。前を行く数名の登山者の中で転落事故が起こり、自分達も大きくペースとリズムを崩した。「どんな状況でも山小屋は、受け入れてくれる」と花井さんは、自分と征次に言い聞かせて、厳しい暗闇を弛まず前進した。そして、深夜になって、山小屋にやっと着いた。深夜なのに、山小屋では、温かく迎え入れてくれ、温かいスープを振る舞ってくれた。二人は無事を喜び合い、疲れ果てた身体を布団に潜り込ませた。
翌朝、厳しかった山を下り、やわらかい日差しのなか、清流梓川の畔でフランスパンをかじりながらコーヒーを淹れ、二人で笑いながら、道のりを思い返した。
二十二歳の青春だった。
梓川のせせらぎが聞こえる・・・・
第十章 子供、孫とのふれあい。楽しい野球観戦
梓川の静かなせせらぎから・・・・
突如大きな歓声が聞こえてきた。観客五万人収容、大きな神宮ドーム球場の大観衆の中にいた。その日は、アメリカチームのスカイラッキーズ 対 ブルーソックスだ。
ちょうど征次が七十歳の定年を迎えた二〇六〇年に、JRがヤクルトスワローズを買収し、プロ野球に参入した。日本のプロ野球も様変わりし、外国人のみチームが、アメリカの他のオールアジアのレッドスターズの二つの球団が加わり、十四球団でペナントレースを戦っていた。
定年から十年たち、その日は、征次八十歳の誕生日。前日には、子供達に傘寿を祝ってもらった。連日かけて楽しみの連続だった。征次の息子の要 四十五歳、孫の要治 八歳、孫の征治 六歳、そして征次の四人で、JRの応援の三塁側スタンドに並んで座った。野球観戦は、JR入社以来、ずっとかけがいのない楽しみだった。
孫の要冶と征次が大ファンのJRブルーソックスの東上三四郎の魔球「シロ―ボール」は、大人気だ。
東上三四郎は、プロテストから入団し抜群の活躍だった。ナックルとパームボールを組み合わせた投球。その投球は、ボールが回転しないでホームベース手前で沈み、
バッターからは、ボールが消えてしまう魔球だった。
東上三四郎は、これまで八勝あげて、今年の新人王候補だった。
午後六時、プレイボールがかかり、先発の三四郎が、一回からアメリカスカイラッキーズの大きな打者からバタバタ三振をとった。要冶と征冶は、大喜びだ。
皆ホットドックを頬張り、息子要と飲むビールがうまかった。世の中の生活形態も変わり、食生活では、代用食『ソイレント』の割合が増えてきた。しかし、野球観戦の時だけは、絶対自然食にこだわり、わがままに食を楽しんだ。政府も娯楽の代表である野球観戦や公営競技などの“食”の楽しみについては、寛容だった。
昔ながらのルール、グランド状況で行われている野球は、人々の心を癒し、一番の人気を保ち、その日も大観衆が詰めかけていた。
征次は、改めて大観衆のスタンドを見渡した。
グランドでは、カクテル光線で浮き出たマウンドに、JRブルーソックスの背番号34の三四郎が、力強いピッチングをしていた。目の覚めるようなストレートと魔球シロ―ボールを操り、無得点に抑えて、そして、JRブルーソックスの攻撃では、三四郎自らのタイムリーヒットなどで三得点して後半戦に入った。
グリーンの芝、アンツーカーの赤土の鮮やかなグランド、そして熱の入ったプレーで大観衆が一体となった。
征次は、子供達と夢中で声援を送った。
ふと、見上げると神宮ドーム球場の開閉式の屋根がゆっくり開いていき・・・・・
暗い夜空が見えてきた。
夜空は、ますます広がり、キラキラと星が散らばり輝いていた。
第十一章 妻・ガールフレンドとの出会い
散らばった星がパラパラと雨になって降ってきた・・・
降りはだんだん、強くなり、秋の冷たい雨になっていった。
町中は雨のなか、電車から降りて改札口に向かう高校生の征次の姿が見えた。中学・高校時代移り住んだ埼玉県川口市、駅の大きさに似合わない小さな川口駅の改札口を出た。傘を持たない征次は、雨空を見上げた。家まで駆けて帰ろうとしたが、強い雨に躊躇して立ち止まった。その時、「有町くん!」と声がかかり、振り返ると、そこには、きちんとした黒っぽい制服の背の高い女学生が立っていた。中学時代の同級生の新木友子だとすぐわかった。中学以来の友子は、制服がすごく似合っていて綺麗な女性になっていた。賢く、少し近寄りがたい友子に、征次は、一気に緊張してきたのを自身でわかった。そんな征次に、友子は、「私、傘持っているから、一緒に帰ろ。」と優しく笑いながら言ってくれた。「寄り道になるけどいいの?」と征次はやっと言った。友子は、何も言わず「ハイ!」と傘を差し出し、二人は雨のなかへ肩を並べて歩き出した。友子は、優しいきれいな声で卒業以来のことを話しながら、征次のことも上手に聞き出し、優しい笑顔でじっと見た。雨のなかの不思議な友子との再会は、短い時間が、大きくふくらみ、征次の心は温かく満たされた。
人生の不思議な出会い。
十七歳の雨の日だった。
水色の雨音が、コツコツと硬いハイヒールの靴音になり、周りの大勢の足音と混ざり合った。
夏の日のまだむし暑さが残る夕方。帰宅を急ぐ人々の雑踏のなか、十九歳の征次は、東京駅の丸の内、東口改札から少し離れた場所で、行きかう人を見ていた。大勢の人の中から、赤っぽい服の小柄な色の黒い女性が、征次に向かって走ってきた。丸顔で健康な白い歯で笑い、こぼれおちる笑顔が印象的な中川知美だ。小学校以来だから、七年ぶりだった。征次が、小学校六年で転校してきた時、新しいクラスで優しく、親切にしてくれた子だ。
二人は、八重洲口に移り喫茶店で向き合った。征次は、大好きなコーラ。知美は、クリームソーダを注文した。「自分へのご褒美の時に飲むの」と楽しそうに言った。知美の服は、赤っぽい服に見えたが、赤い水玉模様のワンピースだった。肌の黒さによく似合って赤が目に染みた。若さと笑顔に見とれている征次に、「今日は突然連絡なんかしてごめんね。三日前に海に行ってきたの。黒いでしょ」から始まり、次々に出る色々な話、征次は、清々しい気分で聞いていた。
おしゃれな喫茶店の静かな音楽が、急にビートの効いた夏の音楽に変わり、眩しい夏の光が二人を包んだ・・・
ザザザーザザザー、次々に打ち寄せる波。真っ青な空、熱い太陽、白い雲、夏の海のサウンドが広がる。海を楽しむ人が砂浜に溢れ、大勢の人達に溶け込んで、パラソルの下二人で並んで海を見ていた。大好きなコーラを二人で飲みながら、知美の作ってくれたおにぎりを頬張りながら、二人で笑いながら話をしていた。
ビートのリズムと波の音が心地よく続き、青春の熱い時間が過ぎていった。
第十二章 二十歳の夏休み
真っ暗の中に豆電球がキラキラ色とりどりに散らばり、ブルーと白地に綺麗な絵が施された店が、ライトで照らしだされた。
五階建のマンションの一階部にブルーと白の色あいに、雨から晴れに流れる空模様の絵を施した店『スナック・レイン』があった。田村 守の母、若い頃夫と死別、一人息子の守を育てながら、苦労して自分の道を切り開いた。彼女は、『スナック・レイン』の店の切り盛り、マンションの運用と能力を発揮していた。守をはじめ、従業員の何人かは、このマンションで生活していた。通いのホステスさんと合わせて従業員十五人になるこの辺りでは大きな店だ。守は、高校卒業後、豊橋に戻り、鉄道系列のデパートに勤めながら店を手伝っていた。
征次は、高校一年の夏以来、数日とはいえ、豊橋を毎年訪れていた。征次にとってこの場所は、第二の我が家となっていた。店の人やホステスさん達からは、『ハンサムくん』そのうち『サムくん』の略称で呼ばれ、かわいがられていた。守のマンションの部屋の隣には、古手のホステスのヒトミさんが住んでいて、その部屋に、六十歳前後の初老で立派な体格の人が生活していた。もう半年も居候しているようだ。東京の名のある靴の販売センターを何件も経営していた社長で、不測の事態と他人の裏切りで倒産に追い込まれたということだ。全てを捨てて隠れているのだという。征次は、彼がどんな失敗をしたのか、その場合人間がどうなるのか、興味があった。反面、ただ弱ってしょぼくれた人に気の毒で会いたくないとも思った。最終的に、ここにいる間は、会わないようにと願っていたが・・ある日・・・・・・
守と店の用事で部屋を出たところで、エレベーターから降りてきたヒトミさんと一緒の二人にバッタリ会ってしまった。征次に向かって「おお!君がハンサムくんか!ヒトミから聞いているよ。その
身体は、強そうだな!ハンサムだし白い靴もいいね!」「君のブルーの靴もいいね!」と守にも言った。「二人の若さ少しでもいいからくれや!」と一気にしゃべった。その様子は、みじめで、辛い、自分の立場を少しも感じさせず、堂々としていた。「今度部屋へ来いよ!ゆっくり話したいよ」とこちらは何も言えないほどの勢いで話して、すれ違った。“一瞬なのに人の足元まで見て、靴の品定めまでするところは、やっぱり靴の会社の社長にまでのし上がった人だ”とエネルギーを感じた。征次にとって新しい人種だった。その後は、二度と会うことはなかった。守とは、この出来事の後、『単機おやじ』と呼んで話によくでてきた。※単機=事情で機関車が引っ張っている後の列車を放し、機関車だけで運転するその機関車のこと。
ヒトミさんの話では、「元気のない日もあるのよ。そういう時は、あなた達二人が仕事や遊んでいるところを遠くからジッと見ていたわ。何かを感じ取ろうとしていたのね。」と後から聞いた。
それから数年たった頃、守の元へブルーのシューズと真っ白なスポーツシューズが、何のメモなしで贈られてきた。足のサイズも二人にピッタリな二足だった。
先頭の機関車が列車を引っ張り走り去る轟きが・・・・
再びビートのリズムになり心地よく聞こえる・・・・・・・
ビートのサウンドが、カーラジオの軽快なリズムに変わった・・
守が、あの高校時代の乱闘の時の話をしながら、真っ暗な深夜の丘陵の道をライトたよりに走っていた。助手席の征次は、ちょっと睡魔に襲われながら、守の話をきいていた。
後部座席の女の子二人は、店がハネた後の安心感で眠っていた。二人は、スナックの通いのホステスさんだ。守は、ホステスさん達を順々に彼女たちの住まいへ送り届けていた。店へ二度トンボ返りした後、一番遠方に住んでいる二人を送っているところだった。
二十歳の征次は、この年も守との五日間の夏休みを楽しんでいた。昼は、豊橋から近い蒲郡西浦パームビーチの綺麗な砂浜と海で遊んだ。海には珍しい温泉もあり、その温泉に浸かった。征次が毎年豊橋に来ていることもあり、守の友達とも馴染で一緒に魚を採り食べて最高の時間を過ごしていた。夜は、別世界のきらびやかな店の手伝いと、征次にとって夢のような夏休みだった。
丘陵を二つ越え、もうすぐ隣の町に入っていくところで、守が急に話を止めて
「征ちゃん、後。さっきから、ついてくる車があるんよ」とポツリ言った。続けて「ここんとこ、悪いのがでるらしくて、やられるのが大分いるんよ」征次は、眠気が一気に覚めて、ちょっと緊張してきた。「いつでもいいぞ」征次は、守に言った。後から来る車は、急にスピードを上げてきて、自分達の車を追い抜いた。そして、左前の方へぶつかるように止まった。後の席の女の子達も異常に気付き、不安そうな顔で征次を見た。征次は、「大丈夫だからね。ドアをロックして絶対に外に出ないでね」と優しく言った。守も征次もドアをロックした。
前の車からは、チンピラ風な二人が降りてきて、運転席の窓のところで、うすら笑いをしながら、手招きをしていた。無言でいると、突然大声で「こら!!開けろ、ボケ!!」「窓蹴り壊すぞ!!」征次と守は、じっと我慢していた。征次が「やってしまおうか」と静かに言うと、守も「そうやな」と二人目を合わせた。「始め怖がっているように見せ、近づいて、一発で決めるぜ!」征次の言葉に守は頷き、ドアのロックを外した。
二人は、両側から外に出た。チンピラ二人は、細身で死んだような目をしていた。
守は「すみません、勘弁してください」と弱腰で一人に近づいた。もう一人が「よお!お前、なかに女いるだろ!」と叫ぶように言った。征次が「金なら出します。勘弁してください」と近づいた征次が「守行くぜ!!」の合図で二人の男の両足に両足タックルをかました。不意をつかれた二人は、両足をすくわれ、仰向けに後頭部から地面に叩きつけられた。二人は、素早い動きで、守は、腕の関節を決め、征次は、首への絞めで失神させた。腕を捩じり上げられた一人は、青い顔で「勘・弁・・してください」とやっと言った。
その時、丘の向こうからパトカーがサイレンを鳴らしながら、走ってくるライトが見えた。車の中の女の子達が連絡してくれたようだ。
怖かったが、久々の真剣勝負だった。
帰りの車でカーラジオの音楽を聞きながら、守との友情が、また、深くなったなと思った・・・・
親友 田村 守は、その後、病に倒れ四年後、
二十四歳の若さで信じられない別れとなった。
第十三章 静かな満足の眠り
カーラジオから流れてくる音楽が消え・・・・
ザザザーザザザー打ち寄せる波の音だけになった。
大好きだった中川知美、彼女の強く重くなってくる愛情と自分の力の無さで受け止められず、一方的に別れを告げてしまった。悲しみと安堵の複雑な心境で、征次は、一人、海の彼方を見ていた。
“今、二十一歳一度しかないこの時を自分の道を見つけよう”
“仕事に打ち込もう”
波の音を聞きながら、決心した大人への自立の日だ。
なんでこんな場面が出てくるんだろう・・
征次は、次々に出てきた場面と合わせて思い返した。
・・・・・・もう・・・・・いいナ・・・・静かに思った。もう充分だ・・・
先に行った色々な人達を思い出し、自分は、長過ぎたのかもしれない・・・
満足な気持ちで一杯になった・・・・
征次の全身に太陽の色の光があたり温かく、心地よい、静かな眠りについた・・・・・
それぞれの人が、自分の思い通りの時間を使い、自分の人生の思い出の場面を流れるように感じ見て、満足して永眠する。
ベッドは、自動的に室を出て、流れて行く。レーンに乗り、次々と前へ進み、それぞれ次世代の身体臓器提供は、レーンの途中の処置室で施され、順次元のレーンに戻り、最後の使命を果たす最終の段階に入った。流れて行くベッドの前と向き合うように別のレーンから、中の見えない半円筒形のカプセルが近づき、ベッドから滑るように遺体がカプセルの中へ安置された。ビーッと音がして、上から太いコードのついた黒いカバーが、降りてきて、下の各配置されているカプセルの上半分にピッタリ固定された。一時の間を開けて、ビュゥッと音がして、カプセルが青く光り、真空陽光放電の光線で荼毘に付された。三分程でシューッと、音がして、元の状態に戻った・・・・・・・・
遺族へは、後日、金の位牌が届けられる。
上流にむかって
第十四章 水資源を生み出さなくてはならぬ時代
長田進(四十五歳)は、自宅のある所沢の狭山湖畔付近を朝の清々しい風を満喫しながら、ジョギングしていた。
地球上で最も水の条件に恵まれている地域の日本。
世界的には水不足は深刻だ。美しい水が満たされた湖面を見て、自分が果せられている問題を思った・・・・
十年前、長田は、水不足の問題で環境省から中東のアラブ首長国連邦へ生物生態学の専門家として派遣されクルーに加わった。日本の大手メーカーと共に海水から淡水を作り出す海水淡水化設備と下水再利用淡水化設備の二件について研究具体化に努めることになった。
地球は、水の惑星と言われるが、水の97.5%は、海水(塩水)で、淡水は、わずか2.5%。その数には、北極、南極、シリアの氷河や雪、永久凍土も含まれている。実際、人類が活用できる淡水0.8%でしかなくその殆どが地下水だ。河川、湖、沼の表層に流れて活用できるのは、たったの0.01%でしかない。その値0.01%は、地球全体の水の十四億キロ立方メートルに対して、十万キロ立方メートルでしかないのが、事実である。
二〇九〇年、世界人口が、百億人前後。そのうち二十億の人々が、水不足と、水汚染、渇水で水の問題のストレスを抱えている。水不足の原因は、人口の増加や経済構造の変化により、水の需要が急増していることだ。そして、水の分布が、時間や空間、季節や場所で偏りにより、自然の水資源では、当然追いつかなくなってしまったことだ。もう一つの要因として水はローカル資源であること。つまり、他の地域から、大量に水を運んでくることは、コスト的に難しくローカルで賄って行かなくてはいけないことだ。解決策は、水、淡水を作ることのみ。
米国のカルフォニア・フロリダ・テキサスの各州、中東、アフリカなどは、慢性的な水不足で、高いコストの海水淡水化設備で、苦し紛れで、真水を作りだしている。こうやって、世界では、およそ
六千万トンの真水を捻出している。
長田の参加したクルーは、海に接して設備しなければならない海水淡水化設備に対し、陸上の町、村、人間の生活しているところどこでも設置可能な下水再利用淡水化設備を研究した。その下水再利用淡水化設備では、海水を希釈する方法で、コストを三〇%カットし納得のできる水量の淡水を生み出すことを実現した。
長田は、設備の運営の技術指導し、帰国した。
第十五章 日常食ソイレント
「おまたせ」長田は、日曜の遅い朝食に間に合った。
食卓には、ソイレントを焼いたパンケーキ、クッキー、さらには、擬肉のベーコン、ウインナー、目玉焼き、サラダの野菜があり、マグカップには、コーヒーが注がれていた。どの家庭でも三食のうち一食分は、ソイレント用途に考えられたメニューが使われた。ソイレントは、通常の生活にすっかり溶け込んでいた。
ソイレントを取り入れることで、食肉になる動物の飼育、野菜や穀物に関わる全ての成長に必要な水も、間接的に節約することができていることになる。
変則的な勤務に加え、職務柄、多忙で家を空けていることが多い長田は、妻・洋子(四十五歳)とはともかく、娘二人京子(十五歳)・マリ子(十三歳)とは、話す機会があまりない。久しぶりに顔を合わせた娘二人は、京子は、クラブ活動のゴルフの話を、マリ子は、テニスの話を競争して楽しそうに話してくれた。家族とのゆったりとした時間は、長田にとって一番の幸福だった。
第十六章 食糧不足危機に向けて
二〇八四年、『一〇〇歳尊厳死法案』が可決されたその年、長田は、防衛施設庁から都下にある『安住の森』の施設長として着任した。
アラブ首長国連邦の要請で派遣されていた長田の世界水不足問題解決にむけてのクルーでの活躍実績が認められ、帰国。日本の深刻さを深めている食糧問題の解決をと、政府の強い要望でこの全国の『安住の森』施設長を束ねる総施設長として、強力な行動力を期待された。
政府は、対外的な武力問題より、現実的な今の深刻な高齢化問題、人口・食糧問題が、国としての最優先課題となっていた。国民に発表されているより実際には重篤で危機的な状態であった。政府は、そんなことから、特命で各施設に優秀な人材を各所から派遣し現状打開し向上の糸口をつかむ必要があった。
とくに食糧不足による政府が、配給している代替食糧ソイレントの主成分であるタンパク質不足は、急を要する問題になっていた。
長田が『安住の森』に就任して五年。全体のシステムの流れと未来への要望を把握し、問題解決は、生物と自然の相互作用の狂い、自然と生態のサイクルを当り前の状態に戻すことだと考えた。長田は、全国五十か所の『安住の森』の施設長を集めた。
そして、首相官邸特別会議室で、首相、関係官僚、各野党党首、学識者、『安住の森』の施設長の出席で会議が始まった。
「関東の長田です」
「早速ですが、今日の問題で、私の考えを述べます。」
「逼迫し政府配給のソイレントのタンパク源不足補充方法ですが、私子供の頃、北海道で見た鮭の一生が、衝撃的で感動を受けました。鮭は、川で生まれ成長し、海で四年、そして生まれた川に帰りその川を百キロかけて遡上し、川石を体がちぎれるほど使い、振り散らし、堀り、卵を産み命が終わります。死に至ったその鮭の体は、鳥や熊などの山の動物、川の魚などの餌になり、川のプランクトンの生長の糧になる。鳥は、空を飛び、それぞれの場所へ、糞として散布。動物は、山で子を育て糞で山の植物、木々を育む。また、山の土の栄養素は、山から川へ。川から海へ。と自分の体を自然に提供し貢献します。他の動物も同じように、自然のサイクルとなっていきます。」
「人間も同じです。自分の体が永眠の後、後生次世代に役立つのが、嫌な人間はいるのでしょうか?人間は、知恵のある生き物ですが、何かを忘れているのではないでしょうか・・・・結論を言います。
全国の『安住の森』で永眠された方の御身体を後生、次世代に活かしていただけないでしょうか?きれい事ですまない現実を考え、皆さんのご意見を伺いたいと存じます」
「それから、合わせてもう一件、ご検討いただきたい意見がございます。それは、昆虫食についてです。」
「アフリカ、中東、アジア、インドでよく大量発生し、農業などに致命的な被害を及ぼすイナゴ、バッタ等を人工的に大量発生させ加工を施し、昆虫食として食糧に取り入れるということです。牛肉に含まれるタンパク質は、二十三%に対して、昆虫に含まれるタンパク質は、十六パーセント。体型比で見劣りしません。」
「全国の『安住の森』のドームの横には、それぞれ余裕の土地があります。そこに、鉄鋼製のビニールハウス型の建物を設置し人工的に昆虫を大量発生させ、食糧として加工する。実態研究の結果もでており、充分可能です。この昆虫食の件も合わせて決裁のご検討をお願い致します」
長田の声が強く響いた。
暫く、室内は、静寂になった・・・・
敷きこんである赤い絨毯の先にある首相官邸特別会議室の厚い扉の向こうで、日本の要人の激論が微かに聞こえていた・・・・
『一〇〇歳尊厳死法案』で臓器、御身体提供は、個々への事前アンケートと問い合わせで承諾、確認していて、臓器提供と共に御身体提供についても今後の実施を決議決定した。
その後、昆虫食については、『安住の森』の横に、大きなビルが横倒しになったような半円形柱のビニールハウス型の昆虫を含む加工食品工場が稼動するには、それほど時間はかからなかった。
ドームの横の工場が稼動すし始める頃、全国各地の町や村、農業を問わず、苦情がでていた害虫、野鳥、カラス、野バト、野犬、イノシシ、鹿、熊などの被害の話がピタリととまった。それは・・・・・公民を問わず食糧確保のため、なりふり構わず、人類が生き残るために行った食糧難の必死の行動で、あからさまな表れであった。
あの会議から半月後、深夜の『安住の森』のドームから、グリーンの箱型の大型トラックが二台続いて静かに発車した。
ここから、弛まず続いていくんだ・・・・・・
長田は、トラックの後ろを見送り、頭を下げた。長田は、ボタンを押し、大きなドームの扉が閉まるのを見ながら、ふと自分を含人間に対して腹がたった。
動物のなかで、英知のある人間が、子供に自然を教育せず、あの時、川に山に海にゴミを捨てることを許してしまったこと・・・
豊かな生活のために、二酸化炭素を限りなく放出したり、大量の食糧を考えなく無駄を出し破棄し続けたり、自然を復元する時間を与えずにいたり、核使用施設からの放射能で海、大気を汚したりしたこと・・・
自然をもう少しでも大切にすればよかった。
地球を大切にすればよかった。
そして、自然から地球に返ってきた返事が・・・
「今、俺がやっている仕事だ」
長田 進は、ブーンと音をだして閉まるドームの扉と一緒に自分の心も閉じた。
それから数年・・
長田 進を筆頭に携わる各々(おのおの)の道を究めた選りすぐりの人達
心に寄り添いながらも、難しい施業
人間の思考だけで決められない命の在り方自然と生態のサイクル
それぞれの者が、あらゆる分野の能力を発揮し、手立てを駆使し、
国民の食生活に答えられる『ソイレント』を作りあげた
弛まず供給を続け、国民の生活を支えていった
今日もどこかで
喜びの新しい命が誕生し
一方、一〇〇歳となり、目一杯それぞれの人生を送った人々
最後の使命を果たすため、清々(すがすが)しい森の道
旅立ちを乗せた車が『安住の森ドーム』へ一台また一台今日も向かう