1話
「だから言っただろう。これでもう私を疑い、目を背けてはいられないな」
朝の報道番組の流れるテレビの前で放心する青年に、黒いワンピースを着た細身の少女が無表情にそう言った。
テレビは都内で起きた殺人事件を報じている。
昨夜、酔っ払った男の手によって駅のホームから突き落とされた男子大学生が、列車に轢かれ亡くなったという。
「和也……ウソだろ……」
青年は画面で微笑むその男子大学生を知っている。
つい昨日夕方も通話をして笑いあった、同じ大学に通う友人だった。
「どうだ。お前があの男の頭上に紅い輪を見てから、昨日できっかり13日だろう」
「13……いや、でも────」
「でも、じゃない。いい加減認めたらどうだ。お前は13日後に死ぬ者がわかる眼を手に入れたんだ。この私が取り憑いた影響でな」
「ッ……!」
青年は悲痛に顔を歪め、力の抜けた手からリモコンがポロッと落ちた。
「……お前が言ってたことが本当だとしたら、たしか紅い輪は『未練アリ』だったよな。その状態で死んだ奴は────」
「ああ。前にも言った通り、死後は何もない無の世界に意識だけで存在することになる。永遠に変化することのない真っ暗な孤独の世界で、寝ることも死ぬことも動くこともできず、ただただ在り続ける」
「じゃあ和也は……アイツは何も悪いことしてねぇのに、急に酔っ払いに殺されて、しかも永遠に一人で何もねぇ世界に囚われるってわけかよ」
「そうだ」
「っ……そんなのって……ねェだろ……!!」
「私に言われても困る。この世はそう設計された。現世への未練や後悔を解消し頭上の輪を白くしない限り、人は天国へも地獄へも行くことはない」
*************
都内の大学に通って2年目になる青年、岐部喜助。
彼の視界に違和感が現れたのは2週間前だった。
買い物に行く際、満員の電車内で謎の紅い輪を目にした。
そしてその後、偶然通りすがった友人《和也》の頭上にもそれがあった。
喜助以外の誰にも見えていないらしかった。
────俺、疲れてんのかな────
そう思いながら眠りについてその翌日、枕元に現れた黒髪の少女から説明を受けることになる。
────私の名前はトリ。死の傍観者。死の傍観の為に、昨日お前に取り憑いた。その影響で、お前は13日後に死ぬ者の頭上に輪を見るようになっている────
突然現れた少女に驚き困惑しながらも、喜助もその時は夢か何かだと思っていた。
しかしこの『トリ』と名乗る小学生ほどの少女も喜助にしか見えないらしく、かと言って少女が触れた物体は当たり前のように動いていた。
明らかに幻覚ではなかった。
少女はダウナーで無表情だが会話を嫌うことはなく、一人暮らしの喜助の良い話し相手となった。
紅い輪のことも、そうは言われても実感が湧かず、本当に13日後にその人が死ぬような気が全くしていなかった。
しかしそんな不思議な少女との比較的平和な関係は今終わりを迎え、喜助は少女にありったけの憎悪を抱く。
「……なんで俺に憑きやがったんだよ。こんな、誰がいつ死んでその後どうなるかなんて知りたくねぇよ!」
「死の傍観者は生まれた瞬間、1番近い生物に取り憑きその種に身を似せる。私がこの世の空間に誕生した時、そこを横切ったのがお前だ。だから私はお前に取り憑き、人に似た体を得た。お前はその影響でその眼を得た」
「……クソ、寄生虫みてぇなことしやがって。お前と過ごした2週間はまぁ楽しかったが、もういい。今すぐ俺から出てってくれよ」
「不可能だ。お前が死ぬまで私はどこへも離れられない。死の傍観者とは『宿主の見届ける死と宿主自身の死』を観測する為に生きている」
「意味がわかんねェ。そんなことして何になるんだよ」
「それは人類にとて言えることだろう。繁殖する為に生きているが、それで何になる」
「っ……」
喜助は何も言い返せなかった。
しかし自分の不運とトリの存在をひたすら呪った。
「じゃあ何だよ。俺は一生お前に付きまとわれて、一生人の死期を見続けるってわけか。その死後まで知れるオマケ付きでよ!」
「そう不満なら、ポジティブに考えたらどうだ。生物は未練なく死ぬ方が珍しい。基本的に無の空間で死後を過ごす。しかしお前は未練の有無をその眼で見られる。死人の死後を安らかなものに誘ってやることができる」
「……は?」
そう聞き返し、顔を上げた喜助の隣にトリが立つ。
喜助の方を見ることなく返答した。
「紅い輪のついた人間の未練を解決し、白い輪にしてやればいい。そうすればお前はその人間の死後を救える。死の運命は避けられないが、その後の運命を変えてやることはできる。これは輪が見えるお前にしかできないことだ」
「……俺に、しか」
「そうだ」
少しの希望を感じられた。
ただただ最悪の運命を見せつけられ続けるだけの力だと思っていたこの眼に、人を救える可能性があるというのだ。
一気に頭が冷えていく感覚があった。
「……なんでそんなこと教えてくれるんだよ。お前は死の傍観者、なんだろ。観てるだけで、別にその人を救おうっていう存在じゃねぇんだろ?」
喜助がゆっくりとそう言うと、ようやくトリは喜助の方を見て目を合わせた。
「確かに、死の傍観者は死を観るだけであってその死後に用は無い。だがこの2週間ほどお前と共に過ごしてから、私はお前に少なからず好意を抱いている。お前の絶望は私にとってもあまり快くない。それに、お前がこの力を使ってどう立ち回るのか観るのも面白そうだ。そう思っただけだ」
「は?こ、好意?」
「別に深い意味は無い。お前とは楽しくやっていけそうだと感じただけだ」
喜助は思わぬセリフに戸惑うが、トリは相変わらずの無表情だった。
そのせいで『好意』がつまり何を意味するのかよく分からないが、しかしこの先、一生を共にする宿主として喜助を気に入ったことに間違いはないだろう。
喜助はトリや能力への怒りをもうほとんど忘れてしまった。
「……わかった。いいよ、やってやるよ。いつまでもクヨクヨしてたって仕方ねぇしな。和也にしてやれなかった分、これから会う紅い輪っか、全力で真っ白にしてやるよ。少なくとも俺の周りの奴らは誰一人無の世界に行かせてたまるか!」
喜助は立ち上がってそう宣言し、トリは隣で黙ってそれを見つめた。
不運に見舞われた青年の、奇妙な人生の幕開けだった。