とある公爵令嬢の物語
大陸で最も経済力があるといわれているクレイオス王国。そして、王国の中で王家の次に権力を持っているのがフローディア公爵家である。
「あら、今年も薔薇が綺麗に咲いているわ」
フローディア公爵家の一人娘レイラ・フローディアは、とても美しい少女だった。しかし、彼女は若くして命を落としてしまう。
これは、最期まで美しく生き抜いたとある公爵令嬢の物語───
***
レイラとクレイオス王国の第一王子である、ノエル・クレイオスとの婚約が決まったのはレイラが13歳のとき。いわゆる政略結婚というやつだが、レイラもノエルも特に不満は無かった。
二人が結婚式をあげるのは、レイラが成人したタイミングと決まっていた。クレイオス王国における成人は18歳なので、二人には五年の猶予があった。
そして、婚約してから四年と半年が経ったある日、ノエルはフローディア公爵家を訪れていた。
「すごく綺麗な薔薇だね。まるで君のようだ」
「ふふ、殿下はお世辞がお上手ですのね」
「お世辞なんかじゃないさ。これは心からの言葉だよ」
一見楽しそうに話しているレイラとノエルだが、二人の心は冷えきっていた。張り付けた笑みの下には、お互いを睨み付けるような顔が存在するのだ。
「そろそろ座って話そうか?」
「それが良いですわね。紅茶でよろしいかしら?」
「あぁ、構わないよ」
少しして二人分の紅茶が運ばれてくると、ノエルはにこやかに微笑みながらレイラに問いかけた。
「ねぇ、レイラ。少し変な質問をしてもいいかい?」
「えぇ、もちろん」
レイラが紅茶を上品に飲むのを見届け、ノエルは切り出した。
「例えばの話なんだけど……もし、あと少しで死んでしまうと言われたらどうする?」
レイラは少し考えるように目を閉じると、にこりと笑って言った。
「美しく死ねるよう、努力しますわ」
レイラの唇は緩く弧を描き、空色の瞳はキラキラと輝いていた。誰もが惚れてしまいそうな笑顔を見ても、ノエルは眉を動かしただけだった。
「それは、どんな風に?」
さっきよりも笑みを深めたノエルの問いに、レイラが答えることは無かった。
「まぁ! お兄さま、来てらっしゃったのね!
一言声をかけてくれれば良いのに……」
突然、ノエルの元に駆け寄ってきたのはレイラの従姉妹である、オリヴィア・フローディアだった。オリヴィアはフローディア公爵夫人の妹の娘で、よく公爵家に遊びにくるのだ。
そんなオリヴィアを見て、ノエルは顔を綻ばせた。
「あぁ、オリヴィア。久しぶりだね」
「本当に久々ですわね! わたくし、ずっとお兄さまにあいたかったのですよ!」
オリヴィアはさりげなくノエルの隣に座り、あろうことかその肩にもたれかかった。そして、レイラはそんなオリヴィアのことを気に入るはずが無かった。
(まぁ、なんてはしたない。婚約者がいる前でそのような事をして許されると思っているのかしら?)
しかし、思っていることとは裏腹に、レイラは笑顔を貼り付けたままゆっくりと立ち上がった。
「わたくしは邪魔者のようですので……本日は失礼させていただきますわ」
「邪魔者って……そんなこと思っていないよ?」
ノエルは怪訝な顔をしてレイラを見るが、レイラは「体調が優れないので」と返し、自室へと戻っていった。
***
優雅に立ち去っていくレイラを見ながら、ノエルは心の中で悪態をついていた。
(一体レイラは何を考えているんだ? オリヴィアと仲良くしているのが気に入らないのか?
ただただ妹のように思っているだけなのに……)
「お兄さま、どうかしました?」
オリヴィアの言葉に、ノエルはハッと我に返った。そして、「何でもないよ」と返す。
(それに、自室に帰ったのも想い人と会うためなのだろう? こっちの気持ちも考えて欲しいものだ。私はレイラのことを──)
そこまで考えて、ノエルはオリヴィアがいることを思い出した。ミルクティー色の髪を揺らしながら此方を見つめてくる姿は、やはり愛らしい。
「ところでお兄さま、わたくしお願いしたいことがありますの」
「お願い?」
「はい! その……」
オリヴィアは一瞬視線を外したあとに上目遣いでお願いを口にした。
「半年後のパーティーで、わたくしをエスコートしてもらえませんか?」
「え? いや、でも私はレイラを……」
「レイラお姉さまには許可は取ってあります。駄目、ですか……?」
(許可は取ってある、か……まぁ、レイラも想い人にエスコートしてほしいだろうし、良いだろう)
「いや、構わないよ」
ノエルがそう言うと、オリヴィアは満面の笑みを浮かべた。
「まぁ! とても嬉しいですわ!」
そんなオリヴィアの様子にノエルも釣られて笑ってしまう。オリヴィアが何を考えているかなど知らずに───
***
「レイラ様、半年後のパーティーにはどのようなドレスを着ていかれるのでしょう?」
そうレイラに話しかけてきたのは、レイラ専属メイドのリリーだ。レイラが小さい頃から面倒を見ており、次期メイド長候補とも言われている。
「そうね……赤色の物を着ましょう。わたくしの育てた薔薇の色だもの」
「かしこまりました。そうだ、薔薇のコサージュも用意しておきますね」
そう言うや否や、リリーはそそくさと部屋を出ていってしまった。
一人になった部屋で、レイラはパーティーについて考えていた。
(恐らくだけれど……殿下はオリヴィアをエスコートするのでしょうね。殿下はわたくしの事など考えていないのですから……)
レイラは悲しげに目を伏せると、小さく呟いた。
「わたくしはこんなにも殿下のことを愛しているのに」
口に出してみてレイラはより一層悲しくなった。社交界ではレイラに想い人がいると噂されているようだが、それは勿論ノエルのことだ。
この事が殿下の耳に入ったら……と心配する一方、この想いに気づいてくれれば良いのに、とも考えていた。
と、その時、慌ただしくリリーが部屋に入ってきた。
「失礼します、レイラ様。先程噂を聞いたのですが……」
「そう、言ってごらんなさい」
「……ノエル殿下が、オリヴィア様をエスコートする、と」
リリーは、声のトーンを下げて言った。長年の付き合い故、リリーが怒っているのがレイラにはすぐにわかった。
「リリー、落ち着きなさい。こうなることは予想していたわ」
そう言いながらも、レイラの顔は悲しげに移ろった。二人が想い合っているということが証明されたかのような話に、レイラは気持ちを隠しきれていなかったのだ。
(元より殿下の気持ちがわたくしに向いていないということは分かりきっていたけれど……なんだか、とても悲しいわ)
重い空気の中、話を切り出したのはリリーだった。
「……レイラ様、少しお休みになられたらどうですか? 顔色が良くありませんから」
レイラは大丈夫よ、と言おうとしたが、これはリリーの気遣いだと気付いた。
「えぇ、そうね。少し横になるわ」
レイラがベッドに横たわると、リリーは静かに部屋を出ていった。それを確認すると、レイラの大きな瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
(あぁ、こんなことで泣いてはいけませんわ。淑女たるもの、いつでも笑顔でいないといけないのですから)
レイラは笑顔を作ろうとしたが、上手く作れずに余計に涙が出てきてしまう。諦めて涙を流し続けていると、ふとノエルの姿が思い浮かんできた。
銀色の髪に、アメジストのような瞳。皆が惚れてしまいそうな容姿をした第一王子。王位を継ぐのは彼になるだろう、と言われるような人物だ。
(婚約者がいるというのに他の女性をエスコートするなんて、あってはならないこと。わたくしは彼を非難することだってできるでしょう。でも──)
「わたくしは、彼の事を恨めない」
自分の本心を小さく口にしたレイラは、糸が切れたかのように眠りについた。
***
それから半年、レイラは王家主催のパーティーに参加する準備を入念におこなった。ドレスの発注やダンスの練習、さらには花嫁修業もつつがなくこなしていった。
「明日はわたくしの誕生日──殿下と結婚する日だわ」
レイラはリリーにメイクアップをしてもらいながら呟いた。そう、今日はレイラの17歳最後の日で、パーティーが開催される日でもあった。
リリーとは別のメイドは、レイラが着る予定のドレスを整えていた。全体が赤く、ところどころに薔薇の飾りがついていた。
「レイラ様、終わりましたよ」
「まぁ……素敵なメイクね。ありがとう、リリー」
レイラのプラチナブロンドの髪はアップにまとめられ、いつもよりも華やかな印象になっていた。薔薇の髪飾りや赤を基調としたメイクも相まって、レイラの美しさがより一層引き立てられている。
(ふふ、わたくしったら何をしているのかしら。どれだけ美しく着飾ったところで殿下に振り向いてもらえるはずもないのに)
レイラは気持ちを切り替えるように長い瞬きをすると、立ち上がり窓の外を眺めた。遠目に見える大通りはパーティーに向かう馬車で混雑していた。それを見て、レイラは思わずため息をついた。
(こんなにもパーティーが億劫なのは初めてだわ。わたくしは殿下の事を大層愛してしまっているみたい)
レイラは窓枠にかけていた手を離し、リリーの方を振り返った。多くの人を魅了するであろう笑顔を携えながらレイラは震えた手を包み込む。
「さぁ、そろそろ会場へ向かいましょう。殿下よりも先に着いていなければ無礼に当たりますもの」
***
「まぁ……とても美しい絵画ですね!」
「そうだね、歴史を感じることができる」
パーティー会場である旧クレイオス城の廊下を何人かが歩いていた。後ろに控えるのは護衛や執事、そして前を歩くのは華やかな衣装を纏ったオリヴィアとノエルだった。
オリヴィアはノエルにエスコートされながら歩いており、知らない人が見れば恋人同士だと勘違いするだろう。
2人が談笑していると、いつの間にかホールへと続く大扉の前まで辿り着いていた。
「ねぇ、お兄さま」
「ん、何だい?」
オリヴィアは緊張した面持ちでノエルを見つめていた。ノエルはその視線に違和感を覚えつつ、オリヴィアの話に耳を傾けた。
「わたくしはお兄さまの婚約者ではありませんわ。だから周りから色々言われるのでは無いか、とすごく心配なんです……だから、何かあったらお兄さまが守ってくださいますか?」
ノエルは一瞬言葉に詰まったが、すぐに笑顔で言葉を返した。
「勿論だよ。それに、レイラに許可を取っているのだろう? 彼女の事だ、周りに話を通してくれているはずだよ」
その言葉にオリヴィアはびくっとなる。それもそのはず、オリヴィアはレイラに許可など取っていないのだから。
「……確かにそうですね! あ、そろそろ入場の時間です!」
この大扉を開ければ恐らく大勢のパーティー参加者が待っている。そして、オリヴィアは好奇の目に晒されるだろう。レイラに勝てる令嬢はどんなものか、と。
オリヴィアもそれは分かっていた。だが、それでもやはりオリヴィアはノエルに愛して欲しかったのだ。
刹那、オーケストラの音が扉の向こうから聴こえてきた。そして、ゆっくりと扉が開いていく。煌めくシャンデリアに、黄金の装飾品。あまりの眩しさにオリヴィアはつい目を瞑ってしまう。
少ししてオリヴィアが目を開けると、ノエルが此方を見たところだった。ノエルの美しい瞳をじっと見つめて心を落ち着かせると、オリヴィアは満を持してホールに目を向けた。
(あれは……レイラお姉さま)
オリヴィアの目に真っ直ぐ飛び込んできたのは、美しい演奏をするオーケストラでもなく、数々の歴史ある彫刻でもなく、赤いドレスを身に纏った一人の少女だった。
会場の奥の方でにこやかに拍手をしている少女──レイラは異彩な輝きを放っていた。
しばらくオリヴィアはレイラを見つめていたが、我に返ったように足を前に出した。ノエルもそれに合わせてゆっくりと歩いていく。
そして、オリヴィアはノエルだけに聞こえるような小さな声で呟いた。
「……お兄さま、美しいっていうのはああいうことなんでしょうね」
「……うん、そうだね。私もそう思うよ」
オリヴィアはちらっとノエルの表情を覗き見る。いつもと同じように見える笑顔だが、どこか頬が紅潮しているようだ。
(認めるしかなさそう。わたくしはレイラお姉さまには勝てない。なんだか、お兄さまの隣にいるのが恥ずかしくなってきましたわ)
2人が時間をかけてホールの中央まで行くと、オーケストラの曲調がワルツに変わる。ダンスパーティーの始まりだ。
オリヴィアは上手く笑えないままノエルの手をとり、ダンスを始める。
しばらくしてオーケストラの演奏が控えめなものになる。それを機に皆が思い思いのことをし始める。
ある者は有力な家の元へ向かい世間話をし、ある者は良い香りを放つ色鮮やかなスイーツの元に向かう。そして、オリヴィアはレイラの元に向かっていた。
「レイラお姉さま」
「オリヴィア、どうかして?」
優しげに微笑むレイラを、オリヴィアはじっと見つめる。しばらくして、ようやくオリヴィアは口を開いた。
「……わたくし、レイラお姉さまに謝らなくてはいけないと思いましたの」
「謝る……あぁ、エスコートの事かしら? それなら気にしてないわ。だからオリヴィアも謝らなくて良いのよ」
レイラは優しく言葉を紡いだ。それは、この国の女神であるフィアティーナを思い起こさせる程に。
(わたくしはこれでもレイラお姉さまの従姉妹ですわ。レイラお姉さまのことはよく分かっているのです。レイラお姉さまとお兄さまは両想いだってことも、レイラお姉さまが本当はすごく怒っているということも……)
そして、オリヴィアはレイラの目を見てゆっくりと話しかけた。
「……レイラお姉さま、お兄さま、いえ、ノエル様はお姉さまの事が──」
しかし、その言葉が最後まで紡がれることは無かった。
「まぁ、オリヴィア様にレイラ様! どのような話をしていらっしゃったのですか?」
豪奢な金色の髪を複雑に結い上げ、羽毛の付いた扇子を口元にあてた少女が甲高い声を響かせながら近づいて来た。
「シャーロット侯爵家のリディア様ですわね?
ごきげんよう、こうしてお話するのは三年ぶりかしら?」
その中でもレイラは動じずに金髪の少女、リディアに話しかけた。
「左様でございますわ。ところで……レイラ様はどこか具合を悪くしていらっしゃるのですか?」
「どうして、そう思われましたの?」
「レイラ様は気高く美しい令嬢ですわ。そんなレイラ様が婚約者であるノエル様とご登場されないだなんて、体調でも崩されたかと思いましたの」
そう言って、リディアは頬に手を当てる。如何にも、心配してます、というようなポーズだ。
(リディア様は確か……王太子妃の座をレイラお姉さまと争っていたのでは無かったかしら? この一連のやり取りもわたくしとレイラお姉さまに対しての皮肉なのでしょうね)
オリヴィアは内心、リディアに毒を吐きながらレイラに助け船を出す。このままリディアに話の主導権を握られていてはフローディア公爵家にとって良くない方向に話が進むことは間違いない。
「リディア様、わたくしにもご挨拶させてくださいませ。フロスト伯爵家のオリヴィア・フロストですわ」
「丁寧にありがとう存じます。お目にかかったことはありましたけれど、こうして話すのは初めてですわね」
オリヴィアの生家であるフロスト伯爵領は港の近くにあり、他国との貿易が盛んだ。そのため、フロスト伯爵家はクレイオス王国にある伯爵家のな中でも強い権力を持っている。
オリヴィアは伯爵家の者で王家とは釣り合いが取れないとされたため、王太子妃候補には選出されなかった。しかし、そのようなことを知らなかったオリヴィアはぐいぐいとノエルにアプローチをしてしまった、というのが事の顛末だ。
と、その時、「リディア、こっちへおいで」という声が聞こえた。声のした方を向くと、少し離れたところに40歳程の男性が立っていた。
「あら、お父様だわ。レイラ様、オリヴィア様、父に呼ばれたので失礼させていただきますわね」
そう言い残してリディアはリディアの父──シャーロット侯爵の元へ向かっていった。
(リディア様には申し訳ないけれど、ここから居なくなってくれて助かりましたわ。このままだとボロが出てしまいそうでしたから)
オリヴィアが安堵の息を吐きつつ横目でレイラを見ると、レイラも心なしかほっとしているようだった。
(レイラお姉さまにノエル様のお気持ちを伝えてあげようと思っていたのに、リディア様に邪魔されてしまいましたわ。一回落ち着くために飲み物でも取ってこようかしら)
「レイラお姉さま、わたくし飲み物を取って参りますわ」
「わかったわ」
オリヴィアは飲み物が置いてあるテーブルに向かって歩き出す。途中で色々な人とすれ違ったが、好意的な視線はほぼ無いと言って良いだろう。
少ししょんぼりした様子でオリヴィアはテーブルへとたどり着いた。そして、アルコールの入っていない物を選び手に取る──その直前。
「オリヴィア様、オリヴィア様はこちらをお飲みください」
初老の執事がオリヴィアに声をかけてきた。その手にはグラスが握られている。執事はそのグラスをオリヴィアに向かってぐいっと差し出した。
オリヴィアは抵抗せずにそれを掴む。途端にオリヴィアは喉の渇きに耐えられなくなり、「ありがとう」と言ってからグラスを口元に近づける。しかし──
(待って……この匂いって)
オリヴィアは気づいてしまった。この飲み物には毒が含まれているということに。裕福な伯爵家、そしてその愛娘ともなれば誘拐されたり暗殺されたりする危険性が付きまとう。そのため、オリヴィアは幼い頃から毒を識別する訓練をしていたのだ。
毒に気づいてしまったオリヴィアはグラスをゆっくりと下ろす。
「オリヴィア様、どうかしましたか?」
執事が不安げに話しかけてくる。しかし、これも演技なのだろう。
「……今、レイラお姉さまに呼ばれた気がしましたの」
もちろん嘘だ。だがこのままでは危ないと、オリヴィアの本能が告げていた。オリヴィアは軽く会釈をしてレイラの元に向かおうとする。
と、その時──
「オリヴィア!」
誰かがオリヴィアの名を呼んだ。そして、後ろでパシッという音がした。オリヴィアは慌てて後ろを振り返る。
「おに──ノエル様!?」
そこにいたのは、執事の腕を掴むノエルだった。しかも、執事は手にナイフを持っている。恐らく、執事は毒に気づいてしまったオリヴィアを刺し殺そうとしたのだろう。しかしノエルがそれを阻止。執事の温厚そうな顔は醜く歪んでいた。
「オリヴィア、怪我はないか!?」
「あ、えぇ、大丈夫ですわ」
ノエルはオリヴィアに優しく言葉をかける。すると、何事かと周りの令息令嬢がわらわらと集まってくる。
そんな中、オリヴィアは遠くで一人こちらを見るレイラを見つけた。
***
オリヴィアが殺されそうになったとき、ノエルはすぐにオリヴィアの元へ駆けつけた。それが意味することは何か。
(きっと、殿下はずっとオリヴィアの事を見ていたのね)
レイラは小さく息を吐く。レイラは今更ながら、来なければ良かったと後悔した。
(それにしても、殺すならもっと入念に準備すればいいものを。毒が入っているとバレないよう、匂いの強い飲み物にすれば良かったのよ)
レイラは心の中で嘆息する。しかし、オリヴィアに死んでほしい訳ではない。暗殺者の手抜かり具合に呆れているだけなのだ。
でも、とレイラは考える。
(警備の固い中殿下が懇意にしている令嬢を殺そうとしたのだから、それくらい彼らも分かってるはず。ということは……)
「最初から仕組まれていた……?」
レイラがそう呟いたときには、もう遅かった。レイラの背後にあった扉が静かに開き、レイラが気づく暇もなく何者かが手に持っていたナイフをレイラの腹部に後ろから深々と刺す。
そして、何者かはナイフを抜いたあとそれを投げ捨ててまた扉の奥へと戻る。
「待ち、な、さい」
レイラは途切れ途切れになる息の中、必死に手を伸ばす。しかし、その手は悲しく空を切った。
身体の中を熱が走っていく感覚。けど、痛みは感じなかった。
(妃教育で何日も何日も辛い課題をこなしてきたけれど……こんなにも身体が重いのは初めてね)
正直、ただ立っているだけでも辛かった。今すぐ床に寝転んでしまいたい。けれど、レイラは公爵令嬢だ。はしたない姿を見せるわけにはいかなかった。
レイラは喉元に力を込める。強く、気高い声を響かせるために。絶対に、声が震えないように。
「殿下、わたくしお話したいことがありますの。お手数ですが、此方まで来ていただけますでしょうか?」
レイラは声を張り上げたわけでもないのに、ホールの隅まで響きわたるような声を発し、ノエルを呼び寄せる。
自分よりも身分の高い者を動かすのは不敬に当たるが、今のレイラにノエルの元まで歩く余裕など無かった。
「あぁ、わかった。今行くよ」
ノエルはオリヴィアの暗殺未遂事件の後処理で忙しいはずだ。しかし、レイラのいつもとは違う気配を察知してか、何も言わずにレイラの元へ向かった。
「レイラ、どうしたんだい?」
「……どうか、驚かないでくださいませ」
「それは内容によるね」
レイラもノエルも、顔に笑みを貼り付けたまま会話する。
レイラは一息置いてから、一言。
「わたくし、もうすぐ死にますの」
突拍子の無い言葉に、さすがのノエルも表情を崩した。しかし、すぐにその顔には笑みが戻る。
「それは……一体どういうこと?」
「こういうことですわ」
レイラはそう言うと、己の背中を手袋の上からそっと触る。そして、その手を前に回しノエルに見せた。
元々白かった手袋は真っ赤に染まっていた。それを見たノエルは眼を大きく見開いた。
「赤いドレスを着ていて良かったですわ。しばらくは誤魔化せそう、です、から……けほっ」
「レイラ!?」
レイラは限界を迎えたようだった。咳をしたかと思えば、レイラは血を吐いていたのだ。
ノエルが思わずといったように出した大声に、周りも異常に気づいたようだ。何人かがそっと近づいてくる。
「レイラ、もういい。話すな」
「……最期に、話したい、ことが、ございますの」
レイラはゆっくりと、言葉を途絶えさせながらも話し続ける。しかし、レイラの体は徐々に沈んでいき、倒れたレイラをノエルが支えた。そして、レイラを床に横たわらせる。
「殿下、わたくしは、殿下の、ことが、好きでしたわ」
レイラは唐突にそう言った。レイラは女神のような微笑を浮かべていた。それに対し、ノエルは再度眼を見開く。
「婚約した、当初は、わたくし達は、仲が良かったと、記憶して、おりますわ」
「……うん、そうだね」
苦しそうに紡がれるレイラの言葉に、ノエルはゆっくりと頷く。
「でも、ある日から、わたくし達の、関係は、壊れて、しまいました。そう、オリヴィアが、我がフローディア家に、遊びに来た時、から、ですわ。ですから、わたくし、オリヴィアのことが、嫌い、でしたの。けれど、殿下の、婚約者である、わたくしは、今日、此処で、死にます」
そして、一拍置いて。
「邪魔者は、いなく、なるのです」
「違う、違うよ、レイラ」
ノエルは首を横に振りながら、悲痛な声を漏らした。その美しい顔は泣く直前のように歪んでいた。
「レイラは勘違いしているのかもしれないけど、私はオリヴィアが好きなわけではない。私が好きなのは……君、レイラだよ。初めて君を見たときから、私の心はずっと君の物だ」
すると、次はレイラの目が大きく見開かれた。次いでへにゃっと顔を崩し、笑顔になる。
「まぁ……そうでしたの。ふふ、わたくし達、とんだ大馬鹿者、ですわね」
「あぁ、そうだね」
「折角、想いが、通じ合った、のに、わたくしは、こんなに、惨めな姿、で、いたたまれない、ですわ」
レイラはそう言うと、目を閉じる。ノエルはまさか死んでしまったのかと焦ったが、そうではないようだ。
レイラが体に力を入れたような素振りを見せると、床に流れ出していたレイラの血がキラキラと輝き出す。そして──
「薔薇に、なった……?」
ノエルは呆然と呟く。いつの日かフローディア家で見せてもらった薔薇のように美しい薔薇がレイラの周りに散りばめられていた。
恐らく、これは最近隣国から伝わった『魔法』だ。魔法を行使するには強いイメージ力が必要らしい。クレイオス王国では魔法はまだ使われていないため、レイラはイメージ力だけで魔法を使ってみせたのだろう。
すると、レイラは目を開いた。しかし、その目にさっきのような生気は感じられない。ノエルは、これが最期の言葉なのだと直感した。
「殿下、いえ、ノエル様がこれからも笑顔でいられることを望んでおりますわ」
まるで、出会ったばかりの頃のような、屈託のない笑顔でレイラは最期の言葉を口にする。そして、静かに目を閉じ──レイラはその人生に幕を降ろした。
***
フローディア公爵令嬢殺害事件の犯人は、第一王子の活躍によりすぐに見つかった。そして、その犯人の供述によれば、シャーロット侯爵家の令嬢、リディア・シャーロットに指図されたものだという。なんでも、オリヴィアを殺害し周りが気をとられている間にレイラも殺害することでライバルを蹴落とし、王太子妃の座を奪おうとしたのだそうだ。
全てが明らかになったあと、シャーロット家は爵位を剥奪され、平民へと墜ちた。
それから、200年。クレイオス王国は特に大きな争いもなく平和に移ろっていった。そして、下町ではとある読み物が流行していた。そのタイトルは『薔薇姫』。
「薔薇姫と王子はすれ違いつつも、最後にはお互いの恋心をぶつけ合って幸せになる……本当に素敵ねぇ」
「そういえば、『薔薇姫』って実話を元にしてるらしいわよ?」
「へぇ~、じゃあ薔薇姫は──」
「きっと、誰よりも美しかったんだね」