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第六章 橘華、登場

いよいよ、最終章です

 不思議なことが起こったのは、二人を交番に引き渡した直後のことだった。本署とやりとりをするお巡りさんに気をとられていた僕がふっと後ろへ目をやると、それまでいたはずの橘華さんたちの姿がどこにも見当たらない。

「沼田、橘華さんたちどこ行ったんだい」

「――あれっ、どうしたんだろ。さっきまでその辺にいたのに……」

 どうしたことかと考えあぐね、なんとなくブレザーのポケットへ手を突っ込むと、何やら覚えのない感触が指先に伝わる。そっと指でつかんで引き出すと、それは見覚えのない、丁寧に折りたたんだルーズリーフの切れ端だった。

「――高津、なんだいそれ」

「さあ、なんだろう……」

 恐る恐るルーズリーフを開けると、そこには丁寧な筆致で、次のようなことがしたためてあった。


 高津さんと沼田さんへ

 あなたたちのおかげで、闇に葬られそうになった事件が一つ解決しました。ありがとうございます。

 ただ、訳あって、私たちは目立つことができないのです。お手柄はお二人にお譲りします。

 ではまた、そのうちに「白鯨」でお会いいたしましょう。


 橘華より

「なんだあ、こりゃあ……」

 手紙を取り上げると、沼田は不思議そうに文面を反芻していたが、やがてそれに飽きると、それを僕のブレザーの胸ポケットへと押し込んだ。

「まあ、このままあたしたちの手柄にしても問題ないんなら、大いにそうしちゃおうじゃんか」

「で、でも……」

 どことなく良心のとがめる僕に、沼田はそっと耳打ちする。

「――別に、ウソはついてねえじゃんか。ほかならぬ、お前の好きなあの子の頼みだろうし……」

「おいおい、止せよ……」

 沼田千春という少女はどこまでも抜け目がない大胆なやつだ、とよくよく思い知らされた。渋々提案を飲むと、僕はお巡りさんに適当な逮捕劇を語り、風間・船越の二名が本部のほうに連行されてゆくのを沼田や加賀崎さんと見届けてから、家路を急いだ。

 結局、事件そのものは関係者が未成年ということも手伝ってあまり大きくは報じられず、それぞれの学校の在籍簿からひっそりと風間あやせ、船越晶の名前が消えるとともに、それ以上の追及は止んでしまった。

 ところが、それと同時にもう一つ消えてしまったものがあった。二人を警察に突き出して五日ほど経った放課後、「白鯨」へ顔を出すべく意気揚々と学校を出た僕と沼田は、けたたましい重機の音に驚き、足取りを早めた。

「――こりゃあ、どうなってんだぁ」

 沼田が驚くのも無理はなかった。「白鯨」が入っているはずのビルには防音シートがかけられ、作業灯の光に照らされたショベルのシルエットが、夕闇迫る繁華街の片隅でせわしなく動いている。

「見てみな、そこの計画表。――取り壊しそのものは、もうずいぶん前から決まってたらしいぜ」

「ちきしょう、ここに来れば、橘ちゃんたちにまた会えると思ったんだがなあ……」

 沼田にとってみれば、加賀崎さんとの再会の一幕が繰り広げられた思い出の店、ということになるわけだから、嘆くのは無理もなかった。だが、そんな彼女と、瓦礫と化した「白鯨」を前にしても、不思議と僕は、感情に荒波が立つようなことはなかった。

 思えば、最初に橘華さんと出会ったときから、どことなく浮世離れしているような感じがそこかしこにはあったのだ。それを踏まえて考えるに、彼女やその友人たちとのやりとり、はては事件そのものが、現実と夢の境目のあいまいな、まさに「夢うつつ」の風景だったのではなかろうか――。

 音を立てて崩れる、窓ガラスの音を耳で受けながら、僕と沼田は呆然と立ち尽くしていた。


 ところが、夢と思われた小山内橘華という少女との再会は意外にも早く実現することとなった。

「いやあ、この時期の東京はもう暑いんだなあ――」

 その日の夕方、久しぶりに上京してきたU・K先生と銀座のコロンバンへ入った僕は、あとから合流してくる予定の悠一さんと猫目さんを待ちながら、名物のアップルパイをつついていた。汗っかきのU先生は、さきほどから和服の襟をくつろげ、しきりに扇子の風を送り込んでいる。

「先生、思い切ってビヤホールかどこかにしたほうがよかったんじゃないですか。そっちのほうが涼しいでしょうに……」

「ところがなあ、今夜ばかりはそうもいかないんだ。なにせ、いつものメンツとはちょっと毛色が違うんでね」

「あれ、ほかに誰か来るんですか?」

 合いの手にコーヒーを飲んでからU先生に尋ねると、先生はお冷を口へ流し込み、手の甲で唇をぬぐってから、

「悠さんの妹が来るんだとさ。なんでも、学校の校外授業の帰り道に拾ってきたとかでね……」

 と、ビール片手に上機嫌、と決め込めない理由を不機嫌そうに語る。

「悠一さん、妹さんがいるんですか」

 そういえば、前にそんな話を聞いたような覚えがある。僕の反応に、U先生はなおも続ける。

「そうなんだよ。話にゃ聞いていたが、実物を拝むのは今日が初めてでね。――お、来たな」

 U先生の視線の先に、同じように手を振る猫目さんと、後ろに控えた悠一さん、そして、妹さんらしい人影を見出すと、僕は少したたずまいを直して、三人の来るのを待った。

「やあ、しばらくぶりでした先生。健壱さんも、お久しぶりです」

 前に出た悠一さんが先生と僕に挨拶をすると、先生は嬉しそうに、

「悠さん、元気そうだねえ。猫目ちゃんは……そうでもなさげだわなあ、どしたの」

 確かに先生の言う通りで、猫目さんにはいつもの江戸っ子らしい快活さが見当たらない。

「先生、僕ァどうも年下の女子が苦手でしてねえ……」

「――猫目さん、それ、どういうことかしら」

 と、頭を掻きながら目を所在なく動かす猫目さんの後ろから、ちらりと寒色の背広が姿を覗かせる。深緑のダブルの背広と、タータンチェックのスカート。ウェーブをかけた濡れ羽色のセミロングと白い肌――。

「――U先生、はじめまして。山藤悠一の妹の橘華です。兄がいつも、お世話になっております」

 そこにいたのは、事件解決の苦楽を共にした戦友、橘華さんだった。

「――やあどうも、U・Kです。――おいおい猫ちゃん、こんな美人のどこがイヤなんだい」

 驚いて固まる僕を気にも留めず、U先生は猫目さんに疑問をぶつける。

「それはですねえ、この子の前だと隠し事が利かないからですよ。――なんせ、兄が山藤悠一ですからねえ……」

 自分たち兄妹を一べつする猫目さんに、悠一さんはそりゃあどういう意味だい、と抗議する。それを止めようとU先生が加勢し、三人が気をとられているところへ、近寄った橘華さんがそっと話しかける。

「――お久しぶりね、高津さん」

「橘華さん、こりゃあいったい……」

「山藤って名字を名乗ってると何かと不都合なことがあるから、学校以外じゃもっぱら、お母さんの旧姓で通してるんです。――ああいう冒険をするのには、特に不都合ですからね」

 そういってかろやかにウインクをして見せると、橘華さんは僕のブレザーの胸ポケットへ一枚のアドレスカードを差し込んだ。

「――これ、新しい『白鯨』のアドレスカードです。あそこのビルからあまり遠くないところへ移転したんです。『美味しいコーヒーを支度して待ってますから、また、沼田さんと一緒にいらしてくださいね……』ってマスターが言ってました」

「――なあるほど、そういうことだったんですね」

 やはり、あの出来事は夢ではなかったのだ。そのことをしっかりと胸に刻み込むと、僕は名探偵の妹――いや、彼女自身も、恐るべき名探偵なのだ、それは間違いない――である山藤橘華との約束を守るべく、僕は終始、初対面を装って接したのであった。

 沼田と一緒に、新装開店相成った『白鯨』の門をくぐったのは、それから大して間の空かない、アイスコーヒーの美味しくなりだしたある放課後のことだったのは、また別の機会に話すとしよう。


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